幕間 牧場暮らしの元冒険者

 俺の名前はガジェド――――ガジェド・オルウェンズだ。


 今ではばっちゃんの営む牧場の手伝いをしているが、これでも数年前までは冒険者をやっていた。十等級あるうちの七等級という冒険者の中では比較的上位に位置する実力を有していた。


 ――――だが3年前、ゴブリンキングマジシャンの爆撃魔法を躱し損ね、片足の膝から先を失い、やむなく冒険者を引退することとなった。


 当時は違和感だらけで歩くことすら儘ならなかった義足もリハビリを重ねる毎に体に馴染み、昔ほどではないにしろ、中級冒険者時代の実力を取り戻した。


 だが、それでも冒険者に復帰しなかったのは冒険者を辞めてからのインターバルが長すぎたから――――ということもあるが、それ以上に婆ちゃんへの恩義と牧場暮らしが割と性に合っていたからである。


 我が家は代々続くオルウェンズ商会を営む一家だ。


 自慢話になるが、オルウェンズ商会はこのエインガルド王国でも随一を誇る商会だ。国内外の街々に支部を構える、非常に大規模な組織である。


 そんな裕福な家庭に生まれた俺だったが生憎と頭仕事は性には合わなかったのだ。


 喧嘩別れの末に家を飛び出した俺は冒険者になるべく、冒険者ギルドの門を叩いた。


 偏に何万にも及ぶ魔物の群れを単騎で討ち果たし国を守り抜いた七英雄に憧れての決断だった。

 今にして思えば、あの頃の俺は若かったんだな――――と、今年で27になった俺はしみじみ思う。


 結局どうなったかはさっきも言った通りだ。

 足を失った俺は冒険者生活で溜めてきた有り金をはたいてドワーフの名匠と小人の錬金術師の二人に頼み込んで義足を造ってもらった。


 もちろん、所属していたパーティからも脱退を余儀なくされ、金も使い果たした俺は途方にくれていた。


 そんな、どん底の俺を救ってくれたのがオルウェンズ商会元会長の夫人――――つまるところの俺の婆ちゃんだった。


 声を掛けられたときは牧場の守護でも頼まれるのかと義足に悪戦苦闘していた頃の俺は戦々恐々と身構えていたが、蓋を開ければなんとびっくり、家畜の世話をやれというのだ。


 家畜の世話は思いのほか重労働な上に難しい。餌に拘り牧草類を収穫したり、家畜にストレスが掛からぬよう世話をしたり、朝夜搾乳がてら体調を管理したりと覚えることや神経を使う仕事が多く、初めは本当に大変だった。


 だが慣れてくれば思いの外、ゆとりができるものだ。


 この青々と広がる草原を自由気ままにのんびり過ごす牛たちを見ていると、命を張って前線で戦ってきた冒険者時代が遠い過去のように感じるのだ。


 放牧的なこの光景は荒んだ心が洗われるような、そんな感じがした……そこまで荒んでいたわけでもないが。まーあれだ、こういうのんびりとした暮らしも有りかな――――なんて思ったんだ。


 だがその矢先、滅多にない来客が牧場にやってきた――――それも、牧場の真後ろから。


 この牧場は『精霊の大森林』と呼ばれる非常に広大な森林を背に築き上げられた特殊な生い立ちを持っている。


 普通、牧場を森の傍に作るのは愚の骨頂だ。森に住まう魔物たちが一同に押し寄せてくるからだ。

 それらから牧場を守護するには莫大な資金が必要であり、いつ襲われるかも判らないリスクを抱えるぐらいならば多少初期コストが掛かってでも立地の良い場所を選ぶのが常道だ。


 ――――にも関わらず、数分歩けばすぐ傍に森がある場所に牧場を構えたのにはわけがある。何の守護もなく牧場を構えていられる訳には、偏に森の特殊性が関係する。


 通称『精霊の大森林』と呼ばれる大森林は実のところダンジョンであると目されている。


 ダンジョンとは、宝を餌に人々を誘い込み、自ら生み出した魔物でそれらを殺めて糧にする巨大な魔法生物だ。ダンジョンには幾つか規則性があり、その1つが「内部で生まれた魔物は外界へ進出しない」ことが挙げられる。


 足を踏み入れた者は誰ひとりとして戻っては来られないことで悪名高い『精霊の大森林』は未だ謎多き人類未踏領域ではあるが、それや他の規則性からダンジョンである可能性が濃厚であると示唆されている。


 ダンジョンかどうかはさておき、森林から魔物が現れて牧場が襲われる可能性は皆無なのである。


 他にも牧場経営を困難せしめる様々な問題はなくはないが、オルウェンズ商会の名は伊達じゃない。これまでのノウハウを元に難点は悉く解消された。


 つまり、この牧場経営は不足の事態が起こらぬ限り、半永久的に安泰というわけだ。そう、不足の事態が起こらなければ――――。


 昼の仕事を終えた俺は草原に大の字で寝そべっていた。青空を流れ行く白い雲を眺めていた矢先に聞こえた少女の声。耳を済まして聞いてみれば、なんと牧場の裏手から聞こえるではないか。だがそれはありえないことだ。


 この牧場を囲う塀に沿って反対側まで歩いて周るとするならば半日近くは要するだろう。


 そもそも『精霊の大森林』近辺は草原が延々と続くだけのはっきり言って何者にとっても何の旨味もない場所だ。強いて言うなら用があって来るとするなら十中八九、この牧場へだろう。


 この牧場を知る者の大抵は複数ある牧場の出入り口を熟知している。そうでないとひたすら歩く羽目に陥るからだ。歩きでなくとも態々時間を掛ける必要性は無いだろう。


 方向音痴ですら、『精霊の大森林』から離れた位置に入り口があるだろうと当たりをつけて行動する。


 ――――だというのに、今目の前に居るこの少女はさも当然の如く牧場の裏側から現れ、塀を跨がず態々大声で呼びかけてきたのだ。


 オルウェンズ商会は長い歴史を有するが故にそれなりに敵も多い。俺も末端とはいえ関係者だ。商会の舵取りを行う人物やその地位に近しき者が刺客に襲われ護衛がそれを撃退する話も時折耳にすることがある。


 だが商会に仇なす者、あるいは暗殺者の類ならば態々声を掛けず忍び込めばいいはずだ。こんな露骨な手口は愚の骨頂だろう。ましてや成人どころか、どう見積もっても15より上は無いだろうと思われる容姿の少女だ。


 中堅冒険者が好みそうな革装備を纏ってはいるが、全くもって覇気らしきものを感じないのだ。そもそも腰に凪いでいるのが農作業用のナタという時点でチグハグ感が否めない。


 翡翠の宝石が特徴的なそこそこ上質な木杖は魔法使いを彷彿させるが、棒の底は擦り減り、明らかに歩行の補助道具としてしか使われていないことが見て取れる。この光景を杖を造った製作者が見たら涙を流すことだろう。


 ともあれこの少女は怪しいの一点に尽きる。


 何故こんなところに居るのか、目的は何なのか、そもそも何者なのか――――場合によっては身を呈してでも排除する必要もあるだろう。


 少女の正体を暴くべく、俺は口を開いた――――――

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