第3章 憂の秘密
3-1 秋の遠足
季節は秋――。
今年の二年生の遠足の場所は、静岡県の
桃子たちの二年三組では、バスの席順をクジで決めることになり、仲の良い女子の隣になりますように……と桃子がクジを引くと、女子どころか憂の隣になった。
桃子が十五番という窓際の席で、その隣が十六番の憂。
なんの偶然かと桃子は内心で笑ってしまった。憂は熱心に土井の調査を続けていて、どういうことになっているのか、詳しく様子を聞きたいと思っていたところだからちょうどいい。
憂は土井の尾行などもしているらしいが、特に土井が危険な行動を取ることもないようだ。憂の居ない探偵部は、桃子が副部長ということで指揮を取り、今ではほとんどクッキー屋さんと化していることを憂はまだ知らない。
「よろしくお願いします」
桃子は十六番の札を持つ憂に、初めましてという感じで挨拶をした。桃子が探偵部にむりやり入れられていなければ、ここでようやくクラスメイトとして口を利いていたのではないか。
「うん……」
憂がうつむいて返事をした。目も合わせない。
(ああこれ)
と思い、憂のうつむいて逸らす顔を、顔を追いかけるように覗いて見つめた。これが、いつものクラスの憂だ。
緊張すると声が出なくなるようで、ということは、クラスにまだ慣れていないということか。推理で人の考えを分析する前に、自分の心の構造を分解する方が先な気がした。
探偵部は、クッキー作りに一番時間を使っているが、相変わらず校内パトロールは続けている。
放課後になると、憂は探偵部に一度顔を出し、まずボクシング部に殴り込みに行き、それで負けて帰ってきたあとは汗を拭き、絆創膏を張り替えてから足繁く土井のアパートの張り込みなどの調査に出掛ける。土井の様子に大きな変化はないようだが、桃子の父親の様子にも変化はない。
そういうわけで、秋の遠足の日がやってきた。
早朝、学校のグラウンドにはすでにバスが停車していて、バスのステップを上がり、
「なんで?」
と、桃子は思わず声を出した。
父親が運転手――。
父親は桃子のクラスの担当だと知っていたのか、「よう」と言って、照れたように笑って後頭部を掻く。
(こんなことってあるの……)
突然のことで驚いた。
運転手が父親だとクラスメイトに気付かれるのが恥ずかしくて、桃子は父親に軽く会釈して運転席を通り過ぎた。続いてバスガイドのお姉さんにも会釈する。なぜか、バスガイドにも気付かれたくない。
クジで引いた窓際の席に座ると、しばらくして「おはよう」と、憂も隣の座席に座った。
「運転手を見たことあるんだけど」
と、憂は片頬を上げて笑い、舌を出しておどけた。
「誰にも言わないでよ。なんか、恥ずかしいから」
「あはは、マイクがまわってきたら、歌を歌って運転手にも聞かせろよ」
「歌わないよ……」
父親は前からこうなると知っていたのだろうか。驚かそうと思ったのかもしれないが、
(ちょっと、意地悪だなあ)
と思った。
前に、今度の遠足で静岡県に行くのだと言ったら、「お父さんもその頃、仕事で静岡に行く予定があるよ」と軽い調子で言っていた。今にして思えば何か含んだ言い方だった。
バスが走り出して、バスガイドがマイクで話し始めた。
「――みなさま、おはようございます。走行中のお座席の移動はご遠慮いただきますようにお願い申し上げます。安全確保のために、お座席にありますシートベルトの着用のご協力をお願いします。――」
バスガイドの話しが続き、最後に、
「運転手は夏井、ガイドはわたくし、
と、頭を下げた。
クラスメイトの反応をうかがっていると、
「お茶漬け食べたくなってきた」
という男子生徒がいて、
「わたくし、永谷園ではございません。永谷です」
と、バスガイドがマイクで即答した。どっとクラスメイトたちが笑い、桃子も一緒に笑った。
(ちょっと安心)
ほっとした。
割と珍しい名字だと思うが、誰も夏井という父親の名前に反応しなかった。
バスは高速道路に入った。相模湾が窓の外に見え隠れして、朝日を浴びてきらきら輝いている。
制帽を被った父親の背中――。
白いシャツ。
白い手袋。
父親は昼食の弁当を、いつもコンビニなどで購入して済ませている。桃子は自分の弁当を毎日作り、「ついでだから」と声をかけても、頑として父親は桃子の弁当を拒む。人に迷惑をかけたくないのだ。
洗濯と夕飯だけは桃子に「迷惑」をかけている。洗濯といっても、仕事用のものやアイロンの必要なものは全部クリーニングに出して、だからあまり桃子の活躍の場はない。
しかし、それだけでも父親は恥じている。
桃子の母親が亡くなり、父親はなんでも家のことを自分でしてきた。おそらく、その一人でした家事が大変だったのだろう。だから娘も大変に違いないと思っている。父親が幼い桃子の面倒を頑張って見てくれたように、桃子も父親のために頑張ることが好きだ。それを、桃子がどう説明してもわかって貰えない。そして妥協点なのか、夕食と少しの洗濯物だけを桃子に任せる。
運転手姿の父親――。
働く姿を初めて見て、これから先、家で父親の帰りを待っているときに、この映像が浮かんで苦しみそうな予感がした。父親が、事故に巻き込まれて死んでしまう――。
「バスガイドさんになるしかないのかしら……」
おもわず、溜息と共にひとり言が出た。
そうすれば、父親とチームを組んで、ずっと一緒に居られる。
ただきっと、そうすれば父親は、桃子のことを取れない値札のように疎ましく感じるだろう。桃子も別に、父親が心配なだけで、常に監視したいわけではない。
「親父さんは大丈夫だって」
と、憂が慰めてくれた。
「憂くん?」
考えたら憂は、桃子の悩みを一番理解している。
桃子が早く家に帰りたかった理由にも気付いていて、幼稚園からずっと一緒の学校だと、こんなにも気づいて貰えるものなのだろうか。
「プロなんだからな」
と、憂は淡々と語る。
「親父さんは親父さん。お前はお前。もう、親父さんを解放してやれ。親父さんは、お前の心配性をきっと悩んでるだろうし」
まるで桃子の家庭を、いつも見守ってきたかのように語る。
「どうして? 私の考えがわかるの?」
「わかるさ。箱の中のボールの理論だ。お前の弾む場所は十回跳ねても追っていける」
「なんでよ」
「単純だからな。止まる場所だって俺にはわかる。よく見つめれば、運命だってやがてはわかるようになるんだよ」
「単純か……」
結局、憂の誘導に負けて桃子は探偵部員を続けている。いつの間にか、憂のように推理力を上げたいとまで思ってきている。探偵部のためにクッキーを焼いて、もしもの場合に備えて部室のサンドバッグを時間を見つけては叩く。それも単純だからだろう……。
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