鬼、物ノ怪、滅び
女は、鬼の血を引く娘でした。
鬼と人の間に産まれた父が、山奥に迷い込んできた母と成した子です。
その赤子には、父のような角こそ生えていませんでしたが、その雪のような髪の色は、物の怪やあやかしを統べる、位の高い鬼の印でした。
女の父は、妻である母をなにより愛しておりました。
母も父を慕っており、ささやかながらも睦まじい夫婦であったのです。
そんな二人の間に産まれた娘も同じように、父は愛い子だと言っては娘の頭を撫で、母も、鬼の血を引かぬゆえに短い、人の生の終わりまで、娘にたいそう目をかけ、慈しみました。
そんなふうに二人から愛を知った娘は、父母の願った通りに気立てのよい、美しい女に育ちました。
女が老いた父と二人、いつか母のなきがらを弔って植えた花に、手を合わせていた時のことです。
父が、しわがれた声で女に語りかけました。
自分の命が果て、どうしても心細くなったのであれば、お天道様の昇られる方へ旅をしなさい。
そうすれば、きっと心安らぐような人や場所に出会えるだろうと。
そして、お前のかかさまも同じように旅をしてきて、お前を産んだのだとも聞かせてくれたのです。
女は、そんな旅など一生せずにいられたらいいと思いました。
旅の始まりは、父との別れでもあるのです。
しかし時は非情なり、とうとう父は、母のもとへと逝ってしまったのです。
女は悲しみに声をあげながら、父のなきがらを母のそばに横たえ、遠い昔に父が母にしていたように、柔らかな土をそっとかけました。
固く目を閉じた父を見ていると、両の指では足りないほどの思い出がよみがえってくるのです。
女の頬をつたう涙はやまず、土をかけ終わって花を植えるまで、ついには三日三晩かかってしまったのでした。
寂しさと悲しさに堪え、植えた花が咲くまでを見届けた女は、急かされるように旅の支度を始めました。
父母の花に手を合わせ、ただただ歩きます。
お天道様の昇られる方へ、明るい方へ。
わびしさを歩みにしたような旅のさなか、山を歩く女は、坂の下に母が好いていた花を見つけました。
寄って見たいと思った女は、転げてしまわぬよう、そろそろと坂を下ります。
しかしその足は、くぼみに落ちて赤く腫れてしまいました。
そうして痛みをかかえ、休むところを求めさまようなかで、男と出逢ったのです。
神様に願いを捧げた次の朝、女はまさしく祈るような気持ちで、男と顔を合わせました。
男は女をみとめると、嗚呼と声を落とし、お早うと挨拶をして、女の名を呼んだのです。
心に花が舞ったようでした。
嬉しさあまって泣きだした女に少し驚きながらも、男はその頭を愛おしそうに抱いてやります。
その時小さな黒い影が、男の後ろを駆けていったことに、喜ぶ二人は気づかなかったのでした。
その日、幸せに眠った二人は、夜分遅くに地響きで目を覚ましました。
目の前に、黒いもやを無理矢理固めたような物の怪が蠢いていたのです。
大入道ほどはありましょうか、その物の怪は、なんとも耳障りで奇っ怪な声で喚くと、神に祈り、命乞いをする二人のことなど見えていないように、家ごと飲みこみ、そのまま里のほうへと下りていってしまいました。
突として、見たこともないような物の怪が襲ってきた村人たちは、慌てふためきました。
怯えて逃げまどう者もあり、討伐しようとして敗れる者もありました。
男も女も、子供も年寄りも、犬もねずみも、家や蔵まであまたのものを飲み込んでいった物の怪でしたが、そんなことがしたいわけではなかったのです。
物の怪は初め、清らかで強い想いのこもった花の香でした。
ですからもの覚えの神様に届いた時、どの願いよりも先に叶えられるはずだったのです。
しかし、神様は鋭いお方でした。
そこに薄く混ざる、穢らわしい鬼のにおいを逃さなかったのです。
鬼の血を嫌っているもの覚えの神様は、ひどく気を悪くされました。
そうして神様は女を探しだし、女のいっとう大切な思い出を持ち去ります。
それだけで済めばよかったのですが、折悪しく、女の強い想いはそれに引き寄せられてしまいました。
女の想いが持った鬼の力は、強くなれば時として物の怪を生んでしまうことがあります。
それはあまり害のないものであることが多いのですが、またひとつよからぬものが物の怪に力を貸してしまいました。
次に吸い取られたのは、あのもの覚えの神様の怒りだったのです。
怒りは、あらゆるものをねじ曲げてしまいます。
それは害のない、哀しき物の怪も他ではありませんでした。
物の怪は、女の母を己の母だと思いこみ、あまつさえ女の持っていた、男に忘れられたくないという想いさえ、己が母に忘れられた怒りとして、悪しき力に変えてしまいました。
こうして神様の元から去った物の怪は、世をさまようことになったのです。
もうそこに生きることのない、女の母を探して。
すべてを飲み込んでしまった物の怪は、何もなくなった地の果てをさまよいました。
そうしてある時、神様さえも見えぬような場所で、とうとう力尽きてしまったのです。
永い眠りについた物の怪が目を覚まし、栄えた人びとの前に現れるのは、まだまだ遠い先のお話となるでしょう。
勿忘ノ物ノ怪 白木 咲夏 @Saika-Shiraki
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