第20話 囚われの身


 1




 丘の上には穏やかな風がそよぎ、先程までの断末魔が嘘だったかのような静寂が二人を包む。男達が逃げ去った後、パキパキと気だるげに首を鳴らした彼女は大きな欠伸をこぼし、呆然と座り込んでいるセシリアの元へ歩み寄って来た。



「大丈夫? 災難だったね、アンタ」



 女性は「立てる?」と手を差し出す。セシリアは遠慮がちに彼女の手を握り、ふらふらとその場に立ち上がった。



「……あ、ありがとうございます……」


「いーよいーよ。そんな事より耳。大丈夫?」


「……あ……」



 は、と気が付いて右耳に触れる。途端に鋭い痛みが走って思わず顔を顰めたが、すぐさま治癒魔法を唱えて傷口を癒した。

 すると目の前の女性が目を見開く。



「……へえ! アンタも魔法使えるの」


「……あ、はい。攻撃するような魔法は使えないんですが、回復呪文なら少し」


「光属性か、珍しいね」



 セシリアの髪を掻き分け、彼女は珍しい物でも見るかのように今しがた癒した耳をじっと見つめる。あまりに凝視するもので、セシリアは恥ずかしそうに頬を染めて視線を逸らした。



「……あ、あの……」


「……あっ、ごめん。結構さっき血出てたみたいだからさ、心配になって。でも完全に傷は塞げてるみたい。凄いね」



 に、と笑う彼女にセシリアははにかんだ。心配して下さってありがとうございます、と告げた彼女に、女性は続けて問い掛ける。



「そう言えばアンタさ、昨日あの後大丈夫だった?」


「……え?」



 ──昨日? あの後? 一体何の事だろうか。


 はた、と目を瞬いて固まってしまったセシリアに、女性は「……あ、そーか分かんないか」と呟いて後頭部を掻いた。



「あたし、昨日アンタの連れが飲んでた酒場で働いてたの。名前はシェリー。よろしく」


「……あ、そうだったんですね! えっと、私はセシリアといいます」


「ふーん、セシリアね。覚えとく」



 彼女は微笑んでベンチに腰掛けた。セシリアも自然とその隣に腰を降ろす。



「……で? 今日は彼氏と一緒じゃないんだ?」


「……、かっ……!?」



 彼氏、というとんでもない発言にセシリアは顔を真っ赤に染めて目を見開いた。すぐさま首をブンブンと横に振る。



「ち、違います! あの人は、か、かかか彼氏とかじゃありません!」


「え? 違うの?」


「……た、ただの旅の仲間で……! いや仲間と思われているのかどうかもちょっと怪しいというか、そのぅ……!」



 頬を火照らせて口調を早めるセシリアの様子に、シェリーは小さく吹き出した。楽しげに喉を鳴らし、彼女はセシリアの背中をばしばしと叩く。



「ひゃ!? い、痛っ! 痛いです!」


「いやー、なんかアンタ可愛いね。照れちゃってまあ」


「え、か、可愛……!?」


「はー、それにしても恋人同士じゃなかったのか。あんだけ独占欲丸出しだったくせに」


「……へ?」



 不可解なシェリーの言葉にセシリアは小首を傾げる。何のことだろう、とでも言いたげな彼女に、シェリーは「いーや、こっちの話よ」と笑って続けた。



「……で、結局あの後は大丈夫だったの? ちゃんと帰れた?」



 再度話を戻し、シェリーは髪の毛先を弄りながらセシリアを見つめた。するとセシリアはあからさまに目を泳がせ、表情を曇らせる。



「……あ……帰れました、けど……」


「けど?」


「……その、ちょっと揉めてしまって……」



 苦笑をこぼし、目を背けるセシリアに「ふーん、」とシェリーは気だるげな声を返した。



「喧嘩したわけ?」


「……あ、その、喧嘩というか、ちょっと、拒んでしまったというか……」


「あー、なるほど。ヤろうって言われて拒否ったわけだ」


「ヤッ……!?」



 あまりにも直球な彼女の言葉にセシリアは頬を赤く染め上げた。「ち、違います! い、いや違わないけど、ででででも違うんです……!」と言葉をどもらせるセシリアの反応を心底楽しげに眺め、シェリーは徐ろに足を組み替える。



「ま、そういう時もあるよ。向こうも悶々としてたんでしょ、男なんだし」


「……そ、そういうものでしょうか……?」


「まあ、アンタみたいに可愛い子と二人っきりなら誰でも思うんじゃない? 全部酒のせいにして、あわよくば食ってやろうぐらい考えるわけよ、男は。アイツずっと強い酒飲んでたし」


「……」



 ──酒のせい。その言葉が脳内をぐるぐると回る。


 昨晩のことは“酒のせい”だと、トキも言っていた。酒を飲んだことのないセシリアにはその感覚がよく分からないが、確かに“クスリ”のやり取りの際も平常時と比べて随分と時間が長かったし、様子がおかしいとは思っていた。


 けれど酔った演技が終わった後の彼の口調はハッキリとしていたし、顔が少し熱かった気はするが足取りも特に危なげ無かったように思う。

 本当に、彼は酒に酔っていたのだろうか。昨晩のあれは本当に、“酒のせい”だったのだろうか?


 難しい顔をして考え込むセシリアの横で、シェリーは小さく息を吐いた。青い空を仰ぎ、流れる雲を眺めて彼女は口を開く。



「……ま、何にせよ同意なく襲うのは向こうが良くないね。嫌なら嫌って言うのが一番よ、何も落ち込むことないじゃん」


「……あ、いえ……私、別に嫌だったわけでは……」


「え、何? やっぱアイツのこと好きなの」


「好……!? ち、違います! まだ彼とは出会って間も無いし、た、確かにかっこいいとは思いますけど……!」


「えー、何それ。いいじゃん別に。恋に時間とか関係ないでしょ」



 シェリーはへらへらと笑い、再び雲を目で追う。セシリアは火照る顔を押さえつつ、彼女に目を向けた。



「……シェリーさんにも、好きな人がいるんですか?」


「……」



 何気なく放たれた問いに、シェリーは空を見上げたままそっと視線を落とす。暫くして彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。



「……いた。けど、それも今日で終わり」


「え?」


「あたし明日結婚するの。貴族のお坊ちゃんと」



 無表情に放たれた言葉にセシリアは目を見開いた。



「……え? で、でも……その方とは、別の方が好きなんですよね……?」



 シェリーはだらりとベンチに投げ出していた顔を起こし、乾いた笑みをこぼす。



「何言ってんの、そんなん関係ないって。貴族様が街のオンボロ酒場の娘を結婚相手にってわざわざ指名してるのよ。そんなの断ったら店潰されちゃうじゃん」


「……でも……いいんですか? その方のことは……」


「うん、いーの」



 ──もう、いい思い出貰ったからさ。


 そう言って微笑む彼女に、セシリアは何と声を掛けていいのか分からず俯いた。


 好きでもない人との結婚。

 昔の記憶がないセシリアは、まだ恋がどんなものなのかよく分からない。けれど本の中で語られる“恋愛”や“結婚”は美しく描かれたものばかりで、きっと大好きな人の花嫁になる女の人は、世界で一番幸せなのだろうと思っていた。



(……でも、好きじゃない人と結婚する人も、いるんだよね)



 彼女も、きっとその一人。おそらくその胸は今頃引き裂かれそうなほど痛んでいるに違いないのに、シェリーは涼し気な表情で遠くを見つめていた。


 セシリアは酷く切ない気持ちになり、そっと彼女の横顔を覗き込む。



「……あ、あの……」


「……!」



 ばつの悪そうに口を開いたセシリアだったが、ふとシェリーはぴくりと何かに反応して「静かに」と彼女の言葉を片手で制した。え、と瞳を瞬かせたセシリアだったが、不意に彼女も嫌な気配を感じてハッと周囲を警戒する。



「……何か来る……」


「……!」



 ざわざわと木々が揺れる。シェリーは眉を顰め、雑木林の奥を睨み付けた。セシリアも不安げに身構え、揺れる雑木林を見つめる。



(……何、この感じ……すごく、嫌な感じが……)



 ぞわぞわと背筋に寒気が走って、セシリアは戦慄した。人の気配とも、魔物の気配とも違う。なんだかもっと、異質な空気感。



「……来るよ、セシリア」


「……は、はい……」



 シェリーが小声で合図する。するとその直後、ザクザクと地面を踏み締める複数の足音が丘の上に響いた。



「……おや、こんな所に居られましたか。シェリー様」


「……!」



 ひっそりと現れたのは、ぴしりと黒いスーツを着こなした一人の老人。更にその背後からはスーツ姿の数人の男達が次々と現れ、あっという間に二人を取り囲んだ。


 シェリーは目を見開き、先頭の老人に視線を向ける。



「……あんた、サリバン家の……!」


「ええ。お店の方にお姿が無いようでしたので。こうしてお迎えに上がりました」


「……はあ!?」



 眉根を寄せ、シェリーは彼を睨む。しかし睨まれた老人は狼狽える様子もなく、背筋を伸ばして無表情のまま彼女を見ていた。

 セシリアは両手を握り締め、不安げに瞳を揺らす。



(……こ、この人達……一体何……?)



 ゾッと背筋が冷たくなる。二人を取り囲む男達は、全体的に異様な空気感を放っていた。

 見た目は人間だが、どこか生気を感じられない瞳。抑揚のない声。固い表情。しかし魔物が擬態しているとも断定出来ない。何故なら、会話がしっかりと成立しているからだ。



(もし人に擬態出来る魔物だったとしても、言葉までは完全に真似出来ないはず……。やっぱり人間? でも、なんだろう……)



 違和感、というか。

 冷たく広がる、この嫌な感覚は。


 説明出来ない嫌悪感を胸中に蔓延らせていると、不意に老人の生気の篭らない瞳がセシリアを映す。びくっと震え、彼女は身構えた。



「おや、そちらの方……随分と強い魔力を感じますな」


「!」


「ふむ、なるほど。光属性……澄み渡った良いだ。あのお方もさぞお喜びになる」



 一切表情を変えず、老人は淡々と言葉を紡いで行く。シェリーは目付きを鋭くしてセシリアを自身の背後に隠した。



「……アンタ達、何考えてんの? そもそもおたくの坊ちゃんとあたしの結婚は明日でしょ。何しに来た」


「……!」



 シェリーの発言にセシリアは目を丸めた。二人を取り囲んでいる彼らの屋敷に、彼女は嫁ぐらしい。


 老人はやはり表情を変えず、淡々と答える。



「まだ正式にお返事を頂いておりませんでしたので。少し早めにお迎えに上がりました。結婚する意志は固まったのですか?」


「……っ」



 シェリーはギリ、と奥歯を噛み締める。脳裏に一瞬、昨晩自分を優しく抱いた彼の切なげな顔が浮かんで。


 ──迷うな。もう決めたでしょ。


 揺れる心と浮かぶ彼の姿をかき消して、シェリーは老人を睨む。



「──結婚する。明日は逃げない。だから今日は帰って」



 低音を発すれば、老人は暫く黙り込み、小さく息を吐いて「そうですか。分かりました」と答えた。



「どうやら心配しすぎていたようですね。今日の所は帰りましょう」


「……」


「……ただし──」



 パチン、と老人の指が鳴る。その瞬間、シェリーの背後から悲鳴が響いた。



「きゃああ!?」


「──!!」



 振り向けば、スーツ姿の男達に捕まったセシリアが必死にもがいている。シェリーは「何のつもり!?」と老人に怒鳴った。



「──そちらの“素材”は、頂いて行きますよ。ということは、貴女はもう不要です」


「……、はあ!?」


「純度、魔力量共にあの娘の方が適材のようなので。貴女も悪い“素材”では無かったが、が邪魔でしたからね」


「……何を言って……!」



 不可解な発言に眉を顰めるが、その瞬間顔に影が差し、シェリーはハッと目を見開いて後方に仰け反った。


 ──ブンッ!


 風を切る鈍い音が響き、シェリーの目の前を鋭い爪のようなものが横切る。間一髪で避けた彼女はそのまま後方に飛び退き、周りを取り囲む男達を睨んだ。



「……っなるほど、本当にあたしは用無しってわけ」



 ハッ、と短く笑いながら腰に隠していた小型のナイフを手に取る。スーツの男達は無表情にシェリーを取り囲み、光のない目で彼女を見下ろしていて。

 ズズズ、と鈍い音と共に手の皮膚がめくれ上がり、そこから赤茶色にただれた化物のような腕が露になっている。



(……あの腐食した皮膚の色……まさか屍食鬼グール……!?)



 シェリーは目を疑った。そんなはずはないと眉を顰める。



(おかしい……屍食鬼グールは陽の光の下では活動出来ないはず……! いくら人間に擬態していても、こんな真昼間に動けるなんて……)



 そうこう考えている間に、スーツの男達の鋭い爪が鈍い音と共に振り下ろされた。シェリーは舌を打ち、くるりと軽快な身のこなしでそれを避ける。



「シェリーさん!!」



 セシリアが悲鳴にも似た声を上げ、何とか拘束から逃れようともがく。しかし彼女を捕まえている彼らも屍食鬼グールだ。力のないセシリアでは振り払えない。


 その様子を生気のない瞳で眺め、老人は無表情のまま踵を返した。抑揚のない声がその場に響く。



「この“素材”は連れて行く。向こうのは用無しだ、始末しておきなさい」


「嫌! 離して!」



 男達にセシリアは引き摺られて行く。バタバタと暴れるが、全く意味を成していない。セシリアは奥歯を噛み、両手に魔力を集中させた。



「〈聖なる鎖セイクリッド・チェイン〉!」


「!」



 カッ、とセシリアの手のひらに光が集まり、白く輝く光の鎖が伸びる。それらは周囲の男達に絡まり付き、セシリアを捕まえていた手は引き剥がされた。

 拘束を脱した彼女は即座に走り出し、シェリーの元へと向かう。



「シェリーさん!」


「!」



 セシリアは屍食鬼グールに取り囲まれたシェリーへ光の鎖を伸ばした。鎖は彼女の体を一周して固く巻き付く。



「う、わ!?」



 そのままふわりとシェリーの体が宙に浮き、屍食鬼グールの群れの中から引っ張り出された。鎖が解けると彼女は遠くに投げ出され、「うぐっ!」と呻いてシェリーは地面に倒れる。



「……いっ、たたた……」


「手荒な方法でごめんなさい……っ早くここから逃げましょう!」


「……っ、セシリア!」


「きゃあ!」



 駆け寄るセシリアだったが、背後から追って来た男の一人に髪を掴まれて足が止まった。シェリーは即座に彼女を救おうと立ち上がるが、駆け寄ろうとした瞬間「だめ!」とセシリアが叫ぶ。



「逃げて! 早く!」


「……っ」


「私は、大丈夫……!」



 にこ、と力無くセシリアが微笑む。直後、背後の男に後頭部を殴られて彼女の体はがくんとその場に崩れ落ちた。



「セシリアっ!」



 思わず駆け出そうとするが、彼女の周りをすぐさま屍食鬼グールが取り囲む。シェリーは苦虫を噛み潰したような表情で立ち止まり、「くそ!」と吐き捨てて身を翻した。

 倒れたセシリアをその場に残し、シェリーは丘を駆け下りて行く。



「……追いますか?」


「いや、放っておけ」



 男の問いに老人は淡々と答えた。倒れているセシリアの顔を足でつつき、気を失っている事を確認すると再び抑揚のない声を発する。



「この“素材”を届ける方が先だ。この娘は強力で純度の高い魔力を持っている。あのお方が喜ぶだろう」



 彼はそれだけ告げて踵を返す。倒れたセシリアは男達に担がれ、雑木林の奥へとその姿を消したのだった。




 2




「なー兄ちゃん、どこまで行くんだよ」


「……」



 ざく、ざく、と人気のない細道をトキとリモネは進んで行く。景色はほとんど森の中と変わらない。中心街からは随分と離れ、鬱蒼とした景色が続く中でリモネはふるりと身を震わせた。



「な、なあ、聞けよ。こっちは何も無いって。墓場と、ずっと奥に廃教会があるぐらいだよ」


「……怖いなら付いてこなきゃいいだろ」


「は、はあっ!? 全然怖くねーし!」



 トキの言葉に過剰に反応すれば、前から小さく溜息が漏れる。くそぉ、馬鹿にしやがって……! と唇を噛むリモネがふと顔を上げれば、遠くで輝く白い閃光を視界の端で捉えた。



「……?」



 その後、何度か丘の上の雑木林でチカチカと何かが光る。しかしこの場所からは一キロ以上離れた丘の上の光景だ。何が起こっているのかまでは確認出来ない。



「……何だ? あれ……」


「おい、ガキ」


「!」



 ふと呼び掛けられ、リモネはハッとトキに視線を移す。慌てて駆け寄れば、そこは古く寂れた墓場だった。

 昼間とはいえ鬱蒼とした森の中にぽつんと密集している墓場は妙に薄気味悪い。リモネはごくりと生唾を飲み込んだ。



「……う……な、何だよ」



 恐る恐る問い掛けると、トキは表情を変えることなく墓場に視線を向ける。



「荒らされた墓ってのはどれだ?」


「……え……」



 トキの問い掛けにリモネは瞳を瞬いた。ややあって「えーと……」と周囲を見渡し、怖々と墓場の中を覗き込む。



「……そ、そっちの右から二番目。あと、同じ列の五番目も多分そう。少し十字架が新しいだろ? 荒されて壊されたから、新しく替えたんだ」


「……なるほど」



 トキは納得し、躊躇なく墓場の中に入って行く。リモネは「おい、やめとけよ!」と制止するが、彼が素直に止まる様子はない。


 トキは真新しい十字架に刻まれた名前を見つめ、そっと口を開いた。



「……アルベリック・スタンってのは有名な奴か?」


「え? ……ああ、うん。アルベリック・スタンは有名だよ。超凄腕の魔導師だったらしくて、百四十歳まで生きたって話だけど」


「こっちのマオジー・ロンディエゴは?」


「その人も知ってる。魔法学を教えてた先生だって。ちなみにこっちのパンジア・モリーも凄い有名な魔法学の研究者だよ」



 リモネの指差す墓に目を向ける。その場所に建つ十字架も随分と新しい。おそらくここも最近墓荒らしの被害に遭ったのだろう。



(……見た限りでは、魔法に長けた故人ばかりを厳選して狙っている)



 思えば、ロゼも『名の知れた魔導師や学者の墓が荒らされている』と言っていた。また、荒らしの被害に遭ったという店は『既に畳まれた店』が多いという。



(……あのシャッター通りで畳まれていた店は、どれも魔法関連の店ばかりだった。やはり魔法に何かしらの執着を持って犯行に及んでいるのか……)



 つまり、犯人の目的は故人の屍ではない。骨や遺品に残された“魔力”を求めているのではないだろうか。



(……だが、何のためにこんな事をしているんだ? いくら有名な魔導師とはいえもう死んでいる。残された魔力を骨から抽出するのは困難だろ。研究の材料にでもしているのか?)



 トキはストールを掴んで口元を隠しつつ、眉を顰めて暫しその場で考えた。墓荒らし、と聞いた際は真っ先に屍食鬼グールの可能性が浮かんだが、故人を特定して狙っているのを見る限りその線は薄い。奴らに目標を厳選するような知能はないはずだ。



「……な、なあ、兄ちゃん、もう行こうよ。いつまでもここに居たら墓荒らしだって勘違いされちまう」



 びくびくと周囲を警戒しながら不安げに言うリモネの顔を一瞬見て、トキは溜息混じりに立ち上がった。

 墓場の状況は分かったのだから、とりあえずここにはもう用はない。



「……ああ、そうだな」



 肯定の返事を返せばあからさまにリモネの表情が明るくなった。「よし! 早く街に帰ろう!」とトキの手を引くリモネを心底ウザったそうに見下ろす彼だったが、ふと忙しなく駆け抜けて行く足音が耳に届いてトキはピタリと動きを止める。



「……」


「……? 兄ちゃん、どうした?」


「……誰かが走って来る」


「え!」



 トキの発言にリモネはサッと顔を青ざめて身構えた。まさか自警団の連中では、と墓荒らしの濡れ衣を着せられることを恐れてリモネは慄く。


 しかし、現れたのは自警団などではなく。



「……!」



 ぱちりと視線が交わり、飛び出してきた女が目を見開いて足を止めた。リモネも同じく目を丸くする。



「──シェリー!?」


「……っリモネ!」



 呼吸を荒らげて森から飛び出して来たのは、擦り傷だらけのシェリーだった。左の二の腕からは血が流れており、トキの表情がぎくりと強張る。



「おい、どうしたんだ!? すごい怪我して……!」


「っ、ごほ! ……リモネ、アンタ何でこんなとこに──」



 汗を拭い、呼吸を整えつつ彼女は口を開いたが、ふと背後のトキに気が付くとその目を見開いて即座に駆け寄った。



「──アンタ! 良かった、アンタに言わないといけないことが……!」


「……っ」



 トキは詰め寄って来る彼女の二の腕に息を飲んだ。滴り落ちる真っ赤な血。ゾッと背筋が凍り付いて、心臓が嫌な鼓動を繰り返す。



 ──ごめんね、トキ。



 にっこりと笑って、涙を流して。ナイフを自らの首筋に当てがう“彼女”の真っ赤な鮮血が、脳裏を過ぎった。



「──やめろ!!」


「うわっ!?」



 どん、とトキは力一杯に目の前の女を突き飛ばす。シェリーは地面に倒れ込み、すかさずリモネが彼女の前に立ちはだかった。



「お、おい! 何してんだよ!」


「……っ、……」


「……おい、兄ちゃん……?」



 はあ、はあ、と苦しげに呼吸を繰り返し、手を震わせてトキはその場に膝を付く。紫色の双眸は怯えるように揺れ、彼は掠れる声を絞り出した。



「……血……」


「……え?」


「……その、血……止めてくれ……」



 は、とリモネはシェリーの腕から流れている血に気が付いた。トキはその血から目を逸らし、怯えるように俯いている。



(……血が、怖いのか?)



 リモネは困惑した表情でトキを見下ろした。苦しそうな呼吸、青白い顔。普段軽口ばかり叩いている彼からは想像も付かない。

 リモネは戸惑いながらもトキの言葉に従い、ポケットからハンカチを取り出してシェリーの二の腕に巻き付ける。



「……うっ……!」


「ご、ごめん、シェリー、ちょっと我慢して」



 痛みに表情を歪める彼女を気遣いながら、リモネはハンカチの端を結ぶ。しかし爪で抉られたようなその傷口は思ったよりも深く、小さな布切れでは全然足りない。



「……っ、くっそ……!」


「……! リモネ……!」



 リモネは意を決して自らのシャツの裾を引きちぎった。シェリーは目を見開き、焦ったように彼の手を取る。



「アンタ、それ上等な服じゃ……!」


「いいんだよ、そんな事より動くな! 治療してるんだから!」


「……っ」



 リモネは不慣れな手つきでぐるぐると何重にも布を巻き付け、足りなくなったらまた服を引き裂く。ようやく彼女の傷口を布で覆い、リモネはすぐさまトキに駆け寄った。



「おい兄ちゃん、血は止めたぞ! もう大丈夫だ!」


「……」



 トキは虚ろな目でリモネを見上げた。心配そうに見下ろしてくる焦げ茶色の瞳。ややあってトキは力無く笑みを漏らし、目の前の頭にぼすんっと乱暴に手を乗せる。



「いっ……!? 何す……っ」


「──やれば、出来るじゃねーか……お利口さん」



 掠れ声が呟き、無骨な手がくしゃりと乱雑にリモネの頭を撫でた。リモネは暫し呆然とトキの顔を見ていたが、不意に彼がふらふらと立ち上がった事で我に返る。



「お、おい、もう大丈夫なのか!?」


「……ああ。少し、悪い発作が出ただけだ」



 トキは力無くこぼし、ゆっくりと呼吸を整えながらシェリーに近付く。シェリーは傷付いた腕を押さえて彼を見上げた。



「……アンタ、何があった? 嫁入り前にしては随分と派手な祝福を受けてるようだが」



 軽口混じりに言えば、シェリーは苦々しく表情を歪める。



「……丘の上で、屍食鬼グール共に襲撃された」


「……は? 屍食鬼グール?」


「しかもサリバン家の執事が、そいつらを引き連れて来たんだ。……サリバン家の連中、化物と繋がってやがったのよ」



 彼女の発言にトキは眉を顰めた。ちらりと頭上を仰げば、青々と広がる空には明るい太陽が輝いている。



(……屍食鬼グールだと? まだ昼間だぞ)



 丘の上、ということは当然、陽の光の直下だろう。木陰に隠れようが間違いなく光は届く。昼間に活動するのは不可能なはずだが。


 訝しげに表情を顰めるトキの目の前で、リモネはシェリーに詰め寄る。



「……お、おい、どういう事だ!? サリバン家って、お前が結婚する相手じゃ……!」


「結婚とか言ってる場合じゃないでしょ、アイツら化物だったのよ。だったら結婚相手の坊ちゃんも何かしら問題アリに決まってんじゃん」


「……! じゃ、じゃあ、」


「結婚はナシ」



 ハッキリと放たれた言葉に、リモネはぱあっと表情を綻ばせた。しかしシェリーの表情は曇ったまま。そんな二人の会話に割り込むように、トキは口を開く。



「……望まない結婚が無くなったってのに、随分と浮かない顔だな」


「……っ、結婚が無くなっても、あの子を身代わりにするなんて、絶対に嫌だ……!」


「……? 身代わり……?」


「……ごめん……っ! あたしを、助けるために、……セシリアが……!」


「──!?」



 想定していなかった名前が飛び出し、トキはリモネを突き飛ばしてシェリーの胸倉に掴みかかった。彼女は息を飲み、鋭く睨み付けて来る紫色の暗い瞳を見つめる。



「……どういう事だ? アイツをどうした」



 殺気立った低い声が放たれ、シェリーは表情を歪めた。やめろよ! とリモネが喚くが聞き入れず、更にきつく胸倉を掴み上げる。



「おい、答えろ。アイツが何だって?」


「……っ、セシリアは……あたしを、庇って……アイツらに、捕まって……!」



 連れて行かれた、と弱々しい声が紡がれ、トキは眉間に深く皺を刻むと彼女の体を突き放した。苛立ったように自身の前髪を掴み取り、チッと舌を打って彼は二人に背を向ける。



「そのサリバン家の屋敷ってのはどこだ」


「……!? ま、まさか、アンタ一人で助けに行く気!? 無茶よ、一旦街に戻って人を集めてから……!」


「その間にアイツが化物共に喰われない保証がどこにあるんだよ」


「……!」



 ぎろりと睨まれ、シェリーは押し黙る。彼女は悔しげに唇を噛み、地面を見つめた。


 ──私は、大丈夫……!


 脳裏に、セシリアの最後の言葉が響く。彼女の言う「大丈夫」は、一体どういう意味で放たれた言葉だったのだろう。

 単なるその場しのぎの嘘だったのか──それとも。


 目の前の彼が、きっと助けてくれると信じていたから?



「……わかった」



 ぽつりと、シェリーがこぼす。リモネは戸惑ったように顔を上げた。



「サリバン家まで案内する。その代わり、あたしも連れて行って」


「……はあ!? 正気かシェリー! お前怪我が……!」


「元はと言えばあたしを狙って来たんだよ、サリバン家の連中は。けど隣にセシリアがいたから……関係ないのに、巻き込んだ……」



 シェリーは拳を強く握り、顔を上げる。



「……だからあたしが、必ずあの子を取り返す。屍食鬼グールに囲まれてたあたしを、セシリアが助けてくれたんだから。今度はあたしが助ける番でしょ」


「……シェリー……」


「リモネ、アンタは街に戻ってロゼと店長に伝えてきて。サリバン家は化物と繋がってるって。頼める?」


「う、うん」



 リモネは頷き、不安そうに二人を見上げた。しかし「早く行け!」と声を荒らげるシェリーにびくりと肩を震わせ、彼は涙目で踵を返して街へと引き返す。


 その背中が小さくなって見えなくなった頃、トキは徐ろに口を開いた。



「……アンタ、戦闘なんか出来るのか。足でまといは御免だぞ」


「魔法は得意だっつーの、舐めんな」


「どうだか。うちの聖女様を身代わりにして逃げ帰って来たらしいからな」


「あーら、そんなに大事な連れなら目ェ離さず捕まえてなさいよ。変な男に耳噛まれて怪我してたからねあの子」


「……ハア!?」



 聞き捨てならない台詞に思わず声を荒らげて振り向くが、「ほら、さっさと行くよ」とすんなりかわされてしまった。トキは舌を打ち、駆けていく彼女の背中を追い掛ける。



「……役に立たなかったら、置いて行くからな」


「お互い様」



 フッと微笑み、シェリーは答える。

 二人は捕まったセシリアを救出すべく、サリバン家の屋敷に向かって森の中を駆け抜けて行った。




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