第十三話 兆しは静かな反撃の狼煙を近くに感じながら
過ぎること更に十日ほど。
その後、エルスとしては特別に対応を変えたつもりはなかったのだが、変化はあったのだろう
もちろん、刺激しないよう意識はしたが、反目し合っていた頃と比べて、エナの出現頻度が低下、すなわちユイが現れるようになった。他人は自分を映す鏡とはよく言ったものである。
概ね、相変わらずエルスはエナから以前より頻度が減ったものの、攻撃を受けていること以外、平穏な日々が続いていた。
ジェシカはまだ古都トレーネから帰ってきていない。
ユイのことを聞いた後、特に連絡もないが、師匠のことだから元気にやっているだろうと勝手に思っている。
そんなエルスが本校舎の一階を歩いていたところに、息を切らしてやってきたのはアレクセイだった。
「エルス!」
「アレク兄?」
「ようやく見つけた……っ! 一体、どこ行ってたんだよ。放送しても来ないし、探しても見つからないし……」
「ああ、悪い。ちょっと出かけてた」
「――エナの観察処分が解かれた」
一呼吸もおかずに告げてきたアレクセイに、エルスは驚かずにいた。
「知ってる。だから俺もこうしてようやくのんびりと――」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないんだ!」
「何をそんなに焦ってるんだ?」
アレクセイが切迫したような様子でいる理由がわからずエルスは尋ねる。
アレクセイは呼吸を落ち着かせると、神妙な顔で話し始めた。
「ユイは今、宮廷法術士見習いの試験をもう一度受けに行ってる。なんでも〈秩序学会〉の倉庫にあった品を古都トレーネに運んでいる最中らしい」
「……で?」
「試験官としてクラスファーストの法術士が二人同行している」
エルスは半眼になった。
「で、試験官はまた男とかいうのか?」
「いや、片方は女性らしい」
「だったら問題ない……とは言い切れない、のか?」
微妙なところだったので、語尾が疑問系になる。
「問題はそこじゃないんだ。以前、ユイの試験を妨害しようとしていた奴らがいるっていう話、覚えてる?」
「……まさか、一緒にいるそいつら、ユイが宮廷法術士見習いになるのを妨害しようとしている奴らの差し金とかいうんじゃないだろうな。んでもって、試験の邪魔するつもりとか」
こくり、とアレクセイはうなずいた。つまらなさすぎる予感的中。
「そんなことをして何になる」
「彼らの真の狙いはジェシカの失脚だ」
――じゃないと、後々厄介なものを引きずり出すことになるよ。先日の男の言葉が頭に浮かんだ。
「師匠の?」
「君も知っていると思うけど、〈死の天使〉の異名を持つジェシカは、古都トレーネでも〈秩序学会〉においても発言力が大きい。エルスが思っている以上に、彼女を支持する者は多いんだ。そして、二十二歳の女性がそんな力を持つことに宮廷法術士たちは良い顔をしない」
「だから、これ以上、ジェシカの味方になるような、ユイのような法術士が、見習いとはいえ宮廷法術士ないよう妨害してるっていうのか? 前回も、今回も」
「そうだよ」
「そいつらよほど暇なんだな」
「否定できない」
疲れたようにアレクセイが肩を落とす。
「大体ジェシカを失脚させてどうする。強力な法術士がいなくなって困るのは古都トレーネだろうが。特に今は腕の立つ法術士は減少傾向にあるらしいし」
「もちろん、ジェシカが失脚して古都トレーネから完全に去ってしまうのは古都トレーネにとって不利益にしかならない。彼女は間違いなく大陸でも最高の法術士だからね。だから、完全に失脚しない程度に信用を落として権威を失墜させる。そのために、彼女の妹分でもあるユイに手を出すのは……まあ、悪くない手段だろう」
「要するに、エナとユイはそのとばっちりを食らっただけじゃないか」
エルスは走り出した。アレクセイも追いかけてくる。
「ユイたちが出発してどれぐらい経過してる?」
「今朝馬車で出発したらしいから、四時間ぐらいかな」
「ってことは、今頃は商業都市メアンドレの付近か。ちなみにこのこと、上層部に報告はしてあるのか?」
「もうとっくに昔に報告済み。現在、特別部隊を出動させるか討議中」
「動いてくれるのは、何時間後になることやら。……師匠から連絡は?」
「ない。連絡も取れない」
エルスが向かったのは長距離転移法術陣が敷かれている宝物庫だった。
頑丈な錠前を法術で破壊し、中に入る。
薄暗い室内はたくさんの美術品であふれていた。値打ちのありそうな壺や、両手を広げたほどの大きさもある巨大な絵画、宝石が散りばめられた儀礼用の剣。見回してみると、手前の壁に立てかけれた長さ二メートルほどの歩兵槍が目に入った。表面には細かい紋様がびっしりと刻まれていた。こちらも戦闘用ではなく儀礼用だろう。しかも、かなりの年代物だろう。
奥に進み、目的のものを発見する。
「まったく、前回は重傷で済んだが、今回もそれで済む保証はどこにもないんだぞ。下手したら、今度こそ同伴してる奴ら全員殺されるかもな」
もちろん、同行している法術士がどのような手段を取るかにもよるだろうが。
「物騒なことさらっと言わないでよ」
エルスは床を手の平で叩いた。
床に書かれている法術陣が、ぼんやりとした光を帯びる。それは長距離転送のための法術陣だった。法術士は近距離なら法術による空間転移で移動できるが、長距離となると大がかりな法術陣が必要になる。
べちべちべち、と法術陣を乱暴に叩きながら、転送先が商業都市メアンドレ付近の街道に出るよう法術の構成を組み立てていく。
「ちなみに、一緒にいるのはクラスファーストって言ってたけど、そいつら実戦経験はどんぐらいあるんだ」
「エナと比べたらそれこそ雲泥の差かな……。クラスセカンドから上がったばかりらしいし」
「あー……」
諦めと悟りの境地を開いたような声が上がる。
前回といい今回といい、なんでそんな奴らが宮廷法術士見習いの試験官なんてやってるんだとも思ったが、試験の妨害工作をするために上手く買収できたのがその二人である可能性が高い。
そして買収されたのが事実なら、その二人はまともな両親を持ち、正規の手段で〈アヤソフィアの学び舎〉のトップクラスであるクラスファーストに上がったばかりに、多大なる勘違いをしているのだろう。
向こうからしてみれば、足場を確保するために後ろ盾ないし権力者とのパイプが欲しかったのかもしれないが、そんなもの、実力主義のクラスファーストにおいては毛ほどの役にも立たない。この分だと、クラスファーストという肩書を持つ意味も理解しているかどうか怪しいところだ。クラスファーストは法術士として優秀であることを証明するものではない。単なる
エルスは真顔で言い放った。冗談とも本気ともとれる声で。
「アレク兄、葬式の手配よろしく。もちろん棺は二つで。あと、ここの転送法陣の使用許可も取っといて」
「今そういうこと言われても、ちっとも冗談に聞こえないから」
「割と本気で言ってるが」
「ますますやめて」
現実から目を逸らしたいらしい。アレクセイは目をつむって難しそうな顔のまま目頭を指先で押さえていた。
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