Episode 9 満ちる月(2)

 夜の少女が眠りから醒めると、目の前に見知った顔があった。彼女は驚いて飛び上がった。

「一体どこに行っていたの、側にいてくれるって言ったじゃない。この嘘つき、」

 彼女が罵声を浴びせ終える前に、その少女は不意に彼女をきつく抱きしめて、涙声で言った。

「あなたは私なんだわ――あなたは、私の心の中に閉じ籠めていた私なのよ」

 突然のことに彼女は、目を白黒させて黙ってしまった。数秒ののち、少女は腕の力を緩めて、彼女の顔を真っ直ぐ見つめた。

 いつも快活だったその顔が悲しげに歪んでいるのを、彼女は信じられない気持ちで見つめ返した。

「私、知っていたの。あなたが歌えなくなった理由も、この箱庭が枯れてしまったわけも。全部私のせいなの。私が悪いの……」

「わ、わかったから、もう泣かないで。話を聞かせてくれる? 何を聞いても絶対にあなたを責めないわ、だって、あなたはわたしなんでしょう」

 腫れた赤い目を擦って、少女は頷いた。


「あなたの好きな歌は、歌詞のないハミングの子守唄でしょう?」

 夜の少女が頷いたのを見て、彼女は俯いた。

「そうでしょうね……私はあの歌をもう歌わないと決めたの。一番大切な歌だけど、周りには馬鹿にされるのよ。そんな歌詞もない、つまらない歌を、どうしてそんなに楽しそうに歌うのかって、あいつはおかしいんだって」

 それを聞いた瞬間、夜の少女の頭の中にもその記憶が雪崩れ込んできて、少女は目を見開いた。じわりと目に涙が滲んで、溢れて零れる。

「ああ、ごめんなさい、泣かせるつもりじゃ……」

「思い出したの」

「え?」

「その時のこと……」

 昼の少女は少し動揺したようだったけれども、険しい顔で続きを話し始めた。

「箱庭が枯れたのは、私が私の好きなものを否定したから……つまり、ここは私の心の奥の世界なのね。きっとあの歌を歌えば蘇るわ。でもきっと、そうしたらあなたは消えてしまう……私があなたを受け入れることになるのだもの」

 夜の少女は、思わず萎れた顔をする彼女の手を取った。

「わたしはあなたなのだから、消えるわけじゃないわ。ここから消えてしまっても、あなたの中にわたしはいるでしょう? ……でも、ときどき思い出して。永遠の夜の箱庭の少女のこと」

 星明かりのように、夜の少女の笑顔が瞬く。

 寂しそうに微笑んで、昼の少女は頷いた。


 二人は手を繋いで、金色こんじきに輝く満月を見上げた。光が歌いだした旋律に、影の声が重なる。柔らかい雨のように、優しく箱庭を包み込んだ歌に呼応するように、地面から草花が芽吹き、天の方へと伸びていく。……そうして満開の花が咲き誇る美しい箱庭が出来上がった頃、歌は終わり、いつの間にか影の姿は消えていた。空になった掌と対照的に、少女の心は不思議と満ちていた。

 それはいつも自分を騙していたものではない、本物の幸福感だった。

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