1-2 入部の理由


 次の日の放課後になった。

 桃子はいつものように真っ直ぐに下駄箱を目指す。そして、真直ぐに帰宅する。

 鍵の番号を変な人に覚えられてしまい、もうあれは交換しなければならない。家の物置を探したら、使えそうな鍵が出て来た。ホームセンターに寄って鍵を新調しなければならないと思っていたから助かった。

 廊下に出て左右を見渡す。

 よし、誰も居ない。

 探偵部の副部長――。

 きのうは考えたら、それほど乱暴なことをされたわけではなかった。

 だから教師には訴えづらくて、名前だけ登録されてしまったが、このまま幽霊部員で過ごせるなら、もうこれは忘れようと桃子は思った。出席しないなら、自分のことを諦めてくれるだろう。部員は探せば誰か見つかるはずだ。知らないが。

 バッグの中の鍵を取り出す。

 前の鍵は番号を合わせるタイプで、セキュリティーの甘さを感じていた。番号を見られてもまずいが、根気よく番号を探し続ければ、あの鍵は開いてしまうのだ。今度のはキーを挿入して開けるタイプで、これなら大丈夫。これで万が一、隙間から手紙が入っても誰にも見られない。

 手紙といっても、具体的に何かを待っているわけではない。

 桃子は、小学生のときから扉の付いている学校の下駄箱に憧れていた。

 小学校と中学校は解放型の下駄箱で、靴が外気にさらされている構造だった。それが、ついに高校になって扉付きの下駄箱になり、これでドラマや歌にあるような、恋の手紙が下駄箱に入れられるという夢のある出来事が起こる可能性ができた。

「副部長、おむかえに上がりました」

「まさか……」

 ギクッとした。

 探偵部の一年生の三人が、桃子の下駄箱の前に立っていた。

「あなたたち」

 誰にも監禁事件を相談してないが、それを桃子は後悔した。結構な粘着体質だ。部室に顔を出さなければ済むという問題ではなかった。

「きょうは、髪がいい感じですね」

「髪?」

 昨日、髪を切ってくれた水崎優奈――。彼女がにこにこして桃子の髪を見つめる。

(そう……あなたのせいで、ちょっと気を使ってしまったのよ)

 桃子は溜息をした。

 ただ、そんなに怖くはない。なぜか一年生の三人は雰囲気良さげに和んだ表情をしていて、逃げたとしても、ぶっとばしてはこなそう。

「さあ、行きましょう」

 と、優奈に手を引かれた。

(この子たちは良い子みたいで……)

 少し、気になった。

 桃子が部室に行かなければ、この三人が憂に叱られるだろう。

 桃子の中で物語ができている。

 憂は、おとなしい一年生を探して、むりやり探偵部の部員にしているだけだ。

 桃子に怒鳴った態度がその証拠で、訳のわからない勢いで探偵部を率いても、そんなものは砂上の楼閣で長くは続かない。だいたい、あの理科室が部室とのことだが、旧校舎の人の居ない部屋を勝手に使っているだけで、そのうち教師に発見されて追い出されるだろう。

 桃子は帰りづらい雰囲気の中、優奈たちと一緒に部室までの廊下を歩き始めてしまった。優奈が、ちらちら桃子の髪を見る。

「優奈さん、私の髪、きのうと違って見える?」

「まったく違いますよ。うるおって、きらきら輝いてます。トリートメントをしたんですね。とっても奇麗になってます。そのショートの髪も似合いますけど、ロングも似合うと思います」

 遠慮なく手を伸ばしてきて、桃子の髪に手グシを入れる。

 探偵部なんかにはもう行くつもりはなかった。でも優奈に、「ぼさぼさ頭」と思われるのが嫌で、廊下で鉢合わせすることもあるのだから、つい気合いを入れて髪の手入れをしてしまった。その甲斐があったのだが、まさか待ち伏せされるとは思わなかった。

 入部の署名をしたのはまずかったかもしれない。昨日は早く帰りたくて、つい署名をしてしまった。探偵部になど入る意思がないことを頑として示すべきだった。むりやりとはいえ、署名をしたのは自分の落ち度だろう。

(よし、行こう)

 桃子は廊下を歩きながら思った。

 昨日書いた入部届を取り返して綺麗な身になろう。まさか、すぐに退部しても、本当にぶっとばされたりしないはずだ。脅かすために言ってるだけで、憂が乱暴者であったとしても、そこまでの度胸はない気がした。

「あなたたちも、むりやり探偵部に入れられたんだよね?」

 一年生たちの三人が、きょとんとした顔をした。そんな三人に桃子は、

「むりやりなんてよくないよね……。部活っていうのはさあ、自分の意志で入るものよ。わけのわからない部活にむりやり入れられて、困ってるでしょ?」

「私、階段から――」

 と優奈が、

「休み時間に先生に頼まれた資料を持っていて、前がよく見えなかったんです。それで階段を踏み外して落ちそうになって、そのとき、部長が助けてくれました」

「部長って、憂くんが?」

「階段を踏み外す前から、私が落ちるのが分かったんですって。私の歩く速度、持っている資料、歩き方……。それらを計算して、踏み外した瞬間に私の体を支えてくれたんです。ふわっと私を両腕で抱えて、雲に飛び込むみたいに」

 優奈は興奮気味にそのときの様子を話す。

「落とした資料も空中でキャッチしたんですよ。私もう、感動しちゃったんです!」

「それで、優奈さんは探偵部に入ったの……?」

「はい」

 きらきらした瞳で優奈がうなずいた。

 憂の箱の話を思い出した。状況を的確に分析して、その結果、このままでは優奈が階段から落ちてしまう。いけない! ……そんな感じだったのだろうか。

「部長みたいに推理できる人に憧れて」

「そうなのね」

 まあ、どこに感動するかは人それぞれだから構わないが、桃子は別に感動して入部届に署名したわけではない。

「森さん、あなたは?」

 掃除魔……というか、片付けが好きな彼女にも入部のきっかけを聞いてみた。

「屋上に出て考え事をしていました――」

 と、赤いシュシュの森京華が小さな声で話しはじめた。

 ちょっと桃子は不吉な予感がした。屋上には出てはいけないことになっている。鍵もかかっていたのではないだろうか。

「鍵が壊れて通れる場所があるんですよ……」

 桃子の疑問を読み取ったように森が言った。

「……それで、屋上の柵のところで下を見ていたら、部長がいつの間にか近くにいて……『俺でよかったら話を聞くよ』って、言ってくれたんです。すごく……真剣な顔で」

「それで?」

「はい、それで探偵部の部室で話を聞いてくれて、そして私も探偵部に入れてもらいました」

「そう……」

 彼女は、もしかしたら屋上から飛び降りようとしていたのでは……と、ちょっと思ってしまったが、怖くてそれは聞けない。だが、彼女は憂に精神的に助けられたようだ。憂は、彼女が思い悩んで屋上に出て行く姿を見つけたのか、その得意らしい推理能力で沈んだ彼女を発見して、それとなく注意して彼女を見続けていたのか、それはわからない。しかし、彼女にとってはヒーローのようだ。雰囲気としては、彼女は憂の言うことなら、なんでも疑わずに聞きそうだった。

「私に出来ることはなんでもしたくて」

「掃除ね……」

 恩返しのようだ。

「西尾くん、あなたも助けられたの?」

「ある意味では」

 一人だけ男子の西尾は、照れたように笑って首を傾げる。

「あんたはチョコレートに釣られただけでしょ。どうしてあんただけ毎日おやつが貰えるのよ」

 女子たちに、

「チョコレートマン」

 と、からかわれる西尾。

「チョコレートが貰えるっていうのもあるけど、まあ、暇だったから」

 西尾は屈託ない笑顔で笑っている。チョコレート好きは本当のようだが、今から考えたら貰った途端に桃子の前でチョコレートを食べたのはおかしかった。あれは彼流の冗談だったのかもしれない。

「たぶん……彼は、人数合わせなんですよ……」

 森が桃子に近づき、その特徴の夜中に囁くような声で教えてくれた。

「どういうこと?」

「……先輩を探偵部に入れることは、最初から決まっていたんです」

「私を?」

「でも先輩が入ったら、男子は部長が一人だけになっちゃうんですよ……。それだと、ちょっとバランスが悪いから、チョコレート代を使ってでも、男子を一人入れたかったんだと思います。私、そう推理してます」

「推理ね……」

 チョコレートにしろ何にしろ、一年生たちはむりやり探偵部に入れられたのではない様子だった。だから、桃子の味方にはなってくれそうもない。

「ほかにも、探偵部には魅力があります!」

 優奈あかるく笑って桃子を手招きして、招かれるままに付いてゆくと、そこに一枚のポスターが貼ってあった。イラスト入りの探偵部の部員募集ポスターだ。

(なんだか、一生懸命ね)

 一年生たちは桃子に好意的な笑顔を絶えず送ってくる。探偵部に自分をとどめたいという必死さは伝わってきたが、だからといって、探偵部になど入りたくない。


 ――探偵部員募集。ココロザシのある者求む。校内治安維持活動費の支給あり。部室、旧校舎三階理科室。


 ポスターには橋高のブレザーの制服を着た男子の絵が描いてあり、こちらを指差してキリっとしたカメラ目線。目にキラッと光る菱形の表現がいくつも入っている。

(この絵のキャラって憂くんだよね。描いた人も憂くんじゃない?)

 桃子はポスターを見て呆れてしまった。

 わけのわからない直進力は感じるが、隙ばかりの気がした。ポスターの完成度も悪い。

「酷い絵……。自分がヒーローのつもりなのね。まったく酷い絵……。絵心もなにもあったもんじゃない。笑っちゃうわ。探偵部なんてやる前に、美術部に入ればいいのに」

 きのうは怒鳴られた。その様子を思い出して腹が立ってきて、腹立ち紛れに率直な感想で憂を斬った。

「こんなに酷い絵、初めて見たわ」

 そしたら、

「私が描きました」

 と、隣に立つ優奈が言った。

「え? あなたが描いたの?」

「そうですよ。気に入りませんか?」

 眉を寄せて、さっきまで目を糸のように細めてコロコロ笑っていたのに、別人のように冷めた顔になっている。自分で描いたから、そのポスターを見せようと連れてきたようだ。

「ごめんね……」

「絵はまあ、気に入らなかったら副部長が描いてください。このポスターは二日前に貼りだしたんですが、その前は、この掲示板に文章だけで貼りだされていました。注目はここです」

 優奈がポスターの一文を指差した。


 ――校内治安維持活動費


 と、そこに書いてある。

「探偵部って、部員からお金を取るの?」

 なんてやつだ……。と思って桃子は腹が立った。

 憂は人をおどかして入部させ、お金まで取っている。なるほど、それなら部員をたくさん欲しいわけだ。この後、次から次へと桃子のような被害者が出てくるだろう。結構しつこいから、千円くらいで粘着をやめてもらえるなら、桃子は払ってしまいそうだった。

「ちがいます。これが支給されるのです。部員はお金が貰えます」

 優奈が、

「逆です」

 と笑った。

「もらえるの?」

「バイト替わりと思えばいいんですよ。平部員よりも、副部長の先輩のほうがたくさん貰えると思いますよ。校内パトロールとかラクショーですし、仕事は簡単です」

「じゃあ、あなたはバイトで部員をやってるのね?」

「それもあります。最近、学校の窓ガラスが割られたり、下駄箱荒らしがあったりして、校内の治安を守りたい気持ちもあります」

「本当に、お金が貰えるのね」

「ええ」

 驚いた……。

 憂の家はお金持ちだっただろうか……と、首を傾げる。探偵部など学校公認の部活動ではないはずで、お金の出所が気になった。まるで憂は、ドラマや漫画に出て来るお金持ちの子供のようだ。「おもちゃをあげるから友達になって」みたいな。そんなふうに仲間や友達を増やしても虚しい気がした。

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