第31話 彼女の代わり


 1




 チク、タク、チク、タク。


 時計の針が静かに部屋に響いて、セシリアは暗い部屋の中でのそりと上体を起こした。隣のベッドに目を向けるが、そこに居るはずの彼の姿は未だどこにも無い。



(……まだ、帰ってきてない……)



 ぐ、と毛布を握り締める。


 時刻は三時。食堂からメリールージュと共に出て行ったトキは、結局あのまま一度も戻って来ていなかった。セシリアはあの後すぐに部屋へと戻り、早く寝てしまおうとベッドに潜り込んだのだが、久しぶりの柔らかい布団の中だというのになかなか寝付くことが出来ず、気が付けばこんな時間で。


 二人で食堂を出て行く後ろ姿が何度も頭の中で繰り返されては、胸の奥が黒い感情で埋め尽くされてしまう。



 ──飲み直さないか? 二人で。



 彼がそう言った時、セシリアはにわかにその発言が信じられなかった。彼は基本的に人と関わる事を嫌う。共に旅をしているセシリアでさえも、必要以上に一緒に行動することは許されていない。

 今日だって、「飯に行く」と先に出て行った彼をセシリアが後から追いかけて行っただけである。向こうから「飯に行こう」と誘われた事など一度もない。


 そんな彼が、二人で飲み直さないか、なんて。そんな台詞を会ったばかりの人に吐くなんて事が、信じられなかった。否、認めたくなかった。



(……私、心のどこかで、自分が一番トキさんの近くにいるって思ってたのかな……)



 きゅ、と唇を噛み締める。思い上がりにも程があるよね、とセシリアは乾いた笑みをこぼした。


 きっと彼にとって、自分は本当に『光属性の体液を摂取するためにしょうがなく一緒に居る』だけの存在なのだ。それをまざまざと見せ付けられたようだった。

 去り際にウインクを放ち、彼の腕に絡み付くメリールージュの後ろ姿が脳裏を過ぎる。にっこりと微笑んだ彼女の美しい容姿が、抜群のスタイルが、自分のそれとは比べ物にもならなくて。



(……今頃二人で、何してるんだろう……)



 そう考えて──やめた。こんな時間まで帰ってこないのだ。年頃の男女が二人きりで酒を酌み交わして、最後にどうなるのかぐらいは無知な彼女でも理解出来る。


 彼は『誰とでも出来る』のだ。だから、きっと、今頃──。



「……っ」



 胸が強い痛みを放ち、ぼす、とセシリアは毛布に顔を埋めた。モヤモヤと、黒く汚い感情が胸の中に蔓延る。


 ああ、嫌だ。


 嫌だ──。



 ──ガチャ。



「……!」



 不意に扉が開き、セシリアはハッと顔を上げた。そこからふらりと部屋に入ってきたトキの虚ろな目と視線が交わり、セシリアは息を飲む。



「……っ」


「……あ……?」



 トキは訝しげに目を細め、随分と酒を飲んだのか普段よりも低い掠れ声をぼそりと紡いだ。彼は暗闇の中で膝を抱えているセシリアの姿を暫し眺め、やがて小さく息を吐き出す。



「……何だ、アンタ……まだ、起きてたのか……」


「……」



 ふらふらと覚束無い足取りで歩く彼からは、酒の匂いと強い香水の香りが漂っていた。その香水が誰の物なのか即座に察してしまい、再びセシリアの表情が曇る。



「……」



 黙ったまま、セシリアはトキから目を逸らした。トキは乱雑にストールを剥ぎ取り、その場に投げ捨てると深く息を吐き出してシャワールームへと消えて行く。


 パタン、と音を立ててシャワールームの扉が閉められた後、サッと流れる水の音が耳に届いた。部屋に残されたのは、彼女の香水の残り香だけ。



「……」



 セシリアは唇を噛み、ぼすん!と毛布を被って身を縮こまらせた。

 黒い、醜い、得体の知れない感情が胸に満ちて行く。気を抜けば泣いてしまいそうなほどに熱くなる目元をゴシゴシと擦り、彼女はぎゅっと瞼を閉じた。


 もう、何も見たくない。早く寝てしまおう。


 彼が今まで何をしていたのかも、メリールージュの香水が何故こんなに残っているのかも、何も考えないようにして。


 セシリアは固く目を閉じ、シャワーの流れる水音を聴きながら、意識をゆっくりと暗い闇の中へ沈めて行った──。




 2




 ──ギシリ。


 ベッドの軋む音が、微睡んでいた意識の中に微かに届く。次いで感じたのは酒の匂いと、息苦しさ。それから、お腹付近にずしりと重みを感じて。



(……え……)



 ひたりと、冷たい雫が頬にかかる。セシリアは朧気な意識の中でゆっくりと瞼を持ち上げ、ぼんやりと霞む視界の中で揺れる薄紫色をじっと見つめた。──ああ、彼の瞳だ、とすぐに理解する。しかし、やたらと距離が近くはないだろうか。


 そう思った瞬間、ぬるりと熱い何かが、口内に侵入して来て。



「……、ん、ぅ……!?」



 は、と目を見開き、セシリアの意識が瞬時に覚醒する。ようやく鮮明になった彼女の視界一杯に、トキの端正な顔が映っていた。

 風呂上がりなのか髪は濡れたままで、上半身には何も纏っていない。重ねられた唇から漏れる吐息には酒の匂いが混じっていて、一体何が起こっているのかとセシリアは困惑するばかりだった。



「……っは、ぁ……!? トキ、さ……っ」



 懸命に身をよじり、唇が離れた瞬間に制止を求めて名前を呼ぶが、またすぐに塞がれてしまう。口内に侵入した長い舌はぬるりと歯列をなぞり、ぞく、とセシリアの肌が粟立った。



「……ん、……っふ……」


「……はあ……、セシリア……」


「……っ」


「……セシリア……」



 唇を啄みながら、掠れた声が何度も彼女の名前を紡ぐ。その度にセシリアの胸がきゅっと締め付けられて、彼女は戸惑いがちに視線を泳がせた。



(……何……、何で、そんな……)



 ──切なそうに、名前を呼ぶの……?


 尋ねたくとも、唇は塞がれており声を発する事すら出来ない。一体いつまで口付けを交わすつもりなのか、押し倒すような形で抱き込まれた体は解放される気配も無くて。



「……ふ、ぅ……っ、待っ、て……トキ、さん……っ」



 制止を呼びかけ、熱い胸を押し返しても一向に唇を離してくれない。このまま熱に溶かされて窒息してしまうのでは、と感じるほどに長い口付けだった。

 ふと思い返してみれば、ここ数日のクスリのやり取りはやけに短かったり、素っ気なかったり、かなり淡白だったように思う。故に、随分と久しぶりに感じる長い口付けにセシリアは困惑した。



(……どうして……何……、何でこんな、だってトキさんは、メリールージュさんと……)



 そういう事、してきたんじゃないの……?


 そう考えると苦しくなって、また目頭が熱くなる。彼の意図が分からない。今日の口付けは、いつもの貪るような、荒々しいそれとは違うのだ。

 少し強引ではあるが、まるで壊れ物を扱うみたいに、優しく何度も唇を啄んでいて。何で、どうして、と困惑する頭が真っ白になってしまうぐらい。


 舌から伝わる酒の苦味が、彼女の脳内を徐々に麻痺させていく。



「……ふ……ぁ……」


「……は……、」



 長い、長い口付けを交わした後。ようやく唇が離れ、透明な糸が二人の間でぷつりと切れた。くたりと力の抜けたセシリアの顔をトキは暫し眺め、やはり切なげに眉根を寄せる。



「……何だよ……何で……」


「……え……?」


「……くそ……」



 ぼそりと、彼が何やら言葉を発した。しかしその意味がわからず、セシリアはゆっくりと首を傾げて瞬きを繰り返す。

 虚ろな瞳で、酒の匂いを漂わせて。辛そうに眉間の皺を刻むトキが、何故だか幼い子どものように見えて──セシリアは思わず手を伸ばした。



「……トキさん……?」



 しっとりと濡れた髪を撫でる。持ち上がった紫の双眸を真っ直ぐと見つめ、どうしたんですか、と尋ねれば彼は酷く表情を歪ませた。


 そのまま、再びゆっくりと顔が近付いて来て。



「……!」



 また口付けられる、とセシリアは身構える。しかしトキの唇が彼女のそれを奪い取ることは無く、すぐに横へと逸れてしまった。


 ──ぽすん。


 直後、肩に感じたのは重み。セシリアがそろりと目を開ければ、しっとりと濡れた彼の黒髪が彼女の顔のすぐ横にあった。トキはセシリアの肩口に顔を埋め、ぐりぐりと額を押し付けてくる。



「……へ……!? と、トキさん……!?」


「……」


「ひゃ、ちょっと……くすぐった……!」



 こそばゆい感触に身をよじるが、トキの手がその体を逃すまいと強い力で押さえつけているため全く身動きが取れない。そんな彼の不可解な行動の連続に、セシリアの脳内はぐるぐると混乱するばかりだった。すると不意に、くぐもった掠れ声が再び耳元で囁く。



「……セシリア……」


「……!」


「…………セシリア……」



 普段は滅多に呼ばれることの無い名前。彼はまるで彼女がそこに居るのを確かめるかのように、何度もその名を繰り返す。



「……」



 返事を返さずにいると、突然強く体を引き寄せられた。空気に触れて少し冷たくなった肌が頬に密着し、どくん、どくん、と彼の鼓動がダイレクトに耳に届く。

 セシリアは戸惑いながらも、古傷の多いその背中にそっと自分の腕を回した。



「……トキさん……?」


「……セシリア……」


「……はい。ここに居ますよ、トキさん」


「……セシリア……」


「……大丈夫。大丈夫です。ここに居ますから」



 小さな子どもに言い聞かせるように優しく答え、セシリアは彼の体をやんわりと抱き締める。トキは暫く譫言うわごとのように彼女の名前を呟いていたが、やがて落ち着いたのか静かになり、そのままくたりと力が抜けて動かなくなってしまった。



「……トキさん……?」


「……」



 返事はない。その代わりに、規則正しく繰り返す呼吸の音が耳に届いた。

 ずしりと重たくのしかかるその体を何とか横に倒し、セシリアはもぞもぞと彼の腕の中から這い出す。真横で瞳を閉じているトキは、穏やかな寝息を立てて眠ってしまっていた。



(……な、何だったんだろう……?)



 ドッ、ドッ、ドッ……と未だに鼓動は早鐘を刻んでいる。相変わらずトキからは酒の匂いがして、随分と飲んで来たのだろうということは明白だった。前回、彼がアリアドニアで酒を飲んでいた際は“酔ったふり”をしていただけだったようだが、今回は完全に酔い潰れている。

 セシリアはトキを起こさぬよう、そっと彼の拘束から逃れようと試みた。しかし思った以上に強く身体を押さえ込まれており、思うように身体が動かない。



(も、もう……! 全然離れない……!)



 どうしよう、とセシリアは眉尻を下げて視線を泳がせる。押しても引いてもびくともしない彼の腕の中に閉じ込められ、暫くじたばたと踠いていた彼女だったが、やがてどうにもならないことを察して諦めたのか大人しくその場に縮こまってしまった。


 暖かいトキの腕の中。古傷だらけの素肌にぴとりと頬を寄せれば、石鹸の香りに混じって彼の匂いがする。──持ち帰って来たはずの香水の香りは、もうしない。



「……何なの、もう……」



 トキの行動が何一つ理解出来ず、セシリアはぎゅっと目を閉じた。痛いほど暖かい彼の体温に包まれて、彼女もまた、夢の中へと微睡む意識を沈めてしまったのであった。




 3




「……う……」



 チカチカと明るい日差しが瞼の裏で点滅し、フッ、とトキの意識が浮上する。最初に感じたのは頭に響く鈍い痛みと、カラカラに乾いた喉の奥に残った酒の苦味。それから、腕に感じるやけに暖かい重みだった。



「……」



 ぼんやりとしてハッキリしない意識の中、重たい瞼を持ち上げる。まず彼の視界に入ったのは、サラサラと流れる金色。そして、あどけない表情で眠っている少女の長い睫毛で──。



「──ッ!?」



 ──ガバッ!


 腕の重みの正体がセシリアであることを理解した途端、朧げだったトキの意識が瞬時に覚醒する。反射的に彼女から離れるが、平静さを失った寝起きの彼の脳はシングルベッドの大きさすらも気に留めていられなかったようで。


 ──スカッ。



「っ……!」



 背後に着地しようと凭れかかったはずだったトキの手は、着地点を大きく見誤り空中へと投げ出されていた。着地場所を見失ったまま後方へと体重を預けてしまった彼の体は、当然重力に逆らうこと無くぐらりと傾いてしまい──。


 ──ドッターン!!



「!?」



 びくうっ!と大きく肩を震わせ、セシリアも即座に飛び起きた。響き渡った轟音に雷でも落ちたのだろうかと身を強張らせた彼女だったが、その視界が捉えたのはベッドから落ちてひっくり返っているトキの姿で。



「……いっ……て……!」


「と、トキさん!? 大丈夫ですか!?」



 慌ててセシリアは身を乗り出し、頭を押さえたまま天を仰ぐ彼に手を伸ばす。しかし彼はその手を掴む事なく自力で上体を起こし、バツの悪い表情で彼女から目を逸らした。



「……っ」



 ズキズキ痛む頭を押さえながら、トキは混乱する脳内を整理しようと大きく深呼吸を繰り返す。まず、なぜ自分は彼女と同じベッドで寝ているんだ。その前にいつ宿に帰って来たんだ。と言うかそもそも昨日はどれくらい飲んだ? と錯乱する脳内に浮かんだ疑問を一つ一つ思い出そうとするが、昨晩の記憶が物の見事に抜け落ちてしまっていた。何一つ思い出せない。



「あ、あの、トキさん……?」


「……」



 恐る恐ると、心配そうな表情でセシリアが覗き込んで来る。トキは頭を押さえたまま彼女に視線を移した。



「大丈夫ですか……? お酒、残ってるでしょう? 随分飲んだみたいだったから……」


「……昨日……」


「え?」


「昨日、俺……いつ帰って来た……?」



 はた、とセシリアは瞳を瞬かせる。その後暫く考え込み、やがて「多分、三時ぐらいでした」と彼女は答えた。



「……三時……」



 ズキズキと痛む頭を押さえながら呟く。帰って来た時刻を聞いても尚、やはり何も思い出せなかった。酒で記憶が飛ぶなんて事は滅多にない。よほど深酒したのだろうか。だが自分の性格上、後先考えずにキャパを超える量の酒を呷るとも思えないのだが。



(……いや、そんな事より……)



 ちらりと、心配そうにしている目の前のセシリアを見上げる。彼女と一晩同じベッドで寝ていたのは紛れもない事実で、トキの額には冷たい汗が流れた。



「……なあ……」


「は、はい」


「……俺、昨日……何もしてない、よな……?」



 ぼそりと、慎重にトキは尋ねる。セシリアは一瞬息を飲んでぱちりと瞬き、戸惑いがちに視線を泳がせた後、そっと彼から目を逸らした。



「……え、ええ。……何もしてない、です……」


「……」



 嘘つけ!と心の中だけで叫ぶ。

 何だ、その微妙な反応は。明らかに何かあっただろ。


 トキはバツの悪い表情でガシガシと後頭部を掻き、近くに落ちていた黒いインナーの袖に腕を通しながら再び口を開いた。



「……嘘はいい。何かあったんだな、言え」


「……ほ、本当に、何も……」


「そんな訳ないだろ、言えよ。どっか触られたのか?」


「……さ、触ったというか……」



 セシリアは頬を赤らめ、おずおずと声を紡ぐ。「……き、キスはしましたけど……」と呟きながら戸惑いがちに送られて来る視線に、トキはぎくりと背筋を冷やした。脳裏に“依存症状”の警告がチラつく。



「……どのくらいしてた?」


「え?」


「時間だ。長かったのか、短かったのか」



 食い気味に詰め寄ると、セシリアは困惑気味に視線を泳がせながらもたどたどしく答えた。



「……な、長かった、です。……多分」


「……多分?」


「その……寝てる間に、されてたみたいで……途中で、起きて……」


「……」



 かあ、と顔を真っ赤に染めて俯いてしまったセシリアに、トキの表情がひくりと引き攣る。いよいよまずい、と酒に酔ってタガの外れた自分の覚えのない行動に彼は頭を抱えた。寝ている彼女の唇を奪おうとしたのは、何もこれが初めてではない。



(……くそ、最近は意識的に摂取量を抑えてたってのに……酒のせいで抑えが効かなくなってたのか……? まずいな、おそらくかなり摂取してる……)



 舌打ちこそ我慢したものの、表情まではコントロール出来ず苦々しく歪んでしまう。そんな彼の脳裏にふと、“光属性”の魔力を持つ踊り子の女の姿が過ぎった。


 昨晩彼女と過ごした空白の記憶の一部が、沸々と蘇り始める。



(……そう言えば昨日、俺、あの女と一緒に店で酒を──……)





『──へえ、魔女の呪いを解くために旅してるのね』



 からん、と手元のグラスに入った氷が溶け落ちる。薄暗い店内、度数の強い酒の瓶、そして肩に寄りかかるメリールージュ。

 香水の匂いがツンと鼻を付くのも、酒に酔ったせいかあまり気にならなくなっていた。



『……ああ。それで呪いの進行を抑えるのに、“光属性”の体液を定期的に摂取しなきゃならない』


『……なるほど、それであの子と旅してるってとこ?』


『……ああ。色々問題はあるがな』


『……へえ。問題、ね』



 ロックグラスを片手に、メリールージュがにんまりと口角を上げる。彼女は艶やかな唇をトキの耳元に寄せ、『ねえ、でもそれって、』と吐息混じりの声を紡ぐ。



『……“光属性”だったら、別にあの子じゃなくても良いってことでしょう……?』


『……』


『……ふふ。あの子との旅が苦痛なのね。だからその話、私にしてくれたんでしょう?』



 からん、と溶けた氷が音を立てる。メリールージュはロックグラスをテーブルに起き、そっとトキの頬に手を添えた。



『……いいわよ、私。あなたの旅に同行しても』


『……』


『一日に一回程度、体液をあなたに分け与えればいいのよね?』



 トキは黙ったまま、メリールージュの瞳をじっと見つめた。彼女の香りは徐々に迫り、端正に整った目の前の顔がにっこりと微笑む。



『……何なら、今、試してみる?』



 そう言葉が紡がれた後、彼女の唇がゆっくりと近付いて──。



(……それから、どうなったんだ?)



 トキの記憶はそこで途切れてしまった。だが、何となく昨晩の経緯は思い出していた。


 セシリアを食堂に残してメリールージュと街に繰り出したトキは、彼女の行きつけだという酒場に入ったのだ。しかし導かれたのは完全個室のカップルシートで、「ごめんね、カップルに間違われたみたい」と白々しく笑うメリールージュの術中にまんまと嵌ってしまったと気付くも、時すでに遅し。彼はそのままソファに座らせられ、用意された強い酒を喉に流し込むことになったのだ。


 その後は先程の回想の通り。魔女の呪いを掛けられたことを話し、旅にセシリアを同行させている理由も話した。そしてメリールージュは言ったのだ。──あの子との旅が苦痛なのね──と。


 その言葉に、トキは何も言い返す事が出来なかった。



(……苦痛……)



 言われてみて初めて、そうだったのかと腑に落ちた。トキは元々、人と群れるのは好まない。特にセシリアのように、放っておけばチョロチョロと動き回って居なくなり、面倒事に巻き込まれ、他人どころか魔物にまで情けをかけるような面倒な人間など関わりたくもないと思っていた。

 その上、共に居る唯一の理由と言っても過言ではない“光属性の体液”ですらも、澄み過ぎており依存性のある“毒”だというのだ。日毎に強くなる依存症状に耐え、摂取量も抑えなければならない。


 確かに苦痛だ。

 いや、最初から分かっていたはずだった。


 旅に同行しようという物好きな“光属性”の女が、彼女しか居なかったから仕方なく一緒にいるだけで。もし、他にもっと条件の良い女が──“彼女の代わり”になるような女がいるのであれば、迷わずそちらを取るべきなのだ。だから──。



 ──いいわよ、私。あなたの旅に同行しても。



 メリールージュの申し出を、断る理由なんて、ない。



「──トキさん?」



 黙りこくってしまったトキの顔を、セシリアが心配そうに覗き込む。真っ直ぐに向けられた翡翠の視線がやけに居心地悪く感じて、トキはあからさまに顔を逸らした。



「……昨日のことは覚えてない、悪かったな。俺はこの後用がある。街に出てくるから、アンタはここに居ろ」


「……え……? あ、あの、ちょっとトキさん──」


「じゃあな」



 早口で捲し立て、トキは立ち上がるとストールを掴み取って部屋を出て行く。バタン、と扉が閉められた後、静寂に包まれた部屋の中でセシリアは一人、困ったように立ち尽くしていた。



「……」



 誰の所に向かったんだろう、と考えて、小さく首を振る。そんなの分かりきっているし、彼がどこで何をしようとそれは彼の自由だ。止める権利などない。


 でも。



「……メリールージュさんの所に行ってたら、嫌だなあ……」



 ぽつりとこぼれた彼女の呟きは、一人ぼっちの部屋の中に寂しく溶けて、消えて行った。




 .

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