第3話:男流棋士は未だプロになれない

「受験も近いのにぬか喜びさせないで欲しかったよ」


 雪をイメージしたカフェのガラス戸越しに広がるの街の風景はきらびやかにライトアップされたクリスマス仕様だ。


 溜息を吐いて、僕は受け取ったばかりのラテに口を着ける。


 これはまだ熱すぎる。


 舌の先にひりつく痛みが残った。


帝医大ていいだい、公認取り消されても、何が何でも男性差別止めたくないんだろうね」


 向かいの相手は銀縁眼鏡のレンズを曇らせながら手にしたマグカップのコーヒーに呟く。


 男子校以来の友人だが、僕は甘いラテ、彼はブラックコーヒーを好むという違いがある。


 メディアでは僕らのような若い男性は総じてスイーツが好きと決め付けて、一時期は「スイーツ好きで軽薄な若い男性」という意味で「スイーツ(笑)」というネットスラングも流行はやった。


 女性でも甘いものが好きな人は普通にいるし、性別に関わらず甘いものが好きなら気質が浅はかなわけでもないのに妙な話だ。


 「スイーツ(笑)」が廃れた今は「インスタ男子」が新たに使われ出した。


 Instagramに流行りのスイーツやレジャーを楽しむ自撮り写真を載せている浅はかな若い男性といった意味合いだ。


 Instagramには女性のユーザーもいるし、そもそもSNSに食べ物やレジャーを楽しむ自撮り写真を投稿している女性は山ほどいるのに、彼女らは殊更浅はかな風には揶揄されない。


 というより、YouTubeに犯罪自慢の動画をアップしたりTwitterにデマ情報や犯罪予告を投稿したりして逮捕されるのは女性ばかりだが、メディアが好んで叩くのは「インスタ男子」の方だ。


 ネット漫画の広告はいかにも馬鹿っぽく描かれた若い男が主人公の「SNSで破滅する男」ストーリーばかりで、その女性版はまず見ない。


「うちも政治学科だから女子学生の方が多いけど、正直、『これでよく入ったな』と思うのは女子ばっかりだよ」


 医学部を目指す僕は目下一浪中だが、彼は都内のいわゆる名門大学に進学した。


「男子学生で煙草吸う人なんて一割もいないけど、女子学生は煙草吸う人が凄く多いし」


「うちの予備校でも煙草吸ってるのは女子だけだね」


 日本の喫煙率は女性が三割、男性が一割未満だ。


 女性の喫煙はカッコいいもののように捉える空気がまだ残っているが、男性のそれはまず「生意気」「はしたない」と攻撃される。


「自分は吸うけど彼氏が吸うのは絶対嫌だ、とかね。そんな女ばっかり」


 コーヒーカップを手にした彼は肩を竦める。


 曇りの消えた銀縁眼鏡の奥で切れ長い瞳が光った。


 短く切り揃えた真っ直ぐな黒髪に眼光鋭い端正な顔立ちだが、彼のような風貌は「男にしてはきつくて可愛いげがない」と言われやすい。


「僕が男流二段と分かると、『でも、男でプロ棋士になれた人はいないよね』と勝ち誇った風に言ってくる女子学生もよくいるよ」


 彼は将棋の男流だんりゅう二段だ。


 日本の将棋界のプロ棋士は本来は男女混合の「棋士」と男性だけの「男流棋士」に二分される。


 「男流棋士」は規定上、「棋士」よりは容易になれる。


 男性棋士も規定の勝ち数を満たせば「棋士」になれるわけだが、今のところ、なれた人はいない。


「どいつもこいつも僕と対戦すれば手もなくやられるだけのくせに、女というだけで同性のプロ棋士たちと同じ位置にいると勘違いしてやがる」


 呆れた風に首を横に振ると、彼はまた真っ黒なコーヒーに口を着ける。


 医大は公正に見せ掛けて男子を減点して不合格にしていた。


 それと同じように、棋界も男性が実力とは別な所でプロ棋士になりづらい、飽くまで「男流」に止められやすい構造が隠されているのではないか。


 医大には減点されても合格した男子はいるのに、棋界にはプロ棋士になれた男性は一人もいないのだから、むしろ、何の妨害もないと考える方が不自然だ。


 チラとそんな疑念が走るが、部外者の僕には何も言えない。


 程よく冷めた甘いラテはちょっぴり火傷した舌先を優しく撫でるようにして口の中を通り過ぎる。

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