第十五話 頌歌を以て混濁たる狂宴に捧げられる贄は、時に真冬に狂い咲く桜のような苛烈さを裡に秘め

 しばらく走った後、石像のような巨体が森の奥に見えた。

 そのすぐそばで、捕食される寸前の動物のように怯えている少年がいる。同じようなタイミングで逃げ去ったはずのもう一人は近くにいなかった。

 エルスが法術を組み立てようとすると、またしても巨体がエルスの方を見た。やはり、こちらの法術に反応している。

 構わずエルスは法術を放つ。


葡萄月ヴァンデミエールの宴!」


 エルスの手の平から滝のような光の奔流が解き放たれる。

 巨体は跳躍することでを回避すると、エルスの前に降ってきた。

 その頃にはエルスは横に回り込むように移動しながら、腰の裏から短剣を抜き放っていた。剣に自らの生命力とも呼べるエーテルを軽く注ぎ込み、一呼吸で巨体の足を短剣で斬りつける。だが、刃は石の表面を浅く削っただけだった。


「序列は下の方とはいえ、〈カドゥケウスの四宝〉でこの威力か……っ!」


 すると、ぞわりと肌を氷で撫でるような冷たい戦慄がエルスの皮膚に走る。強力な法術が放たれる直前の感覚。巨体が反応する。

 同時、巨体が首根っこでもつかまれたように、宙に浮かんだ。そのまま、目に見えない力によって引っ張られたように、エルスの目の前から巨体がみるみる遠ざかっていく。

 とっさに後ろを振り向く。

 そこにいたのは、桃色にも見える赤毛を二つに結い上げた小柄な少女――エナだった。


「えーたん!」


 彼女ははっきりとよく通る声で。


「時間稼いで!」


 それを聞いたエルスは迷いなく動いた。腰から装飾が施された銀の細い杭のようなものを取り出すと、遠ざかる巨体の脇めがけて鋭く投げる。

 その頃には握りしめていた短剣が光に包まれ、小さな拳銃へと姿を変えていた。

 エルスは巨体の横を通り過ぎる杭に標準を定め、引き金を引いた。

 轟音。それとほぼ同時、銃口から放たれた銃弾が杭に直撃する。

 杭は衝撃を受けて不自然に一回転すると、意志を持ったように地面に突き刺さった。直後、杭に白光をまとった雷撃が落ちる。雷雨でもないのに、鮮烈な光を瞬かせる稲妻が耳をつんざくような凄まじい音と共に猛威を振るう。

 すると、巨体が強力な法術に気を取られた隙に、近くで座り込んでいた少年がその手を振り上げた。その指先に光の粒子が集う。


「い、今だ――ぐぼ!?」


 反射的にエルスは少年に接近すると、そのみぞおちに拳を遠慮なく突き刺していた。奇妙な悲鳴が上がる。


「な、何するんだお前――」

「不用意に法術を使うな。あれは法術に反応して攻撃してくる、王都グラ・ソノルの対法術士用兵器だ」


 ぞっと少年の顔が青ざめる。


「よ、よりにもよって王都かよ……。っていうか、こんなことになってるのに〈秩序学会〉は何やってんだよ!」

「こんなことにした奴が何を言う」


 ぎくり、と少年の肩が跳ね上がった。問答せずとも、彼がジェシカ失脚に一枚絡んでいるのはその様子から容易に知ることができた。


「き、聞いてなかったんだ! あんなものを運んでるなんて! 聞いてたら――」

「聞いてたら、こんなことに加担しなかった。あの瓶を壊してユイの試験の邪魔をしようなんて思わなかった、てか?」


 こくこく、と少年が馬鹿みたいにうなずく。

 エルスは少年を半眼で見てから言った。


「……特別部隊の出動要請はしてある」

「そ、それじゃあ、それが来るまで隠れてれば――」

「けど、いつ来るかはわからない。単に試験妨害してるだけだと思って上には報告してあるから、呑気に事を構えられたら出動すらしないかも。試験官に生命の危機があるとは口添えしてるだろうけど」

「そんな――!」

「そんなこと言われても、まさかこんな非常事態になってるとは俺も向こうも思うかよ」

「じゃあ、さっきみたいなのは? あれを投げ続けて時間稼いで――」

「無理。さっきので最後」

「助けに来た割には役立たずだな!」


 吠える少年を無視してエルスは傍に近づいて来たエナの方を向いた。


「それで、エナ。時間を稼いでほしいと言ったからには何かあるんだろう」

「おい聞けよ人の話!」

「うるさいしゃべらないで呼吸しないで死んでそこのクズ」


 エナが血のような赤い瞳で少年を殺すように射貫き、流れるような罵倒を一気に言い放つ。少年が顔を蒼白にして黙り込んだ。


「……さっきも言ったけど、手順に従って小瓶に仕掛けられた法術を解き放つ必要がある。ただ、あいつは法術に反応して攻撃してくる性質を持っているから――」

「つまり、瓶に戻す法術が完成するまでの間、誰かがそれ以上の強力な法術を使って囮になる必要があるわけだな?」

「そう」

「お、囮? あんなやつと正面からぶつかり合えって言うのか?」


 少年はびくびくと怯えたまま逃げるようにエルスの背後に回り込んだ。

 それをどう思うでもなく、エルスは思案するように下を向いた。


「問題は、誰が囮になるか、だな」


 エルスの一言に、その場の全員が重く黙り込んだ。


「……言っておくけど、エナは囮には回れないよ。えーたんも、そっちの君もこの手の危険物取り扱ったことないでしょ」


 エナがじろりとにらむように二人を見た。

 少年は、ぶるりと肩を震わせた後、大げさに首を横に振った。出来ない、無理だと手を振って示してくる。

 諦めたように、というより最初からそうなるだろうという思いのもとエルスは声をあげた。


「囮には俺がなるよ。それでいいだろ」


 なんてことはないようにエルスが言えば、エナは不服そうに眉根を寄せた。


「……そっちの君にも、小瓶の法術の展開には協力してもらうからね」

「お、おれも?」


 声をひっくり返らせて、自らを指さす少年。

 その様子に何か思ったらしい。エナが小声で補足する。


「……別に補助の法術だから、エナより強力な法術使うわけじゃないし、あいつに狙われる危険性は少ないよ」

「あ、そうなの?」


 途端、露骨に安心したように胸をなでおろす少年。

 ちっ、とエナが忌々しそうに舌打ちした。


「えーたん、囮役こいつとチェンジ。チェンジで」

「まー、それも悪くないかもな」


 冗談半分でエルスもそう言えば、少年が、ひぃ、と震えあがった。

 その反応を面白く思うでもなく、エルスは「冗談だ」といつもの涼しげな無表情で言って立ち上がった。


 ――作戦開始である。

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