第2話 目醒め

 夢の中で目覚めると、またあの天井だ。


 あぁ、またあの夢か、と思う。


 夢の中で目覚める、などとはまた何とも矛盾した話だろうが、まず目覚めと表現して差し支えない覚醒の感覚を味わった。それでも尚これを夢であると確信するのは、夢というある種の別世界線に堕ちる直前の記憶が、ある程度以上の鮮明を備えていたからだ。

 最後の記憶はそう、人気のない終電の閑散とした車内に、いくつもある車輪が線路の凹凸に乗り上げる音だけが一定のリズムを刻んでいた。先程まで確かに、残業を経たこの疲労困憊の老体は都内を駆ける巨大な鉄の揺り籠に揺られていたはずだ。そして、それこそが夢世界への誘いであった事は間違いない。

 さもなくば、私の生活圏内にこの様な用途不明の機械の腕に囲まれた天井は知らない。

「成功だ」

「成功ですね」

 朧げな視界の先では、白衣に身を包んだ奴等が口々にそう言って互いを称えあっていた。

 巨大な一枚硝子の向こう側から向けられる感興に満ちた眼差しの数々と、寝心地の良さに反して人の恐怖心を煽る治療椅子。覚醒の先には既視感のある光景が広がっていた。

 私は例の如く手足に力を込めてみた。

 暴れる動きに合わせて、部屋には金属の鈍い摩擦音が反響する。やはりといっていい、私は四肢を拘束され身体の自由を奪われていた。

 私の様子を見ていた一人の白衣がふと天を仰ぎ、口を開いた。

「細かい確認は必要ですが、概ね動作も正常な様です。問題は補正を加えていない自我ですが……やはり拘束したままお運びした方がよろしいかと……」


『そのままで構わない、連れて来てくれ』


 白衣の呼びかけに対して、聴こえてきたのはスピーカーを通した知らない男の声だった。どうやらこの場には居ない何者かがこの状況の手引きをしているらしい。その証拠に、男の一声を合図に私の身体を拘束していた金具の施錠が解除された。

 両手をそっと持ち上げ、ゆっくりと固定台から足を下ろすと、冷えた床の感触が勢いよく登ってきて、若干の身震いとともに自分が裸足である事に気がついた。

 硝子を鏡代わりに自らの様相を見ると、入院服の様な物を着た病人が締まりのない面で立ち尽くしていた。

 我ながら実に精巧な夢だ。

 私は年齢に不相応な自らの多感さと創造性に関心していると、部屋に唯一ある重厚そうな扉が外側からゆっくりと開放された。

「こちらについてきて下さい」

 部屋の外から顔をのぞかせた白衣がそう呼びかけてきた。どうやら私を何処かへ連れていくらしい。察するに、先程スピーカーから聞こえた声の主のもとだろう。

 奴等にも、この場所にも、私を取り巻く全ての状況において理解が及ばないままだ。数回程見た夢のはずだが、この様な展開は初めてだった。これだけ繰り返し同じ夢を見ているのだ。私はこの得体の知れない夢に何らかの意味があるのだと確信していた。恐れ半分ながら、私はこの夢が見せる新たな展開とその意味に興味を抱かずにはいられなかった。

 私は言われるがままに数人の白衣の背中につき、蛍光灯が頭上に点々と並ぶだけの殺風景な廊下を進んだ。「お前達は何者なんだ?」と、時折尋ねてみたが、返ってくるのは沈黙と止まない足音だけだった。

 代わり映えしない景色をしばらく歩き、案内されたのは家のリビング程の広さの部屋だった。ただし、淡い灯りに照らされたソファに洋風の座卓といった、リビングと言い得る団欒だんらんの象徴的場所が持つ温和な空気感は一切無い。その部屋は見渡す限り白塗りの四方で、窓や装飾の類は全く見当たらなかった。あるのは十分な広さに対して中央にぽつんと並べられた机と二つの椅子だけ。言うなれば、刑事ドラマで見る取調室のような、出所不明の圧迫感と、背骨に通電するような緊張感が張り詰めた意味有りげな部屋だった。

 私はその異様な空気のために入り口付近で立ち竦んでいると、「こちらでお待ち下さい」と、白衣に丁重に促され二つある席の片方に着いた。

 例えばこの舞台設定として、ここは何らかの非合法な研究施設で、これから行われる恐ろしい計画の被験者が私であるとするならば、些か扱いが丁寧というか、待遇が良すぎる気もする。これも夢特有の奇異という物なのだろうか。仮にそれが日頃の億劫な接待業務の賜物だとしたらなんとも皮肉なものだ。

 私はそんな風に考察を進めつつ、しばらく何もない壁を見つめていると、この部屋に一人の足音が近づいて来る事に気がついた。足音は段々とその音を増し、ちょうどこの部屋の前で止まるのが分かった。

 直後、私が入ってきたのと同じ扉がゆっくりと開いた。

 そして、私は私を襲う情報量を最も大きな驚嘆をもって迎え撃つことになった。

 私は扉から入ってきた人物を見て目を丸くした。本当に可笑しな夢だ、と思った。私は私の夢の奇異を侮っていた事を思い知らされた。


「まるでまだ夢でも見ているかのような間抜けな顔をしているね」


 決して覚めはしない夢の中で、私の前に現れたは、心底きょうがるように不敵な笑みを浮かべ、私にそう言い放ったのだった。

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