016  冬の寒さに打ちひしがれずにXVI

 泣きつかれ、俺はすぐにこの長椅子で寝ていたのだ。


かける、翔! 起きて、起きてよ!」


 大人の女性の声が聞こえた。体を強く揺さぶられ、俺はようやくゆっくりと目を開いた。


 涙の後が目蓋まぶたに張り付いているような感覚があり、目の前には涙を流している暦姉こよみねえがいた。


 暦姉の涙が俺の頬に垂れ落ち、後頭部へと流れる。


 疲れきった体をゆっくりと起こし、少し服が乱れた暦姉を向き合いながら数秒間静かな空気が流れる。


「翔、さくらちゃんは大丈夫なの? 連絡があって事故現場に駆けつけてみれば、血の跡が残っているし、病院に行ったら集中治療室にいるなんて……」


「すまない…………。もし、俺があの時、あんな場所で別れなければ、こんな事に……」


「翔のせいじゃないでしょ! 自分を責めないの。分かってる。お姉ちゃんは分かっているから……だから、自分を責めないで……」


 暦姉は腕を背中に回して、俺を抱きしめ、慰めてくれる。


 その肌の温もりは暖かく、そして、どこか寂しいげな感覚が伝わった。


 それからは気持ちを落ち着かせ、ゆっくりと一息をついたところで暦姉は俺の隣に座り、一部始終を俺は彼女に伝えた。


「そう……」


 暦姉はそう言うと、後は何も言わなかった。たぶん、自分が同じ立場だったらそう思うと感じてくれたのだろう。


 桜の蘇生手術は一向に終わりそうにもない。


 すると、そこへ親父、颯太そうた友理奈ゆりなが駆けつけてくれた。




 手術が始まってから七時間以上経過していた————


 扉の上に書かれてある『手術』の赤いランプが消え、扉がゆっくりと開いた。白いベットに寝かせられた桜は目をつぶったまま酸素マスクを付けられ、病室へと運ばれて行った。


 主治医の男性医師に呼び出された俺達は、彼の部屋へと招かれた。


「では最初に言っておきます。羽咲桜はねさきさくらさんの命に別状はありません。それよりも問題なのは、彼女は昏睡状態こんすいじょうたいになっているという事です」


「え……」


 耳を疑った。


「いつ目覚めるのかもわかりません。そして、脳の記憶障害が残り、どうなるのかも我々医師にも分かりません。このまま時間が経過し、検査しないと何とも……」


 医師は、全力を尽くして彼女の命を救ったが、それ以上の事は何もすることができないと言っていた。


 だが、桜の命が助かったに過ぎない。俺はその場に膝をつき、涙を流しながら命が助かったことに少しむくわれた気がしていた。それでも、桜がすぐに目を覚ますとは思ってもいない。


 でも、いつかはきっと目覚めてくれると信じている。


 冬の寒さに打ちひしがれずにひたすら前へと、人は進むしかないのだ。

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