第5話『夜の営業』

 学校を終え、葵と環奈は、共に帰路を歩いていた。


 二人で帰る、となるとまた目立ってしまうので、先に帰る環奈に後から葵がついていくような構図を取っての帰宅である。


 少し歩き、環奈が先に葵の自宅が入っているビルに入って、葵がそれに追いついて鍵を開け、二人揃って帰宅。



 元々葵の部屋だった場所は、すでに自分の部屋だという意識が根付いているらしく。環奈は無遠慮に葵の部屋に入ると、そこで着替えを済ませ、私服になった。


「……これからしばらく、こんな生活が続くなんて、面倒ね」


 そう言って、環奈は私服で応接ソファに腰を下ろし、足を組んで髪をなびかせる。


「まったくだ。いいか、学校では俺とお前は他人だからな。間違っても、用心棒だなんだって言うなよ」


 それだけ言い残すと、葵も自室へ入り、クローゼットから自分の私服を取り出す。背中に龍の刺繍が入った青いスカジャンと、黒い∨ネックにジーパン。それに袖を通して、応接間に戻った。


「別に言うつもりはないわ。私だって、なんで用心棒に守られているの、なんて、喋りたくないんだから」


「……俺としちゃあ、お前が何に狙われてるのか、何者なのか、知っておいた方が仕事は楽なんだけどな」


 葵はそう言って煙草を取り出し、火を点けて環奈の前に腰を下ろした。


「……何に狙われてるのか、知りたいのは私の方よ」


「なんだと?」


 膝の上で、硬く拳を握り、環奈は泣きそうな顔で葵を睨む。まるで、葵が環奈の敵であると言わんばかりに。


「お前、自分でもわからないのか。心当たりくらい――」


「それは、私の正体に繋がる質問だけど、特別に答えてあげる。心当たりが多すぎて、わからないってところかしら」


「そりゃあ、大層スリリングな人生を送ってきたようで」


 葵は、自分が吐き出した紫煙の行方の方が気になると言わんばかりに、天井をゆらゆらと漂う紫煙から視線を離さない。


「なによ。あなたから聞きたいって言ったんじゃないの」

「そんくれえの情報なら、聞いても聞かなくても一緒だっての。結局、敵の情報が一切増えてねえんだから」


 煙草を最後に一度大きく吸って、たっぷり息を吐くと、テーブルの上で山盛りの吸い殻を乗せている灰皿に新しい吸い殻を突っ込んだ。そうして立ち上がると、大きく伸びをして、忘れていた髪色を元に戻す。


「俺は出かけるぞ、お前どうする」


「……出かける? 何をしに」


「お仕事。別に依頼が入ってるわけじゃねえが、こんな街だからな。トラブルはそこかしこに転がってて、俺はそれを美味しくいただく。まあ、営業だ」


「仕事なんて、しばらくはする必要ないでしょ。一千万あるんだから」


「バカ。一千万は大金だ。だけど、それは短期的な話。長期的には大金だけじゃなくて、実績も必要になるの。俺みたいな弱小事務所は、できるだけ店を開け続けないとな」


 商売のコツは、店を開け続ける事だと、葵の育った店では言っていた。そしてそれは、現在の葵もそうだと思う。用心棒とは、どうしてもピンチの時に頼られる仕事。そんな相手が、いつ行っても定休日では話にならない。


 そうでなくても、現在の葵は高校生との二足のわらじ。昼間に活動できない分、夜は頑張らなくてはならないのだ。


「……ふぅん。ただのエロガキってわけじゃないのね、あなた」


「あれぇ? まだ俺のこと、そんなふうに思ってたのかよ?」


 葵は、そう言って胸を張り、精一杯の決め顔を作った。


「あなたって、夜と昼だと――っていうか、髪の色でなんだかテンションが違うのね」


「そうか? 意識してないが。まあ、黒髪の時は、できるだけただの学生でいたいからな。で、どうすんだ。できればついてきてほしいんだがな」


 環奈には言わないが、それで敵の一人でも出てきてくれれば、ひっ捕らえて疑問を解消できる。つまり、囮として期待しているのだ。


 気付いていない環奈は、頷いて「わかった。あなたの仕事ぶり、見せてもらうわ」と、ソファから立ち上がった。



  ■



 夜の街は欲望と悪意がむき出しになった街。


 誰もが目先の欲を食らうことだけを考え、何かを掴もうとしている。葵はそんなエネルギーに満ちた街が大好きで、こうして営業をかける事が、一日の中で数少ない楽しみの一つになっていた。


 まず葵が立ち寄ったのは、近所のキャバクラ。


 会員制の高級キャバレーであり、見た目での審査が厳しいのはもちろん、サービスの審査も厳しいという、選ばれた女だけが働ける場所。そして、そんな場所は男にとっては格好の餌場である。酒に酔って不埒さが増した男が暴れるというのは、そう少ない話ではない。


 そんな事件が起こらない為の会員証なのだが、そもそも、その会員証を得るためには力がいるので、そうなるのも自明の理。


 環奈を引き連れ、葵は店の中に無遠慮に入ると、入り口で控えていた受付のボーイに片手を挙げて挨拶をした。


「どもーっす」

「やあ、坊やじゃないか。どうした? 酒でも飲みに来た――って、わけじゃなさそうだな」


 葵の背後に環奈を見つけて「こんばんわ」と微笑む受付の男。それに小さく頭を下げ、返事をする。


「もしかして、この子ウチにどうかって、そういう話? 悪くないねえ。後は愛想とサービスができれば」


「……違います」


 キャバ嬢志望に間違われた事が不愉快なのか、声に不機嫌さが混じる。


「今日は、いつもの営業。最近変わったことない?」


「いや、今日は平和そのものって感じ。こういう日が続けばいいんだけど」


「おぉ、そりゃよかった。なんかあったら、いつでも連絡くださいよ」


「もちろん」


「じゃ、俺達はこれで」


 そう言って、機嫌良く帰ろうと、葵がドアノブに手をかけたとき、受付の男がその背中に「また遊びに来てよ。坊やと話したいって子、多いんだから」といやらしい笑みで声をかける。


「ちぇっ。営業が上手いんだから。またその内来ますよ」


 ドアを開け、外に出る。

 葵は「平和でよかったー」と伸びをして、次のお得意様の店へ歩き出す。


「……営業って、あんな感じなのね」


「思ったより地味だったか?」


 と、環奈はスカジャンのポケットに手を突っ込んで、子供みたいに環奈へ歯を見せて笑った。


「まあ……そうね」


「どんなもんを想像してたのかはわからないけど、人間がやることにそう違いなんてねえさ」


「もっと札束が舞ったり、いきなり強面の黒人ボディーガードとかが出てくるのかと思ってた」


「映画の見すぎだっての。そんなのがキャバクラにいたら、気持ちよく飲めねえだろ? いるとしても、店の奥。札束は……まあ、舞う時もあるかもな」


 と、言っても、そんな光景は葵もあまり見たことがない。あるにはあるが、札束に触れられる立場にはいなかった。


「っつーか、札束はお前がたっぷり持ってただろーが。あんな金、こんなとこで、現金で持ち歩くのは危険極まりないぜ。よく盗まれなかったな」


「意外となんとかなったわ。堂々としていれば、こんな小娘が大金を持っているなんて想像するバカはいないでしょ」


「言うだけなら簡単だがよぉ……」


 実際、高校生にしては大金を持っている葵であっても、一千万を現金で持ち歩いていたら、震えてしまう。それを周囲に勘付かれず持ってくるというのは、どうも環奈がその手の現金の扱いになれていたからとしか思えなかった。


「お前は不思議な女だな。その面の皮剥がして、どんな顔なのか見たくなるぜ」


「私があなたに素顔を見せることは、ありえないわね。まだ、あなたを信用したわけじゃないのよ。用心棒さん」


「俺ぁプロだぜ。信用は仕事で勝ち取るさ」


 と言って、葵が次に入ろうとしたのは、一八歳未満が入ってはいけないというサインである暖簾が下げられた、やたらとシックな茶色いビルだった。環奈は嫌な予感から、入り口の上にかけられたネオンサインを見ると、そこには『ソープランド・エンジェルタッチ』と書かれていた。


「待ちなさい」


 と、環奈は葵の肩に手を置き、入ろうとしていた彼を静止させた。


「な、なんだよ」


「……なんでこんなところに用事があるわけ?」


「昨日ここのチラシ見たろぉ? お得意様なのよ、ここも。風俗って、どうしても性的な接触が増えるから、金払ってるくせに『こいつ俺のことが好きなんじゃねえか』って勘違いする男が増えるのよ。そんなわけで、俺みたいに用心棒を雇う店も少なくないの」


「……私にも、ここに入れって?」


「当たり前だろ。外で待ってんのか?」


 まるで、環奈の方が常識外れなことを言っていると思わせられるほど、葵はきょとんとした顔で首を傾げていた。


「ばッ、バッカじゃないのあなた!? 私は普通の高校生なのよ!」


「るっせーなぁ。ソープランドの前で高校生とか言ってんじゃねえよ。近くに警察デコスケがいたらどうすんだよ。しょっぴかれちゃうだろ。俺に依頼するんだから、それは困るんじゃねえのか?」


 どうやら警察に頼れないという環奈の読みは当たっていたらしく、環奈は息を呑むように押し黙った。


「別にローションまみれで天国へご案内しろ、って言ってんじゃねえんだ。俺の後ろで黙ってりゃいい」


「こっ、こんなとこに、なんで私が……」


「お前なぁ。こんなとこって、どういう意味だよ」


「……どういう、って」


 そこで環奈は、初めて葵の顔に本当の怒気が混じっているのを見た。普段はおちゃらけている男が、本気で怒っているその姿に、思わず身の危険を感じ、一歩退く。


「いいか。別にここは、犯罪をやってるわけじゃねえ。ちゃんとした対価を払って、女性も納得してやってる。いわば肉体労働者なんだ。ちゃんと働いてる店なんだよ。ここで働く女性達は、立派に仕事をこなしてるんだ。それ、店内で言ったら本気で怒るぞ」


 そこで環奈は、初めて葵の心根に触れたような気がしていた。

 葵も、自分を出しすぎたと反省したのか、舌打ちをして環奈から目を反らす。


「……言い過ぎた。とにかく、頼むよ」


 さすがの環奈も「え、ええ……ごめんなさい」と戸惑いながらも、素直に頭を下げた。


 太刀川葵という少年に、少し興味を抱きながら。

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