法司者

ひとひら

第1話 転生せずに異世界へ!?

 裁判所、事務室。


 カタカタ、カタカタカタカタ……。


「おー、流射芽るいめくん。精がでるね~! 判決文書いてるの?」


 パソコンに向かい、セッセと判決文を作成している俺に、部総括判事が声を掛けながら俺の肩を揉んできた……ヤバイ、既に緊急事態だ。


「いやぁ、原告さん。ちっとも和解に応じてくれなくて~……」


「そうかそうか! それじゃ、仕方ないよねー」


 上に媚びへつらい伸し上がって来た壮年の眼光が、穏やかな表情とは掛け離れて鋭いことぐらいは、見なくても分かる。


「ですよねー!」


 追い込まれた兎が逃げ道を探すように調子を合わせてみたものの、両の肩に掛かったごつい掌がピタリと止まり、「でも、ね……」と、耳元で囁いた瞬間、俺は最期を悟った。

 

「君だけ、極端に『売り上げ』が酷いんだよね」


 仄暗い声が、俺を冒す――。


「す、すいません」


 ニコチンで出来ているような息が、右頬を掠めて鼻腔を刺激した。俺は思わず口呼吸へと切り替える。すると、法の番人たるこの方は、更に声音を落として言葉を続けた。


「頼むよ。『農耕民族』は、和解させてナンボなんだから、さ」


 脂汗が止まらない。とにかく俺は、「はい」と、それだけを絞り出すようにして口にした――。


 我ら『民事事件担当裁判官』、通称、『農耕民族』は、訴訟において和解に持ち込んだ数を『売上』と呼ぶ。

 そして、その成績に拠って出世の道が開かれていき、部総括判事であるこの人にも少なからず俺の成績が影響を与えている。それは何故か……答えは至って明瞭。『上司』だからである。


 本来、『すべて裁判官は、その良心に従ひ、独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される』ということで、裁判官は指示をされたり、従属させられたりはしないということを憲法では謳っている……。だが、人間二人揃えば自ずと上下関係が出来るものである。更に肩書きなんかが加われば猶更だ。

 すると、我々裁判官にも、暗黙の了解のようにしてそれは存在する訳であって、上司・部下といった関係性が自然・必然的に構築されて、上級裁の意向なんかも、はっきりと顕在化している。


 出世という高みを大勢の裁判官が目指している現状、それを十分に忖度して、和解に向けた脅迫紛いの手口を弁論準備手続での個室の場面をいいことに、原告・被告にブチカマす……。

 しかし、俺はそういった手法が下手な上に押しに弱い。だから判決を求める意志が固い相手だと、つい、それに従ってしまう……。

 まぁ、裁判本来の有り方には合致しているのだろうけれども、組織の『本音と建て前』からすると、俺は完全にドロップアウトな訳なのだ。


「そうそう。君を適任の職場へ、推薦しておいたよ」


 笑顔の暗黒神と呼ばれる上司は判決のように言った。


「え!? 『いってらっしゃい』ですかっ!?」


 俺は思わずその顔を振り向き覗き込む。

『いってらっしゃい』とは、閑職かんしょくに追いやられることである。要するに、仕事を与えないで飼い殺し。早く辞めてのサイン。

 正直なところ俺は、日々、それに怯えていた。


「いやいや、好きなだけ判決だせるところだよ。近いうちに通達があると思うから、準備よろしくね」と、そう言って、上司は体に似合わず身の熟し軽く自分の席へと戻って行った。


「……はぁ」


 如何にも肩の荷が降りたという感じの後ろ姿を見送り、気付けば、俺は大きな溜息を零していた――。


 その日の夜。

 コンビニ弁当と数本の缶ビールをぶら下げて、賃貸マンションの一室へと帰宅する。誰もいない部屋の中は、とても暗く、そして寂しい。アレルギーさえなけりゃ、ネコでも飼うんだけどなー。


「ああは言ってたけど、いってらっしゃいだろうなぁ……」


 明るくなった部屋は、掃除をすることを強く要求しているようだ。俺は隅に溜まっている埃に気付かないフリをして背広を一人掛けのソファに放り投げると、ネクタイを緩めながら座椅子に体を預けた。そして、タバコに火をつけて天井を見上げた。


(あ~あ……)


 そんなに判決を出すのが悪いことなのか? 別に和解が悪いって言ってるんじゃない。白黒つけて、そこからまた新しく人生をスタートさせたいっていう原告の気持ちを酌むことが、そんなに駄目なことなのか?


「ほんと、納得いかねぇよなぁ」


 俺は組織というものに、何処か違和感を覚えている。でも、だかといって楯突こうとしているわけじゃない。ただ真っ当に仕事をしたいだけ。でも結局の所、それが組織にとって煙たい存在になってしまっていることも否めない。


裁判世渡り下手……って、ことだわな)


 弁当を掻き込みながら悔しさを飲み込むようにして、いつもより多くビールを流し込んだ――。


「――さん!? 流射芽さん!!」


 呼び掛ける声がする……どうやら、いつの間にか眠ってしまったようだ。

 だが、俺に呼び掛ける? んなことある訳ない。俺は独りもんだぞ。


「――射流芽さん、起きてください!」


 揺さぶられる……。この状況で考えられること、それは――火事!

 俺は直ぐさま跳ね起きた!!


「火元は!? 逃げ場はっ!?」


 急いで見回す……だが、煙の臭いも、火の熱さも感じなかった。


(おかしいな……)


 念の為もう一度、辺りへ顔を向けて部屋の中を確認してみる……と、明らかにおかしな状況に気が付く。


「えーっと……はい?」


「射流芽さん、初めまして。異世界人材交流センターの紹介でやって参りました!」


 彼女は立ち上がりながらそう名乗って、少し目線を持ち上げて俺のことをシゲシゲと見る。

 ワクワクが止まらない!☆彡 と、そんな様子だった。


(なんなんだ)


 少女は屈託なく笑ってらっしゃる。まぁ確かに、整った顔立ちに朗らかなその表情が乗っかってんだから、そら可愛いよ。でも、しかしだな。このシチュエーションで、そんなこたーはっきり言って、ど~でもいいこった。


「うん、そっか……まー、あれだね……うん。玄関あっちだから、よろしく」


 そう言って、俺は布団へ向かうことにした。


「ちょっと待ってくださーい!?」


 コスプレ女子が俺のシャツの裾を後ろから引っ張ってらっしゃる。


「あのねー。おじさん見逃してあげるって遠回しに言ってんだよ? 君、いま完全に不法侵入だからね? あと、コスプレを否定するわけじゃないけど、そんな露出の高い恰好で、一人暮らしの男性宅に侵入するのはいかがなものなの? 年頃の娘さんなら、もうちょっとその辺の自覚を持った方がいいと思うよ」


 じゃあそういう事で、と、俺はその手を振り解き布団へと向かった。すると、その娘は慌てふためきながら、忙しなくバタバタと妙なダンスを披露し始めて、「 部総括判事さんの推薦で迎えに来ました!」と言って、一枚の書面を何処からともなく取り出し俺に見せつけた。


「…………は?」


 これには流石に反応した。

 俺は、振り返り彼女に歩み寄った。そして目を凝らして見てみると、その書面には、俺を推薦する主旨の文言もんごんがビッシリと連なってあって、下の署名欄には、確かに上司の筆跡が確認できた――。


「というわけで、さっそく向かいましょう!」


 俺は食い入るように見ながら、「どこへ?」と、少女に呟くようにして言う。すると、「セントーリア最高裁判所です!」と、彼女は程よい大きさの胸を揺らし、空……ではなく、俺ん家の低い天井高く指差して口にした。


「……はい?」


 思わず、そちらの方に目を向けてしまう。


「ですから、セントーリア……」


 何故か、彼女の方が困ってらっしゃる。


「そんな裁判所、聞いたことありませんが」


「この世界ではありません」


「そろそろいいかな? 明日も早いんで」


「待ってくださぁい!」


「大人からかうのもいい加減にしてよ~」


「からかってなどいません!」


(ハァ~、めんどくさ)


「はいはい。じゃ、なに? 異世界とでもいうの?」


「そうです!」


 満面の笑みの彼女。


「……で、どうやって行くの?」


「私が導き手となります」


「あのさ~。異世界っていったら、よくいう転生しないと駄目なんじゃないの? コンセプト崩壊してませんか?」


「ん? 流射芽さんは、転勤ですよ?」


「だから、異世界って言ったら転――」


「勤です」


「……あのね、君。小説は読む? ライトノベルとか。そこでは転――」


「勤です」


「……」


「……」


「……転」


「勤……」


 かたくなですね。


「いいでしょ、 いいでしょう! 転勤でも百均でも除菌でもなんでもやってやりましょう!」


「ちょっと何言ってるのか分からないですけど、話がまとまって良かったです!」


「……で、どうすりゃいいの?」


 今のこの状況がアホらしくて、なんか自分が情けなくなってきた。


「私と手を繋いで、目を閉じてください」


(へいへい……)


 言われるがまま、その子の細い腕から伸びるしなやかなその手に自分の手を重ね合せた。

 彼女はそれを見て満足そうに微笑むと、目を閉じて、何事かを呟き始めた――。


「……え?」


 それは、直ぐに起こった。

 俺らが立っている足元。そこから眩い光が顕れて、彼女の膝裏辺りにまで届こうかという薄鈍色うすにびいろの長い髪が、フワリと持ち上がり始めたのだ!


「え″ーーーーっ!?」


 俺は瞠目して足元を覗き込む!

 見れば文字のような、文様のようなものがその光の中に無数にあって、激しくそれが回転し始めているではないか!!


「流射芽さん、目を閉じてください! 消滅してしまいますよ!?」


 非現実的なことを云われているのは、重々承知、で・す・がっ!!

 裁判官である以上、な訳で、この輝きが何よりの証拠と認定致します!


(……)


 慌てて固く目を閉じる 。そして、恐れから彼女の手を握り込む……すると、それに応えるようにして彼女は強く握り返してきてくれた。

 その手の感触……それは、長い間ずっと懐古して求め続けていたようなもので、何故だか急に潤む感情や安らぐ思いが湧き上がってきた。


(なんだ、この気持ち……)

 

 そうして、徐々に体が軽くなっていくのが解った――。


「流射芽さん。もう大丈夫ですよ」


 俺は、恐る恐る、ゆっくりと目を開いた。


「……ここは?」


 目の前には、法の女神であるテミス神のような巨大な彫像がそびえ立ち、その右手には、六法全書サイズの厚みのある本を抱えて、左手には天秤を力強く翳し俺らに問うているかのような姿がある。


「……」


 左右へと顔を遣ってみると、俺らの足元にもある、落ち着いた赤色の絨毯が延々と敷き詰められていて、そこを大勢が行き交っている……。だが、その装いと言えば、俺が現実として目にしたことがないものばかりだった。

 

(な、なんなんだよ……)


 驚きと好奇心に溢れている俺に、その子は誇らしげに、こう言った――


「ようこそ、セントーリア最高裁判所へ!」


 把握し切れる訳のないこの状況。

 だが、転勤といっていたその言葉の依拠するものが何であるのかが気になる俺は、相違点があるかもしれない現実的な問題として堅実な考えが大部分を占めていた。それは――


「福利厚生、どうなってる?」


 そしてここから、俺の異世界勤務が始まった――。



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