第31話 末路

 地面につくほど長い、まっすぐな白い髪。

 真っ白な肌に白いローブをまとっていて、瞳だけが黄金に輝いている。


 光の大精霊は、彫刻のように美しい『白の麗人』だった。

 中性的な容姿で、どこかリヒト君に似ている。

 リヒト君が大人になったらこういう感じかな?


 でも、朗らかに笑うリヒト君とは違い、氷のように冷たい印象だ。

 精霊と接すると、何をするか分からない恐ろしさがあるが、大精霊ともなるとその恐怖も凄まじい。

 自分の命も大精霊の機嫌次第だということを悟った。


 大精霊は跪いている大神官様を見たあと、リヒト君に目を止めた。

 …………あれ?

 二人を見たその瞬間だけ、優しい目になっていたような?


「ひっ!?」


 白の世界に突然三つの黒い影が現れ、驚いたカトレアが悲鳴を上げた。

 影は動き出すと、リヒト君の前、そしてダグとカトレアの前で止まった。


「な、何よ……」


 カトレアとダグが影に怯える。

 リヒト君も影を緊張した面持ちで見つめている。

 私も何があったときにリヒト君を庇えるようにと警戒したのだが……。


「お姉さん、手は出さないでください」

「え……どうして!?」


 精霊はリヒト君のことが大好きだが、大精霊もそうだとは限らない。

 リヒト君の身に危険が迫るかもしれないから、じっとしていることなんてできないよ!


「でも……これは僕がしなければいけないことだと思います」

「試練、なのかもしれません」


 大精霊に跪いていた大神官様が頭を上げた。


「試練?」

「ええ。大精霊の武器を手に入れようとしている者に、その資格があるかどうかを試すのだと思います」

「勇者になるための試練、というわけ?」

「ええ」


 そうだとしたら、私は手を出すことはできない。

 リヒト君を信じて見守るしかない。

 でも、リヒト君が生命の危機に瀕するようなことになったら手を出す。

 影竜の時とは違って、干渉することができるからね!

 リヒト君が無事でいてくれるなら、無理に勇者にならなくてもいい!


「……始まるようですね」


 リヒト君の前の影が動き出したのを見て、大神官様が顔を強ばらせた。

 頷いた私も緊張している。

 これからはどんなことが起こるか、まったく予想出来ない。

 動き出した影は質量を増し、段々と人の形になっていった。


「あの姿……リヒト君になった?」


 真っ黒な影人間だが、リヒト君を写したような姿に見えた。

 同じようにカトレアとダグの前の影も動き出していたが……。


「なんだか様子がおかしいわね?」


 リヒト君の影人間とは違い、人の形をしていない。

 もっと大きくて歪な固まりだ。


「な、何なの! この気持ち悪い魔物は!」


 二人の前に現れたのは、たくさんの体のパーツを一塊にしたような魔物だった。

 カトレアの前の魔物には、大きな女性の顔らしきものがある。

 ダグの方には男性の顔だ。

 その顔にはカトレアとダグの面影があるような……。


「それぞれの心の内を現しているように見えます」


 大神官様が呟く。


「……たしかに」


 リヒト君は外面も内面も変わらない、そのままのリヒト君だ。

 でも、カトレアとダグは、外面をどれだけ取り繕っていても内面はこの魔物のように歪んでいる。

 光の大精霊はそれを見透かしているのかもしれない。


『シャアアアアアアアアッ!!!!』


 それぞれの黒い影が頭に直接響くような声をあげ、元となった人物に襲いかかった。

 リヒト君は影人間の攻撃を贄の剣で塞いだ。

 押し返すと攻撃に転じたが、影人間もリヒト君の攻撃を受け止める。

 二人は剣による応酬を始めたが――実力は拮抗しているようだ。


 一方、カトレアとダグの方も、黒の魔物達と戦闘を始めていた。

 カトレアは魔法を使って黒の魔物を倒そうとするが……。


「どうして!? 魔法が効かないわ!」


 カトレアが何度となく魔法を打ち込んでいくが、すべて魔物の体の中に消えていく。


「これならどうだ!」


 ダグが矢を放ったが、矢もまた黒い体の中に消えていった。

 じりじりと近寄る怪物から、二人は逃げ惑う。


「どうしてわたくしがこんな目に……! あなた、早くわたくしを助けなさい!」

「うるせえ! お前は聖女なんだろ! お前がなんとかしろ!」


 カトレアとダグに仲間意識などあるはずがなく、協力など考えずただ押しつけ合っている。

 見苦しい……。

 隣にいる大神官様も顔を顰めている。


「言うことをききなさい!」

「…………っ!」


 カトレアが叫ぶと、ダグの様子が変わった。

 ピタリと足を止め、黒の魔物を待ち構えている。

 どうやらダグがカトレアに操られたようだ。


「どこまでも愚かな……」


 大神官様の顔がより一層険しいものになった。

 無言のゲルルフも、嫌なものを見るような目でカトレア達を見ている。


「……オレはあちら側だったんだな」


 白の空間になってから静かにしていたルイがぽつりと零した。

 今までのルイに対してなら「そうよ、あなたはあちら側の王子様だったのよ」とでも言ってやったかもしれない。

 でも、今のルイはこれまでの自分を悔いているように見えるから、頭に手をぽんと乗せただけにしてあげた。

 君はまだまだ子供なんだから、心次第でいくらでもやり直せるよ。


「早くあの魔物を始末しなさい!」


 カトレアの命令を受けたダグは、腰に下げていた剣を抜き、怪物へと向かって行った。

 だが、黒の魔物から伸びた手のようなものに掴まってしまう。


「…………? …………な、なんだこれは!?」


 カトレアの支配が解けたようだで、ダグが声をあげて暴れ出した。

 逃れようと藻掻くが、どんどんダグの体は黒の魔物に呑まれていく。


「はっ! 離せ! う、うああああああああっ!」


 いや、よく見ると黒の魔物の方がダグの体に溶け込んでいっているようだった。

 そして黒の魔物が溶け込んだダグの腕は、急速に老いて骨と皮だけのような状態になっていた。


「なんだこれ! 俺の腕はどうなっちまったんだ! た、助け…………」


 胴体、足、顔――黒い影はどんどんダグの体に溶け込んでいく。

 そして体中に黒の魔物が溶け込んだダグは……完全に老人の姿になっていた。


「あっ……ひいっ……ああああああああっ」


 しわしわの肌に、骨の形が分かるようなやせ細った体、真っ白な髪。

 自らの体を見たダグは、雄叫びを上げると気を失った。


「あ、ああっ……そんな……なんてこと……」


 その様子を見ていたカトレアが震え出す。

 自分にも同じ未来が訪れるかもしれないと分かったのだろう。

 残るもう一つの影が、カトレアに向かって動き出す。


「いやっ! いやよ! いやああああっ! おっ、お兄様! 助けて!」


 泣きながら駆け寄ってきたカトレアが、大神官様に縋り付いた。


「…………」


 だが、大神官様がカトレアを庇うことはなかった。


「……お前に与えられた試練だ。逃げずに向き合いなさい。私がお前に手を差し伸べてやることが出来るのは、試練が終わった後だ」

「終わった後だなんて……そんな! ひどいわ!」


 カトレアが試練を乗り越えられるとは思えない。

 恐らくダグと同じ結果になるだろう。

 大神官様はダグと同じ末路を辿ったカトレアを見捨てることはしないようだ。

 私だったら絶対に縁を切る。大神官様、優しいなあ。


「だったら、もう一度っ!」


 カトレアが私を睨んだ。

 私を操ろうとしていることが分かったから、支配されないように構えたが……。


「きゃあ!」


 突如、カトレアの指にあった指輪がパリンッと割れた。

 その瞬間、刺すような視線と押しつぶされるような圧力を感じ、体が震えた。

 私以外の人達も同じ様子だ。

 威圧するような視線の主はすぐに分かった。

 じっと佇んでいた光の大精霊が、黄金の目をこちらに向けていた。


「あ…………」


 カトレアが後退る。

 無表情の光の大精霊から感情を読み取ることは出来ないが、カトレアを不快だと感じていることは確かだろう。


「あ!」


 光の大精霊に気をとられていたカトレアは、女の顔がついた黒の魔物に掴まった。

 魔物と接触した部分が、時を奪われているかのように急速に老いていく――。


「ああああっいや! やめて! 助けてお兄様ああああっ!」


 カトレアは泣き叫び、大神官様の方に必死に手を伸ばす。

 大神官様はそれを厳しい顔つきで見ていたが、握りしめている手は震えていた。

 カトレアは私にとっては憎いだけの相手だが、大神官様にとっては肉親だ。

 大神官としての立場だけではなく、兄としての想いもあるだろう。


「離れた環境で生きてきた私たちは、普通の兄妹のようにはなれなかったが……私にできることはしてきたつもりだ。お前のためを想い、改める機会を幾度となく設けてきたが、お前は悉く期待を裏切ってきた。お前が少しでも良い方向を向いていたのなら、その手を取っただろうが…………残念だ」

「そんな! お兄様! これからはなんでもお兄様の言うことをきくわ!」

「…………」

「ああああああああっ!!!!」


 黒の魔物はどんどんカトレアに溶け込んでいく。


「な、なあ! 助けてやらないのか?」


 怯えたルイが私の腕を掴んできた。

 最後は裏切られたが、近くにいた人がこんな目に遭っている状況を目にして恐ろしいのだろう。

 カトレアに対してよくない感情があった私でも、この光景は恐ろしい。

 だからこそ、ルイには言っておきたい。


「……よく見ておきなさい。自分の行動がどういう結果を招くのか。あなたはさっき、『自分もあちら側だったのか』と言っていたでしょう? あなたも、ああなっていたかもしれない」

「…………っ」


 私たちが話している間に、カトレアに纏わりついていた黒はなくなっていた。

 そして――。

 その場に残っていたのは、美しい白の衣装をまとった老女だった。

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