夢へと墜ちる
不思議な夢から数週間ほどが経過して、俺はまた現実から逃れるべくバイクにまたがり夜の道を走り抜けた。
深夜にも関わらず人通りの多い町を抜け出し、我が物顔で轟音を立てるトレーラーやトラックを追い越し、幹線道路に満ちる風を切り裂き……
【幸恵】
「あら、またいらしてくれたんですね?
やはり、私と宣篤様は、
運命の赤い糸で結ばれているようです!!」
【幸恵】
「うふふっ……うふふふふっ……」
その赤色は血によって染まったんじゃないだろうか?
イスに腰かけ机に向かう彼女は、前と同じように黒く濁った奇妙な瞳で、俺の心臓を鷲掴みにした。
しかし、天高くに輝く太陽と瓜二つの眩しい笑顔は、見ていると嬉しい気持ちが止まらなかった。
【宣篤】
「また会えてうれしいよ……
前はここに来られなかった」
【幸恵】
「あら、そうだったんですか? どうしてでしょう……」
【宣篤】
「わからないな……公園で眠ったんだが……
なにかタイミングがあるらしいな……
もしかして、幸恵が眠っているとかかな?」
【幸恵】
「もしかしたら、そうかもしれませんね……
宣篤様のお膝で眠らせていただいた後、
お姿を見かけなくなって……
【幸恵】
「もう、いらっしゃらないのかと思いました……」
頬を赤く染めながら照れくさそうにチラリチラリと、邪悪でドス黒い瞳で俺を窺った。
しかし、どうしてかその視線に安心する……彼女の表情もまた可愛らしくてドキドキさせられっぱなしだ。
【幸恵】
「ですが……やはり、私の元へ戻ってきてくれて、
うふふっ……ありがとうございます……
私と宣篤様の運命は一つですね?」
あまりに積極的な発言に、恐怖さえ覚えてしまう。
【宣篤】
「それで……熱心に机に向かっているけど、
なにをしているんだ?」
歩み寄って机の上を覗き見ると、そこには数枚の原稿用紙が静かに横たわっていた。
【幸恵】
「あら……見られてしまいましたか……実は私、小説を書いているんです!」
彼女の手にしているペンがキラリと太陽の光を反射させる。
【宣篤】
「今時、手書きなのか?」
【幸恵】
「えぇ、パソコンはさすがに出せませんでした。
けど、この不思議なペンがあれば、
なにも問題はないんですよ」
【宣篤】
「不思議なペン?」
【幸恵】
「えぇ、普通は直筆で書いていると、
手が疲れてしまうのですが……
このペンはずっと書いていられるんです」
【宣篤】
「ずっと?」
【幸恵】
「えぇ、インク切れも起こしませんし、
私が休憩しようと思わない限り、ずっと……」
【宣篤】
「作家にとっては理想的かもしれないな。
そんなペンが世の中に普及していたら、
もう少し集中して授業やテストが受けられそうだ」
俺の言葉に何も反応せず、彼女は黒い瞳でニッコリと微笑むばかり。
【宣篤】
「どうしたんだ?」
【幸恵】
「いえ、宣篤様はやはり面白いお方ですね?
うふふっ……うふふふふっ……」
その時、彼女の背後にあったバラのつぼみが開くとともに二つの花が咲いた。
【宣篤】
「面白い? そんな事言われるのは初めてだ」
【幸恵】
「ほら、やっぱりそうです……
いつでも落ち着き払った表情で、はしゃぐ事もなく、
ただただ冷静で……私と同じ齢にも関わらず……」
ペンを手にしたまま立ち上がると、彼女は俺の顔にずいっとその笑みを近づけた。
瞼のわずかな隙間から覗く混沌が、強大な威圧感を発している。
天高く輝いていた太陽もまた分厚い雲に遮られ、影を潜めた。
沈黙の中にこだまする一陣の風の音……しかし、忍び歩きでもするかのようにあまりに静かに逃げていく。
【幸恵】
「宣篤様がずっと……いてくださればいいのに……」
薄明るい空の下、何も言わない静かで黒い雰囲気の微笑があるのみ……
【宣篤】
「……」
彼女は俺の耳元に桃色の唇を寄せると静かに囁いた。
【幸恵】
「ここで命を落としたら……どうなるんでしょうね?」
【宣篤】
「……体がここに残っても、
魂まではそばにいられないと思う……」
ニヤリと笑うと彼女は俺の額にキスをした。
【幸恵】
「ちゅっ……やっぱり、私の見込んだお方です……
宣篤様は大人っぽいですね」
唇の感触は不思議と冷たくて……もっと、ドキドキすると思っていたのに……
【宣篤】
「幸恵はどうして小説を書こうと思ったんだ?」
彼女が再びイスに座ると、もう一つイスを用意し俺は腰を下ろした。
【幸恵】
「私は小さい頃からよく本を読んでいましたから。
空想する事も多かったですし、
この機会に書き始めようと思ったんです」
【幸恵】
「ここには道具もありますし、時間はありません。
友人や家族、労働や勉学に縛られたりもしませんから」
彼女の言葉の真相が気になり、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
が、電源が切れているだけではなく、スイッチを押しても反応がなかった。
腕に巻かれている腕時計も、まるで壊れたかのようにピクリとも秒針が動こうとはしない。
【宣篤】
「時間が、存在しない……
時間に縛られる物はすべて否定されるのか……」
【宣篤】
「……やっぱり、出たいとは思わないのか?」
【幸恵】
「どうしてですか?」
【宣篤】
「いや、聞き方が悪かったかな?
幸恵だって元からここにいたわけじゃないだろ?
家族とか友達とかそういうのが――」
【幸恵】
「いません!」
【宣篤】
「……」
あまりに凄まじい語調に気圧されて言葉が出てこなかった。
【幸恵】
「家族なんていません……
友達も必要と思っていません……」
まるで憎しみでも抱えるかのような声色を発しながら俺に背を向ける。
聞いてはいけない事を尋ねてしまったらしい。
【宣篤】
「そうか……ごめん……」
【幸恵】
「私には宣篤様だけです……
当然、宣篤様には私だけ……
宣篤様は私だけのもの……」
【幸恵】
「ですから、宣篤様はがここに来てくださるだけで、
幸せです……うふふっ……うふふふふっ……」
振り返るといつものように明るい笑みを見せた。が、どこか悲痛な色を孕んでいるその瞳を直視できない。
【宣篤】
「幸恵は、どんな本が好きなんだ?」
彼女の反応を見るにこれ以上は質問しない方がいいと判断し、ついついお茶を濁す感じになる。彼女の傍らに置かれているお茶はすでに濁っているが!
【幸恵】
「経済書や数学書以外なら好きですよ?
ミステリーもファンタジーも歴史書も読みます。
宣篤様はあまり本を読まれないのですか?」
【宣篤】
「昔から活字とは縁遠い存在だ。
でも、ちょっと興味が出てきたかな?
こんな俺でも読めそうなおすすめは?」
【幸恵】
「それなら、ちょうどいい物がここにあります」
そう言って彼女が引き出しから取り出したのは、幼い頃に読んだ物語だった。
【宣篤】
「マグレガーと転生したウサギ……
たしかにこれなら、俺にも読めそうだな……」
用意されたのが児童書とはバカにされたもんだ……
まぁ、良かれと思って彼女がおすすめしてくれたので、余計な事は突っ込まないでおこう。
【幸恵】
「あら、それなら読んでくださいますか?」
彼女は立ち上がるとベンチに腰を下ろし、隣に座るよう合図した。
【宣篤】
「えぇ~っと、つまりは読み聞かせろと?」
【幸恵】
「私、この本が今でも一番好きなんです!
最後にタヌキがおぼれて死ぬところが!!」
【宣篤】
「イヌ科だからタヌキもアウトなのか……」
たしか、農場を守るという大義名分の元に、悪役の狸が溺れるシーンもあったっけ……
今更だけど、児童書って結構無茶苦茶な話多いな……
【宣篤】
「そ、それじゃあ……昔々――」
【幸恵】
「すぅ~すぅ~」
【宣篤】
「相変わらず寝るのが早いな……
眠ってるときはこんなに可愛いのにな……」
無邪気で可愛らしい寝顔を眺めながら、先ほどの彼女との会話を思い出す。
彼女はきっと家族に関係する不幸な事があって、ここへ来たのだろう。
そうして、完全に心を閉ざした状態にあるようだ。
俺はどうしたらいい?
彼女のために何がしてあげられる?
俺は……彼女を連れ出したい。
遊園地や水族館、プラネタリウムとか、とにかくここ以外の色々な場所に行って笑い合いたい……
でも、出してあげるのが彼女の幸せにつながるのか?
もしかしたら俺も……彼女と一緒に、ここにいる方が、いいのかもしれない……
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