1-6 二年一組窃盗事件
校長からの依頼で、二年一組の窃盗事件を桃子たちは調査する。
調査費用、指一本。
それがいくらなのか、聞くのが怖くて謎のままにしたいと桃子は思った。聞かなければ百円という可能性も残るし、それなら微笑ましい。
探偵部員はお金が貰える。
――校内治安維持活動費。
それは一日あたり五十円だった。
なかなか可愛らしい金額で、優奈は「バイトだと思えばいいんですよ」と言っていたが、あれは桃子を探偵部に留まらせるために、探偵分の魅力を誇張して伝えたようだった。お金が欲しかったら本物のバイトをすればいいし、本物のバイトと比べたら五十円という金額に誰も魅力も感じない。
一日五十円ということは、月で計算すると土日は部活がないから、おおむね千円くらい。年で計算したら一万二千円になって、お金を貰える部活などないから、そう考えると少し可愛気は失せる。
放課後の二年一組の教室に、桃子たち探偵部の五人が立った。桃子は腰に両手を添えるほど勇ましい気分にはなれない。そもそも、料理担当だ。
教室には誰もいないようだ。
むしろ、誰もいない放課後の時間を狙って桃子たちは来た。
「めいめい、調査しろ」
憂が睨むような眼光で無人の教室を睨み、桃子たちに指示を出した。
桃子も当然、初出動だが、探偵部としても初めての事件の調査らしく、憂以下は気合いが入っている。一年生たちは、みんな緊張した顔だ。
部員たちは教室の中に散らばり、桃子もよくわからないながら教室の中に入り、憂の視線の先をうかがう。彼は一通り教室を見渡し、何やら一人でうんうん言ってうなずき、そして教室の真ん中あたりの席に、用意したA4サイズの紙を置いた。「被害者・柑奈」と、太いマジックで書いてある。その後ろの席にも紙を置き、そこには「友人」とある。
「事件の位置関係はこう」
と、憂が校長からの情報を整理して桃子たちに伝えた。
「今はないが、この柑奈の机の横にスポーツバッグがあって、その中にテニス部の部費の千円が入っていた。後ろに友人がいてバッグを監視してるから、柑奈がいないときも犯人は手が出せない。犯行を行うには、四時間目の教室移動のときしかなかった」
「お金を持って移動したらいいのにね」
桃子は素朴な感想を口にした。貴重品を持って歩くのは基本中の基本ではないか。
「そうだが、たいした金額ではないし、大切なものを全部持って移動するわけにはいかない。それに、クラスメイトを信頼していたんだろう」
「隣のクラスに犯人がいるとか」
適当に言ったら、
「ふざけんな!」
と、憂に叱られた。その怒気が桃子は納得できない。
「どうして怒鳴るの? ほとんど普通に話せるじゃない。バカにしないでよね」
慣れた人には普通に話せるようで、桃子にも普通に話せるはずだ。いちいち怒鳴られたら、心穏やかには過ごせない。憂は一年生にはそれほど厳しくないのに、なぜか桃子には厳しく物を言って、なにか含むものがある気がして仕方がない。
「お前を馬鹿にしているわけではない」
と、憂は一応は言った。
「どうだか」
「いいか、俺の言いたいのは、根拠のないことを言うなってことだ。犯人は、このクラスの生徒だ」
憂は断言した。
「クラスの生徒……? それって、根拠があるの?」
桃子は次の憂の言葉を待った。校長から話を聞いたときに憂はすでにピンと来ていたようで、現場にきて、それが確信に変わったようだ。
「いつも箱の中のボールを意識しろ。弾む方向はよく見ればわかる。箱の角度を考えろ。ボールのスピードを考えろ」
箱ねえ……。と、桃子はうんざり。
想像してもわからないものはわからない。
そもそも、桃子はむりやり探偵部に入れられただけの料理担当の人。そんな人を現場に連れてきて推理を任せても、ピコーンと都合よく閃いたりはしない。
「三回目の犯行時、ここのクラスは教室移動で音楽室に行った。さあ、音楽室に行くぞ」
みんなで教室を出た憂の背中を追う。一年生たちも犯人なんてわからないようだ。
「忘れ物した。ちょっと待ってろ」
出たばかりの二年一組の教室に憂が走って戻る。そして、すぐに憂が桃子たちのところに戻ってきた。
「な、誰もいないときに、バッグの中の金を盗むなんて簡単だろ?」
憂は、ニヤリ……と、小鼻に笑いじわをつける。
「そうなの?」
桃子は突然の種明かしに、思わず口を開けて驚いた。
聞くと知っていたような気がするから不思議。
これは簡単なトリックだ。
誰もいない教室に舞い戻り、走って音楽室に行けば、クラスメイトと同じタイミングで音楽室に入ることができる。部費を盗まれた柑奈は、クラスメイトが音楽室に向かったことを自分の目で確認したのだろう。だからクラスメイトに犯人はいないと安心して、部外者の犯行を疑った。だが、犯人の生徒はこっそり三組に舞い戻り、そしてなにくわぬ顔で音楽室に行ったのだ。
「でも、犯人まではわからないよね?」
桃子は思った。そこが肝心なところで、犯人はクラスメイトだったとしても、誰なのかを言い当てなければ事件は解決しない。それがわからないのなら、薄っぺらい予想だと思った。
「それが、わかるんだなあ」
憂がにやにや笑う。
桃子たちは、また二年一組の教室に戻った。一番後ろの席の窓側二番目。その席に憂が三枚目の紙を置いた。「犯人」と、マジックで紙に大きく書いてある。
「その席の生徒が犯人なの!?」
桃子は目を丸くした。
説明は聞いてないが、自信満々に「犯人」と書いた紙を置かれて、本当にそんな気がしてきた。この席から、犯人の生徒は柑奈を狙っていた……。
「おそらくな。ここなら、柑奈と友人の行動を見渡せる。音楽室に柑奈たちに存在を誇示して出ていって、こっそり教室に舞い戻った。そして、おそらく他の階の廊下を走って通って、柑奈たちよりも早く音楽室に入った。だから疑われなかった」
「ほんとうに?」
当たっていたら驚嘆物。まるで見てきたかのように憂は語った。
「え……? でもちょっと待って」
柑奈たちを監視できる席は、ほかにもいくつかある。どうしてこの席の生徒が犯人だと言えるのか。
桃子の疑問を読み取ったのか、憂が首を傾けて指で自分の頭を叩いてみせた。
「馬鹿にしないで」
腹立たしい……。桃子とは頭が違うということか。
「あとはさ、犯人を校長に突き出す。犯人に『隠しカメラを仕掛けていた』と言えば、もう逃げられないって自供するだろ。それでこの事件はおしまいさ」
「カメラがあるの?」
「ないけど、そう言えば犯人は観念する。三回も同じ犯行を繰り返したんだ。カメラが仕掛けられていても不思議じゃないって犯人なら思うだろ。迂闊だったって諦めるさ。一件落着だよ」
なるほど……。
この事件の場合、三回同じ犯行を繰り返したというのが付け入る隙だったということか。後ろの席の怪しい生徒に「犯行を録画した」と、詰め寄っていけば、乱暴なやり方ではあるけが、犯人は見つかりそうだと桃子は思った。
憂が口角を上げ、腕を大きく振って人差指で天井を示した。特撮ヒーローのようなポーズ。
「みたか!」という勝鬨かと桃子は思ったが、校長から貰える報酬のことを示しているのかもしれなかった。
翌日、その「犯人」の男子生徒を、桃子たちは放課後に取り囲んだ。
捕まえた――。
という派手なものではない。
下駄箱の前で、帰宅する彼を探偵部の全員で待ち伏せして、
「俺たちは探偵部だ。ちょっと、来てくれないか」
と、憂が声をかけた。
そして、憂以下の腕章を付けた部員たちが生徒指導室に静かに連れていった。穏やかに済ませたいという校長の希望があったからだ。
「なに?」
と、生徒指導室で訝しむ顔を作る男子生徒。
「なんで呼ばれたのか、気付いてるよな?」
と、憂は低い声でその生徒に迫った。ちょっと迫力があって、桃子は緊張した。
「なんなんだよ」
それでも、とぼける態度の男子生徒。
憂は静かに自分のスマートフォンを取り出し、その画面を男子生徒に見せた。どんどん青ざめてゆく男子生徒の顔。やがて画面から視線を落とし、床を向いて黙ってしまった。
何を見せたのかと、桃子が首を伸ばして覗いていたら、憂はスマートフォンの角度を変えて桃子から隠した。途中まで見えたその映像は、二年一組の机が並んでいる様子だった。制服を着た男子生徒が、柑奈の青いスポーツバッグを物色していたように見えたが……。
(偽造ね)
と、桃子は思った。
犯行を録画したもの――。
犯人の生徒の顔が青ざめたのを見てもその映像のはずだが、そんなものは存在しない。憂のハッタリだ。
すぐに思ったのは、
(憂くんか西尾くんが犯人のフリをして、映像を偽造した)
というものだ。
これはやり過ぎ……。
背後から犯行場面をこっそり撮影したような映像で、そもそも偽物だし、顔はわざと映らないようにしていた。
ただ、犯人からしたら、腕章をした探偵部の五人に囲まれて生徒指導室に入れられて、この状況で崖っぷちの身の上を理解できただろう。強烈に疑われているのはわかったはずで、その上、鮮明ではないとはいえ、犯行の瞬間の映像を見せられた。本物なら決定的証拠で、彼が本物だと誤解する状況を憂は作ったのだろう。
生徒指導室の中は、探偵部の五人と容疑を掛けられた男子生徒だけで教師はいない。だが、彼は観念したように下を向いて固まった。
憂は怒るわけでもなく、意外と気の抜けたような、憐れみをかけるような余裕まで感じさせる表情をしているが、優奈や森、西尾の一年生たちは、眉を寄せて怖い顔で男子生徒を睨んでいる。桃子はドキドキして戸惑うばかりで、犯人でもないのに、この場から逃げ出したくなった。
「被害を受けた女子生徒に盗んだ金を返し、そして謝罪すること。できるか?」
憂が男子生徒の表情をうかがう。
男子生徒は黙ったままで、そして下を向いたままで頷いた。
「大丈夫。反省するのなら、ほかの生徒には黙っといてやる。だが、また同じようなことをしたら、大変なことになるぞ」
憂にそう凄まれ、男子生徒は下を向いたまま、またひとつ頷いた。
数日して、
「ありがとう。すべて終わったよ。二年一組は、もう大丈夫だ」
と、校長が満面の笑みで桃子たちの理科室に入ってきた。
終わってみれば、あっさりしたものだなあ、と桃子は思った。やはり憂が目を付けた生徒は本当に犯人で、盗んだ金を返し、柑奈に謝罪文を書き、柑奈が納得して彼を許すということで決着した。
事を荒げたくないのは柑奈の希望でもあり、本人が反省しているのなら、もうこれは忘れます。ということだった。
(でも、気になるなぁ)
桃子はいつまでも思っていた。
あの偽造の映像のことだ。
あの映像の存在を、探偵部以外の者は知らないのではないか。
今回は成功したが、極めて乱暴なやり方で、いつか大失敗の元になりそうな予感がするし、こんな嘘を土台とした方法は社会では通用しない。
「探偵部を作ってよかったでしょ?」
憂は桃子の不安をものともせず、胸を逸らせて得意げに校長に言った。
「ああ、よかった」
校長もほくほく上機嫌で、呑気なものだ。
「パトロールも効果が出ている。生徒たちの態度がよくなってきた」
桃子は内心で、「本当?」と思って校長の皴の深い色黒の顔を見つめてしまった。
最近の校内では、
「あの絆創膏、ボクシング部に殴り込みに行ってるらしいぜ」
と、生徒が三人集まると憂の噂がはじまる。
憂が顔に絆創膏をぺたぺた張った姿で、校内を睨みつけるように巡回しているからだ。最初の頃は放課後の校内を見回るだけで目立たないものだったが、最近は憂に度胸が付いたのか、彼が先頭になって昼休みの生徒の溢れる廊下を一年生を引き連れてパトロールをする。
もちろん、あの目立つ腕章を付けて歩く。
さらに、のぼり旗を発注中で、完成すれば戦国武将みたいにそれを持って校内の巡回パトロールを始めるのでは……と、桃子は恐怖を感じていた。目立って悪を追い出す方針のようで、憂ならやりかねない。
探偵部の変人たち――。
それが、憂と部員である桃子たちへの評価になっている。
校長室に桃子たちが入り浸っていることを他の生徒たちは知っていて、
「校長を軽く扱うと、あの殴り込みヤローが突っかかって来る」
と、そのように思われている。
つまり、校長の警備隊みたいに桃子たちは思われているのだ。憂の狂騒が一年生たちにも移り、一年生たちは怖い顔で校内をパトロールしている。桃子は、理科室の奥でみんなにおやつを作ったりして、巡回パトロールにはあまり参加しないようにしている。探偵部は、いったいどこに向かっているんだろう……。と、桃子は一人、不安になるのだった。
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