第22話 あなたのことを


 1




 馬車の形跡を追い、山道を駆け上がること数十分。ようやく馬車本体を見付けた二人だったが、滑車に繋がれているはずの馬は既に骨と肉片のみの姿となっていた。


 彼らは血の飛散した地面を見つめ、表情を歪ませる。



「もう用済みってことで喰われたらしいな」


「うげ……」



 シェリーは口元を手で覆い、虫の集る死骸から目を逸らす。トキもストールを深く口元に寄せ、そっとその場を離れた。



「……でもまあ、奴らの巣には辿り着けたみたいだぞ」


「……そうね」



 トキの言葉にシェリーは頷く。

 ここはドニア山の三合目付近だろうか。昨日の昼頃にも訪れた洞窟の正面に立ち、二人は仄暗く続く内部を見つめた。



「……昨日は雨に掻き消されてよく分からなかったが、微かに死臭がするな。この奥で間違いないだろう」



 トキは近くに落ちていた太い枝と枯葉を手に取り、慣れた手つきで蔓を絡めると即席の松明を作った。それをシェリーに一つ投げ、更に自分用の松明も手早く制作する。



「……あたし、火なら魔法で着けれるけど。わざわざこんなの作らなくても明かり代わりにはなるんじゃない?」



 受け取った松明を見つめながら呟くシェリーだったが、その提案はすぐにばっさりと蹴られてしまう。



「今回はアンタの魔法が頼りなんだ。いざと言う時にガス欠になられちゃ困る。魔力は極力温存しろ」


「……あ、確かにそうね」



 シェリーは納得したように頷いた。魔力量には自信がある方だが、洞窟内にどれほどの屍食鬼グールが潜んでいるか分からない以上、無闇に魔法を使うのは良くない。


 トキは余分に松明を二、三本作り足し、二人はそれらを腰のホルダーに収めて洞窟内へと踏み込んで行く。



「昨日ここで雨宿りした時は、トンネルでも掘るために人の手で造られた穴だと思ってたんだがな。まさか屍食鬼グールの巣だったとは」


「……何度か山に入ったことあるけど、こんな洞窟があったことすら知らなかった。前まで、この辺は大きな岩で塞がれてた気がするし……」


「……へえ」



 シェリーの発言にトキは眉を顰める。地元の人間ですらこの洞窟の存在を知らなかった、という事は、つい最近掘られた穴なのだろうか。……いや、それは無いだろう。

 周囲は石の壁だ。掘るには時間がかかる上に大掛かりな機材が必要。以前から洞窟自体は存在していたが、最近まで隠されていたという考えの方が自然だ。



(前は大きな岩で塞がれていたと言っているあたり、それが壊されて洞窟の入口が現れた可能性が高いな)



 トキはマッチで松明に火を灯し、暗く続く空間を慎重に進んでいく。


 洞窟の周囲には、他に岩壁や木々等が無造作に荒らされたような形跡は見当たらなかった。もし入口を塞いでいた岩を壊してこの洞窟を見つけ出した人物が居たのだとしたら、そいつは偶然洞窟を発見したわけではなく、ここに洞窟があることを把握した上で岩を破壊した事になる。


 そしてこの奥には、おそらくが存在していた。



(……〈魔女の遺品グラン・マグリア〉……)



 いよいよ不気味だ。

 おそらく岩を破壊した人物こそが屍食鬼グールに力を与えた協力者だろう。そいつは〈魔女の遺品グラン・マグリア〉が此処に存在しているという確信を持ってやって来た可能性が高い。更にはそれを使って屍食鬼グールに知恵を付けさせている。



(……どこのどいつだ? そして目的は何だ? こんなこと出来る奴なんて限られてる。古代の資料を読み解いて〈魔女の遺品グラン・マグリア〉の場所を突き止めたとしても、凶暴な魔物を裏で操るような真似が出来るような奴なんて一体──)



 そこまで思い及んだ時、ふと一つの可能性が彼の脳裏に浮上した。──いや、待て。居るじゃないか、一人だけ。



(……魔女……)



 ──災厄の魔女・イデア。

 彼女であれば〈魔女の遺品グラン・マグリア〉を使う事も魔物を裏で操る事も容易だ。


 トキは眉間を寄せ、苦虫を噛み潰す。



(……魔女が絡んでるんなら厄介だな。奴らは自分の身を案じる必要もない。例え屍食鬼グールが力を付けて暴走したところでどうでもいいって事か)



 トキは苦い表情でストールを持ち上げた。

 だが、逆にこれは好機とも捉えられるのではないだろうか。魔女がこの地にいるのであれば、呪いの解き方を問い詰められる。



(……まあ、奴に聞く耳があればの話だがな)



 まず無理だろう。そう結論に至ってふと顔を上げると、ぼんやりと暗がりを照らす炎の光が不意に人影のようなものを映した。は、とトキは目を見開き、背後のシェリーに向かって怒鳴る。



「伏せろ!」


「!」



 シェリーも何かを察したらしく、彼の指示通りその場に素早く身を屈めた。刹那、風を裂くように二人の頭上を鋭利な刃が横切る。



「……っ、危な……!」


「おっと、意外と俊敏ですねえ」


「……!」



 ふと割り込んだ第三者の声。即座に顔を向ければ、そこには黒いスーツをぴしりと着こなし、剣を構えた一人の老人の姿があった。セシリアを攫った執事だと確信し、シェリーは目付きを鋭くして声を荒らげる。



「出たな、サリバン家の執事!」


「おや、こんな所までご苦労様ですシェリー様。貴女様がそこまで坊ちゃんとの結婚に意欲的だとは知りませんでしたよ」


「ふざけんな誰が結婚するか! アンタらが化物だってことはもう分かってんのよ! さっさとセシリアを返せ!」



 シェリーは敵意を露にして執事に怒鳴った。しかし彼は一切の動揺も見せず、背筋を伸ばしたまま答える。



「なるほど、我々屍食鬼グールがサリバン家の人間に擬態している事はもうお分かりですか。お見逸れ致しましたな」


「……やっぱり、アンタ達がサリバン家の人達を……!」


「ええ、あの屋敷の者共は我々が殺しましたよ。しかしながら、あなた方が我々の正体にお気付きになっているのでしたら有難いことです」



 執事は静かにこぼし、突如手に持っていた剣を地面に投げ捨てた。カシャン、と音を立てて剣が地面に落ちた頃、執事は自らの頬を片手でえぐる。



「──もう、虚弱な人間のフリなどしなくて済みますからね」



 ブチブチブチッ、と音を立て、執事は顔の皮膚を引きちぎった。その下から現れた赤黒く爛れた肉塊が、ギギギ、とぎこちなく動いて口角を上げる。



「……っ、やっぱり屍食鬼グール……! という事はブランカも……」


「ブランカってのは?」


「あの屋敷の坊ちゃんよ、あたしと結婚するはずだった男」


「……ああ。まあ、そいつも屍食鬼グールだろうな」



 トキは短剣を構えたまま淡々と答える。シェリーは眉間を寄せ、顔を顰めた。



「……早くセシリアを見つけないと。あの子、多分ブランカと居るはずよ。何をされるか……」


「チッ、あいつ変な男に絡まれる天才だな」



 苦々しく舌を打った頃、完全に屍食鬼グールに変貌した執事が勢いよく詰め寄って来た。トキは冷静に振り下ろされる爪を回避し、右手に持っていた松明の炎を化物へと向ける。

 屍食鬼グールはあからさまに向けられた熱を嫌がり、その場から飛び退いた。



「へえ。どうやらまだ火は効くらしいな」


「グググゥ……」



 ふ、と挑戦的に笑みを浮かべてトキは屍食鬼グールと向かい合う。ふと洞窟の奥に目を向ければ、複数の屍食鬼グールの姿を視界が捉えた。どうやら騒ぎに気付いて加勢しに来たらしい。



「……ざっと数えて十五ぐらいは居るな。いけるか、干物女」


「任せなさいよ。あと干物言うな」



 シェリーがトキの揶揄に釘を差した頃、屍食鬼グール達が爪を振りかぶって襲い掛かってくる。シェリーは両手に魔力を集中させ、大きな火の玉を作ると屍食鬼グールに向かって放った。



「〈火球フレア〉!」



 ゴウッ、と燃える炎の塊がいくつかに分裂し、向かい来る屍食鬼グール達に直撃する。彼らは悲鳴を上げ、体に炎を纏ったまま地面にのたうち回った。

 そんな屍食鬼グールの首を、トキが素早く短剣で切り裂いてとどめを刺す。



「……ググ、……くそ、忌々しい炎め……!」



 次々と屍食鬼グールの骸を積み重ねて行くトキとシェリーを憎らしげに見つめ、執事は背後に控えていた複数の屍食鬼グールを一斉にトキへ向かって襲撃させた。



「──!」



 群れて襲い掛かる屍食鬼グールに舌を打ち、トキは松明の炎を構える。しかし次の瞬間、彼の目の前に現れたのは轟々と立ち上る炎だった。



「〈火柱の壁フレイムウォール〉!」


「グギャアア!!」



 トキを守るように立ち上った火柱が屍食鬼グールの身を焼き尽くす。彼らは断末魔の叫びを上げ、その身を黒く焦がして灰になった。



「……へえ、やるな」



 トキが口角を上げれば、「まあね」とシェリーが不敵に笑む。

 残った屍食鬼グール達は動揺し、じりじりとその場から後退した。



「……おい! どうしたお前達! 早く飛び込め! あの二人を殺せ!」


「……」



 怒鳴る執事の命令に、屍食鬼グール達は黙ったまま動かない。トキはあざけるように鼻を鳴らした。



「……なるほどな。下手に知恵なんか付けたもんだから、“死ぬ恐怖”まで覚えちまったか」


「……!」


「今までそんなことすら考えられないほど知能が低かったんだ。馬鹿正直に突っ込んで死んで行く仲間の姿に、未知の恐怖を感じて体が動かないんだろ」



 執事は血走った目を剥いて歯噛みした。恐れをなして戸惑っている屍食鬼グール達に挑戦的な笑みを向け、二人は彼らの前に立ちはだかる。



「さあ、うちの聖女様の居場所を吐いて貰おうか」



 燃え盛る炎、積み上がる屍食鬼グールの屍。地獄さながらの景色の中で笑う二人が、悪魔のようにすら見えた。




 2




 ──ドシャッ。


 灰同然の燃え尽きた肉塊を足蹴にし、死肉が焦げる酷い臭いの中で二人は執事に詰め寄る。執事は表情を歪め、迫り来る彼らから逃げるように後退した。



(……くそ……! “アルラウネ”はまだか!?)



 執事は焦ったように背後を確認する。しかし何の音沙汰も無く、彼は苦々しく表情を歪めて身を翻した。



「……あ! ちょっと待ちなさいよ!」



 逃げ出した執事を仕留めようと、シェリーは手のひらに魔力を込める。しかしトキに片手で制され、彼女はぴたりと動きを止めた。



「いい。このまま奴を追うぞ。おそらく坊ちゃんとやらの所に向かったんだ、案内させる」


「……あ、なるほど。そこにセシリアがいるわけね」


「ああ。だいぶ戦力は削った。早いとこアイツを奪い返すぞ」


「オッケー」



 に、と口角を上げ、シェリーは走り出したトキの後を追う。しかしその直後、洞窟内には悲鳴が響き渡った。



「──きゃああああ!!!」


「!!」



 ハッと目を見開く。響き渡る女の悲鳴──セシリアの声だとすぐさま理解した。

 トキは走る速度を上げ、声の響いた方角へ真っ直ぐと駆け抜けて行く。そして石造りの扉を蹴り開けた瞬間、彼は息を飲んだ。



「──……っ!」



 禍々しい空気感、不気味な赤い光。毛細血管のように壁中に張り巡らされた黒い根と、それを伸ばして大きな枝葉を広げる漆黒の大樹。それらが一気にトキの視界に入り込んだ。



(……何だ、これは……!?)



 あまりに強い負のオーラに、トキは思わずたじろいだ。その後ややあって彼に追い付いたシェリーも同じように目を見開き、口元を覆って後ずさる。



「……あ、あれは一体……!」


「──ブランカ様!!」


「……!」



 不意に執事の声がその場に響いた。彼は大樹の目の前で大きく両腕を広げた男に駆け寄り、興奮した様子で語り掛ける。



「ついに……ついにアルラウネにあの娘を取り込んだのですね! 我々はこれで最強の存在になる……!」


「……!?」



 ──“アルラウネ”だと!?


 トキは目を見開き、目の前で禍々しく枝葉を揺らす大樹を見つめた。アルラウネ──彼はその名を知っている。



(〈万物の魔導書オムニア・グリム〉から生まれた十二人の魔女の一人……。やはり〈魔女の遺品グラン・マグリア〉か)



 万物の魔導書オムニア・グリム──それは古代シズニアの王が造ったとされる、“万物を生み出すことが出来る伝説の魔導書”である。それを使用した事により、この世界に魔女──すなわち魔法が生み出されたと言われている。


 その魔導書から生まれたという十二人の魔女の一人、十二番目トゥワルフのアルラウネ。おそらく“伝説の指輪”と謳われていたそれこそが、アルラウネの遺品として残った〈魔女の遺品グラン・マグリア〉だったのだろう。


 恐ろしい姿に変貌を遂げた“アルラウネ”の大樹に、トキはギリッと奥歯を噛みしめた。



(凄まじい量の魔力があの巨木に取り込まれている……! あんなもの放って置いたら、そのうち木の根が魔力どころか人の命すら吸い尽くして、アリアドニアの街ごと飲み込むぞ……! 魔女の奴、これが狙いか……!?)



 無知な屍食鬼グールをそそのかし、知恵を付けさせる事で〈魔女の遺品グラン・マグリア〉を容易く暴走させることが出来る。それは後々世界を支配することに繋がり──まさか、魔女の狙いはそれだというのだろうか。



(……災厄の魔女め……)



 トキは険しい表情でストールの上から呪印のある箇所を押さえた。ふと、彼の背後でシェリーが悲鳴のような声で叫ぶ。



「──セシリア!!」


「!」



 は、と我に返ってトキはシェリーの視線の先を見詰めた。枝葉を広げた大樹の幹。どくん、どくん、と鼓動を刻む心臓部付近に、彼女の姿が確認出来た。胸から下は既に樹の中に沈み込み、上半身だけがだらりと力無く俯いている。



「……!」



 トキは地面を蹴り、彼女の元へ一直線に走り出した。しかし瞬時に振り下ろされた爪が彼の行く手を阻む。トキは舌打ちし、その攻撃を避けるとギロリと屍食鬼グールを睨み付けた。



「……邪魔すんじゃねえよ」


「そちらこそ、邪魔はしないで頂きたい。我々はようやく最強の生命体になるのだ、あの娘のおかげでな!」



 執事が高らかに笑う。その瞬間、バチンッ! と大樹の赤い光が稲妻のように迸った。



「……っ!?」


「ハーッハッハッハ! 生きた魔力がアルラウネに蓄えられた! これで我々は更に力を付けることが出来る!! さあ、ブランカ様!!」



 執事は大樹の前で両腕を広げている彼──ブランカに視線を向ける。直後、大樹から伸びた木の根がブランカに突き刺さり、どくん、どくん、と脈打つその根から何かがブランカの身体に注ぎ込まれた。



「……ゥ、ググ、ァァ、ア!!」



 獣のような声で叫び、ブランカの肉体が大きく変貌して行く。ぶち、ぶち、と上等な衣服を引き裂きながら腕や足が太くなり、頭部には禍々しい黒い角が突き出した。

 牙を剥き、鋭利な爪は更に長く伸びて、赤黒く腐敗した身体が二倍ほど大きさを増し──誕生したのは、もはや屍食鬼グールなどではない。


 正真正銘の、化け物であった。



「……な、何アレ……!?」



 シェリーが震える声を絞り出す。ブランカ・サリバンの面影などもはやどこにも無く、化け物と化したそいつは自らの身体に刺さった木の根を引き抜くとゲラゲラと笑った。



「おおォお……! ちカら、力が満チるのが分かルぞおォ……!」



 カクカクと顎を動かし、ブランカは振り返る。トキは舌を打ち、額に汗が滲むのを感じた。



(……くそ、まずいな。あの巨体で爪を振り回されたら、明らかに分が悪い──)



 と、そこまで考えた時だった。不意に頬に鈍い風を感じ、瞬きする間もなく視界に影が差す。

 化け物の足がすぐ真横で自分の身体を捉えていると気が付いた頃には、既に手遅れだった。



「……ッ!!」



 受け身など取る暇も無い。途端に鈍い衝撃が左半身に響き、容易く吹き飛ばされたトキは気が付けば石の壁に全身を強打していた。身体が砕かれたかのような激痛が走り、がはっ、と血の塊を吐き出して彼はその場に倒れ込む。



「……!!」



 シェリーは息を飲み、冷たい汗が全身に噴き出すのが分かった。震える手を抑え、ごくりと生唾を飲み込む。

 今、ブランカの動きは全く見えなかった。一瞬でトキの元へ移動し、一瞬でその身体を蹴り飛ばして見せたのだ。



(……ば、化け物……!)



 シェリーは高らかと笑うその姿にゾッと背筋を冷やしながらも、唇を噛み締めて両手に魔力を集中させた。

 真っ赤な火の玉を手の中で生成し、マグマのように熱い大きな塊を作る。



「──〈地獄の業火ヘル・ファイア〉!!」



 叫び、赤黒く燃え盛るマグマの火球が化け物に向かって放たれる。轟々と燃え盛るそれは立ち尽くすブランカの元へと一直線に向かい、その身体に直撃した。


 ──ドオォン!!


 凄まじい熱風が周囲に散漫し、シェリーは片手で顔を防御しながら細めた目でブランカの姿を確認する。

 しかし巻き上がる煙の中から現れたのは、傷一つない化け物の姿で。



(……っ嘘、でしょ……!?)



 最上級クラスの火属性魔法が通用しない。その事実にシェリーは呆然と立ち尽くすしか無かった。するとブランカの口角が不敵に持ち上がり──ぞくりと、背筋に悪寒が走る。


 次の瞬間、目の前には化け物の手が迫っていて。



(や、殺られ──)



 死を、覚悟した。──しかし。


 ガキィンッ!!



「──!!」



 化け物の爪が触れる寸前の所で、間に割り込んだトキが振り下ろされた爪を二本の短剣で止める。間一髪で化け物の攻撃を弾き返し、すかさず彼はシェリーの身体を抱えてその場から飛び退いた。



「……うっ!」



 ドッ、と地面に投げられ、シェリーは表情を歪める。苦しげに呼吸を繰り返すトキは、頭や口元から血を流し、左腕を押さえていた。



「……っアンタ、大丈夫!?」


「……俺はいい。そんなことよりアンタの魔法はもう通用しない。隠れるかさっさと逃げろ、俺だけでどうにかする」


「どうにかするって、そんな怪我で……!」


「足でまといは要らないって言っただろ。邪魔なんだよ」



 トキは吐き捨ててふらりと立ち上がる。化け物はそんな二人の見下ろしながらケタケタと笑った。



「見タか虚弱な人間共! 我々はチかラを得た! このマま人間共のセかイを乗っ取ってくれルわ!」


「……」



 左腕を押さえ、トキは表情を歪める。──おそらく、利き腕はもう使い物にならない。それどころか左半身の骨がいくつかイカれた気さえする。



(……まずい、予想以上に厄介だ。この状況でこんな化け物、一体どうやって……)



 苦虫を噛み潰しながら、彼はちらりと右手の中指に装着している指輪を見つめた。──いや、一つだけ勝算はある。しかしこれは本当に最後の手段であり、切り札。一歩間違えば大惨事になりかねない。



「──素晴らしい! ブランカ様!」



 ふと、今まで黙って戦況を見守っていた執事が恍惚とした表情でブランカの元へ歩み寄った。ブランカは黙って執事に視線を向ける。



「その力……スピード……そして忌々しい炎の無効化! これで我々に敵などいない! 私にも早くその力を!」



 執事は両腕を広げ、大樹を見つめた。まずい、とトキは眉間を寄せる。



(こんな化け物が二人になったら、それこそ終いだ……!)



 何とか止めなければ、と足に力を篭める。しかしズキリと左半身が鈍く痛み、力が入らず彼はその場にくずおれた。



「ちょっと! 無理しないで!」


「っ……くそ……!」



 肩で息をするトキをシェリーが支える。そうこうしている間に、執事は恍惚と大樹を見つめて叫んでいた。



「さあ! アルラウネよ! 今こそ我々屍食鬼グールが世界の支配者となる時! 私にも魔力を注げ!」



 アルラウネは呼び掛けに応えるように、どくんと脈打つ木の根をゆっくりと執事に伸ばした。──ああ、やっと、我々が世界を統べる王になる。執事は血走った瞳を見開き、その瞬間を待った。


 しかし。



 ──ズシュッ。



「…………、え?」



 ぐらり、視界が傾く。


 そのままどしゃりと地面に倒れたのは──執事のだった。

 ちらりと真横に一瞥をくれれば、残された下半身がその場に立ち尽くしている。程なくしてそれも地面に倒れ、ごぽりと口元からは真っ赤な体液が溢れ出した。



「……ぶ、らんか、様……?」



 何が起こったのか、理解が出来ない。執事は自身の胴体を真っ二つに切り裂いた張本人の名を力無く呼んだ。


 彼は倒れ込む執事の姿を冷たく見下ろし、口を開く。



「──貴様らのヨうナ雑魚に、ちカらなど与えるモのか」


「……、は……」


「世界の王は、ワタしだケで十分」



 にんまりとブランカは口角を上げ、アルラウネに呼び掛ける。



「さあ、アルラウネよ! 我に更ナる力を与エよ!」


「……!」



 トキとシェリーは目の前の光景に息を飲んだ。禍々しい光を迸らせ、アルラウネの根がブランカの胸を貫く。

 そして再び、真っ赤な稲妻が大樹から放たれた。そのままどくどくと、大樹の魔力が更にブランカの体内に注ぎ込まれて行く。



「……まずい……! これ以上力を付けたら、本当に手を付けられなくなる……!」


「そんな……!」


「くそ……!」



 一か八か、やるしかないか。トキは痛む身体を無理矢理動かし、シェリーの制止を振り切ってブランカの元へと駆け出した。



(……頼むぞ……!)



 彼は右手に嵌めた指輪をぐっと押し込み、右手に魔力を篭める。そしていざその力を解き放とうとした瞬間──ぶちりと音を立てて、化け物の腕が吹き飛んだ。



「──え」



 ごとん、と太い腕が地面に落ちる。直後、断末魔の如き叫びが広い空間に響き渡った。



「グギャアアアァァア!!!」



 ブチブチブチッ! と引きちぎられる音が連続して響き、化け物の全身から鮮血が吹き出す。ブランカは目を見開き、激痛に悶えて膝を付いた。



「がアアあァ!!!」


「……っ!?」


「な、ナゼ……ッ! アルラウネ!! ヤめロォ!!」



 吹き出す血飛沫、悶え苦しむ化け物。根から力が注ぎ込まれる度、彼の悲鳴が大きくなって行く。

 トキは片手で自身の身を守りながら冷静にその様子を見つめていた。──まさかこれは。



(──“魔力過多オーバーヒート”か……!?)



 魔力過多オーバーヒート──身の丈に合わない量の魔力を得てしまうことで身体が拒絶反応を起こす現象の総称である。どうやら大き過ぎる魔力の大量摂取に、ブランカの身体が耐え切れなかったらしい。



「グッ、ァ、アァァア!!」



 ブランカは激痛と共に注ぎ込まれる魔力への拒絶反応で悲鳴を上げながら身体をガタガタと痙攣させ、絶望の色を孕ませた目を剥き出して──ついに、真っ赤な血の海の中で絶命した。


 衝撃的な光景にシェリーは口元を片手で覆い、表情を歪める。トキは小さく息を吐き──やがて、その場にがくりと膝を付いた。



「……!」



 すぐさまシェリーが駆け寄り、その背に手を添える。



「ちょっと、アンタ大丈夫!?」


「……ああ……、化け物が勝手に自滅してくれたお陰でな」



 傍に転がる二つの死体。悲惨な最期を遂げた化け物の成れの果てに眉間を寄せつつ、シェリーは小さく首を振った。──何はともあれ、化け物は倒したのだ。



「……でもよかった、危うく化け物が世界を支配するところだったわ。これでセシリアも無事に──」



 ホッと胸を撫で下ろしてシェリーが顔を上げる。しかしその瞬間、彼女の表情は強ばった。



「……セシリア!!」


「……!?」



 鬼気迫る様子で叫んだ彼女の視線の先に目を向ける。そしてトキも目を見開いた。


 ズズズ、という鈍い音と共に、意識の無いセシリアの身体が大樹の中へと飲み込まれようとしている。



「まずい……!」



 トキはすぐさま地面を蹴り、激痛に耐えて大樹へと走った。セシリアは既に首から下を樹の中に取り込まれ、顔だけがかろうじて見えているような状態である。



「おい!!」



 大樹を素早く登り、セシリアの元へ詰め寄ったトキが青ざめた彼女の頬に触れる。怒鳴るように呼び掛けるが、返事は無い。



(クソ、まだこの樹の活動は続いてるのか! しかもかなり魔力を奪い取られてる……! 早いとこ樹から離さないと死ぬぞ……!)



 チッと舌を打ち、激痛の走る左腕を無理矢理動かして短剣を幹に振り下ろした。しかし鋼鉄の如く硬い幹に容易く刃を跳ね返され、ズキリと重く痛みが響く。



(……くっ、物理攻撃じゃ効かない……!)



 大樹の枝葉はトキを嘲るようにざわめいている。そうこうしている間にも徐々にセシリアの顔は樹の中に沈んで行き、完全に飲み込まれるのも時間の問題だった。



「……っくそ! 起きろ! 目を覚ませバカ女! アンタに死なれると困るんだよ!」



 トキは怒鳴り、意識の無い彼女を現実に引き戻そうとする。しかし彼の声は届かず、その青白い顔がゆっくりと樹の中に沈んで行って。


 ぞくり、背筋に冷たいものが駆け抜けた。──ダメだ、死ぬな。まだアンタを失うわけには。そう考えて胸の奥が鋭い痛みを発する。


 何でこんなに胸が痛いんだ。コイツが呪いを解くために必要だからか?


 それとも、他に何か──。


 トキは悲痛に表情を歪め、冷たくなった彼女の頬に右手でそっと触れる。──理由なんてどうでもいい。とにかく、まだ、彼女を死なせるわけには行かなくて。



「……っ頼むから……死ぬな……!」



 酷く情けない声が漏れた、その時だった。セシリアの頬に触れていた右手に嵌められていた指輪が、カッと青い閃光を放つ。



「──!?」



 トキは目を見開いて自身の指輪を見つめた。その聖なる輝きに、禍々しく放たれていた大樹の赤い心臓部が一瞬その光を弱める。

 トキはそれを見逃さず、ハッと何かに気が付いて、中指で光る指輪に触れた。



(……そうだ、これなら太刀打ち出来る……!)



 トキは大樹を鋭く睨み、セシリアの顔の真横に指輪の光る右手を添える。そのままそっと目を閉じ、に向かって心の中で呼び掛けた。



(──頼む、〈三番目ドグマ〉。俺に力を貸してくれ)



 胸の内だけで語り掛け、彼は手に魔力を込めた。直後、指輪が強く光を放ち、青く大きな炎が燃え上がる。



「……!?」



 その光景を見上げ、シェリーは目を疑った。青い炎──それはお伽噺に出て来る、十二人の魔女のが使う魔法に非常に酷似していて。──まさか、と彼女は息を呑む。



「……まさか、アイツが持ってる指輪も……!」



 ──〈魔女の遺品グラン・マグリア〉……!?


 轟々と青く燃え上がる炎は龍のように円を描きながら漆黒の大樹を包み込み、鋼鉄の強度を誇っていた幹を容赦無く焼き始める。大樹は悲鳴を上げるかのごとく枝葉を揺らし、焦げ付いて行く幹の心臓部で赤い光が点滅した。


 一方で飲み込まれつつあったセシリアの侵食は止まり、焦げて灰になる樹の中から徐々に飲み込まれた体が戻ってくる。トキは右手をずぶりと樹の中に突っ込み、木の幹だけを灰にしながら彼女の背中に腕を回した。

 そのまま樹に埋め込まれた彼女の身体を引っ張り、ぐったりと力の抜けたセシリアを大樹の中から引きずり出す。



「……ぐっ……!」



 直後、重力に任せて二人の体は急降下し、セシリアを抱えたまま彼は地面に落下した。

 即座にシェリーが二人に駆け寄り、トキとセシリアを支えながら燃え盛る大樹の元を素早く離れる。



「……う、ぐ……っ」


「アンタ、無茶し過ぎよ! 怪我してる癖に二人分の体重支えて飛び降りるなんて──」


「うるさい、どけ……!」



 トキは痛みに表情を歪めながらもシェリーの言葉を遮り、倒れているセシリアの元へ駆け寄った。意識の無い彼女の肩を掴み、怒鳴るように呼び掛ける。



「おい! 目を覚ませ!」


「……」


「……っ起きろ、頼むから……!」



 細い肩を掴み、コツ、と力無く額同士を合わせた。青白い顔、閉じた瞼。氷のように冷たい頬に指を触れながら、トキは震えそうになる声を必死に絞り出す。




「──……セシリア……っ」




 ぽつり、縋るようにこぼれ落ちた彼女の名前。するとその瞬間、ぴくりと彼女の瞼が微かに動いたのを、トキは見逃さなかった。



「……っ、おい!」


「……う……っ、」


「セシリア! しっかりしろ!」


「……、トキ、さん……?」



 掠れた声が呟き、翡翠の双眸がうっすらと覗く。セシリアは目の前のトキの顔を確認すると、ややあって安心したのかへにゃりとその表情を緩めた。



「……やっぱり、来て、くれたん、ですね……」


「……っ」


「……トキさん……私、あなたのことを──」



 ──ずっと、信じてました。


 それだけを言い残して、彼女は再び目を閉じた。そのまま穏やかに呼吸を繰り返し、セシリアの意識は深い夢の中に溶ける。


 トキはセシリアの言葉に目を見開いて固まったまま、ぐっと奥歯を噛み締めた。脳裏を過ぎったのは、小生意気な少年の声。



 ──姉ちゃんは、あんたを信用してる。信じようとしてる。


 ──でも兄ちゃんは、ずっと姉ちゃんの気持ちから逃げてばっかりだ。



 今朝のリモネの発言を思い出して、うるせえよ、と心の中だけで呟いた。


 震えそうになる手をぎゅっと握り、彼はセシリアの体を抱き上げる。そのまま肩口に顔を埋めれば、とくん、とくん、と鼓動を奏でる心音が耳に届いた。



 ──生きてる。



 その事実に、酷く安堵して。


 彼はもう一度奥の歯をぐっと噛み締め、彼女の身体を強く引き寄せたのだった。




 .

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る