第3話 捏造のユメ

 ────おかしい、夢から覚めない。

 私は自らの両頬を慌しくはたき、間違いなくそこにある痛覚に頭を抱えていた。

「信じがたい現実──いや、〝信じたくない現実〟と言った方が適切かな。そういう物に本当に出会うと、そんな風に必死に覚めようとするんだね。いいね、いいよ、実に人間らしい」

 目の前の男はそう言って、自らの成果物である『私』を満足気に凝視する。

 私の中で既にこの夢は悪夢と呼べる段階にあった。

「それで──晴れてこれは夢ではない事が明かされた訳だけど、私の話は納得出来た?」

「ふざけるな! そんな馬鹿げた事があり得るか! お前は一体何なんだ!」

 自分勝手に他人の理解を進める男に私は無性に腹が立ち、机越しに詰め寄る。

「だからさっきから言ってるじゃないか。私は伊藤新汰。そして君もまた伊藤新汰だ。嘘ではない。そして勿論夢でもないよ。もっとも、私は本物で、君はだけれどね」

 そう言って、〝わたし〟の顔がまた不敵な笑みを浮かべる。私はその不気味な微笑みに全身で寒気を覚え、ひるむように詰め寄った体を引く。

 そっくり、などと評す段階などとうに超越して、間違いなく、寸分違わず、目の前の男は私の姿をしていた。しかしながら、ただ鏡を見ているのとは違う。私の姿でありながら、私とは別の人間で、されどもやはり私で──まるで鏡に映った自分にひとりでに笑い返されたような、そんな怪奇的な現象を見ている気分だった。


 私の姿をした男は私にこう言ったのだ。


〝君は私の複製である人造人間、所謂クローン人間なんだ〟


 作り物、と男は私をそう説明した。その様な冗談にしても面白くない信じがたい話を、冷静に、淡々と、嘘や出任せを言うそぶりも見せず、わたしのつらは宣告したのだ。

「馬鹿げてる。あり得ない。お前が何者なのかは知らないが、私は間違いなく伊藤新汰、人間だ」

「そうだが、そうであって、そうではない」

 男は少し疲れた様に目を瞑り、私をいなす様にあしらった。

「ふざけるのもいい加減にしろ! 俺は正真正銘、伊藤新汰という人間だ! 妻と娘を持つ四十歳会社員、伊藤新汰だ!」

「知っている、知っているさ。なんたって私がそう設定し、プログラミングしたんだから」

「……ッ!!」

 私は男の強情な態度に耐えかね、机に上半身を乗り上げ男の胸ぐらに摑みかかった。ところが、男は驚いた表情の一つも見せず再び不気味に微笑んだ。

「分かっている。仕方ない事さ。誰だって四十年の人生が、たった十数分のインストールで完了する〝人工知能の成長プログラム〟だったなんて言われたら、そう受け入れられるものではないさ。その反応も実に人間らしくて結構だ」

 私は歯を剥き出しにして喰いしばり、男の胸ぐらを一層強く握り締め持ち上げた。

 男の言う〝人間らしい〟という言葉。

 これは普段に使う人間味だとか人間臭さだとか、そういう物と同じ意味合いを持っているようで、実際は決定的に違う意味を持っていた。要するに、この男は私を人間として扱っていない。そういう認識が一切無いのだ。

 それでも男はわらう事をやめない。

「君は、そして勿論私も、もっと誇りに思うべきだよ! 人工の体に、人工の心、〝クローン法〟に抵触しない世界で初めての人造人間! そして試作品は大成功! これはもう革命だよ!」

 男の胸ぐらを掴む手が力なく崩れ落ちる。

 この男は楽しんでいるのだ。私の驚嘆の表情も、激しい怒りも、そして慌てる様も、あらゆる行動も情動もこの男の興を引き好奇心を満たす玩具でしかないのだ。

 これはもう狂気の沙汰だ。

 私はおもむろに男に背を向けて歩きだし、出入り口の扉に手をかけた。

「どこに行くんだい?」

「帰るのさ! 家に! いつまでもこんな馬鹿げた茶番に付き合っていられるか!」

「なるほど、物分かりの悪さは要改善だな。やはりクローンとしての自覚的な自我は必要不可欠という訳か……まぁいい、好きにしたまえ」

「捕まえないのか?」

「どうだろうね。確かに大事な試作品に逃げられるのは困るが、改良の余地がある事が分かっただけでも十分な収穫だ。君が逃げるというのなら、私としてはそれもまた一興かな」

 私は男に振り返らないまま再び扉に手をかけ、部屋の外に体を出した。すると、遠くの廊下に居る数名の白衣と目が合った。

「捕まえないよ。ね」

 部屋の中でほくそ笑む男の不快な声音に、私は全速力で走り出した。

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