第10話 悩みの種

 アレセティの首都、アレスにある六聖神星教大神殿の奥にある一室。


「全く、あの子は何をやっているのだ……」


 大きな溜息と共に吐き出されたその一言は、天井の高い静かな部屋に響いた。

 声の主の顔には普段よりも一層濃く疲労が浮かんでいる。


「……大丈夫ですか」

「大丈夫じゃない。ゲルルフ、お前の報告のせいで頭が割れそうだ。どうしてくれる」


 責めるような発言はもちろん軽口だ。

 こんなつまらない軽口で癒やされるほど、大神官フィリベルトは疲れ果てていた。

 フィリベルトは少し癖のある肩口までの金髪に灰色の目の美丈夫で、普段は美貌の大神官と持て囃されているのだが今はいくらか老けて見えた。


 大神官という役職は六聖神星教において最高位である。

 六聖神星教は六属性を平等に尊ぶが、各属性それぞれに祭事や風習があるため、大神官もそれに対応出来るよう六名いる。

 フィリベルトは光の精霊に纏わることを取り仕切る光の大神官だ。

 国内外の祭事であちらこちらに飛び回り、承認が必要な書類や面会の申し入れが途切れることはない。

 最近は特に多忙を極めており、このアレス大神殿に戻ってきたのも久しぶりだったのだが休める気配は微塵もない。


 フィリベルトはまだ齢三十。

 まだまだ若いと無理をしているが、自身の補佐官であるゲルルフからもたらされた報告には現実逃避をしたくなった。


 フィリベルトには十程歳の離れた妹がいる。

 名はカトレア。

 父の後妻であるプリメラが産んだ娘で、フィリベルトとは異母兄妹になる。

 カトレアは親元で育ったが、フィリベルトは幼い頃から大神殿に入っていたためあまり関わりはない。


 フィリベルトの母が病死後後妻となったプリメラは現アレセティ王の三女で、六聖神星教内で代々高位の職に就いてきたフィリベルトの一族と王家を繋ぐために降嫁してきた。

 フィリベルトの父は外見も良く財力もあり、六聖神星教を通して国内外に顔が利く。

 プリメラも王族でありながら後妻ということには多少思うところもあったようだが大きな不満はないようで夫婦仲は良好。

 トラブルもなく時は流れたが、妹のカトレアが大きくなるにつれて問題が出てきた。

 カトレアも六聖神星教徒となったが、光の精霊だけを尊ぶ光凶徒になってしまったのだ。

 光の精霊を好む国民性のアレセティで生まれ育ったため仕方のないことかもしれないが、六聖神星教内にいる大神官の身内としては大いに問題がある。


 そして六聖神星教は世界中にあり、国によっては六聖神星教が中心となっているところも存在するが、アレセティは国を主体とし、六聖神星教は協力して国を支えている。

 だが、カトレアは光の精霊こそが至上、六聖神星教を主体とすべきという主張をしている。

 国内は光凶徒は多いが全てではない。

 また、六聖神星教徒でもない者も一定数いるのだ。

 六聖神星教を主体としてもこの国は成り立たないのだが、それが理解出来ない。


 六聖神星教内では大神官の妹だと優遇されていたため、何か勘違いをしてしまったのかもしれない。

 距離を置き、考えを改めるように諭していたのだが……。


「全く分かっていないじゃないか。悪化もいいところだ」


 聖告――精霊からのお告げ。

 はっきりとした言葉でもたらされることもあるが聞き取れなかったり、意味を読み取ることが出来なかったりすることもある。

 今現在最も新しい宣告は後者の方で、少しの単語が聞き取れた程度だった。

 いや、あれは聖告というよりもただ精霊達が騒いでいるのが聞こえてきた、というだけかもしれない。


【異界】【やっと】【あの子のもの】【祝福】【星見】


 聞き取れたのはそんな言葉だった。

 大神殿の神官達と協議をした結果、光の大精霊の武器を手にする者が現れるのではないか、ということになり調査を進めることになったのだが――。


 光の精霊は他国でも尊ぶ者が多く、六属性の中でも一番多くの凶徒を抱えている。

 そのため、光の大神官とアレス大神殿があるアレセティは六聖神星教内や外交で比較的優遇されてきた。

『六属性を等しく尊ぶ』を掲げているためそれは暗黙の了解の元だったが、勇者を得るとそれを更に強固なものにすることが出来る上、勇者という魔王級の魔物を倒せる実質的な戦力も手に入るのだ。

 アレセティの国力が増すことは間違いない。


 だが、勇者が他国へ流出してしまったら……。

 それらを得られないだけではなく、光凶徒の信仰が他国にいる勇者の元にも移り、アレセティの強みが薄まってしまう可能性がある。

 それに光の勇者を交渉の材料にされてしまうと、アレセティは余程のことでなければ折れざるをえない。

 手に入れることが出来れば大きなプラスとなるが、出来なければ弱みとなる。


 勇者の流出は絶対に阻止しなければならない。

 それに冒険者ギルドに所属されてしまうと厄介だ。

 ギルド規約による招集命令で勇者の行動を制御されてしまうし、魔王級の魔物を倒した際の利益や成果もギルドに持っていかれてしまう。

 勇者には六聖神星教のアレス大神殿に所属して貰いたい。

 慎重に進める手筈だったのだが、どこからか聖告の情報を入手したカトレアが余計なことをしてくれた。


 聖告の内容がはっきりしないため、光の大精霊の武器があるダンジョン周辺、【星見】という言葉から連想された精霊の星見塔の調査を行うための先行隊に入り込み、好き勝手に動いたのだ。

 恐らく勇者を取り込み、自身の手柄にしたかったのだろう。


 フィリベルトは多忙だったため、調査について報告だけを聞いていたのだが、調査隊にカトレアがいることも勇者が現れたことも知らされていなかった。


 先日「勇者は一人か?」という問い合わせがあったことで不審に思い、調べてみた結果――現在、フィリベルトは頭を抱えているというわけである。


 呆れたことにすでに勇者候補とは接触済みで、共にダンジョン攻略中だという。

 本来は調査だけの予定であったし、勇者が現れていたというのならばすぐに報告が欲しかった。

 プリメラがカトレアに手を貸したようで、プリメラのお抱え騎士であるシンシアがついて行ったようだが、彼女は武力はあっても判断の出来る人間ではない。

 元々調査に行く予定だった神官達とは別行動をとっているようで、行動を共にしているのはカトレア言うことをきく身内の騎士達のみ。

 カトレアのストッパーとなってくれる者がいそうにない。

 ……というかいなかった。

 

「異世界から来た者は二人だった。つまり勇者候補は二人だったが、カトレアの判断により一人を追いだした。…………嘘だよな?」

「本当です」

「追い出した方が本物だったらどうするのだ!」

「私に言われても困ります」


 ゲルルフが表情を変えずに答えると、フィリベルトは再び大きな溜息を吐き、額に手を当てた。


「……嫌な予感しかしない」


 ゲルルフは沈黙で答えた。

 同じく嫌な予感しかしていないが、それを口にするとフィリベルトは現実逃避をして帰ってこなくなるだろう。


「ゲルルフ、勇者候補達との交渉を頼めるか。とにかくお二方には一度こちらに来て頂きたい」

「はい」


 フィリベルトは自ら趣き勇者候補達と交渉したかったが、生憎動ける状態ではない。

 多忙な今、ゲルルフがいなくなるのも大打撃だが、安心して頼めるのはゲルルフしかいなかった。

 ゲルルフの方もそれを理解しているので、予めすぐに出発出来るよう手配は済ませてあった。

 勇者候補との接触は一秒でも速いほうがいいだろう。

 ゲルルフは退出の礼をし、その足でモーリスへと向かうことにした。


「なあ、ゲルルフ。お前だったら勇者じゃないと追い出された後、やっぱり勇者だから力をかしてくれと言われたらどうする?」


 ゲルルフがドアノブに手をかけたところで背後から質問が飛んできた。

 振り向き、やはり疲労の濃いフィリベルトの顔を見るとゲルルフは答えた。


「寝言は寝て言え、と」

「だよな……」


 フィリベルトは遠い目で窓の外を見た。

 太陽の光がやけに目に染みる。

 追い出されたという勇者候補が謝罪を受け入れてくれることを願うばかりだ。


「黒目黒髪か。……日本人か?」

「大神官様?」

「あ、いや。行ってくれ。……くれぐれも頼む」

「承知しました」






 朝日がカーテンの隙間から差し込んでいる。

 もう朝か。

 『精霊、ルイを消しちゃいそうなんですけど! 事件』の現場から逃走し、宿へと戻って来た私達は……とりあえず眠った。

 色々とあり過ぎて疲れたため、一度寝てから話そうということになったのだ。

 二部屋にするつもりだったが、リヒト君を一人にするのが不安だったので私がとっている部屋に泊まって貰った。

 「床で寝ます!」と全力で遠慮するリヒト君をベッドに押しこみ、私は椅子に座って寝た。

 これでも冒険者だから野宿にも慣れているし、椅子に座って寝るなんて苦痛ではないのだが、リヒト君は最後まで自分が床に転がって寝ると粘った。

 結局私に押し負けて寝落ちしちゃったのが可愛かった。


 さて、今日は忙しくなりそうだ。

 まずリヒト君からルイやカトレア達についての話を聞きたいし、昨日のことについても話したい。

 リヒト君のステータスを確認してそれにあった装備を見繕いたいし、スキルも覚えさせてあげたいし、ランドセルや荷物も取り返さなければならない。

 これから色んなところに行くだろうからリヒト君にもギルドに登録して貰って、もう少しレベルも上げておきたい。

 そんなことを考えながら、私は軽く身支度を済ませた。


「まだぐっすり寝ているよね?」


 窓際のベッドに目をやる。

 予定が多いからといってリヒト君を起こす気にはなれないが、可愛い寝顔を拝ませて頂くくらいは宜しいでしょうか? と、手を合わせながらそーっとベッドに近づいた。

 よく眠っているようで、すーすーと規則的な寝息が聞こえる。


「はあ、神々しい……朝陽を浴びてきらきらと輝く御髪が…………え? ええええ!!!?」


 静かに拝むつもりだったのに思わず叫んでしまった。

 だ、だって…………だ、誰ええええ!?

 私が眠る前に見たのは、お顔は綺麗だけどちょっと野暮ったい長い前髪、黒髪の少年だった。

 だが今ベッドで横になっているのは――。


 シルクのような艶やかな銀髪の美少年だった。

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