第2章 土井甲一郎の調査
2-1 新住人の調査
今日から、桃子たちの
橋内高校の校内パトロールは月曜日~金曜日。新しく、土曜日の昼間は高校周辺の治安パトロールの任務につく。
桃子が、むりやり探偵部に入れられてからも探偵部会議が繰り返され、探偵部の仕事も、みんなが意見を出し合って少しずつ作られていっている。
家を空けるのは不安だが、憂のアドバイス通りに父親に色々相談するようにしたら、少しだけ不安が薄くなった。今までは夕飯を父親が勝手に外で済まさないように毎日作って無言のプレッシャーをかけていたのだが、それはやめた。
「きょうは何を食べたい?」
と、朝に聞けば、残っている食材を桃子に確認して、「焼き魚」なり「肉じゃが」なり、父親は首をひねりながら必死にアイデアを出してくれる。父親とコミュニケーションを取るためだったが、夕食のアイデアに困って相談しているものと思われただけかもしれない。
それと同時に、
「きょうは、何時頃に帰る?」
と、聞くことを始めた。
「七時二十分かな」
お父親は、桃子が一人で不安になる気持ちを理解してくれているのか、具体的に時間を答えてくれて、その時間までは父親が無事に過ごせる免罪符が出た気がした。
桃子の父親はバスの運転手――。
事故と隣り合わせの仕事かもしれないが、勤続以来無事故無違反で、仕事をしている場面を見たことがないからか、不思議と仕事中に事故に遭う予感はしなかった。見たことがないから、想像力が及ばないせいだろうか。
比木宮町の道を、桃子たち五人が黄色の腕章も勇ましく肩を揃えて歩く。ただ、桃子はまだ恥ずかしい。当然だが、みんなでお揃いの腕章をして歩くのだから目立ち、道行く人の視線が集まる。
「引っ越しのようだな」
憂が道の前方を指さした。ワンルームマンションの前に引っ越し社のトラックが止まり、青いつなぎを着た作業員が、荷物を三階の部屋に運び入れている。
「行ってみるぞ」
憂がそちらに向かって歩いてゆく。
「手伝うの?」
桃子は溜息が出た。つなぎの作業員は仕事でやっているのだ。仕事の段取りもあるはずで、桃子たちが手伝っても迷惑になる可能性がある。探偵部といっても、桃子が探偵部に来てから、依頼は校長からの一度だけでそれ以外はなにもない。パトロールなど積極的にやるのは、結局は暇だからだと桃子は思っていた。その上、たまたま見つけた引っ越しの手伝いを始めるという。
「ちがう」
と、憂は険しい眉を作って桃子を睨んだ。
「新しい住人が中に居るはずだ。その人に挨拶をする」
「挨拶するの?」
「それが会話の入り口だからな」
「引っ越したばかりで寂しいから、新しい知り合いになってあげるとか?」
優しい思いやり。そういうふうに憂の話を理解したら、憂の眉がもっと険しいものになった。
「ちがう。監視の目があることを意識させるんだよ。知らない町だからって、悪事を働いても誰も気付かないわけではない。誰かが見ている……。この監視の厳しい町では、牙を隠して生きなければならない。そう新しい住人に思わせる。悪者なら、居心地が悪くなってすぐに町から出てゆく」
「そんな……」
せっかく町に来た新しい住人が、最初から疑いの目で見られたら、どれだけ嫌な気分になるだろう。桃子は渋い顔を作って憂に抗議の視線を送った。その桃子の顔を、憂は冷酷な表情で無視をする。
「よし、行くぞ。トラックが帰ってゆく。荷物が入れ終わったようだ」
仕方がない。桃子もみんなの背中に続く。
引っ越しをしていたのは三階の角から二番目の部屋のようで、荷物を運び入れる様子は外から見えていた。憂は迷いもなくエレベーターを上がり、そのお宅の呼び鈴を押した。
そして、意味がわからない行動を彼はとる。なぜか桃子の背中を押すのだ。
「ちょっと?」
「……お忙しいところをすみません。三十代前半くらいの女性が出てくるから、そう声をかけてくれ」
「私が?」
女性が外から見えたようだ。女性なら、変な住人ではない気がするが、それでも調査しなければならないのか。
それにしても、なぜ私が声をかけなければならないのか、と桃子は不満だった。
憂は初めての人が恥ずかしいのか、色白の頬を桃色にさせて桃子の背中をぐいぐい押す。さすが内弁慶。
鍵を操作する音がして、扉を開けたのは白い大きなマスクをした女性だった。掃除中なのだろう。
「お忙しいところをすみません」
仕方なく桃子が声をかけた。
「えっと……」
と、次の言葉を考えていると、
「あ、あの――」
と、恥かしそうに憂が後ろから、
「僕たちは、そこの橋内高校の生徒です。新しく来られた方ですね。なにかお手伝いすることはありませんか?」
「はい……」
女性がマスクを取った。目を白黒させ、ちょっとだけ考えているような間があり、その思考の空間に憂が入り込む。
「大丈夫です。僕たちはボランティアです」
そして、憂は靴を脱いだ。どんどん上がる。呆気に取られる桃子たち。「こいよ」という感じで憂が振り返って顎をふる。
「お、おじゃまします」
ずうずうしいと思ったが、桃子たちも上がった。
「じゃあ、キッチンのお皿を出してくれるかしら」
女性が戸惑った感じで言った。
戸惑いながらも桃子たちの侵入を認めたのは、引っ越し業者がちょっと前まで出入りして、他人が部屋に入り込むことに鈍感になっていたからだろう。部屋はワンルームかと思えば、内部はキッチンのほかに洋間があり、すべての扉が開かれていて、ダンボールが所狭しと置いてある。
「割れないように包んであるけど、すぐに使いたいから」
申し訳なさそうに女性が言った。
ダンボールを桃子たちが開ける。女性も一緒になって、中の物を出して戸棚に並べる作業をした。
女性の歳は憂が言ったように三十代前半くらいで独身のようだ。東北出身で、転勤で初めて神奈川県に来たのだと桃子たちに教えてくれた。照れたような表情が可愛い女性で、遠慮ぎみの恥ずかしそうな笑顔を絶やさない。
一時間ばかり梱包を解くお手伝いをしていたら、
「近くにスーパーがあったわね」
と、思い出したように女性が言った。
「何か買ってくるわね。お昼、まだでしょ? お寿司とか売ってるかしら」
「とんでもないです!」
桃子は恐縮してしまった。
桃子たちの目的は新住人の調査と監視で、それをこの人が知れば、どれだけ嫌な気分になるだろう。憂などは、頼まれていないダンボールの梱包を勝手に解いたりして、まるで拳銃とか麻薬とか、そんなのあるわけないのに、そういう違法な物を探しているかのようだ。
(女性の私物を勝手に見るな!)
と、桃子は内心で怒った。
それにむしろ、こちらが引っ越し祝いで何かを振る舞ってあげたいのに、お寿司など買わせるわけにはいかない。
「ねえ、なにか買ってきてあげましょうよ」
憂に小さな声で言ったら、
「そんな必要はない」
と、氷の世界の住人のような冷たいことを平然と言う。新住人が悪人かそうでないか、それしか興味関心が彼にはない。
ダンボールの中に袋麺があって、
「お昼、私が作りましょうか」
と、それを持って首を傾げたら、
「人数分あるかしら。それでいいの?」
と、申し訳なさそうに女性がわらう。
野菜や卵の生鮮食料品はないようだが十分だと思った。桃子は鍋を二つ使って人数分のラーメンを作ることにした。
具なしの袋麺だからすぐに完成して、みんなに集まってもらった。人数分のラーメンどんぶりはないが、ほかの器でなんとかなった。
台所に車座に座る。
女性と桃子たち五人が手を合わせて、せーの、
「いただきます!」
と、声を揃えた。
「おいしい」
女性が目を細め、頬を丸くして言ってくれた。
桃子も芳ばしい香りの醤油ラーメンをすすり、
(こういうのっていいなあ)
と思った。
学校のパトロールは、まるで敵が襲ってくるかのように見回って殺伐としているが、こういう触れ合いは暖かくていい。
桃子は女性と電話番号とメールアドレスを交換して仲良しになった。きっと、彼女は新しい町で不安だったずで、ちょっぴりだが、それを和らげてあげることができたかもしれない。
「困ったことがあったら、なんでも言ってください。私の家も近くですから。用がなくても、電話していいですよ」
ここなら、たびたび様子を見に来ることができるし、道ですれ違うこともあるかもしれない。善良というか信頼できそうな人だ。早く町や仕事に慣れるように、
(私なんかでよければ話し相手になってあげたい)
と、そう思った。
一人暮らしだから、それほど荷物が多いというわけではない。夕方には片付けが終わり、桃子たちは女性に頭を下げてマンションから出ていった。
もうひとつ、今日から行うことが探偵部会議で決まっていた。
――町内治安維持挨拶活動。
行き過ぎる町の人に、
「こんにちは!」
と、挨拶を繰り返す。
桃子たちの腕章には「校内巡回パトロール」という文字が書いてあって、ここは校内ではないが、町内用の腕章の準備がないからしょうがない。だが、そこまで通行人も見てはいないようで、交通安全週間くらいに誤解しているのか、
「こんにちは。ご苦労様です」
と、笑顔を返してくれる。
「ただ、油断するなよ」
と、挨拶の合間に憂が言った。
「仲良くなろうとしているわけではない」
と、桃子たちに釘を刺す。
「俺たちは町の住人を監視してるだけだ。隙を見せるな。笑顔を返されても心で睨みつけろ。悪人は笑顔の仮面を被ってるぞ。パトロールは常に複数でやる。特に女子は気を付けろ。挨拶をすることで逆に悪人に目を付けられる」
(いったい、この人は何と戦っているんだろう……)
桃子は苦笑い。
犯罪の抑止。
不審者の監視。
挨拶活動はそういう意味があるだけのようで、住人と仲良くなることが目的ではない。
自分から言い出しっぺのくせに、挨拶するはずの憂の口から、
「こんにちは」
の一言が、決して弾むようには出てこない。
桃子たちの影に隠れて、どちらかというとオドオドして町の人を見送る。声を出したとしても、ぼそぼそ恥ずかしそうに挨拶をして、町の人が怖い様子だった。
(敵に見えるのかしら?)
彼には慣れない人は全部が敵に見えているのかもしれず、彼のこの性格をなんとか普通の人に矯正できないものかと桃子は考え始めていた。敵は町でも校内でもなく、彼の中にだけ存在しているのではないか。
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