第十一話 悲しみの乞願は、音もなく人知れず静かに消えて ~証言~

 証言その一。貧弱痩せ男の場合。


 エルスは清潔とは異なる潔癖な白で構成された小さな病室を訪れていた。

 目的の人物である相手は、病室のベッドの上で上半身を起こしたまま本のページをめくっている。取り次いでくれた看護師からエルスが訪れた理由を聞いているはずだが、声をかけても相手をしてくれるような気配はない。

 帰ろうとしないエルスに辟易したのか、青年と言って差し支えのない年齢の男は嘆息交じりに手を止め、面倒くさそうにベッドの近くに立つエルスを見上げた。

 青白い顔は人工物かと思えるぐらい不自然な色をしていた。口元は底意地に傾いている。浮かぶのは冷笑。陰険メガネ、という単語がとっさに脳裏に浮かんだ。


「で、何の用?」


 さっさと用件だけ済ませて帰って欲しい。そんな気配が男からにじみ出ている。

 エルスは何を思うでもなく、単刀直入に切り出した。


「ユイの件について、聞きたいことが」

「ユイ……? ああ、ユイ・メルセンヌね」


 眉間に寄せられた皺と声からは厄介そうな気配が駄々漏れだった。さっさと用件済ませて帰ろうとエルスは思う。


「それ報告書にも書いたでしょ。なんで今更聞いてくるの」

「今俺はユイの観察者なんですが、ユイが攻撃をしかけてくる予兆とか知っていたら、教えてもらいたいんです」

「ああ、お前観察者なのね」

「はい」

「そりゃご苦労さま。けど、期待に応えられないそうにないな。なんでユイが攻撃してきたのかぼくにもよくわからないんだから」

「そうですか。何か心当たりとかもないんですか」

「だから特に何もしてないってさ。宮廷法術士見習いのための試験官として一緒に行動して、退屈だろうと思って他の試験官も交えて一緒に遊んでただけさ」


 気だるく答える彼の言葉の中に、ふとした引っ掛かりを覚える。とっさに聞き返していた。


「遊ぶって、具体的に何してたんですか」

「……何? なんか疑ってるの」


 急に、不信の色をむき出しにして彼がエルスをにらむ。

 下手を打たないようエルスが口をつぐんでいると、彼はふっと嘲笑するように薄く笑った。


「君さ、何調べてんだか知らないけど、この件は下手に踏み込まない方がいいと思うよ」

「それはどういう意味ですか?」

「曖昧にぼかされている部分を暴くのは賢明じゃないってこと。じゃないと、後々厄介なものを引きずり出すことになるよ」

「この事件の背後には、何かある、と?」

「さあね。そこまでぼくは言っていない」


 そう言って青年はそれ以上何も話そうとしなかった。エルスも追究しない。追究したところで、目の前の彼が、口を割るとも思えなかった。


「……お話、ありがとうございました」


 エルスが礼を言って立ち去ろうとすると、何の気まぐれか声をかけてくる。


「ああ、そうだ。さっきの話だけど」

「さっき?」

「遊んでただけって言っただろ。あれを、あえて説明するなら」

「なら?」


 青年の顔に歪んだ笑いが浮かんだ。


「ちょっとした好奇心ってやつさ。お前だって、そのぐらいの年齢なら、ぐらいあるだろう?」


 その言葉に、じわじわとまとわりつくような嫌な感じを受け、エルスは部屋を出た。





 証言その二。騒々しい軟派男の場合。


「マジかよ! お前あいつの観察者やってるのかよ!? ぎゃははははっ」


 病室の壁を突き破るような、耳障りな笑い声だった。

 ユイ・メルセンヌの観察者であり、少し聞きたいことがある。そうエルスが申し出た途端、ベッドの上に胡坐をかいた男はげらげらと笑いだした。先ほどとの温度差に脱力したくなる。

 男は人を馬鹿にしたように散々笑った後、笑いすぎて目じりにたまった涙を指の端でぬぐった。

 同情的な目がエルスに向けられる。


「そいつぁ、さぞかし大変だっただろ」

「とても」


 そこは非常に同意できる部分だったので、エルスは真顔でうなずいた。


「だろだろ? なんていうか、あの怯えた感じってイラッとするよなあ。『私は弱いんです、だからいじめないでください』って言ってるみてぇな、あの態度。わかっててやってんのかって言いたくなるよな。同情を引こうとしてるっていうか、そういう風にか弱いんですっていう雰囲気を出せば優しくしてもらえるって思ってるようなあの感じがまたイライラすんのなんのって」

「はあ」


 よくわからず生返事。

 すると、にやりと、男が残忍に笑う。


「けどよ、そういう奴を嬲るのって楽しいよなあ」

「……」


 無言でエルスは瞳を細めた。


「やっだぁ、何言ってんのよ、あんた」


 と、からからと笑い出したのは男のベッドに腰掛けていた短い赤毛の女だった。魅惑的な身体を強調するようなぴったりとした衣服を着た女は、男の胸に手を当てて、べったりとくっついていた。おそらく恋人か何かなのだろう。


「なに、あんたってそういう趣味? だったら、あたしも、怖いー、とか言って隅っこで震えた方があんたも楽しめるわけぇ?」

「ばーか、お前はそういうことしなくていいんだよ」


 男はそう言って女の肩に手を回して抱き寄せる。この面倒くさくて鬱陶しい空気を法術で破壊できないかな。エルスはそんなことを考えた。


「……とりあえず、お話ありがとうございました」

「あれ? もういいわけ?」

「はい」


 そう言ってエルスは退室した。次の部屋に向かう。

 このまま話を続けていれば、口の軽そうな男から事件の内容を具体的に聞き出せただろう。

 が、どうにもこうにもあの男と会話していると、エルスが精神的に疲労する気がした。

 それが一体なぜなのかはわからないが。





 証言その三。真面目エリートの場合。


「ユイの件について」


 そう言った途端、ベッドの隅で震え始めた男を前に、エルスはこれまでとは違って威圧的に斬り込んだ。誓っていうが、八つ当たりではない。


「少々お聞きしたことがあるんですが」

「い、一体何について聞きたいのかな?」


 委縮した彼の声は裏返っていた。その態度は何かしましたと供述しているようなものだ。

 ああもう、これ完全に黒だ。わかってたけど。エルスは内心でげんなりと確信した。

 今まで蓄積した疲労を丸ごと投げ捨てると、エルスは極めて冷静に口を開く。


「二か月前にユイ・メルセンヌ――」

「僕は何もしていない! 何もしていないんだ!」


 男はエルスの声にかぶさるようにして必死に否定してきた。

 追い詰められたような犯人のような彼を前に、ふむ、とエルスは考えた。別のことを言う。


「残りの二人は犯行を認めましたよ」

「えっ?」


 うろたえた。


「真実が白日の下にさらされるのも、時間の問題だと」


 青年はぞっとしたような顔で首を振った。動揺した後、諦めたように遠い目をする。


「そんな……、いや、でも、ああ……そういうことも、ある……か」

「では、あなたも認めるんですね?」

「……ああ。彼女には本当に申し訳ないことをした」


 懺悔でもするように男がうなだれる。


「で、具体的には何したんです?」


 楽に言質を取れると同時に真実に迫ることができそうな気配があった。思わず追求をする。

 すると、男は考えるような間を置いた後、エルスをしばらく見て、急に理性に満ちた顔で疑わしげに聞いてきた。


「……もしかして、君」

「はい?」

「本当は何も知らないとか?」

「実はそうだったり?」


 エルスが真顔であっさり暴露する。

 男は侮辱されたというように顔を真っ赤にさせて。


「出て行け!」


 大音声で怒鳴った。

 ほどなくして、騒ぎを聞きつけてやってきた看護師によってエルスはつまみ出されるような形で部屋から追い出された。


 結局、男たちが具体的にユイに何をしたのかはつかめなかったが、何かをしたという確信は得ることが出来た。それだけで十分だ。


 そうして、医療棟を出たエルスが向かったのは女子寮にあるユイの部屋だった。

 ノックをしてからしばらく待つも返答がない。

 念のため、ひと声かけてからエルスはゆっくりと扉を開き、中に入った。

 小ぢんまりとした狭い部屋を見れば、ユイはベッドの上で丸まって寝ているようだった。向かいの勉強用机の上には今朝エルスが置いていった課題が置いてある。中身を確認すると、終わっているようだった。

 エルスは架空の赤ペンで課題の答えにチェックをいれていく――ほぼ満点だった。

 と、不意に。

 すん、とユイが鼻を鳴らす音が聞こえた。


「……ユイ、いやだって言ったんだ」


 振り返る。

 ユイは目を閉じたまま眠っている。どうやら寝言らしい。よく見れば、泣きはらしたユイの目の下は赤く腫れていた。

 ユイは夢の中で泣きながら誰かに訴えかけているらしい。胸がつまるような、掠れて消えてしまうほど小さな悲鳴だった。


「やめてって、いやだって、でも誰もやめてくれなかったんだぁ……」


 アレクセイの言葉が脳裏を横切る。


 ――あの子は、それ以外の方法でユイを守る方法を知らないんだ。


 ユイの悲痛な声を聞きながら、エルスはそっと部屋から出た。

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