後編 ー実践ー

 翌週、月曜日の朝。


「皆、今日から朝のホームルームの時間を使って自己紹介をやってもらおうと思う」


 唐突な先生の発言に、クラスメイト達は面倒臭そうな顔をした。皆が愚痴を溢す中、乃ノだけが一人、びくっと肩を震わせて固まった。


「今更自己紹介って何でですか?」


 生徒の質問に先生は頷いて応える。

「この前全クラスで小論文を書いただろ? それでもう皆も卒業後のこと考えなきゃいけないんだなと思ってな」


 先生が皆を見て続ける。

「進学する際には学校面接がある。そのまま就職する人は企業の面接に加え履歴書も書かなければならない。その時に自分のことしっかりと理解し、君たちの個性、人となりをしっかりと相手に伝えることができる能力が必要になってくる。それも、君達の事を全く知らない相手にだ。緊張もするし、とっさに自分の中にある回答が出てこなかったりもする。なら、そういうふうにならないためにはどうすればいいかって言うと、場馴れしかない。特に企業の面接は面接の出来が合否に最も影響を与えるものだからかなり重要になってくる。進学する人間も大学を卒業すれば就活生だ。練習しすぎてやり過ぎということはない。はっきり言って、いい会社に就職することが大学に行く目的なら、面接の出来で大学のランクはいくらか飛び越えられる。今からやることはとても有意義なことだから、自発的に取り組んでほしい」


 先生の話に、生徒も皆顔つきを変え始めた。取りあえずやってみようという空気が生まれる。乃ノは一人鼓動を高める。


 先生へのプレゼンは竜也と乃ノで先週の内に行っていた。計画の真意から段取りまで、計画書を作って渡している。


 先生もいじめのことをはっきり認知していた訳ではないがうすうす感付いており、対処しなければと考えていたようだった。実行に移す際の協議で一悶着あったが、先生は承諾して早速今週の朝から始められるよう段取りを整えてくれていた。


「一週間ごとにペアを変えていく。毎日話すお題は先生の方で決める。ペアは基本的にルールを決めてローテーションで回すが、今週は初めてだから容量を掴むためにも話しやすい友達とペアを組んでやってみよう。――じゃあ、それぞれペアを組んでくれ。歩き回っていいぞ。あ、席を離れる時は貴重品持ってな!」


 先生が言うと、皆はがやがやと明るい声で話し出した。


 遂に実働だ。乃ノも意を決して立ち上がる。


「乃ノ!」


 早速、声を掛けられた。


「私らで分かれて組もうよ」

 いつも遊んでいる三人が笑顔で寄ってくる。乃ノは申し訳ないと思いつつ、緊張しながら焦って答える。


「ご、ごめん。……わ、私、竜也と、組みたい……」


 乃ノは勘違いされはしないだろうかと遠慮がちに言った。

 赤ら顔でたどたどしく言うその姿は正に恋する乙女で、友達は顔をポッと赤くして親指を立てた。


「がんばりなよっ!」

「いやあぁ!」


 友達の声援を背中に受け、乃ノは顔を押さえながら竜也の元に行った。


「……竜也、私と組も」


 予定通りの展開に、竜也は満足気に笑顔で答える。

「ごめん。俺拓也と組むから他を当たってくれ。ぐふぅ!?」


 竜也は乃ノに腹を殴られて悶絶した。


「な、なんで……」

 竜也が呻く一方で乃ノを見ていた友達たちが「ああっ!」と痛ましげな視線を乃ノに贈った。友達の一人が、固まっていた集団から出てくる。竜也の苦しげな顔が青ざめた。


「ヤバい! 同情されるぞ!」

 竜也の言葉にハッとした乃ノが急いでその場を離れる。同情されて仲間に入れられてしまえば愛花と組むことができない。愛花の元に直行し声を掛けた。


「吉田さん。私と組みましょう!」


 そう言うと、愛花は驚いた顔をした。そして、すぐ後ろに迫っていた乃ノの友達は足を止める。


 友達は乃ノが宣言して離れてしまった手前恥ずかしがっていると思ったのか、そのまま引き返した。愛花を選んだという点が、奇しくも自棄やけになって選んだ感を増長させていた。ほっとした竜也だったが、直後に乃ノの友達たちに睨まれスッと拓也の陰に隠れた。


 乃ノと対面した愛花は少し怖がるような様子を見せていた。開幕から変に笑顔を向けてもおかしいので、乃ノは無表情で見返す。


 組が揃って皆が周りのペアを見回すと、乃ノ、愛花ペアに気付いた生徒は不思議そうな顔をした。


 全員が着席したのを見て、先生が話し出す。

「よし。じゃあ、最初は簡単な自己紹介から始めよう。窓側の生徒から三分。先生が交代って言ったら交代な。名前や生年月日、好きな食べ物や趣味、今日は最初だから何でもいいぞ。ただし、三分間喋りきるようにな。はい、スタート!」


 先生が号令をかけると、皆様子を見るように静かに話し出した。だがおそらく最初だけ。すぐにがやがやする空気感はあった。因みに、先生が窓側からと言ったのは乃ノが窓側にいるからだ。乃ノが最初に喋られるよう、話を通していた。

 乃ノは事務的に話しだす。


「望月乃ノです。九月八日生まれ。まだ十六歳です。家族構成は……」

 乃ノは時間になるまで淡々としゃべり続けた。愛花も乃ノから悪口や嫌悪の感情をぶつけられるのではないと感じ取り、恐怖を抜いて聞いた。


「よし、交代ー。今度は廊下側の人、話して」

 先生の号令を受けて、皆が立場を変えて自己紹介を始める。二人目からは場も温まって、皆自分たちの世界に入り込んで話し始めた。その空気に背中を押されたのか、愛花もいくらか緊張を解いて話しだす。


「よ、吉田愛花です。六月十日生まれ。なので十七歳です。……家族構成は……」


 愛花は乃ノの話題を反復するように答えていった。最初は少し緊張が残っていたが、話すうちにだんだんほぐれて、最後は日常会話のようにすらすらと喋れていた。乃ノは友好的な様子は見せないながら、静かにちゃんと聞いていた。


「ストーップ」


 先生の号令で愛花が話を止める。そして次の瞬間、愛花はハッとして目を剥いた。

 愛花は最近人と話せていなかった。恐らく、話をできたことが嬉しかったのだろう。愛花の充足感を感じさせる顔を見て、乃ノは心の中で小さくガッツポーズをした。面にそれは見せず、すぐに先生の方へ顔を向ける。


「今日はこれで終わりだ。これを続けていくことによって、来年には面接の力が格段に向上していると思う。明日もまた同じ組でやるからな。じゃ、貴重品預けたら朝礼に行けー」


 先生がそう言うと、皆席を立って廊下に出始めた。


 乃ノは今から成果報告をしようか迷って竜也の方をちら見するが、乃ノの友達たちがあえて竜也の近くを通りつつ三連続で舌打ちしていくのを見てやめた。竜也は拓也の陰に隠れるように身を小さくしていた。「どうしたの?」と拓也に心配される竜也を見て哀しくなる。結局、励ましに来てくれた友達たちと一緒に体育館へ向かった。



  ***



 帰宅後、乃ノは電話で竜也に今日の手応えを報告していた。


「どうだった?」


「順調だと思う。例の話も早速引きだせたし、話も後半饒舌だった。話し終わった後充足感みたいなのも感じてたと思う。明日も普通に喋れるんじゃないかな」


「そうか、俺の方は予想外のピンチに巻き込まれてな、今度は俺がいじめられるんじゃないかと冷や冷やしているんだが」


「自業自得よ」


「お前のせいだ」


「デリカシーのない竜也の発案のせい!」


 乃ノはきっぱりと言った。そして、明日からの身の振り方について、相談する。


「明日はどうすればいいかな? 少し気安さ出してもいいかなって思うけど」


「乃ノに任せるよ。取りあえずお前が吉田と組めた時点で、この行事における吉田の扱いはかなり良くなるはずだ。例の話も引きだせたとなれば、これから乃ノが意識すべきは、吉田にこの行事はクラス内での立ち位置による影響を受けないと思わせて積極性と自信を身に付けさせることだ。最後にそうもって行けるように振る舞えれば理想だよ」


「分かった。頭に入れとく」


 最後に二三言葉を交わして電話を切る。乃ノは明日の議題と乃ノへの接し方を考えてイメージトレーニングを重ねた。



 ***



「はい。じゃあ今日もやるぞー。皆席移動してー」


 先生が手を叩いて言った。生徒たちは友達と組みになれるため賑やかに声を上げながら纏まる。


「よろしく。吉田さん」


 乃ノは愛花の席の前に行くとドライな声をかけて着席した。


「よろしく……望月さん」


 愛花も緊張はあまり感じさせずに、言葉の端っこに乃ノと繋がろうとする情を見せて言った。

 それが本性によるものか、いじめで摩耗し誰かに縋りたいのかは分からないけれど、結論、強く乃ノと繋がりたいと思っているということは把握しておく。そして、まだこちらからはその小さく伸ばした手を取らない。乃ノは先生の言葉を待つようにそちらへ視線を向けた。


「今日のお題は趣味だ。まあ友達だから既に知っているって思うかもしれないが、知っているからこそ本人がうまくそれを伝える力があるかどうか、相手にも分かるっていうお題だ。それじゃあ今から三分間、今日は廊下側からいくぞ。よーい。はじめっ」


 先生の言葉を聞き終わって、乃ノは正面を向く。今日は愛花からだ。少し緊張していた。だが周りが活発に話しだしたところで抵抗感が少なくなったのか、おずおずと話しだした。


「ええ、と……。私の趣味は写真を撮ることです。インスタとかにあげてます。……カフェとか、景色のいいところに行って撮ってます。……フォロワーさんは六百人ぐらいです。……更新に困ったら取りあえずコーヒーショップとか行きます……」


 愛花は時節乃ノの顔色を窺いながら答えていった。友達でもないのに結構深くまで喋ってくる。まあ、時間中喋らなければならないからしょうがないかもしれないけれど、乃ノにはその姿勢が、乃ノが思っている「普通」と違うように感じられた。その姿が愛花の本性だとしたら、難しいなと乃ノは思った。


「ストーップ」


 先生が号令をかけると、愛花はすっと。言葉を止めた。何か物欲しそうな顔で乃ノを見る。乃ノは気にせず、声はかけない。愛花には多分。最終日までこっちから寄って行く必要はないと、乃ノは感じた。


「じゃあ交ー代ー。窓側行くぞー。よーい。スタートっ」


 先生の再びの号令で、乃ノは自分のことを淡々と話しだした。



  ***



 金曜。ペアの最終日。


「よし今日はこのペアの最終日だ。最初に言った通り、今日は総評として最後に相手の良かったところを三つ。悪かったところを一つ。今渡した紙に書いて言い合ってもらう。プレゼン能力だけでなく今までの話の内容でもいいからな。言った後、それを相手に渡してこのペアは終了だ。最後の議題は自分の長所。今日は廊下側からするぞ」


 話を聞き終わると、愛花は勇んだ様子で乃ノを見た。


 愛花の様子は日を追うごとにアクティブになっていった。今ではもし、一言同調の意思を見せれば、全身で乗っかられそうだった。

 竜也との話であったこのイベントに対しての愛花の意識は既に上げられるだけ上がっているようなので、乃ノはこの距離を保ったままにすると決めた。


「私の長所は……独創性がある所です。インスタとかやってるから、想像力は磨かれていると思います。フォロワーさんが六百人くらいいるのも、センスが認められているからだと思います。……」


 愛花は饒舌に語った。乃ノがそこから受け取った印象は、自分の価値を相手に認めてもらいたいという想いだった。それが露骨に見えすぎていて、周りから浮く原因になっている。今友達がいないことを差し引いても、性根がこうなのだろうと思った。


 愛花は喋り終わった後、いつもの物欲しそうな顔で乃ノを見た。乃ノはいつも通り無視し、自分のことを事務的に話しだす。


「私の長所は行動力がある所です……」


 乃ノが話している間、愛花は熱っぽい眼差しを送りながら首を縦に振って相槌していた。先生の号令で切り上げ、貰った紙に愛花の良い所と悪い所を書いた。


「そろそろいいかー? じゃあ、窓側の人から相手の良い所と悪い所を相手に伝えて。はいスタート」


「じゃあ、吉田さんの話を聞いて思ったこと言うね」


「うん……!」


「じゃあ、良い所から順に。一つ目は三分間喋りきれるところ。突然の話題なのにそれについて時間が足りないくらい喋れるのは凄いと思う。自分のことを相手に伝える力があるんだなと思いました。二つ目はこの行事に対してすごくまじめに取り組んでいること。決められたことに真剣に取り組めることはとてもいいことだと思います。三つ目は今まで接点の無かった私にも積極的に話しかけられるところ、上手くやれば、人と仲良くなるのが速そうです」


 乃ノは一度言葉を切って、愛花の様子を観察する。愛花は初めて褒められた子供のように感激していた。その様子を見て、乃ノははっきりと強めに、汚点を言う。


「次、悪い所ね。こっちの印象がかなり強かったから、ちゃんと直した方がいいと思う。聞いてね。

 吉田さんの言葉は熱っぽ過ぎる。その熱量が、他の人とは違う。だから私は吉田さんの言葉を聞いている時、私とは違う熱量を感じて、凄く冷めているのを自覚した。だから、吉田さんはもっと、感情を込めずに淡々と話した方がいいと思う。伝える力はあるから、話し方を変えればもっと、相手に興味を持ってもらえるようになると思う」


 乃ノが真剣な様子で語ると、愛花はうん。うん。と落ち着きのない心に真剣な皮を着せたように頷いた。その様子に、乃ノは伝わったのかどうかよく分からなかったが、取りあえず、言っておくべきことは言い終わったので話を止める。


「以上です」


「……ありがとう。今度から気を付けるね」


 愛花は腰を半分乗り出して言った。


「じゃあ、乃ノさんの良かったところ言うね」


 突然名前呼びに切り替わり、乃ノはびっくりする。


「一つ目はね。真面目なところ。いっつも淡々と喋る姿がかっこいいなって思いました。……二つ目は、趣味が写真なんだよね? ……それで、私も写真よく撮るから、話が合いそうだなって思いました。三つ目は、……とっても、可愛いと思いますっ。乃ノさんはクラスで……ううん。学校で、一番可愛い子だって、思いますっ!」


「そ、そう。ありがとう」


 熱っぽく距離を詰めてくる愛花に、乃ノはさっきの言葉が届いてないことを覚った。

 ふと、前に竜也が言っていた言葉、信仰は当事者にとって不和じゃないという話を思い出した。


 そして、愛花は勿体ぶるように次の言葉を話しだす。


「乃ノちゃんのダメなところは、……素直になれない所、かな?」


「?」


 何のことか分からない乃ノに、愛花は誘うような仕草で距離を詰めるという不思議なことをしながら小声で話す。


「青柳君のこと、好きなんでしょ?」


「!?」


 愛花は体を戻し、照れた様子でぎこちなく続けた。


「乃ノちゃんのことは、お、お見通しダゾっ」







「竜也ぁ! 私、吉田さん嫌い!」


「お前が助けたいと言い出したんだが!?」



  ***



 翌週のマッチングは竜也と愛花。乃ノと大葉おおば美佐子みさこになった。


 大葉はいじめっこのリーダー格だ。この大葉と愛花の関係を良好にできることがいじめ根絶の鍵になってくる。


 自己紹介形式の接点作りはそのシステム自体に馴れ、義務感より我を強く出し始めるようになってしまうと、既存の関係性が強く出てきてしまう。そのため、早期に愛花と大葉をマッチングさせる必要があった。


 しかし、前回の組が友達で組んでいたため、あまりにも落差が大きい。そのため、大葉も強く出られない乃ノに二組目のマッチングに回ってもらうことで、この行事で我が出せない緊張感を維持させつつ次の愛花へのマッチングへ緩やかに繋げようという狙いだった。


 竜也と愛花のマッチングについても、愛花が他の人と組んで変な影響を受けた状態で大葉へと繋がらないように保護する狙いがある。


「一週間よろしく、大葉さん」

「よろしくー」


 乃ノは普段通り、大葉に声を掛けた。ただし、このイベントに関してはしっかりやる気を見せる。サボったり、不真面目に取り組むことは変なことだと、大葉に思わせる空気を作る。そうすることで次の乃ノとのマッチングでも、変にサボり辛くなるはずだった。

 早期の内に相手の取り組み方を決める、乃ノは大葉の教育係でもあった。


「よろしく。吉田さん」

「よろしく。青柳君」


 挨拶をする竜也に、愛花は少しだけ緊張した様子で答えた。

 このイベントで話をすることに抵抗感はないのだろう。相手が変わっても話が容易な状態になっている。乃ノはちゃんと役割を果たせていた。


「よし。じゃあ週の初めだから、簡単な自己紹介から始めよう。窓側からな。時間は三分。準備はいいか? よーい。スタート」


 窓側に座る竜也は居住まいを正して愛花に向かい合う。愛花の瞳を見ると、口を引き結んで固まっていた。それは悪いものではなく、言い意味での緊張を抑えるような姿だった。竜也は淡々としゃべり出す。


「青柳竜也。十月三十日生まれ。十六歳です。家族構成は……」


 竜也がすらすらと語る。話す内容は乃ノと同じだった。無難な内容であり、大葉と絡めるうえでのポイントを押さえてある。


 人は容量の分からない事柄に直面した時、他者の例があればそれにならって取り組むようになる。竜也はそのことを利用して、先週の初め、愛花が大葉に語るべき自己紹介の内容を乃ノの口から先に言うことで愛花にテンプレートを渡し、なぞらせた。

 今回竜也がその内容を繰り返すことには、別の例を与えずに、乃ノが与えたテンプレートを強くするという意図があった。


 語り終わったところでちょうど先生が交代を知らせる。竜也は義務的な聞く姿勢を取り愛花に対面した。その姿に安心した様子で、愛花は気負いなく喋り出す。


「吉田愛花。六月十日生まれの十七歳です。家族構成は……」


 愛花はすらすらと喋りきり、先生の号令で止めた。


「はい。じゃあ、今日は終了なー。貴重品預けたら朝礼いけー」


「じゃあ、また明日。吉田さん」

「うん。明日。青柳君」


 竜也は挨拶して席を離れた。それから視線を巡らせ、自分の席に行っていた乃ノに近づく。


「どうよ」


「問題ないと思う。そっちは?」


「問題ない」


「そ。まあ後、帰ったら話そ?」


「おう」


 簡単な報告を終え、竜也は教室の出口側へ体を向ける。


「ところで……」


 乃ノに呼び止められ、竜也は体を半分戻した。


「『じゃあ、また明日。吉田さん』って、いる?」


「別に普通だろ」


「あなた、やっぱり吉田さんのこと狙ってるんじゃ……」


「ないないないなーい!」


「あ、こらっ!」



  ***



 金曜日。


 竜也は愛花との最後の対面を迎えた。

 これまでは愛花、大葉共に順調に来ている。竜也、乃ノ共に問題なく緩衝材の役割を果たせていた。


「はい。じゃあ先週と同じように、紙に書いた良い事と改善点、発表してー。窓側から。よーい。スタート」


 先生の号令に従い、窓側にいた竜也が話しだす。


「吉田さん良い所、一つ目は話し辛い事でもちゃんと口に出せるところ。いざというとき躊躇せずに自分のことを話せることは相手にいい印象を持たれやすいと思います。二つ目は相手の話をちゃんと聞ける所。俺も自分のことを話しやすかったです。三つ目はこういう行事にも真面目に取り組めること。義務で与えられたことにも誠実に取り組めるんだろうなと思います。対して、改善すべきところは熱っぽい所です。慣れてくると顕著で二日目ぐらいの距離感でいれば周りの熱量と合うかと思います。以上です」


 話を終えて愛花の様子を見ると、うんうんと頷きながら納得した様子を見せた。前のめりな姿勢を見ると伝わっていないのだろうなと思う。


「じゃあ、青柳君の良い所、言うね。一つ目は優しい所。始まりと終わりにいつも挨拶をしてくれるのがいいなって思いました。二つ目は乃ノちゃんに話し方とか内容が似ていていいなって思いました。三つ目は、雰囲気が落ち着いていて、かっこいいなって思いました」


 全体的に突っ込みどころがあるが、竜也は流す。一人の人間の一意見であるし、何より、この場においてその内容はどうでもいい。


 竜也の思考整理が終わるくらいの間を置いて、乃ノが勿体ぶるように続ける。


「悪い所は、……い、いけずな所っ」


「?」


「の、乃ノちゃんから寄ってくるのを待つなんて、男の子として、だめダゾっ!」







「乃ノォ! 俺も吉田嫌いだ!」


「やっぱり!」


「こんなことなら大葉に便乗してやってやるんだった!」


「そ、それは言いすぎじゃ……」


「言いすぎなもんか! くそ、あの女。やっぱり前のネタで抜いてやおぉおお。待て、冗談だ。撤回する!」



  ***



 翌週、遂に愛花と大葉が対面した。


 大葉は露骨に嫌そうな顔をし、愛花もさすがに震えている。竜也と乃ノはこの回で一緒に組んでいた。竜也は冷静に、乃ノは緊張した面持ちで二人の動向を窺う。


「じゃあ、今日も自己紹介から始めよう。毎週同じこと言えばいいだけだから簡単だな。窓側の人から三分間。よーい。スタート」


 先生の号令で皆が話し始める。乃ノはこの行事の真意を知る先生の言葉にも微かな緊張があるように感じられた。それは、乃ノの心情のせいかもしれないけれど。


 愛花、大葉ペアにおいて、窓側の席は愛花だった。大葉に先に喋らせるより、愛花に喋らせる方が、事がうまく運ぶ可能性が高いと見たからだ。そして、先週の総評で、竜也は愛花にどんな相手にも喋りやすくなるような言葉をかけていた。


 そして、愛花は皆から出遅れながらも、小さな声で話し始めた。


「よ、吉田愛花です。えっと、十七歳。……誕生日は六月十日。家族構成は父と私の二人です……」


 そして愛花は、乃ノと竜也にも話してきた通り、続ける。


「母は、小学生の時に亡くなりました」


 退屈そうに聞き流していた大葉が、ピクリと反応した。


「交通事故でした。父は単身赴任で家を出ていて、仕事もしなければならないため、母の死を期に、父の赴任先である今の家に引っ越しました。最初いた小学校は○○県にある○○小学校。引っ越してからは、○○市にある。○○小学校でした。中学は○○中学校です。

 最初の小学校では友達がたくさんいました。お母さんが死んだ時、引っ越さなきゃならなくなって父が私を抱きしめながら謝っている姿が今も頭に焼き付いています。

 当時は友達のことなんて考えられなかったけれど、母がいない環境に馴れてから、友達もいないことに寂しさを感じた記憶があります。

 引っ越した後の小学校と中学校ではあまり友達ができませんでした。中学では部活動に入ることが義務付けられていたため文芸部に入りました。最初に声をかけてくれた子が文芸部に入ると言っていたので入りました。でも実際はほとんど活動していなくて、やることが無い人が取りあえず名前を書くような部活でした。今では少しもったいなかったと思うこともあります。高校に入っても結局部活には入らなかったので、それは最近の後悔です。……ああ、えと……」


「終ー了ー」


 そこで、先生の号令が下る。愛花はほっとした様子を見せた。

 恐れはあったけれど、やらなきゃいけないことだから義務で話した。それは乃ノと竜也が作ったこの行事に対する取り組み方だ。


 愛花が顔を上げる。ここで初めて、大葉の顔を見た。すると大葉の様子に、いつもと違う雰囲気を感じ取る。土台の積み木が一つ欠けたような、決まらない様子だった。


「じゃあ、話す人交代してー。はーい。スタート」


 先生から再び号令が飛ぶ。怖さと不思議さを面に出しながら、愛花は大葉に向かい合った。


 大葉は、どうすべきか逡巡して、皆が話出すのに遅れて十秒程、この行事がどういう物か考え、客観的に自然であることを尊び、話しだす。


「私は、大葉美佐子。家は○○市にある。家族は二人。私と母だ。父は私が物心ついたときにはいなかった。私が生まれてすぐに離婚したらしい」


 愛花はそこで、目を見開いた。大葉はその様子を見ながら続ける。


「小学校は○○小学校。中学は○○中学校。小学校の頃は男子と遊ぶことが多かった。休み時間は校庭に出てドッジボールをよくした。中学に上がってからはバレー部に入った。なんとなく、体を動かすのが好きだったから始めた。二年の時に怪我をして、それからはやっていない。今は部活に入っていないけど友達と学校帰りに遊んで帰るから帰りは遅い。あー、遊びはカラオケとかボーリング、喫茶店に行ったりする。カラオケは得意な方だ。喫茶店ではキャラメルラテをよく頼む」


「終ー了ー」


 先生の号令で、大葉は愛花を改めて見る。瞳が合うと、愛花から興味の視線を感じた。そして、その瞳に大葉自身も、惹かれるものがあることに気付く。


 しかし、相手は愛花。いじめの対象。その繋がりを断つように、大葉は立ち上がって友達の元へ向かった。


一連の流れを、竜也と乃ノが横目で見ていた。


「……どう思う?」

「多分、あと一押し」

「行けるかな」

「期待値は中々だ。明日の質問から出すそれぞれの答えが鍵だな」

「うん」


 乃ノの発案から始まって、遂に解決の兆しが見えるところまでたどり着いた。その計画は、竜也一人が組み上げて来たものだ。

 この時点でも十分誇っていい程に健闘しているが、まだあくまで冷静な視線を向け続ける竜也の姿に、乃ノは一瞬、何か果てしないものを感じた。



  ***



 いじめを止めさせたいと乃ノから言われ、竜也が自己紹介の案を作成した翌日の放課後、竜也と乃ノは先生に時間を作ってもらい生徒指導室でプレゼンした。


 竜也の話を聞き終わると、先生は計画書から顔を上げて言った。


「これ、青柳が考えたのか?」


「はい」


 意外そうな顔で聞く先生に、竜也は率直に答えた。


「へえ。青柳がそう言うことを考える人間だとは思わなかったな。……ああ、悪い意味じゃないぞ? 素直に感心している」


「それで、どうでしょうか?」


 竜也の問いに、先生は一拍置いてから答えた。


「うん。現実味のある案だと思う。是非、協力させてくれ」


 先生は笑顔で答えた。乃ノはほっとした表情を浮かべ、竜也は「ありがとうございます」と笑顔で返した。竜也は続けて、計画に必要な情報を求める。


「そこで、いじめている人たち、特に大葉さんと吉田さんの共通点になるようなことを知りたいのですが、プロフィールが分かる書類を見せていただけませんか?」


 竜也の要望に、先生は一度渋い顔をした。


「入学時の書類や三者面談の時に個人的に取りまとめたものはあるが、個人情報だからな……分かった。本来はダメだが、ことがことだからな。見せよう。ただし、必要な情報はこの場でメモしていくように。コピーはさすがにさせられん」


「ありがとうございます。十分です」


「じゃあ、ちょっと待っててくれ」


「はい」


 竜也が答えると、先生は職員室へ資料を取りに行った。


 部屋に竜也と乃ノの二人になって、乃ノは計画が順調に進む嬉しさと現実味を帯びてきた緊張感にそわそわした。


「よかったね」


「まだこれからだよ」


 浮足立った乃ノの語感に対し、竜也は冷静な調子で返した。

 ただその言葉にも明るい響きがある。その姿は頼りがいがあって、乃ノは心をいい状態で落ち着かせた。


 それから十分程度の間を置いて、先生が戻ってきた。


「待たせたな」


「いえ」


 部屋に入って来た先生の顔を見て、乃ノは違和感を覚えた。少し、硬い印象を受ける。


 先生は机の上に資料を置いた。竜也も違和感を覚えつつ、あえて身を乗り出して情報の精査に入ろうとした。しかし、先生は資料に手を置いたまま渡さなかった。竜也が改めて先生へ目を向けると、先生は少し躊躇った後、口を開いた。


「……大葉と吉田の共通点。一つ大きいのがある」


「なんですか?」


 竜也が真剣な声で聞くと、先生は一拍間を置いて、重い口調で話し始める。


「安易に使ってほしくはない。プロフィールを見れば分かることだから、釘をさす意味で、最初に言っておく……」


 先生は、そう前置きして答えた。


「大葉と吉田、両方……片親だ」


 竜也は双眸を鋭くした。乃ノは息を呑んで、竜也を見る。


 片親であることを利用する。その言葉はいじめよりも尚、気持ち悪い。しかし、これを聞いた竜也がその情報をどうするか。聞くまでもなく、乃ノには分かった。


「それ、使わない手はないと思います」


「青柳……!」


 議論の必要もないあからさまなことだと示すように竜也が話し、先生は言い含めるように竜也を制止する。竜也は続ける。


「特別な共通項であるほどに、同族意識は高まる。この計画の核の部分です。そこをあえておろそかにする理由はない」


「だが……」


「先生、今日初めて言われた計画で、即断即決っていうのは難しいかもしれません。それに、提案を持ちかけているのはまだ十六の子どもだ。先生はこの計画に、『子供たちの自発的な挑戦を手助けしてあげよう』くらいの気持ちでのっかってくれたのでしょう。心の奥底では、この計画も、僕たちも、信用していない」


 先生が目を剥いて竜也を見た。


「この計画に不備があって思いもよらぬ失敗をしても、私たちには責任の取り様がない。責任を取るのは先生になる。それを承知で、一言言わせて下さい」


 竜也は瞳の色を変える。先生の瞳に自らの瞳を溶け込ませるようにして、言う。



 告げて、瞳の束縛を解いた。


「信じて、いただけませんか?」


 竜也の言葉に、先生は俯いて静かに考えた。十数秒の沈黙の後、顔を上げた。


「分かった」


 そう答えた先生の顔に、乃ノは少し怖くなった。その顔は、普段生徒に向けるものではない、大人が大人に向けるものだった。


「ありがとうございます」


 竜也は先生の言葉をしっかりと聞き入れ、頭を垂れた。





 相手が自分と同じ片親なら、想像する。興味を持つ。それも、自分と経緯が異なるならば尚のこと。

 物心ついたときから父がいない大葉は、愛されている途中で母を失った愛花がどんな気持ちだったか想像してしまう。想像したら最後、捉われる。相手の気持ちを想像して、その苛酷さを考えてしまえば、もう。相手の気持ちを無視していじめるなんてできはしない。


 愛に飢える愛花と、愛を守る大葉。これが二人に対して竜也が仕組んだ、呪いの輪郭だった。



  ***



 愛花、大葉ペアの二日目。


 愛花と大葉が席に移動して向かい合うと、二人はどこかよそよそしかった。愛花は下を、大葉は横を向いて先生の言葉を待つ。


「はい。じゃあ今日のお題だが……『家族』だ」


 その言葉で、愛花と大葉はピクリと体を跳ねさせた。自然と相手の顔に目が行って、視線が合う。二人は急いで逸らしたが、互いに相手の表情ははっきりと分かった。


「皆、自分の家族について相手に紹介して見みてくれ。時間はいつも通り三分だ。今日も窓側からな」


 窓側である愛花が顔を上げる。大葉が視線を感じて目を合わせる。行事だから、向き合うのは普通だ。そう割り切って、大葉は聞き役の姿勢を取った。


「じゃあ、始めるぞー。よーい。スタート」


「わ、私はっ……」


 先生の号令で、愛花は出だしで少し躓くも、すぐに話し始める。繋がりを持てそうになると敏感に反応して距離を詰めようとする。愛花のその積極性を見込んでの、先行だ。


「私は、小学校の時に母を失ったので、今は父と二人暮らしです。父は、建材を販売する会社で営業の仕事をやっています。歳は四十五歳です。……母は専業主婦でした。とても、優しかった記憶があります。だから、母がいなくなったとき、私は凄く寂しくて、辛かったのを覚えています。代わりに、父がとても甘えさせてくれるようになりました。仕事で疲れて帰って来るのに、いつも笑顔で、最初に頭を撫でてくれました。それで、「今日もコンビニ弁当でごめんな」って、いつも私に謝っていました。私は全然気にしなかったけれど、お父さんはそのことがいつも気になっていたみたいです。それで、お父さんが休みの日は一緒に料理をするようになりました。中学生辺りから、私が料理当番になって、毎日料理を作っています。……父は優しかったですが、帰りは遅くて、一人で家にいる時は寂しくて、小学生の頃はずっと泣いていました。前の学校の時みたいに、友達を作って紛らわそうとしたけれど、上手くできなかったです。中学の時からは周りに合わせようとして今時っぽくしてみたりしてるけど、現状、友達はできまていません……なんでかな……あっ」


 愛花はハッとして口元を押さえた。自分をいじめている本人の前で友達ができない悩みを語ってしまった不恰好さに恥じる。恐る恐る、大葉の顔を見た。


 すると、大葉は、目を伏せて、額をかいていた。疲れた様子で、元気が無くなっていた。

 愛花は恥じ入る必要がなさそうな様子にほっとし、その後、少し不思議に思う。まだ時間が終わっていないことを思い出し、口を開いたところで、先生から終了の声が上がった。


「はーい。じゃあ廊下側の人、始めるぞー」


 そこで、大葉がゆっくりと顔を上げる。


「よーい。スタート」


 先生の号令に、大葉は生気のない顔で話しだした。


「……私は、物心が付いたときから父がいなかった。私にとってはそれが普通で、だから寂しさっていうのは分からない。でも、小学校の運動会で、友達の母親に父がいないことを話した時「かわいそうに」って言われた。それから、父がいないことが周りにどう映るのか、アンテナを張るようになって、そうすると、世間は皆、そういう人はかわいそうな人間として見ているってことが分かってきた。……全然、辛いとかはないんだ。それなのに、自分は同情される人間の枠に入っていて、それが、気に入らなかった。そして、私がかわいそうって思われる分、悪く言われるのは母なんだ。一生懸命働いてくれて、私は不自由なく生活できているし、家族仲だって悪くないのにさ。……それからかな。かなり気が強くなったよ。同情なんてさせてやらねぇって。グループの先頭張るようになった。……最近はどうして自分がこうなったかなんて全然頭になかった。もう理由なんていらないほどに浸み込んでた。立場の強い人間がやることを考えるように頭の中が変わってて……それで、やってることが……」


 大葉はそこで口を噤んだ。


「ストーップ!」


 程なくして、先生が声を上げる。


「じゃあ、携帯貴重品、預けてなー」


 先生の言葉を聞いて、皆がざわざわと声を上げながら立ち上がり始める。そんな中、愛花も大葉も、そのまま座っていた。


 俯く大葉に、愛花は瞳を揺らして、椅子からもう半分腰を出して前のめりになる。


「お、大葉さんは、ほ、ほんとは良い子なんだねっ」


 愛花の言葉に、大葉は目を剥いて顔を上げた。

 愛花と目が合うと。愛花は親愛の視線を送っては怖くなって視線を外すという不可思議なことをした。居た堪れなくなって最後に満面の笑みを残すと、愛花はそそくさと自分の席に戻って行った。


 大葉はその場で俯き、沈黙する。


「……大葉さん?」


 大葉に、本来そこの席に座っている女子が遠慮がちに声を掛けた。


「あ、ああごめん」


 大葉は立ち上がり、自分の席に向かう。本当に悪いと思って言ったような、普段とは異なる大葉の声に、声を掛けた女子は少し怯えた。


 そこから数メートル離れた所で、


「成功?」


 一部始終を見ていた乃ノが、同じく見ていた対面の竜也に声をかけた。竜也は息を吐き、緊張を解いてから言う。


「あれが失敗だって言うなら、俺とお前は違う物を目指していたんだろうな」


 竜也の言葉に乃ノは目を丸くし、次の瞬間、口に手を当てて笑った。


「……ふふ。素直じゃないんだから」


「ちょっとお二人さん? いつまでもいちゃいちゃしてないで席どけてくれませんかねぇ?」


「「してない!」」


 聞いた方がびっくりするぐらい息の合った調子で、竜也と乃ノは否定した。

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