第21話 場外で
「何がどうなっているのだ……」
光の大神官フィリベルトの命を受け、勇者となる少年と接触を図ろうとしていたゲルルフは暗い崖の底で信じられないものを見た。
不思議な銀色の光を纏った異様に強い魔物を、一人の少年が急激な成長を遂げながら倒し続けている光景は現実のものとは思えなかった。
――勇者。
もう疑う余地はないだろう。
この少年が勇者となる者だ。
少年は漆黒の竜のような未知の魔物まで倒してしまった。
あれは魔王種に近い魔物だった。
大精霊の武器を手にしていないというのにこの力――。
勇者の中でも特別な存在になるかもしれない。
そして少年の保護者とされるエルフの女。
彼女の存在も非常に気になる。
調べたところ、少年は彼女に保護されるまではどこにでもいる子供だったようだ。
それが彼女と行動するようになった途端に力を手に入れ、容姿まで勇者に相応しいものに変わったという。
一人でもフォレストコングを討伐するという実力。
そして彼女が与えたという少年の装備。
戦う少年へ伝えていた情報も驚かされるものばかりだった。
彼女が少年の才能を開花させたことは間違いなさそうだ。
「……はあ」
今目の前で起こったことをどう纏めて報告すればいいのか考えると頭痛がする。
大声で子供のように泣きながら抱き合っている二人を見ながら、ゲルルフは深い溜息をついた。
「……で、あなたは何故そんなに気色の悪い顔をしているのだ」
隣で腕を組んで立っている、今は代理のギルドマスターをしている男を見た。
暖かく見守っているような雰囲気を出しているが、ゲルルフにはニヤついている不審者にしか見えなかった。
「いやな、あいつら見てると庇護欲が湧くっていうか。こう……旦那として、親父として守ってやらなきゃな! って気持ちに……」
「あなたの妻子じゃないでしょう。やはり気色悪い」
そんなことを話している内に少年の方が気を失ってしまった。
緊張の糸が切れてしまったのだろう。
大きな怪我はしていないし、寝かせておけば大丈夫だと思うのだが……。
「リヒト君!? 一緒に薄汚れながら生きていこうねって言ったじゃないっ! お姉さんをおいていかないでええええ!!!!」
「お連れ様! リヒト様は気を失っておられるだけです! そのように抱き絞められてはリヒト様の内蔵が口から飛び出てしまいます!」
「そうです! 私ども腸詰め料理は得意ですが、リヒト様の内蔵は戻せません! 今は静かに休ませてあげましょう!」
「ええ!? 私も内蔵は戻せない! どうしよう! ごめんねリヒト君! すぐにふっかふかのお布団に寝かせてあげるからねええええ!!!!」
エルフの女は回復魔法を何重にもかけた後、少年を抱きかかえて上に駆けて行った。
「お待ちください!」
「我らにもお世話させてくださいませ~!」
エルフの女の後を小人族の村人が一生懸命追いかけて行く。
親ガモを追う子ガモのようだ。
「…………」
今までの緊張感が一気になくなった……本当になんなのだ……。
成り行きを見守っていた小人族以外の村人達も必死に後を追っていき、崖の底は一気に静かになった。
「……とにかく、あの少年こそが光の大精霊の武器を手にする者だという確信を得ることが出来ました」
ここに来る前、ルイという異世界の少年も見て来た。
彼も才能があったがこの銀髪の少年程ではなかった。
「まだギルドにも入ってないし、よかったなあ? 誰のおかげだ?」
少年とエルフの女は加入手続きをするためにギルドへ訪れていたことは調べてある。
この男と話した後、何も手続きせず帰ったことも。
恩着せがましい質問に顔を顰めた。
「どうして協力してくださったのですか」
あえて礼は言わず質問をすると、ニヤリと腹の立つ視線を寄越してきた。
「勘、かな」
「……勘?」
「そう。なんとなくさ、あいつがギルドに入りたいって言った時に、精霊達が止めたがっているような気がしたんだよ」
「それは……火の精霊ですか」
この男は火の精霊に好かれている。
かつては誰よりも火の精霊に愛されている者だった。
「まだ火の精霊はあなたの周りに現れるのですか?」
「はっ! 精霊は薄情な人間とは違って、大層な肩書きがなくても変わらず側にいてくれるみたいでな」
わざと煽るような言い方をしてみたのだが、またニヤリと笑って返されただけだった。
「ゲルルフ」
聞き覚えはあるが、暫く聞いていなかった声がゲルルフを呼んだ。
ゲルルフは一瞬相手をせずに立ち去ることも考えたが、そういうわけにもいかないかと考え直し、声の方へと頭を下げた。
「お久しぶりです。ジークベルト様。お元気そうでなによりです。今のジークベルト様のお姿を見れば、フィリベルト様もお喜びになるでしょう」
子供の頃から精霊が見えたジークベルトは、勇者になることを期待されてフィリベルトの家に養子として引き取られた。
フィリベルトの弟として衣食住を与えられ何不自由なく暮らしていたが、彼を慕っている精霊が闇の精霊であることが分かった頃から歯車が狂い始めた。
六聖神星教を正しく踏襲しているフィリベルトや当主は、光の精霊を好む国柄に影響されずジークベルトを讃えたが、一部の凶徒と、何よりもジークベルト本人が闇の精霊を疎んだ。
周囲の期待通り勇者を目指していたジークベルトだったが、闇の大精霊の武器を持つことに迷いが生じてしまっている内に、闇の精霊達は少しずつ彼から離れてしまっていた。
――もう勇者になることは叶わないだろう。
それが分かった頃から、ジークベルトは与えられていた離れの邸宅から出て来なくなっていたのだが、何故だか最近旅立ったと聞いていた。
外に出たことを喜ぶよりも何故こんなところにいるのか、カトレアのように問題を起こさないか、という懸念の方が大きい。
「ゲルルフはあの少年を……リヒトを迎えに来たのか?」
「ええ」
少年についてジークベルトからも話を聞くべきか迷ったが、無闇に刺激してしまって余計なことをされては堪らないと思い、頷くだけに留めた。
「リヒトなら兄の役に立てるだろう」
ジークベルトはそれだけ呟くと去って行った。
「今更何をなさっているのか。大人しく引きこもっていればよいものを……」
「お前は相変わらず辛辣だな。あいつはあいつなりに藻掻いているのさ」
「それは結構なことですが……。面倒を起こすのはカトレア様だけにして貰いたい」
どうしてこうもフィリベルトの弟妹は難があるのか。
ゲルルフは再び深い溜息をついた。
「そんなことより、あのエルフの女は何者なのですか?」
「マリアベルか? あー……『ファビュラスなエルフ』らしいぞ。よく分からんが」
「そんな答えを聞くために私が質問したのだとお思いか? 時間の無駄でしかないのですが」
「本人がそう言ってたんだよ。カリカリすんなって。そうだなあ……。分かっていることと言えば、随分若い頃からソロで動いている冒険者で滅茶苦茶強い。美人。あと、とんでもない物をゴロゴロ持っていそうだ。ちなみにエルフではなくハーフエルフだ。ドワーフの血も混じっているらしい」
「それは珍しい。ドワーフの知識は貴重ですね。彼女もあの少年と一緒に招きたいものだ」
それにはまず話をしなければならない。
少年の回復を待って会いに行くとしよう。
「話を聞いてくれればいいのだが……」
ゲルルフは崖底から上がると、少年とハーフエルフの女の動きを把握出来る場所にある空き家を借りた。
ファインツが便乗して休んでいこうとしたが容赦なく叩き出し、早速フィリベルトへ報告することにした。
まだ早朝だが執務室で仕事を抱えながら夜を明かしたはずだ。
フィリベルトとゲルルフのみが使用出来るように設定してある特殊な通信アイテムを起動し、鏡の前へ置く。
すると鏡の中にフィリベルトの執務室が映し出された。
フィリベルトは接客用に置かれている高級なソファで肘掛けを枕にして眠っていた。
胸の上には読んでいた書類が散らばっており、頭とは反対側の肘掛けには、靴を履いたままの足を組んで乗せている。
ゲルルフには見慣れた光景だが清廉な姿ばかり見ている一般教徒が目にすると偽物だと思うかも知れない。
机を見ると書類が山のように積まれていた。
ゲルルフがいるとフィリベルトのサインが必要なもの以外は他で捌くのだが、今は全てフィリベルトのみで抱えているようだ。
今日も徹夜で仕事をしていたのだろう。
報告は時間を改めようと思った所で、フィリベルトの胸の上にあった書類がはらりと落ちた。
目を向けるとフィリベルトが気怠そうに身体を起こしているところだった。
「起こしてしまいましたか」
「いや、そろそろ起きようと思っていたところだ。……で、そちらの首尾はどうだ」
「報告しなければならないことが渋滞していますね」
「ははっ、それは愉快だな」
言葉とは裏腹に表情は全く楽しそうではない。
フィリベルトは頭をガシガシと掻くとソファに足を組んで座り直した。
報告を聞くらしい。
だが、あまり時間をかけない方がいいだろう。
「大方事前調査通りです。妹君、カトレア様が冷遇した少年の方が勇者になる者でしょう」
「ははは」
最重要案件を簡潔に伝えるとフィリベルトは真顔で笑った。
……かなり疲れているようだ。
「……はあ」
天を仰ぎ大きく溜息をつくとこちらを見た。
「その少年は我々の話を聞いてくれそうか?」
「残念ながらまだ接触出来ていません」
「そうか……」
「少年の名はリヒトでした。大精霊と同じ名を持つ者をどうして冷遇したのか……」
「……リ……ヒト?」
「ええ。今は銀髪に金色の瞳になっていましたが、元は事前に聞いていた通り黒髪黒目だったそうです。そういえば、彼の情報を集めている時に手に入れたのですが、この服は彼の持ち物のようで……恐らく異世界の衣服でしょう」
不思議な手触りの服は宿屋の者が売り払ったようで、高額な値をつけられ売られていた。
「そのジャージは……よく見せてくれ!」
「じゃーじ?」
フィリベルトはソファから転げ落ちる勢いでこちらの景色を映している装置に近寄った。
「じゃーじとはこの服のことでしょうか」
「そうだ! 名前は!? 名前はなんと書いてある!」
「名前? 少年の名前はリヒトでは……」
「名字だ!」
「?」
「ああもう! いいから広げてよく見えるようにしてくれ!」
言われるがままに広げていると、何やら文字らしきものが書いてあるのを見つけた。
天崎理人
異世界の文字なのだろう。
ゲルルフには理解することが出来なかった。
「これですか?」
「!!!!」
文字を見せた瞬間、フィリベルトは目を見開いた。
その瞳は動揺して大きく揺れている。
ゲルルフはフィリベルトとは長い付き合いだが、このような表情を見たことはなかった。
「……はは……ははは」
「フィリベルト様?」
「そうか……そうか……こんなところにいたのか。そりゃあいくら探しても見つからないよな」
「…………?」
「……理人」
フィリベルトは両手で顔を覆い、しゃがみ込んでしまった。
「ゲルルフ。そっちに行く。変わってくれ」
「……何を仰っているのですか」
顔を覆ったまま、とんでもないことを言い出した。
机の上に書類の山が出来るほどフィリベルトは忙しい。
ゲルルフにも処理出来る内容ばかりではあるが、フィリベルトでなければ対応出来ない至急の案件も多くある。
フィリベルトの希望通りに代わってしまうと大きな支障が出るのだが……。
「頼む」
「そんなことは……」
「無理だ」と言いかけた言葉を飲み込んでしまうほど、顔を上げたフィリベルトは真剣な目をしていた。
「……理由を聞かせてください」
「言えない」
即答だった。
話す気は全くないということだろう。
それならば無理だと一蹴……出来ればいいのだが、ゲルルフには出来なかった。
普段は人のために尽くし、個人的なことは極力控えるフィリベルトがこれだけ引かないのだ。
余程の事情があるのだろう。
「すぐには無理でしょう。せめてその山を無くしてからにしてください」
「……分かった。すぐに済ませる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます