ストーリーが次々と転がるわけでも何か奥深い人間ドラマが展開されるわけでもなく、エッセーのようにただ事実(劇中では性差が逆転した社会)とそれに対する思いを記述しているだけなのに、ひどく胸に刺さる。
医大での点数改竄など、すべて本当にあったこと、あるいは今なお本当にあり続けていることだ。
ゆえに読後の感想としては、フィクションである本作がどうというよりも、いびつなこの現実、今この日本社会に対し、改めてしんどい思いが込み上げたというところだ。
差別から目を背けたいのが本音だが、それだと社会の歪みは残ったまま。
作者が本作を描いたことにより、また読者が本作を読んだことにより、少しでもこの歪みの解消に繋がればと切に願う。
本作は女性が体験する社会の理不尽を、性別反転を通じて男性の体験として表現した物語だ。文中、過剰なほどに閉塞感と社会的理不尽が強調されているが、その試みには大きな、社会告発以上の意義がある。本作を通じて男性読者は女性だけが体験する理不尽を経験することができるからだ。
多くの場合、人は体験した事態を基にすることでしか物事を考えられない。しかし男性は男性として生まれた以上現行社会において男性としての体験しかし得ない。
本作はその不可能を可能にする作品なのだ。
作者はフィクションの体験し得ない経験を受け手にさせてしまう性質の強みが最大限に活かしながら、現行社会における女性の境遇を男性の体験として描き出す。そして強烈な不快感、閉塞感を経験させられる。
私はジェンダーの話題に触れるたびに、男性が認識している世界と女性が認識する世界の違いを意識させられてきた。ジェンダーの問題を考える女性の友人は多いが、男性の友人は少ない。なぜか。女性は問題に直面しているが男性は直面していないからだ。男性と女性は体験に相違がありすぎて、ある問題において全く相互理解できないと言っても過言ではない。特に、こうした社会的理不尽に関しては。
私は男性だが、男性ゆえに、同性の多くは本作を無視するか、理不尽を殊更に強調しているだけだと軽んじるだろうと予想する。それは対処できない経験をしてしまった時の一種の防衛反応だ。それは生理的なものだが、乗り越えなければならない障害だ。
人生は苦しみだけではないが、苦しみのない人生はない。ジェンダー議論が活発になってるこの時代だからこそこうした小説に触れて、耐え難い経験をすべきではないか。
本作を政治的にとらえるのではなく共感するための経験として私は捉えたい。
本作のような疑似体験が増えることで、男性は少しずつ経験のショックに慣れ、本作を軽んじたりせず「女性はこうした理不尽を感じることがあるんだ」と思えるようになるのではないかと私は信じる。
そのときようやく、男女はある側面で対等にジェンダーの問題を議論できるようになるだろう。
誠実に人と向き合うためにも、私は、本作を読むことを強く勧める。