第2話 配属先、セントーリア最高裁判所

「ご挨拶が遅れました。わたくし流射芽直正るいめなおまさ様担当本、サーシャ・コーラルと申します」と、少女は嬉しそうにしながら、以後、サーシャと呼んで欲しいと言う。


「今、って……言った?」


「はい!」


「……はは」


「ふふ」


「……って」


「はい?」


「意味わかんないんですけどー!?」


「ヒエ~ッ!? 申し訳ございませーん!」


「……わ、わかりやすく、説明してくれる?」


かしこまりました」と言って、コスプレの彼女、サーシャは体中から鮮やかな純白の光を放ち始め、そしてその光は次第に輝きを増していき、彼女の体を包み込んで行った――。


「こういう事です」


 輝きが収まると、真っ白な本が俺の前に浮かんでいた。見るとその表紙には、【流射芽直正様@Sāsha-Kōraru】と書かれていて、背の部分には【法の書】と縦に記されてあった。

 

「え~っと……」


 俺はポリポリと指先で頬の辺りを掻く。さて、なんと言ったらいいものやら。


「どうかしましたか?」


 本から彼女の明るい声が聴こえていた。

 これは分かりやすく簡潔に伝えるのが一番よかろうと結論付けた。なので、


「わかるかーーーーい!?」と、声を張った。


「ヒー!? ごめんなさぁぁぁい!」


 慌てふためく本というのは、初めて見た。

 彼女は同じようにして、元の姿へと戻っていく――。


「で、結局なんなの?」


 ゼーゼーと、俺は息を切らす。


「私、これから流射芽さんが裁判官として必要になる本なんです」


(いやぁ、そんなに嬉しそうに言われても別に嬉しくないし、イマイチ答えになっていないのだがなー……)


 取りあえず何かしらの履物をお願いして、俺は男子トイレに案内してもらうことにした――。


 有り難いことに用意してくれた履物は、今まで愛用していたビジネスシューズのようなものだった。これが非常に軽くてフィットしている。

 話によると、なんでも魔法が施してあるとのことで、『疲れにくい・蒸れにくい・水に強い!』という、おまけつきらしい……が、魔法という言葉が出てきたことに抵抗がないわけではないのだが、敢て素直に受け入れたとしても、それぐらいならば魔法じゃなくて…………否、人の好意は、素直に受け入れよう。

 そして十数人が一度に使用できる豪奢なトイレで用を足し終え、手を洗おうと洗面台にある鏡へ、ふと見を遣る……すると、


「はて?」


 数十年前の俺に、そっくりな少年が映っとる……。

 それも高い割に丸みのある鼻先や、左目尻の泣き黒子ホクロなんか、ヤバイくらいに一緒ではないか。

 ん~でも、この頃の俺って、顔が隠れるくらいにまで前髪伸ばしてたよなぁ。しかし、目の前の彼は、仕事柄こざっぱりとさせている今の俺の髪型とまるっきりおんなじで、それはそれでなんかコワイ。


「誰も、いない……」


 自分の顔を両手で触ってみる……少年も触っとる(ヤベ、滴ついた)。

 撫でまわしてみる……鏡の動きというやつだな、うん。

 鼻に指を思いっきり突っ込んでみた。


「――うぐっ!?」 


 間違いない、これ俺だ! 俺はそのままの恰好で、表で待つサーシャのもとへ急行した。


「ちょ、ちょっ!?」


「チョー……出ましたか?」


かおっ!」


 俺は鼻に入れたままの指を押し上げ鼻声で伝える。


「……アッ、顔ですね!」


 縦に首を振り続けた。


「こちらの世界に来た方は、その方のピークの時の容姿になるそうです」


「へ~、そう……」


 そう思うと同時に、(俺のピークって、16、7かぁ)と、少し哀愁漂ってしまった――。


 服のサイズが合わないことに気が付き、背広なんかもチャチャッと用意してもらって、裁判所の中を今は案内してもらっている。

 行き交う人々の言葉は全く理解できないし、表記されている文字であろうものも一つも読めない。そのことをサーシャに伝えると、後ほど直ぐに解決します、ということだったので、頭の中に据え置くこととした。


 俺らが最初に立っていた方角が北らしく、今は東の方角へと足を向けている。

 それにしても、ここは立派な造りだ。

 東西へ延びるこの廊下の上の部分は、全て半円アーチで形作られていて、それに合わせるようにして南向きにある長方形の大きな窓が等間隔で明かりを取り込んでいる。

 窓の外に見えるところには、一面に芝生が植えられており、そこで暖かな日差しの中、カップルや家族連れがピクニックを楽しんでいる。

 

(いいなぁ。向こうの世界じゃ、有り得んわな)


 窓と反対側の方には、幾つもの重厚感漂うランプブラックの扉が幾何学的に並んであって、そこでは、裁判が執り行われているとのことだった。

 建物の全体的な造りは凸のような形に近いらしく、像の後ろにある突き出た部分がそれにあたるということだったのだけれど、よく分からなかった。

 それから、西側の方はというと、主に執務室や寝所になっているのだそうだ。

 

(あっちの裁判所も、これぐらい綺麗だといいんだけどなぁ)


 そんなことを思いつつ、「んで、俺はここで裁判官をやるの?」と、サーシャに尋ねてみた。

 すると彼女は笑顔で「そうです!」と答える。


「でも、こっちの法律なんて知らないよ」


「それは、問題ありません」


「どういうこと?」と、行き止まりの壁が見えた頃に尋ねると、「戻りましょう」と彼女が言ううので踵を返し、サーシャはそこから、丁寧に説明を始めてくれた――


 こちらの裁判では、訴訟の内容が、原告と被告のそれぞれの記憶に従って、俺の頭の中に正確にサーシャを通し入って来るらしい。

 そして、適用できる法と判決の大筋も彼女から流れ込んで来るのだそうだ。なので、後は斟酌して内容を決めればいいだけとのことで、俺の世界と類似する法も多いらしく、和解なんかもあるのだそうだ。


「流れは何となく分かったよ。じゃ、原告なり被告なりが嘘を付くことは出来ないっていうことだよね?」


「そうです」


「で、例えば被告が判決を反故にした場合は、どうなるの?」


制約レギュルスが掛かるので、反故にするには、相当の覚悟が必要になります」


 昔々のその昔。とある偉大な魔導師様が、それぞれの国の王などに働き掛けて土台となる共通の法を定めるべきと説いて回ったらしい。

 そしてその頃は幸運にも、各国関係が良好だったようで、その話はスンナリとまとまり、世界の中心ともいうべき此の場所に『セントーリア最高裁判所』と銘打って【聖:法の書】という凄い物を設置出来たとのことだった。


 そしてその【聖:法の書】、この世界のあらゆる生命エネルギーを源として制約レギュルスというものを掛けるらく、それを解くということは、掛けられた者の消滅を意味しているのだそうだ。また、その時の決め事として、セントーリア最高裁判所は不可侵の地として生きとし生ける者に制約レギュルスが掛けられており、絶対的な地位で護られているという。


「ちなみに……」と言って、サーシャは話し始める。


「あくまでも光景だけですので、心情等は情報としては伝わって来ません」


「その場合、尋問や証拠の提出を求めるということ?」


「そうです」


「……ってことは、相当数のペースで裁判できるってことだろうし、弁護士も要らなそうだわな」


 俺がそう言うと、「弁護士という方は、この世界には存在しません」と言って微笑む。そして、


「残念ながら、【聖:法の書】が生命エネルギーを源として行使する力、威光ホーリーは、裁判官の体力を著しく消耗します……。また、裁判の相性もあって、それぞれの方が行える裁判の内容や質も異なっています」と言った。


「じゃー異世界の住人なら、誰でもいいの?」


「いえ、やはり裁判経験者。厳密に言うと、裁判官が相応しいようです」


 なるほど。


「てか、君ら本が、直接その【聖:法の書】から威光ホーリーとやらを貰って制約レギュルス掛ければいいんじゃないの?」


「生憎、この世界の人が直接【聖:法の書】から受け取った場合、死に至る恐れがあるんです」


「それはおっかないね。若干、マネーロンダリングみたいな気がしなくもないなー」


「何故か、今の言葉に悪事の響きを感じました……」


「ま~、便利なような、不便なようなシステムではあるね」


「そんなことはありませんよ。そのお蔭で出会うはずのない方々と出会えるんですから……。私はこうして流射芽さんと出会えました。これから私達、1人と1冊で1つ。 法司者であって、法使者であり、奉仕者です……。一蓮托生ですよ!」


 サーシャはドンッ! と胸を叩いてその膨らみを軽く揺らして、力強くそう宣言した。


「う~ん、と」


 ここで気になる事を三つほど……。

 一つ目、1人は1人。1冊は1冊。

 二つ目、公務員たるもの無償で働くことはない。

 三つ目、責任の所在は明らかに。

 そして俺には、最も気になることがあった――。


「あのさ」


「はい」


「裁判やってて、ポクッと俺、逝ったりしないよね?」


「……」


「サーシャッ!?」


「さて、着きましたよ」


 帰りたいという俺の熱い眼差しを、サーシャは完全にスルーした。


「ん?」


 像の真向かい、正面玄関と思われる方に目を遣ると、彼女と色違いの装いをした女性が次から次の代わる代わるの質問にテキパキと愛想よく答えているのが見て取れた。


「どうしました?」


「あの人って、ここの受付係?」


「ああ。私達、受け付けもするんですよ」


「へぇ」


「ちなみに姉なんです」


「他に兄弟姉妹は?」


「姉があと百二人ほど」


「へ~百……ひゃくに!?」


 俺の声の大きさに、一瞬、みんながこちらを向いた。


「そ、それって……みんな同じお母さんなの?」


 皆様へ頭を下げながら話を進める。


「はい。私、今のところ末っ子です」


(今のところって……)


 まー色んな家族があると、納得することにした。


「では」


「ほえ?」


 キリの良い所で話を終わると、サーシャは何処からともなく羽根ペンを取り出して俺に手渡す……。そして、再度本の姿となると、パラパラとページを開いていき、最終の白紙ページのところでピタリと止まった。


「すいません、こちらに署名をお願いします……あの、でも……私、今日が初めてですので、優しくしてくださいね……」と言って、白紙を赤らめる。


「うん」


 意味わからんが、俺は其処に署名をする――


「――っ!?」

 

 簡単ではない署名が済んだ途端、俺の胸の奥にチクリと刺さるものがあって、そこからジワリ灰汁のような感じの嫌なものが、薄っすらと広がっていった――。


「ど、どうしました……」


「……なんでもない」


 聞いてみようかと思ったのだが、署名の間、ずっと身悶えるので掴んで押さえたら、妙な声を出す上に「そこはダメ~!」とか、「オネガイ、ハヤクシテ~~ッ!」とか叫び出してミミズのような字体になってしまった挙句に、書き終えたら終えたで姿を戻して絨毯にヘタリ込んで肩で息をしている相手に聞くことなど何もないと思った。


「……おや?」


 そしてふと気が付くと、周りの話し声が耳に馴染み理解できていて、表記されている文字も読めるようになっていた。


「――じゃ……じゃあ、行きましょう」


 正気を取り戻したサーシャは、女神像さんの方を掌を開き示した。


「ありゃ!? ……いつの間に」

 

 見てみると、像さんの後ろ側には、空間があった。

 彼女の説明によると、ここは関係者以外認知できない場所らしく、さっき署名したことで俺も関係者の一人として認められて、この世界の人達とも交流する力を与えられ、言葉や文字が理解できるようになったということだった。


「流射芽さ~ん。行きますよー!」


 気が付けば其処へ向かってサーシャは既に歩みを始めていて、俺は慌ててそれに倣った。

 

「おお~……」

 

 其処には、像さんよりも一際立派で見上げるばかりの扉があって、その色は他の扉と違い、ふんわりとした、シグナルレッドだった。


「なんか、優しい感じの色合いだなぁ……」


 俺がお上りさんのようにして見上げていると、隣でサーシャが両掌りょうてを合わせて何事かを目をつぶり呟き始めた……すると、その扉は独りでに動き始めて、音もなく向こう側へと向かって、ゆっくりと両開きで開いていった――

 

 コツコツと、足音を立てながら俺らは中へと進む……。


「これが【聖:法の書】、通称【Mother】です!」


 サーシャが自慢げに紹介する。


「でっ……けぇ――」


 圧倒される大きさだった。この本からしたら、俺ら米粒だろう。

 金色に輝く、分厚い本。

 それが真っ暗なへやの中で輝きを放ち、斜めに位置取りゆっくりと回転している……。

 不思議なことにその空間には、行き止まりがないような気がした。そのことを彼女に聞いてみたところ、ここは別次元だそうで、神様のおわす神界と繋がっているという話なのだが、その行き方は誰にも分からず、神界へ行ったという話もないのだそうだ。


 そしてあの象さん……失礼。像は、神の内の一神ひとりで、愛を司る女神アシクムという方なのだそうだが、今はその任に就いてはおらず、数神すうにん神様ひと達で代理を代わる代わる務めていたとのことで、それも最近になって、ようやく正式なひとが決まったとのことだった。


「これ、触れんの?」


 俺はツカツカと歩き出す。


「ァッ!? 聞いて頂いてありがとうございます! 3メートル以内に近づくと、施された術式で木端微塵になります」


 当然、ピタリと止まる……。結構ヤバイ距離な気がするんですけど。

 俺は、サーシャに抗議しようと振り返った。すると、「流射芽さん……」と、両手を体の前でキュッと組んで、彼女は真顔で言葉を紡ぎ始めた――


「私達【法の書】は、【Mother】から生まれました……。そして、それぞれの裁判官のお役に立てるよう日々努力しております……。私もこれから、流射芽さんのお役に立てるよう、精一杯、努めさせて頂きます――!」


 そうしてサーシャは、弾けるような笑顔を俺にくれた。


「……う、うん。よろしく」


 その様子に、熱い何かが俺の中を駆け抜け、胸の奥がドクンと波打つのが分かった。


 ……に、しても、


「ね~、サーシャ」


「はい!」


「本っていうのは、実はそんなに露出度が高いもなの? ていうか本って、おもて表紙が服? そして裏表紙が下着だったりする? 更には、ページが体?」


 後ろから見ると、純白の法服のような物を纏っているので露出度は極めて少ないのだが、厚手なのは分かるけれども、前から見るとチューブトップブラとでも云うのだろうか、下もレディースのボクサーパンツとでも云うのだろうか……。穢れのない、真っ白なそういったもので必要最低限の部分しか隠していないその装いは、落ち着いてよく見ると、俺の性的興奮を刺激するものがあり、つい舐め回すようにして真っ白なショートブーツから上に向かってジックリと見てみたくなるものがあった。


「ン~、考えたことも無いです……」


 急に羞恥心を覚えたらしく、サーシャは隠れているにも関わらず手でアチコチ隠し始める。


「ふむ……」


 俺はこれから、本に妙な興奮を覚えてしまうかもしれない……。



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