夢の正体
【幸恵】
「どうかされました?」
立ち上がって幸恵が書き終えた小説のエンディングを確認する。主人公は最後、バイクにまたがり、愛する人と失踪してしまうという結末だった……
【宣篤】
「どうして、兄貴の名前が……」
【幸恵】
「お兄様の……はっ……」
兄貴の名前は苗字までしっかりと記されており、彼が夢だけど夢じゃないと語っていた不思議な現象が、ここに文章として書かれている。
しかし、幸恵が俺の兄貴の名前など知るはずはないのだ……
単なる偶然に過ぎない。茫然と口を開きながら幸恵を向いたとき、全身の力が抜けたように倒れ込んできた。
【宣篤】
「おい! しっかりしろ!! 幸恵! 幸恵!!」
だが、俺の声は届いていないらしく、揺らしても反応を示さない。
【宣篤】
「くっ……こんな時に……」
幸恵が眠りに就くと必ず意識が朦朧とする。
気を失った場合も例外ではないらしく、目の前の景色が霞んでいく。
【宣篤】
「ゆ……幸恵! お、起きて……笑って……」
途端に吹き荒れた強い風が、轟音を響かせながら俺を吹き飛ばした。
瞬間、バラの垣根が扉のように開き、庭園の外の暗闇へと体が落ちていく。
【宣篤】
「――!!」
言葉にならない大声をあげながら、入り組んだ樹木の中……しかし、落ちていったかと思えば、横に引っ張られてはまたそこへ転がり落ちていく。
無重力空間を漂うがごとく、体はあちらこちらへ投げ出されるが、とっさの思いで木の枝を掴んだ。
【宣篤】
「はぁ……はぁ……」
おそらくはあそこが庭園だろう。枝の間を通して遥か遠くに六等星のようなわずかな光がこぼれている。
【幸恵】
「お母さま……どうして!
どうして私を置いて逝って……」
暗闇の木の葉からわずかにこぼれる声に目を向けると、そこには机に向かいペンを片手に涙する彼女の姿が。
【宣篤】
「幸恵! 幸恵!!」
【幸恵】
「帰る場所がありませんのね……そう……その通りです……」
頭上から声が聞こえ、入り組んだ枝をよじ登りながら、木の葉を目にする。
【幸恵】
「あら? いつの間にか眠っていたようです?
これは……なんでしょう」
庭園の入り口に佇む幸恵が落ちているペンに触れたと同時に、垣根が動き回り、四方八方をふさいでしまう。
【宣篤】
「これは……」
幸恵がここで経験した数々の場面が、あちらこちらに散らばっている。真実を知るべくその声を追いながら、はるか遠くの輝きへと昇っていく。
【幸恵】
「どうしてでしょう……
ここに来て欲しくはありませんの……
ですが、どこかで心待ちにしている私がいる……」
【幸恵】
「うぅ……ぐすっ……そう、私は一人きりです……
あの人のために……」
【幸恵】
「夢の中には何も存在しませんの……
でも、私はそれでいい……」
【幸恵】
「この孤独を……大切な人にだけは……
絶対に……宣篤様にだけは」
【幸恵】
「うふふっ……うふふふふっ……
これはすべて夢です……
私はどこへも行けませんの……」
【宣篤】
「幸恵! 今いくぞ!!」
【幸恵】
「私は……なんてことを……まさか、あの人を……」
付近の葉に映し出されているのは今現在の庭園の様子。止めようと手を伸ばすが入り組んだ樹木が邪魔をして届かない。
手が届いたところで止められるはずはないのに……それでも手を伸ばす。しかし、指先すら触れる気配はない。
【宣篤】
「違う! 違う!! 君は悪くないんだ!!」
【幸恵】
「ほんのお遊びで苗字を拝借しただけですのに……
偶然?」
【宣篤】
「そうだ! ただの偶然だ!!
自分を責めなくていいんだ!!」
【幸恵】
「いいえ……これは罰なんです……
あの人と恋に落ちたばかりに」
【宣篤】
「そんな事言うな! 違う!! 聞いてくれ幸恵!!」
【幸恵】
「私は……存在してはいけないんです……
愛する者から憎まれ……消えるべきなんです」
へたり込んでいた幸恵は何か決心したかのように立ち上がり、机へと向かっていく。やがて、胸ポケットからペンを取り出すと、原稿用紙の一枚を取り出した。
【宣篤】
「やめろ! 待て、やめるんだ!!」
【幸恵】
「宣篤様……申し訳――」
【宣篤】
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
先ほどまで幸恵の姿が映されていた木の葉を睨み、自暴自棄になって幹を殴りつけ頭突きを繰り返した。
しかし、空しい音がこだまするだけで何もない。
【宣篤】
「何故だ! 彼女が何したっていうんだ!!」
幸恵は母親を失い悲しみに暮れていた。そこで夢の中に居場所を求めただけだ。
それなのに何故、幸恵が傷つかなければならない?
どうして幸恵が悲しまなければならない?
俺を愛したからか? 俺が愛したからか?
愛する人の家族を奪ったからか……?
【宣篤】
「……どうして? どうして兄貴が失踪したんだ?」
彼女は俺の苗字を取って、主人公を構築しただけ。ファーストネームが偶然合致した。
全国に同姓同名がいるとして、兄貴だけ失踪した。作品の人物に酷似していたからだ……
【宣篤】
「いや、偶然なのか……」
兄貴が失踪したのはつい最近の話。ここから出られない幸恵は知る由もない。
時間が……存在しない……
【宣篤】
「そうか……そうなのか……?」
だとすれば、そのペン先に!
【宣篤】
「幸恵……今、行くぞ!!」
上へ上へ、六等星のごとく遥か遠くで小さく輝く光を目指し、枝をかけて登るたび、彼女の声が……
ここにはなにも残らない……だけど……
悲しみばかりじゃない! 少なくとも俺と幸恵の愛の中に時間は存在していた!!
【幸恵】
「♪~~~♪~~~~」
【宣篤】
「今いくぞ! もっと上に!!」
落ちたり登ったり宇宙の暗を漂うような感覚の中、俺はとにかく上り続ける。
【幸恵】
「どうしてですの?」
【宣篤】
「広い宇宙(そら)の中で、人は時々迷うからだ!
夢なんだよ!!」
【幸恵】
「あら? それは何ですの?」
【宣篤】
「辿り着く場所なんかじゃないんだ!」
【幸恵】
「どこなんでしょうね? 私にもわかりません」
【宣篤】
「そりゃそうだ! あるんだよ!!
ないけどあるんだ!!」
【幸恵】
「えぇ……ありません……」
【宣篤】
「俺にもない……幸恵にもない……
一人だけでもダメ……だけど、あるんだよ!」
ここが夢の中ならばと力を振り絞り強く飛び上がると、光の中へ飛び込んだ。
【宣篤】
「はぁ……はぁ……」
ようやくたどり着いた彼女の庭園は今は開かれ、机と原稿用紙はそのまま残っている。物思いにふけりながら歩み寄り、用紙の上に寝転がっているペンを手にした。
始めの一行目に幸恵の名前だけが記され、句点で閉じられている。彼女を思いながら、俺はその次の行に黙々と拙い文章で物語を書き加えていく。長い長い物語を。
どれほどの時間が経過しただろうか? もう覚えていないが、慣れないながらもやはりペンの握り心地がよく、疲れることなく最後の行へと至る。
この物語は続いていく。阿部宣篤という少年とともにその手で……
やがて、一陣の強い風と共に、真っ白い光が降り注ぎ、体と意識が溶け込んで霧散してゆく。
そうだ……これでいい……これでいいんだ……
虹色の輝きが渦巻く空間を漂いながら、灰色の部分に目を向ける。
【宣篤】
「あのバイク……」
俺が向かう先と同じ方へ海岸線を疾走するライダーの姿を目撃する。そのマシン、そのジャケット、二人が着用しているそのヘルメット……
【宣篤】
「兄貴は……走り続けてるのか……」
彼は視線に気が付いたのかピースサインを掲げ、パッセンジャーシートに腰かけていた女性も同じように挨拶をした。
俺がピースサインを返すと彼は親指を立て、加速して過ぎ去っていく。
追いかけようとするが追いつけず、それどころか前に進めない。
俺は……一人なのか……?
輝きの中に漂う甘い香りが俺を優しく包み込み、幸恵の姿を思い出す。
いる……
そこに、彼女がいる……
幸恵がいるんだ!
【幸恵】
「さぁ、手を……」
穏やかな声色に安らぎを覚え眠るかのごとく瞼を閉じると、白く細い指へと手を伸ばし……
俺と幸恵はギュッと結び合った。
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