1-5 思い出の写真
「――ただいま」
父親の帰宅の声が聞こえた。
(ああ、よかった……)
今日もなにごとも起こらなかった。この声を聞いて、やっと落ち着くことができる。
ほっとして、ガスの元栓を捻ってコンロに火を灯し、父親の食事を温め直す。今日はイカと里芋の煮物と、白菜のたくさん入った湯豆腐を作った。父親の好きなワサビ漬けもまだ残っていたので、それも出す。
自分でも馬鹿な空想だと思うのだが、料理を作りながら、これを食べる人がその前に事故で亡くなって、この料理をゴミ箱に処分するとき、どれだけ悲しいだろう……と、そんなことを考えて気持ちが沈み苦しんだりする。静かな部屋で、一人ぼっちで料理を作る孤独からだろうか。
父親の食事が済み、風呂に入っていった。桃子は自分の部屋に入り、ようやく自分の時間がはじまる。風呂から父親の鼻歌がかすかに聞こえてきて、家族が家にいる安心感に浸った。
安心して、学校でのことを思い出す余裕ができた。
桃子は本棚の前に立つ。小学校と中学校の卒業アルバムを探す。すぐに見つかってそれを開いた。
各組の集合写真が載っている。小学六年生と中学三年生。そのときは憂と違うクラスで、憂のクラスの集合写真を探した。何組だったのか記憶になかったが、六年四組だったようで、集合写真の下に名前が出ている。
「あ、同じ髪型だ」
憂は、小学校と中学校の卒業アルバムの集合写真で、今と髪型が変わらない。目が隠れそうな前髪でうつむく。前に同じクラスになったときも目を逸らし、ぼそぼそ話す印象しか残っていない。いや、その記憶も霞みの方にぼんやりしていて、目を逸らしてぼそぼそ話すのは今のクラスでの様子だと思った。友達といえるほど仲が良くなかったから、桃子は彼のことなど何も知らない。
探偵部を、自ら立ち上げた憂。
「悪を追いはらう」
と、勇ましく言っている彼が完成したのはいつだろう。ボクシング部に、
「殴り込みをする」
と、出掛けて行っては打ちのめされてくる彼の格闘本能が目覚めたのはいつだろう。人は作られるのだろうか。白紙のノートに赤いペンで書けば、それは赤い人生になるのか。それとも、泥の中に埋まったビー玉を水で洗い流すように、年齢と共にその本来の姿が輝き出てくるものなのか。
昔の学校関係の写真を見てみたが、記念写真や友達とのスナップショットばかりで、憂が写っていそうなものはない。
ついでに探索が脱線して、幼稚園の頃の写真を桃子は見ていた。
「うそでしょ?」
まさかと思った。
幼稚園の卒園記念の集合写真に、憂らしき園児の姿があった。園児たちの集合写真。名前はないが、似ている。
「憂くんも、あかね幼稚園だっけ?」
そうなのか……。
家は近所のマンションらしいことは知っていて、そこの出入りを見たことがある。近所だから幼稚園が一緒だったのだ。考えてみたら、普通に想像ができることだった。
そして、幼稚園のときのほかの写真にも憂が写っていた。
「似てる……。絶対そうだよ」
三人の園児が写るその一枚。
あかね幼稚園の制服を着て、三人がピースをしている。真ん中が桃子。向かって左側におさげの女の子がいて、桃子の右隣りに写る憂。はっ、とした。この写真の存在を、もちろん桃子は知っていた。だが、両隣の子が誰なのかは知らなかった。カメラを向けられて、それぞれの園児が咄嗟にピースサインをしたもの――。そのように思っていただけで、それ以外の感想を持つことのない写真だった。
桃子の記憶では、この写真の裏に園児三人の名前が書いてあったはず。
「やっぱり、憂くんだ……」
福 憂 五歳
夏井桃子 五歳
細く奇麗な筆跡で写真の裏に書いてある。桃子の母親の文字だ。
憂がこの写真に写ったのは偶然だろうか?
幼稚園、小学校、中学校、高校――。桃子と彼はずっと一緒だったようだ。これはもう、完全に幼馴染と言えるのではないか。さすがに、そこまで一緒だった生徒は、桃子の記憶の範囲では男女ともに一人もいない。今まで、ほとんど彼と会話をしなかったのが不自然に感じた。
憂は、こういう因縁めいた関係があったから探偵部に誘ったのだろうか。彼は桃子のことをどう思っているのだろう。手下? 友人? 桃子の趣味が料理ということを知っていたから、桃子が彼を知っているよりは、桃子のことを知っているのかもしれない。探偵部にむりやり入れたのは、桃子が部活に入っていないのを知っていたからに違いない。
彼と中学生のときに親しかった生徒は誰だろう? 思い出そうとしても、霞みの奥に憂が隠れて見えてこない。趣味も知らない。兄弟がいるのかも知らない。
必死に追想して古い憂の姿を探していると、中学生のとき、彼が美術部員だったことを思い出した。「さすが、美術部員」と、美術の時間に教師が憂の絵を褒めていたシーンだけが出てきた。
中学で、美術部だった友達がいた。
高校に入ってから疎遠になったが、中学の時は仲が良かった。誕生日を祝い合い、遊園地などにも一緒に出掛けたことがある。携帯のメモリーに彼女の電話番号があって、桃子は椎名に電話をしてみた。
「――こんばんは」
自分は憂と同じ高校で、彼が探偵部という変な部活を作り、その部活にむりやり入れられたことを伝え、彼がどういう生徒だったのかを尋ねた。
「おとなしい人だったから、覚えてないかもしれないけど」
と言うと、
『――福憂でしょ? もちろん知ってるよ』
と、電話の向こうの香椎が、笑い声と共に言った。
『たしかにあいつ、いつもおとなしかったけどさあ。一回、美術部で盗難騒ぎがあったのね。それで疑われてさあ、そんときに、なんか異様に怒ってた。それをよく覚えてる。自分が疑われたわけじゃないのにさあ』
「どういうこと?」
『疑われたのは別の女の子だったんだけど、そんときに、その子が福とずっと一緒にいて、福はその子が犯人じゃないって知ってたみたい。だから怒った』
「憂くん、その子のために怒ってくれたんだ」
ふと、気になったことがある。
香椎は彼のことを上の名前で「副」と呼ぶ。桃子が友達でもなかったのに、「憂くん」と彼を下の名前で呼ぶ気になったのはどういうわけだろう。自分のことなのに、なぜなのかはわからない。
香椎は憂の話を続けてくれた。
『福ってさあ、緊張症っていうの? 頑張らないと声が出ないんだって。しゃべるときも怒鳴るように言っちゃう。いつだったか、先生にさされて、そのときにボソボソ答えて、聞こえないぞって先生に言われたら、わかりません! って大声で言って、みんなびっくりしちゃって』
「そんなことがあったのね……」
ありありとその様子が浮かび、色彩を帯びて中学時代の彼が浮かび上がってきた。
『頑張らないと声が出なくて、頑張ると興奮するみたい。あはは、変なやつだよね』
ちょっぴりだけ、憂のことが理解できた気がした。
頑張らないと声が出ないとは、緊張してるからなのだろうか。
(恥ずかしくて?)
今の話からすると、正義感が強いのは、ただのポーズではないようだ。
『まあ、それでも、けっこういい男だから、女子には人気があったんだけどね。バレンタインのときとか、美術部の女子から何個か貰ってたとおもう』
「そうなの?」
内面ではなく顔の話のようだ。いつもうつむいてるから、そんなに顔は見えないが。
『あの子の場合は、顔っていうよりは怒ってくれたことに感謝したんじゃないかな。その副に庇ってもらった子もバレンタインにチョコをあげてたと思う。たぶん、あの二人って、そのあと付き合ったんじゃないかな』
「ほんとう?」
ちょっと、気になった。
『あれ、ちがったかな』
少し、椎名の記憶は頼りない。別の美術部の部員と混同したかもしれないという。それなら、まったく憂とは関係がなくなる。それは何年生のときの話かと聞いたが、一年生のような二年生だったような……と、ここもまことに頼りない。
『一緒の学校なら、あいつに聞いてみたら』
と言われ、
「そんなに興味ないから」
と、桃子は慌てて言った。
それで、
「ありがとう」
と言って電話を切った。
電話を切ってからも憂のことを桃子はずっと考えていた。とりあえず、付き合っていたかもしれない女子の話は脇に置いておこう。
(いや、やっぱり理解できないかな)
頑張らないと声が出ないとしても、「うるさい!」と怒鳴る必要はないだろう。頑張って興奮したってことだろうか。
(やっぱり、謎の惑星の人……)
でも料理を作るくらいなら、探偵部に付き合ってあげてもいい気がしてきた。早く家に帰りたいが、明るいうちに帰れるならぎりぎり許せる。変な料理を作ってしまった埋め合わせをしたかった。
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