019  春に眠る命のかたまりⅢ

 検査されているさくらは大人しくしており、彼女の体に何か異変が無いのかが心配で胸の奥が厚くなってゆくのを感じる。


 検査がすべて終わると、担当医が桜と俺を連れて、診療室で説明を受けた。担当医の隣には看護師の美羽みうさんが立っている。


「さて、先に言っておきます。羽咲桜はねさきさくらさんは記憶喪失きおくそうしつになっていると思われます。事故当時、頭の方を強く打ったのでしょう。頭蓋骨ずがいこつには異常が見当たりませんが、脳の一部に損傷と見られる所があります。まあ、何かの刺激を与えればもしかすると、記憶が戻るかもしれませんが……当分の間は、このままだと思います」


「そ、そうですか……」


 俺は泣きそうになった。


 しかし、自然と涙が出なかった。


 もしかすると、俺は桜の目の前で涙を流してはいけないと思ったのかもしれない。


「ですから、退院後は記憶をよみがえらせるために思い出の場所や写真などを見せてください。少しずつでもいいですからリハビリ感覚で彼女を蘇らせるしかないですね」


 そして、話は十分程度で終わり、退出しようとした時だった。


「菅谷君、君は少しここに残っていきなさい。話したいことがあるから……」


 と、担当医に呼び止められた。


「あ、はい。分かりました……。桜、この看護師さんと先に部屋に戻っておいてくれ。後で部屋に行くから……」


 そう言って、俺はもう一度椅子に座り直すと、桜が部屋から姿を消すのを見計らって担当医の人が話を始めた。


「さて、君には話しておかなければならない事があります。彼女がいると、少し話せませんしね……」


 新たな書類を出して俺に見せる。


「これは羽咲桜さんの診断書と私が色々とあらゆるパターンを計算したものです。一度目に通してみてください」


 そう言われて、俺は隅から隅まで読む。


 そこには桜の今後の可能性についてだった。


「そうです。羽咲さんは今、危険な状態にあります。目覚めたからといって、今後、どんな発作が起きてもおかしくないでしょう。特に彼女のつらい記憶が蘇るとなるならそれは避けるべきです」


 と、はっきりと言われた。

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