018  春に眠る命のかたまりⅡ

「はい、ありがとうございます」


 俺は軽く会釈えしゃくをして、そのまま立ち去る。


 三階のフロアの南側の突き当たりに行くと桜の部屋があり、扉の目の前で足を止める。


 ゆっくりと目を閉じて、大きく深呼吸をする。


 この境界線の向こう側からは異空間だ。二人っきりのゆったりとした静かな時間が流れる。


 扉を横にスライドさせ、部屋の中へ堂々と入っていく。


 太陽の光が射し込み、窓ガラスを透き通って屈折し、部屋の中に入り込んでくる。目を凝らして、奥まで進むと、誰かが窓の近くに立って外を眺めていた。


「……?」


 誰だろうと不思議に思いながら恐る恐る近づくと、水色の患者服を着ていた茶髪で長髪の少女がいた。


 俺は持ってきた荷物を手から落としてしまい、驚きを隠せず、ただ、目覚めるはずがない少女が幽霊ゆうれいになって出てきたかのように思えた。


 しかし、ベットには誰も横になっていない。やはり、目の前にいる少女は本物の羽咲桜はねさきさくらだ。


 夢かと思った。


 いつ目覚めるのかも分からない重傷を負いながら、三ヶ月の時を経て、ようやく蕾から花が咲き始めたのだ。


「さ、桜なのか……」


 俺はつばを呑み込む。


「ええと、あなたは……?」


 誰かが部屋に入ってきたのを知り、少女は振り返って俺に質問してきた。


 今更何を訊く。俺はお前の幼馴染で、家族なんだぞ。


 と、床に落とした荷物を拾い上げながらそう思った。


「ああ、菅谷翔すがやかけるだ。桜、記憶が混乱しているんだろ? 無理もない。お前はこの三ヶ月、ベットの上で眠り続けていたんだからな」


 俺は冗談のつもりで自分の名を名乗り、桜の元へ歩み寄った。だが、


「え? あ、あなたは本当に誰なのですか?」


 後退りをして、近づく俺から距離を置こうとする。顔が強張こわばっており、体が震えている。まともに立てない足を引きずりながら拒否反応を起こしているのだ。


「さ、桜……。俺の事を……忘れているの……か?」


 おびえている桜を見ると、小さく縦に頷いた。筋力が低下しているのか、足元から崩れ落ち、そのまま床に倒れる。


「お、おい!」


 俺はすぐに駆け寄り、桜の体を起こすと、看護師の人を呼び出すナースコールのボタンを押すと、すぐに看護師さんと担当医が駆けつけてくれた。




「ふーん……。これは……」


 担当医は桜の体をCTスキャンやレントゲン検査をしながら、桜の体に異常が見当たらないか。くまなく細かいところまで調べた。


 窓ガラスを挟んで向こう側にいる俺はただ見つめるだけしかできなかった。一応、家族にはまだ、この事を伝えていない。

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