第20話 影竜

 雑魚戦が始まり、三時間経った。

 湧く全ての魔物が銀色の光を放っている。


「リヒト君大丈夫!? 疲れてない? 痛くない!?」

「はい! ……大丈夫です!」


 ……見ているお姉さんの方が大丈夫じゃないよ。

 今までは精々転んだり子供のケンカ程度で済むような怪我しかしてこなかっただろう。

 それが先程から何度かHPが一気に減るような攻撃を食らっている。

 ちゃんと見ていないといけないのに、私はもう何度手で顔を覆ったことか!

 装備で即死防御はされているが、瀕死のところを攻撃されると死んでしまう。

 影竜と戦う前にダメージを受けたり回復したりする経験を積むのはいいと思うが、目の前で怪我をするリヒト君を見る度にヒヤヒヤするし、可哀想で泣けてくる。

 これだけ戦い続けているのだから疲れているに決まっているし……。


 私の心配を余所にリヒト君は弱音を吐かず逞しく戦い続けている。

 怪我をすることも、回復することにも大分慣れてきた様子だ。

 睡眠不足の上、興奮状態が続いているからランナーズハイのようになっているのだろう。

 少し休憩して欲しいが……。


「レベルはいくつになった!?」

「……えっと……39です!」


 悪くはないが……このペースだと目標の50に届くかは微妙だ。

 レベルは後半の方が上がりにくいのだ。

 少しでも強くなっていて欲しいので休憩をしている暇はない。

 でも休んで欲しい。


「こんな子供がレベル39……凄まじいな……」


 ジークベルトが難しい顔をしている。

 もしかしてリヒト君に追い抜かれたのかしら。

 シャールカは目を輝かせて見つめている。

 確かに凄いけど、私は心配過ぎてそんなキラキラした目では見られない。


「将来が楽しみな子だ」


 クマーが腕を組んでリヒト君を見守っている。

 言葉は親戚のおじさんのようなほんわかしたものだが、リヒト君を見つめる表情は険しい。

 時折境界を確かめるように叩いているから、なんとか助けにいけないかとずっと考えてくれているのだろう。

 クマーが一番常識的な大人だった。

 今まで食いしん坊キャラとしか思ってなくてごめんなさい。


「あれ?」


 ジークベルトの周りで何か黒いものが動いた気がした。

 リヒト君の周りにいた精霊の黒バージョンという感じで、淡い紫の光を放っている。

 もしかして……。


「闇の精霊?」


 精霊っぽいものを見ながら首を傾げるとジークベルトがビクッと動いた。

 ジークベルトの近くにいるし、本人も何か自覚があるようだし……?


「あなた、闇の精霊に好かれているの?」

「そ、そんなことは……」


 分かりやすい挙動不審だな。

 ジークベルトが焦り出すと精霊らしきものも焦ったようにサーッと離れていった。

 なんとなく悪意はなさそうな……リヒト君を慕って私にどんぐりを投げてくる精霊達と同じような雰囲気だ。

 影竜を生み出すためにドルソの村を徘徊していた精霊とは全く違う。

 害があるようには思えないが、今精霊に動かれると大変なことになるかもしれない。

 精霊は何をしでかすか分からないということは、リヒト君と一緒にいて身に染みている。


「リヒト君の邪魔だけはしないでね」

「ああ。もちろんだ」

「リヒト君の邪魔だけはしないでね」

「……分かっている」


 大事なことなので二度言いました。

 邪魔になりそうな気配を感じたらまだまだ何度でも言うよ!


「何かあったら、あなたも精霊もただでは置かないから」


 念押しで睨みをきかせるとジークベルトは顔を強ばらせて頷いた。

 ジークベルトの後方に隠れていた様子の精霊も完全に消えた。

 全く、なんなのだ……今はジークベルトに構っている余裕はないのに!




 リヒト君が戦闘を始めて五時間経った。

 現れる魔物もかなり強くなっているし、銀色強化されているので一匹一匹により一層手を焼く。

 倒すペースが落ち、戦場は魔物で溢れかえっている。

 一応現れる魔物の数に上限があるので、積み重なって埋まるほど魔物でいっぱいになるということはないが、四方八方から魔物が迫ってくる状況だ。


 リヒト君はとうとう今まで使っていなかったシールドを使い始めた。

 シールドを張り、身の安全を確保してから詠唱に少し時間がかかる広域魔法を使って周りの魔物を攻撃。

 魔法で倒せなかった魔物は贄の剣で倒している。

 シールドを張りながら他の魔法を使うのは、慣れるまで難しいので疲れるだろう。

 リヒト君は物理攻撃の方が得意のようだし、本当はやりたくなかったと思う。

 さっきまでは詠唱時間が殆どない魔法を使っていたので動きながら行使できたが、その程度の魔法ではあまり効果がなくなってしまったのでこうするしかない。


「疲れが溜まっているように見えるが……大丈夫だろうか」

「信じるしかないでしょう」


 ジークベルトに話しかけられ、思わず舌打ちしてしまいそうになった。

 あーだめ、苛々しちゃだめ!


「……逃げずに向き合っていれば、力になれただろうか」


 何かブツブツ言っているけど、もう無視するね!


 今リヒト君が戦っているのはバウンドオーク。

 雑魚戦で最後に湧く魔物だ。

 リヒト君の倍はある巨体、ゴムのようなお腹が大きく出っ張っていて前からの物理攻撃は跳ね返される。

 その上魔法耐性も高く、HPも多い。

 背面を物理攻撃すれば倒せるが時間がかかる。

 私も幾度となく戦ったが面倒臭い敵だ。


「手こずっているな」


 はい、無視無視!

 銀色仕様のバウンドオークはいつもより素早さが上がっているようだ。

 中々背中に回り込ませてくれない。

 回り込めても他のバウンドオークが攻撃してくるため、攻撃出来ずに終わることが多い。

 バウンドオークは攻撃力も高いため、慎重に回避しなければならないのだ。

 いつもの何倍も面倒臭い!


「ああああ、もうっ!」


 中々倒せず数を減らせないことにリヒト君が苛々している。

 一度シールドを張り、動きを止めると魔法の詠唱を始めた。

 魔法はあまり効かないのに何をするのだろう。

 ゲームでは一人で挑むことがないこともあり、地道に一体ずつ倒していくのが定石だ。


「氷れ!」


 バウンドオークには氷魔法も効果がないよ! と言おうと思ったが、リヒト君が氷魔法を放ったのは地面だった。

 地面がアイスリンクのように氷っていく――。


 これだけ地面をしっかりと氷らせるにはかなりMPが必要だろう。

 MP切れを起こさないか心配になったが……大丈夫そうだ。


「次は……!」


 リヒト君は足場が全て氷ったのを確認すると、シールドを切ってバウンドオークのお腹を目がけて正面から斬り込んだ。

 そんなことをしても跳ね返されるだけ……!


 案の定、リヒト君の力の入った一撃は跳ね返されたが、その衝撃でバウンドオークは氷の上を滑ってよろけ――。

 次の瞬間、リヒト君は巨体を支える足に蹴り込んだ。

 するとバウンドオークは転倒。

 無防備になるバウンドオークの背中。

 ……これが狙いだったのね!

 リヒト君凄い! と私が感動している内に飛び上がっていたリヒト君は、バウンドオークの背中を真上から突き刺した。

 一撃必殺だ。


「こんな倒し方があるなんて!」


 膨大なMP、高い俊敏性と攻撃力がないと不可能だから出来る人が限られるし、効率がいい戦い方だとは言えないかもしれないが、この瞬間に自分なりの対処法を見つけられたのが凄い。

 リヒト君はこの方法をベースにしてバウンドオークを倒していく。

 次第に魔物が少なくなり、新たに湧かなくなってきた。


 ……そろそろか。

 もうすぐ一帯は夜が明けるのだろう。

 とはいえ、ここは谷底。

 精霊の松明がなければ真っ暗なのは変わらない。


 仄暗い中響いていた戦闘音が消えていく――。


 ああ……よかった……ここまで乗り切った!

 ……でも。

 この場に残っている魔物がいなくなったら、『本番』が始まる。


 大丈夫、きっと大丈夫。

 残っていた数匹をリヒト君が一掃した。


「……前座は終わったみたいね」


 音のない空間に戻ったが、それは一瞬。

 バキッという大きな音が中央から聞こえて来た。


「リヒト君! 影竜戦始まるわよ!」


 黒い霧が溢れ戦場を満たした。

 私達のところまで流れてきたその霧は、冷たくはないのにこの場をぞくりとさせた。


 いつの間にかリヒト君が氷らせた地面も元に戻っている。


「これは……何が始まるんです?」


 シャールカが両腕をさすりながら見ているその先には黒い岩。

 バキバキと音を立てて、変形を始めた。

 四方に伸びていき、段々形作られていく。


「竜……」


 ジークベルトがその姿を見て呟いた。

 竜……前世の知識で表現すると、黒い霧を纏わせたティラノサウルスという感じだ。

 もっと似ている恐竜がいるのかもしれないが詳しくないので分からない。

 とにかく、頭は大きく脚はどっしりとしているが、地に着いていない前足は小さくて尻尾は大きい。


「な、なんだこの魔物は……!」

「あんなもの! 子供一人で倒せるわけが!」

「うるさい! 黙って見守れ!」


 外野に騒がれると私のアドバイスが届かないかもしれない。

 怒鳴ると同時に睨みつけて黙らせた。


「リヒト君! 基本は氷の魔法で足止めして攻撃して! 弱点は尻尾と足と頭! 一つずつ潰していこう! 最初は尻尾から! とにかく動き出す前に能力アップ系の魔法は全部自分にかけて!」

「分かりました!」


「グオオオオオオオオオオッ!!!!」


 再び両手を組んで祈っていると影竜が咆哮した。

 その身体は完成していたが……。


「えっ……嘘…………」


 影竜が纏っていた黒い霧がいつの間に銀色に変わっていた。

 これは今まで通りなら、精霊によって強化された魔物に起こってきた現象――。

 直前までの雑魚戦は全て銀色だったが、私の中では雑魚戦と影竜戦は別もので、リヒト君の「強化して」という希望が適応されるとは思っていなかったのだが……。

 それはどうやら私の勝手な思い込みだったらしい。


「精霊、影竜は強化しなくてもいいの!!」


 思いきり叫んだが精霊は反応せず、銀色の霧を纏った影竜とリヒト君の戦闘は始まってしまった。


 影竜が突進、早速噛みつこうとしたがリヒト君はそれをかわした。

 余裕がたっぷりあるようではないが、かわし続けることは出来そうだ。

 リヒト君はかわしたついでに影竜の脚へ氷結魔法を打ち込んでいる。

 上手い!

 攻撃は当たってダメージを与えてはいるが、凍りつかせて動きを止めるまでには至らなかった。

 私がやっていても毎回凍りつくわけではないから焦る必要はない。

 ……私がね!

 銀色パワーアップしていることに私がパニックになってしまっていたが、リヒト君は冷静なようだ。

 なんとも頼もしい。


 だが、やはり私が覚えている影竜よりも動きが速い。

 想定よりも強敵であることは間違いない。


「今の噛みつき攻撃はHPをごっそり削られるし、防御力も下がるの! この戦闘が終わったら元の数値に戻るけど、この戦闘中に回復する手段はないから気をつけて!」


 攻撃力の高い敵相手に防御力を下げられ続けてしまうのは致命的だ。

 それに弱点破壊すると攻撃力が上がるため、少なくともあと三段階は影竜は強くなる。

 出来れば一回も当たらないようにして防御力低下は避けたい。

 影竜に目を向けるとノッシノッシと地響きを起こしながらゆっくり外周を歩いていた。


「影竜は移動動作は遅いけど、攻撃動作は速いから気をつけて! 離れすぎると回復し始めるから極力離れないでね!」


 私のアドバイス通りに距離を詰めようと思ったリヒト君だったが、何かに気づいたのか影竜と距離をとったまま足を止めた。


「お姉さん! 今、離れているけど回復していませんか?」

「そんなはずは…………ええっ!?」


 確認してみると、影竜の身体から淡いグリーンの光が点滅しながら溢れていた。

 常時微回復状態だ……なんで!?

 銀色影竜だから、としか思えない。


「……回復される前にどんどんダメージを与えるしかないですね!」


 そう言うとリヒト君は駆け出した。

 影竜の長い尻尾目がけ、今度は贄の剣で斬り込んだ。


 よし、お姉さんも張り切ってアドバイスをしようと顔を上げて――驚いた。

 驚きすぎて私の顎は「んがー!」と下に落ちている。


 影竜の長い尻尾がスパーンと切断され、空を舞っていたのだ。

 思考を巡らせていたこの一瞬に弱点破壊済んでる!?

 そんな、攻撃力が高すぎる!

 なんで!?

 さっきまでの雑魚戦でも妙に与えられるダメージが大きい気がしたが、それはリヒト君のレベルが常に上がっているからだと思っていた。

 でもこれは……。

 もしかして、もう上がるはずのない贄の剣の攻撃力が増している?


 ここで思い出したのが、リヒト君にはレベルの上限はあるのか、もしかしたら75を越えられるかも? と思ったことだ。

 リヒト君には『何においても上限がない』としたら……。


 リヒト君はさっきの雑魚戦でかなりの数の魔物を倒している。

 その魔物の数が9999に追加カウントされていたら……その分、贄の剣の攻撃力が増していたとしたら……!


「グアアアアアアアアッ!!!!」


 尻尾を切り落とされた影竜は咆哮し、攻撃力をアップさせた。

 まずい。

 弱点破壊の直後は黒い霧で出来た竜巻が戦場にいくつも発生し、追いかけてくる。

 これも当たるとごっそりとHPを削られるし、ダウン――倒れ込んでしまう場合もある。

 ダウンするとのし掛かられ、一気に瀕死にまで陥る可能性がある。

 それを今まで通り大声で伝えようと息を吸い込んだのだが……。


「あっ!」


 何を言おうとしたか忘れてしまいそうになるくらい、リヒト君は見事に対応していた。

 私が事前に伝えていた竜巻の動きしっかり覚えているようで、先読みしながら回避している。

 よく見ると竜巻の数が私の記憶よりも多いが、それにもちゃんと対応している。

 これはリヒト君がしっかりと勉強、影竜との戦いを覚えていたから出来た動きだろう。

 そういえばノートにびっしりとメモをしていたよね。

 寝不足の原因だってそれを見て覚えていたからだ。

 リヒト君が今まで培ってきたもの、『学習する』ということがこんなにも生きている。

 ほら、やっぱり凄いよ!

 リヒト君だからこんなに戦えるんだよ!

 さっきも私にはない知識でバウンドオークを倒したし、本当に凄い!


 竜巻攻撃を無傷で乗り切ったリヒト君は、集中的に魔法で影竜の脚に魔法を打ち込み始めた。

 HPを削るには贄の剣での攻撃が効果的だと確信したようで、積極的に斬り込んでいくことも同時進行で行っている。

 その際も私が事前に伝えてあった影竜の行動アクション――頭を低くしたら突進、頭を振り上げたら噛みつき、四回連続で斬り込んだらなぎ払いのカウンターを受けることなどをしっかり念頭に置いた戦いをしている。


「……もう、大丈夫みたいね」


 私は無駄に口を挟むことをやめた。

 大人しく見守ろう。


「リヒト様! 頑張れ~!!!!」

「凄いです! 流石です~!!!!」

「精霊様ファイト~!!!!」


「!?」


 たくさんの声が聞こえて振り向くと、いつの間にかギャラリーが増えていた。

 一番前で拳を振り上げて応援しているのは松明を渡した小人族の二人だ。

 どうやら村人達が駆けつけてきたようだ。

 じーっと見ているとサツマイモカラーの彼が飛び上がった。


「すみません! 崖底が騒がしいことに気づきまして……。普段通りにしていろと言われていましたが、精霊様達が我らのために危ない目にあっているのでは!? と思ったら、いても立ってもいられず! 彼らも降りて行きましたし我らもと……!」


 そう言って視線を向けたのはジークベルト達だ。

 本当に余計なことばかりしてくれるよね!


「微力ながら加勢できればと思っておりましたが、私どもではお力になれることはなさそうです……」


 村人達の手には箒やツルハシなどが握られている。

 さすがにそれではダメージを与えることは無理かな。

 でも私達を助けようとしてくれたその気持ちは凄く嬉しい。


「戦力にはなれませんが、その分精一杯応援させて頂きます!」

「リヒト様!」

「「「頑張って~!!!!」」」


 村人達が運動会の保護者のようになっている。


「あのね、ええっと……出来れば静かに……」


 頑張ってる。

 リヒト君はあなた達のために凄ーく頑張っているから!

 集中出来るように静かにしてあげて欲しいのだが、邪魔だとは言えない雰囲気だ。

 でもリヒト君をよく見ると、少し動きがよくなった気がする。

 応援して貰って元気が出たのかも知れない。


「あ!」


 とうとう影竜の脚が氷り、動きが止まった。


「今だ!」


 そう叫んだのは誰だったか。

 言葉が終わる前にリヒト君は行動に移っていた。

 物理攻撃で畳みかけ、どんどん影竜の体力を削っていく。


「行け行け~!」

「一気にやってしまえ~!」


 私も村人達と同じように声を上げて応援。

 私だけじゃなく、ジークベルト達も前のめりになって応援している。


 影竜の脚が氷っていたのは僅か十秒程度だったが、無事脚の弱点破壊は出来たようで影竜の身体がガクッと下がった。

 動きも一気に落ちる。

 残る弱点部位は頭だけ。

 あと一歩だ!


 動きが遅くなったので「もう大丈夫」と思っていると痛い目を見る。

 影に潜り、突如近くに現れるという瞬間移動に近い移動方法を取り始めるのだ。

 出現する直前、地面に影が浮かび上がるから察知は出来るのだが、何せ暗いので分かり辛い。

 でも出現ポイントは伝えてあるし、精霊の松明はそのポイントがよく見える配置にある。

 影を見て出て来ようとしているところを攻撃すると、モグラ叩きのような展開が暫く続くはずだ。

 油断しなければ攻撃を食らうことはないはず……と思っていたところにリヒト君が大ダメージを受けた。

 まともに食らってしまったので銀色の魔物を倒してでレベルアップをしていなかったら確実に死んでいた。


「そんなっ、どうして……あっ!」


 今影竜が出てきたのは松明を減らしたため、他よりも暗い場所だった。

 私がゲームで戦った時はぎりぎり出現する影を見ることが出来たのだが、銀色になったことで影も薄くなったのかもしれない。


「リヒト様のお連れ様、あの場所が暗いためリヒト様は怪我をなさったのでは!? 私達に松明をくださったから……!」

「我々のせいでお怪我を……!」

「大丈夫よ。大丈夫」


 小人族の二人に対してというより、自分を落ち着かせるために言った。

 一度食らったら同じ失敗はもうないだろう。

 暗いポイントには行かなければいいだけなのだから大丈夫。


 冷静に回復したリヒト君は暗いポイントは避けながら影から出てくる瞬間の影竜を叩き、順調にHPを減らした。


 影竜が影での移動を止めた。

 黒い霧に覆われた身体がゆっくりと上昇していく。

 精霊の松明よりも高い見上げる位置になると影竜の身体から真っ黒でヘドロのようなものがぼとりぼとりと垂れ始めた。

 この状態まで来たらあと一歩だ。


 全てのヘドロが落ち、最終形態である骨の状態になるまで影竜は動かない。

 今の内に――!


 ああ、リヒト君がどうかレベル50に届いていますように!


「リヒト君!」


 呼び掛けると、ちらりとこちらを見たリヒト君は微笑んだ。


 リヒト君は両手で握った贄の剣を天高く掲げた。

 その瞬間、暗い谷底にいくつもの光が生まれた。

 光は剣のように鋭く尖ると、シュンと空を切りながら影竜の身体へと突き刺さっていく。

 これは物理と魔法、両方の攻撃を持ち合わせているレベル50で覚える光属性のスキルだ。

 リヒト君は無事レベル50に達していたようだ。

 これを使えると一気に片をつけることが出来る。


 光の剣は凄まじい勢いでリヒト君のHPとMPの両方を消費しながら次々と現れては影竜の元へ――。


 一気にHPが減った時に活躍してきた万能完全回復薬がここでも役に立つ。

 急激に減るリヒト君のHPとMPを回復させてくれるのだ。

 そして再び光の剣として消費され、また万能完全回復薬で回復――を二回繰り返したところで影竜の身体は終に骨だけになった。


 今の間に影竜のHPを0に出来ていなかった場合は、骨の姿になった影竜と戦闘続行。

 0になっていた場合は終わりだ。

 果たして――。


「あっ」


 影竜の身体が静かに地面へと降りてくる。

 私達とリヒト君を隔てていた見えない壁が、細かな光となって消えていく。


 骨となった影竜が暴れ出さないということは……終わったのだ。

 これで全ておわったのだ!


「勝った……」


 私の呟きが崖底に響いた。


 リヒト君がこちらに振り向き、ピースサインをしながらにこっと微笑んだ。

 その瞬間、周囲から歓声が上がった。


「わああああああああ!!!!」

「一人で竜を倒した! 凄い!」


 やった……倒したんだ……。

 長かった……。

 この夜が永遠に続くんじゃないかと思える程長かった。


 私は何も言えず、周囲の歓声を聞きながらボーッと前を見ていた。

 だからそれが見えた。


「…………っ!!!!」


 気がついた瞬間、息が止まった。

 地面へと静かに降りていた影竜の巨大な骨が、リヒト君に覆い被さるように倒れて行くのを――。

 リヒト君は戦闘が終わって気が緩んだのか、全く気がついていない。


「危ない!!!!」


 見えない壁は既に消失していたため越えることは出来るが……間に合わない!

 このままじゃリヒト君は下敷きになるか、骨が突き刺さって……!

 どうしてだ!?

 ゲームだと骨はパラパラと崩れて消えていったのに……!

 ここまで来られたのに……失敗で終わりになんかしたくない!

 リヒト君を守らなきゃ!


「!?」


 必死に駆け寄ろうとした瞬間、黒と白の光が私を追い越していった。

 その光は影竜の身体にぶつかると、影竜の身体と同時に消えた。


 今のは精霊?

 もしかして……助けてくれた?


 リヒト君はまだ後ろで起こったことに気づいていないし、見えていたはずの村人やジークベルト達は首を傾げているが騒ぐ様子はない。

 あまり気にならなかったようで、こちらに向かってくるリヒト君を褒め讃え始めた。


「素晴らしかったです! リヒト様!」

「奇跡を目撃させて頂きました!」


 賞賛されながら歩いて来るリヒト君は本当に嬉しそうだ。

 その顔を見ていると、本当にやりきったのだと実感してきた。


 ああ、よかった……本当に…………。


「えへへ。僕、影竜を倒しちゃいま…………」


 リヒト君がぴたりと立ち止まったのは分かったが、どんな表情をしているかは見えない。

 私の視界は水没してしまっているのだ。


「お、お姉さん……僕…………」


 リヒト君がオロオロしているのが分かるが、ごめんね。

 お姉さんは今、色々と無理です。


「よかった……よかったよおおおお!! うわああああん!!」


 安心したらぶわっと涙が込み上げてきた。

 子供みたいな泣き方をして恥ずかしいけど止まらないし、立ってもいられない。

 地面にへたり込んでしまった。


「そんなにボロボロになって! もう……ほんとに、ほんとに心配っ、したんだからっ!」


 号泣している私をリヒト君は棒立ちになって見ている。

 嬉しそうにしていたのがすっかり消えてしまった。

 周りも静かになっている。


「お、お姉さん……。うっ……!」


 私の方へと一歩前に出たリヒト君の身体がふらりと揺れた。


「リヒト君!」


 前に倒れるリヒト君を慌てて受け止めた。

 白銀の装備は傷だらけで黒ずんでいた。


「お姉さん」


 間近で見るとリヒト君の顔色は真っ青だった。

 声も弱々しくなり、身体も少し震えている。

 一度落ち着いてしまったから疲れが一気に出てきたのだろうか。


「……大丈夫?」


 声を掛けると、リヒト君は私の手を握った。

 ……手も冷たい。


 リヒト君は暫く俯いていたが、ぽつりぽつりと話し始めて……。


「僕、本当は怖かったんです。眠いし疲れていたけど、休んじゃうと……止まっちゃうと、もう動けないような気がして……。だから何も考えずに夢中だったけど……」


 顔を上げたリヒト君の目には涙がいっぱい溜まっている。


「やっぱり怖かったです……。途中で、死んじゃったらお姉さんともう旅も出来ないし、話すことも出来ない……それどころか、怒ることも何か考えることも出来なくなるって、僕はどこにもいなくなるんだって、ちゃんと分かって……。いつかお姉さんにも忘れられちゃうんだって思ったら……凄く怖かったっ! お姉さんっ!」


 うああん! と子供らしく泣き出したリヒト君をぎゅっと抱きしめた。


「お姉さんだって怖かったわよ! リヒト君がいなくなっちゃったら、どうしようって……! もうこんな思いは二度とごめんよ!」

「ごめんなさっ……ううっ……ごめんなさいいいいっ」

「許さない! もっと怖いお説教が待っているんだから! 覚悟してっ!」

「はいいいっ」


 頑張ったねって褒めてあげたいけど、それは後!


 私達は抱き合ったまま大号泣してしまったのだった。

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