お祖父ちゃんの神様

@SyakujiiOusin

第1話

          童話「お祖父ちゃんの神様」


                               百神井応身


 お日様の煌めく光の箭(や)が、杜の樹々の葉を揺らして差し込んでいます。

風が渡ってと言うよりは、光が葉をそよがせているというのが相応しいような爽やかな気分を誘います。

 杜とは、特に神社のある地の木立のある場所のことで、神様の降下してくるところを指す言葉です。

 五月になって、陽射しは緑色の力を増してきていました。

 太郎は、大好きなお祖父ちゃんと一緒に散歩に出かけていました。いつもの通り草の生い茂る畦道を抜けて、近在の住人の氏神様が祀られた社に出ました。近年は、郊外であったこのあたりも都会化が進み、そこは詣でる人が殆ど無くなって、忘れ去られたように普段から人影もなくひっそりとした場所でした。

 太郎は、お祖父ちゃんと並んで、作法通り神前で二礼二拍手一拝をしました。

「ねえお祖父ちゃん、こんな寂しい神社にも神様は居るの?」

「そうだね。お前はどう思う?」

「うう~ん、お参りする人がいっぱいいる綺麗な神社でも、神様には会ったこ

ともないし、わかんないや。」

「神様はね、居ると信じる人が居る間はいらっしゃるし、信じる人が居なくな

れば、どこかに去って行ってしまうものなんだよ。」

「じゃあ、お祖父ちゃんは時々お参りしているし、居ると思っているんだ」

「そうだね。わしはいらっしゃると信じているよ。それには昔の話をしてあげ

るのがよかろうと思う」


 お祖父ちゃんは、いまの太郎の年くらいの頃は田舎で育ったんだ。小学校は河岸段丘の中段に在って、お祖父ちゃんは上の段に住んでいたから、毎日坂道を登り下りして学校に通っていたんだよ。学校への道は5本ほどあったけれど、普段使っていたのは稲荷坂という道か赤坂という道だったんだ。時々冒険心を起して、校庭の上の段にある、むかし南本城という山城があったところを抜ける滅多に人が通らない小道や、稲荷坂に並行して流れる小川沿いの沢路を通ることがあったけれど、どちらも険しい道で、子供には大変だったんだよ。当時はまだお蚕様を飼ったりしている農家があったから、蚕養神社(こがいじんじゃ)というのが坂道の中腹にあったし、縄文時代の土器や住居跡、黒曜石の鏃などが沢山出るところだったから、奈良・平安時代にはかなり開けていたらしくて、麻績神社(おみじんじゃ)とか元善光寺という神社があったし、祀ったときの由来も解らない石碑や仏像などはそこら中に点在していたところで育ったんだよ。水を護る水神様が多かった地域でもあったよ。学校で、カブトムシやクワガタムシを捕まえてきて戦わせることが流行ったときがあった。お祖父ちゃんは、沢沿いに入る道の手前にある大きな椚の木の幹にクワガタムシが沢山集まるのを知っていたから、学校帰りにそれを採って、そのまま沢沿いの道で家まで帰ろうとしたんだ。何回か通ったことがある道だから迷う筈がなかったのだけれど、途中から誘い込まれるように沢筋から外れたところに入り込んでしまったんだ。そこにあったのは、少し大き目の石碑で、何の神様を祀ったのか或いはこの直ぐ上にある城で戦った武士の霊を鎮めるためのものだったかは解らなかったけれど、草に覆われて佇んでいたんだよ。お祖父ちゃんの子供の頃は誰もそうだったけれど、祀られているものの側を素通りすることは決してすることなくて、手を合わせたり頭を下げて敬うということを疎かにはしなかったのだよ。石碑の周りは草が茫々に生えていたので、大きなものは抜き取ったのだけれど、それで終わりにしてはいけないような気がしたので、「すみません、明日は学校が休みだから、また出直して来て、もう少し綺麗にしますので」とお断りをし、給食で残したパンをお供えして帰ったのだよ。

 次の朝、母さんにオムスビを二つ握ってもらい、草刈用の鎌を携えてその場所に向かい、午前中たっぷり時間をかけて石碑の周りを見違えるほどサッパリさせることができたんだ。持ってきたオムスビの一つは自分で食べて、もう一つは石碑の土台の上に供えて、その日は家に帰ったんだ。

 休み明けの学校には、先日捕まえたクワガタムシを持って出かけたよ。友達が集まってそれぞれが持ち寄ったカブトムシやクワガタムシを戦わせたのだけれど、お祖父ちゃんのが一番強かった。

「お前は体が弱いくせに、クワガタはつよいな~」と羨ましがられたんだ。

そう、お祖父ちゃんはその頃は体が弱く、心臓に問題があると言われていて、場合によれば大きな手術が必要かもしれない」と言われていたんだ。

 その後も、道を歩いていて綺麗な花が咲いていたりするとそれを摘んで、それを供えてあげようと時々はお参りをするようにしていた。

 そうこうしているうちに夏休みに入ったんだった。

 体調は思わしくなくて、それを心配していた両親は、大きな病院の有る都会に引っ越そうと考えていたらしい。甘いものが貴重だった時代だったけれど、母さんがキャラメルを一箱買ってきてくれたので、それを持って石碑の場所を久しぶりに訪ねたよ。

「神様、半分こね。」と言って、箱を開けて半分だけ供えて帰ってきた。


 夏休みが終わる少し前、とうとう引っ越しすることになったので、最期のお参りと思って石碑の場所に行ってみると、そこには白い髭を生やしたお爺さんと、とても可愛らしい女の子が居たのでびっくりしたんだ。

 友達にも誰にも教えたことがなかったので、人がいること自体が驚きだったよ。

 きっと昔この辺りに住んでいた人が都会から避暑のために戻ってきたのだと勝手に決めて「こんにちは」と二人に挨拶したんだよ。

 するとそのお爺さんが「キャラメルを供えたのは君か?半分だけだったということは、自分が食べたいのを我慢したということか?この間来た孫娘がそれを頂いて食べてしまったから、お礼をしたいと言って、今日は一緒に来たんじゃ」という。

 今日来ることなんて誰にもわからなかった筈だったのにだよ。

 小さな女の子はにこにこ笑いながら近づいてくると、「痛いの痛いの飛んでけ

~!」といいながら、小さな手でお祖父ちゃんの胸のあたりを撫でたんだ。お礼と言いながら、それは余りにも可愛らしい御礼で、とても嬉しかった。


 都会の大きな病院に診察を受けに訪れたのだけれど、先生は「何の病気の検査に来たのですか?」と首をかしげて聞くばかりで、どこも悪い所は無いと言われたのじゃ。

 あそこに居たのは神様で、神様が治して下さったのだとしか思えなかった。

 大学も無事に卒業し、立ち上げた事業も成功したのだけれど、治ったといっても体に不安をもっていたから、お嫁さんを貰うことは考えないでいたんだ。

 そんなある日、田舎の石碑の前で会ったことのある女の子の面影とそっくりな

娘さんに出会ったのじゃ。

 その娘さんが昔の私のことを何も知っている筈がないのに「体のことは何の心配もないわよ」と何故か脈絡もなく口にしたんじゃ。それが太郎のお祖母ちゃんなんだけど、本人はそんなことを言った記憶はないと今もいっている。

 事業は益々発展し、良い人たちにも恵まれて優秀な後継者も育ったから、お祖父ちゃんは悠々自適な暮らしができるようになっている。それは神様のお陰なんだと信じているんだよ。

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