実体脳内会議―Myself―
白木 咲夏
エピソード
見慣れた母校の図書室で、彼女―「咲夏」は目を覚ました。
しかし身体を起こし、立ち上がったあたりで、ひとつの異変に気づき、一瞬狼狽する。
というのも、一人ぼっちで机に座り、黙々と本のページを捲っていたのは、いつもそこに居るはずの、「咲夏」が生み出した少女ではなく、ここの制服を着た少女だったからだ。
彼女の狼狽の理由のひとつは、自分が「本当の」母校の図書室にて、目を覚ましたと勘違いしたせいである。
そしてもうひとつは―
「私……?」
―そう、目の前の読書する学生は、自分と瓜二つの顔をしていた。
この少女―呼び分けのために「白木」としておこう―をに対して、この時彼女が考えたことを彼女風に書き表せば、以下のようになる。
―垢抜けない制服の方が、このしけた面にはお似合いだな、なんて思ってしまった。
それでも人間、笑えばもう少しマシなものだが、あいにく笑った顔はまだ見たことがない。
本当に、ここまで暗い顔ができるのはある意味才能だと思う。―
とにかく、自分だと思えば、得体の知れなさからくる不安は少し軽減される。
加えて、「咲夏」は比較的気さくな少女だ。
「ねえ」
彼女は「白木」とコミュニケーションを取ろうと試み始めた。
本から視線を外した相手は、先程の「咲夏」同様、一瞬目を白黒させる。
当然の反応だ。
誰だって、自分と瓜二つの人間を見たら、驚かずにはいられない。
「びっくりするよね、私もそうだもん」
「咲夏」は肩をすくめてみせる。
「…………だれ、ですか」
まだ動揺や不信感が抜けきらず、やっと絞りだしたような声だった。
「誰って……まーそりゃ信じらんないわな、咲夏だよ。君と同じ」
なんなら学生証見る?とポケットのパスケースからそれを取り出し、机の上に置く。
「写り死ぬほど悪いからあんまり好きじゃないけど……」
「……私?」
相手はようやく「半信半疑」の状態にまでこぎつけたらしかった。
「そう、「私」。でもなんかアレだね、もしかして中学生?」
「咲夏」はここで「白木」の向かい側の席に座った。
「……分かんない、もう五年ぐらいちゃんと行けてない」
返答は少しぼやかしたものだったが、「咲夏」にはその意味がちゃんと分かる。
「白木」が「行けてない」と言った場所はまさしく「学校」となるのだが、こればかりは同じ自分でも分からない、と「咲夏」が思う箇所がひとつあった。
「ちょっと待ってね、“五年ぐらい”……?」
そう、計算が合わないのだ。
彼女が仮に中学三年生とするならば、小学五年生から不登校気味になっていたことになる。
しかし当時の自分は転校先で良き友人を見つけ、毎日楽しく遊んでいたはずだ。
計算が合うとすれば彼女も高校三年生なのだが、中学時代の制服を着ているのはどうも不可解だし、何より高校三年生の自分はここに居る。制服も高校のものだ。
このような「咲夏」の思考に〈目の前の少女は自分が得たつらい経験の象徴的存在で、中学の制服を着ているのも「つらい経験の始まり」がその時期だから。
なおかつその経験をした自分が支えとした趣味や人、思想がなかった状態の自分〉という天啓めいたものが降りてくるのは、彼女が数分間頭を悩ませた後だった。
「……なるほど、整理ついたわ」
「咲夏」は「白木」に呼びかけたつもりだったのだが、あいにく本に夢中なのか、それとも意図的な無視か、どちらにせよ応答はなかった。
「ね、なんか話そうよ、なかなか自分と話すなんてこんな機会ないじゃん」
読書する姿だけを見て十分、次の本を取りに行こうとした「白木」に、「咲夏」はしびれを切らしてそう声をかけた。
「……なんかって」
相手は本棚の前で振り返る。
「うーん、そうだな、例えば好きな食べ物とか」
「……だいたい同じだと思うけど。自分だし」
「咲夏」は努めて明るく提案したつもりだったのだが、「白木」はけんもほろろである。
ちなみに、彼女の応答に少しの間が生まれるのは、彼女の思考スピードが精神状態の悪さから低下しているせいだが、「咲夏」はそれを知る由もない―というよりは、その過去が記憶にない―から、単に〈自分はこんなに喋るのが遅い人間だっただろうか?〉という疑問点にしか感じられていなかった。
「……じゃあ好きな音楽!」
言った後で、これも同じ結果が予想されることに「咲夏」は気づく。
「……ない。聴く気力がない」
返答こそ違ったが、望んだものでないことには変わらなかった。
同じ自分なのに、どうしてこうも打ち解けにくいのかと「咲夏」は苦しむ。
自分と共通点があるということは、たいていの場合人付き合いにおいて良いことなのだが、今はそれが仇となっている状況だった。
「うーーーん、じゃあさっき読んでた本にしよう、何だっけ」
悩み抜いてようやく話題の種を提供すると、「白木」は大儀そうに立ち上がり、本棚の前にしゃがみ込んで手招きした。
彼女が自分に反応して、自分の望む方向へ行動してくれるのは初めてなので、「咲夏」は手応えを感じ始める。
あわよくばここから話が弾めばいい、そう思った。
「……これ」
「ん……?あー、お菓子作りの本ね、いいよね」
「咲夏」は精一杯明るい笑顔を作ってみせる。
こうすれば、ある程度の人はつられて笑ってくれたりするのだが、「白木」はそうもいかなかった。
ただ能面のような顔が、そこにあるだけである。
「あーっ待って」
本をしまわれそうになり、「咲夏」は慌てて声を上げる。
「白木」は耳の近くでそれなりのボリュームを出されたせいで、あからさまに迷惑そうな顔をした。
「それ、その本でさ、いいなーって思ったスイーツ、なんかない?」
訊ねると、「白木」はややあってゆっくりとページを捲り始めた。
「……これ」
「咲夏」が覗き込むと、それは大きなドーナツ型で作られたゼリーだった。
「わっ、綺麗だねぇ」
それはペパーミントリキュールで緑色に着色されており、中にはフルーツやマシュマロが閉じ込められている。
中でも目を引いたのは、固める際、型の内側に貼り付けたであろう、厚めに剥いたりんごの皮を、魚の形に抜いたものだ。
「このりんごの魚、泳いでるみたいに見えて面白い」
「咲夏」が感想を漏らすと、「白木」は控えめながら頷いた。
「他、ほかない?面白いよこれ」
少しでも「白木」とコミュニケーションが成立したことが嬉しくて、「咲夏」はそう要求する。
「白木」も、自分の好きなものに興味を持ってもらえるのは少し嬉しかったとみえて、別の本を取り出し、またゆっくりとページを捲った。
そこから「咲夏」は必死に努力し、三十分の会話に成功した。
余談だが、そこまでに出てきたスイーツは、クッキー、プリン、キャラメル、チョコレート、マカロン、クグロフ型ホールケーキ、円形ホールケーキ、ロールケーキ、テリーヌなど、これがスイーツバイキングであれば間違いなく胃もたれを起こしていたであろう、山のような品目だった。
後半になると、このスイーツのどこが素晴らしいかについてを、「白木」自身から解説してくれるようになっただけでも努力したかいがあるなと、「咲夏」は思う。
そして、収穫もあった。
「白木」は理由こそ違えど、自分と同じくかなりの甘党であるという、話のきっかけになるような材料を、「咲夏」はひとつ手に入れたのだ。
ちなみに甘党の理由はといえば、「咲夏」が〈美味しいから〉。
「白木」が〈食べるとつらさや悲しみが和らいで少し落ち着くから〉。
「咲夏」はその理由に、少し病的なものを感じずにはいられなかったが、それを口にして会話が途切れては困るので、そっと言葉を飲み込んだ。
そうして「咲夏」が時計を見ると、暗くなる前に帰宅するにはギリギリの時間帯になっているのに気づいた。
「ヤバっ……ねえ、私そろそろ帰るね。
楽しかったから、また話そ」
〈楽しかった〉というのは、実のところ半分お世辞だったのだが、それでも労力に対して、僅かでもレスポンスがあったことには、「咲夏」は満足していた。
これが〈楽しさ〉の二割なら、あとはさまざまなスイーツの写真を眺めることができたのが三割である。
とにかく「咲夏」がそう笑い掛けると、「白木」は大して興味もなさそうに頷いた。
「じゃあね、バイバイ!」
まるで認知症の老婆にするように、わざわざ近くまで行って再度別れを告げると、「白木」は控えめに手を振った。
「白木」としては、声を出すのが面倒だったからジェスチャーて返しただけだったのだが、「咲夏」は〈こんな子供じみた応え方もするんだ〉と新たな一面を見た気になって、少し気分を高揚させながら、図書室のドアをガラガラと閉めたのだった。
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