死の無き世界に明日を探して

夜鴉 マキア

第1話 怯える夜

 昼間ならいい。

 自分の目と耳で周囲を見張ることが出来る。

 夜は最悪だ。

 奴らが蠢いていても、気付くのが遅れる。

 安全に眠れる場所を探すのは、並の苦労では補えない。

 それが、新しい居場所への移動を妨げ、同じ場所に人を留める原因となり、結局奴らに見つかり向うの世界に連れて行かれる事になる。

 こうして、人間のまま生き続けるのがどんどん難しくなっているのだ。

 それでも、まだ人間であり続けている者は少なくない。抵抗する事を覚え、生き永らえているのだ。

 しかし、この国が且つて安全を謳う国であった事実が、その抵抗の手段を制限し、人間の数を一気に減らすことになったのは皮肉な話だ。

 隠れ家に身を潜めたこの若い男も、抵抗のための手段に乏しく、逃げる事に疲れ果てていた。

 彼は夜の闇の中に膝を抱え呟いた。

「このまま食う物もなく、勝手に魍魎になっちまうのかな…」

 何とか見つけることが出来たレーションの袋を歯で千切り開けながら若い男、芝浦凌士は呟いた。

 そろそろ火が欲しい季節だが、このねぐらで火を使うのは躊躇われた。

 見張りが出来るよう、敢えて外の見える廃屋に腰を据えているのだ。もし火を使い、その灯りが漏れたら奴らは集まってきてしまうだろう。

 自分は武器らしい武器を持っていない。刃物程度でどうにかなる相手じゃないのは、あの日から半年近く逃げ続けている間、嫌と言うほど目撃させられていた。

 気付けば、家族も、友人も、誰一人周りに居なくなっていた。

 皆、あっち側に行ってしまった。

 抵抗は空しい敗北の連続に彩られた。血と肉の飛沫という禍々しい色彩で。

 自分の親しい人間が、目の前で奴らに襲われ、人間であることをやめさせられた。

「やられてたまるか…」

 がつがつと、冷えたレトルトの肉を喰いながら凌士は呟く。

 生きてやる。

 なんとしても生きてやる。

 だが…

 人間として生き続けて何が待っているというのだろう。

 生きている人間の姿は、見る見る減っていき、ここ何週間も自分以外の生きている人間に出会っていない。

 世界はこのまま滅びるのだろうか。

 もう人間が世界を支配するのは難しいだろう事は間違いない。

 奴らの方が圧倒的に優勢なのだ。

 その中で人間として生き残り、何がある?

 形容しがたい恐怖が身体の奥から湧き出るのを、凌士は口の中の冷たい肉を飲み込むことで掻き消そうと努力した。

 嫌だった。

 人間でなくなることが堪らなく嫌だった。

 だから、味なんてわからなくても、食べ続け、息をし、たとえ血を流そうと生き残る。

 理由など判らない。ただ、自分は明日を無事に迎えたかった。


 いつ眠ったのか判らなかった。

 硬い壁にもたれたまま、夢も見ず眠りの中に落ちていた。

 だが、生きる事に必死の身体は、音に対し非常に敏感になっていた。

 一瞬にして凌士は目覚め、全身に緊張を漲らせた。

 動き回っている。

 ねぐらのすぐそばを何かが動いている。

 それもかなりの数。

 見つかってしまったか…

 軽い焦りが襲ってきたが、音は特にこちらに向かってくる感じではなかった。

 音をたてぬよう壁の隙間に移動した凌士は、外の様子を窺った。


「!」

 そこには異様な光景が展開していた。

 かなりの数の奴らが、魍魎どもが集まっていた。ざっと数えて十体は居る奴らの目指す先に、明らかに生きている人間の姿が見えたのだ。

 この数を相手に勝てる筈がない。

 凌士は思ったが、魍魎たちに対峙した影は気圧される風もなく、悠然と立っていた。

 闇に目が慣れ、その立っている人間の姿が見えるようになり、凌士は再び驚いた。

 女、いや正確には若い女の子。多分十代後半に手が届くかどうか、世界がこうなってしまう前ならたぶん高校生くらいの若い子だったのだ。

「お、おい…」

 思わず小声が漏れるほどの驚きだったのだが、真の驚愕はその後訪れるのだった。


「さあ、かかって来な。くそども」

 亜里沙は、呟くと手にしたオートマチック拳銃のスライドを引き、一発目をチャンバーに送り込んだ。

 SIGザウエル226は、マガジンに十五発の九ミリパラベラム弾を飲み込む。この銃にはマニュアルセーフティー、つまり常時かけておける安全装置は無い。ハーフコック状態であれば暴発を防げるので、この位置にハンマーを戻すデバイスはあるが、亜里沙はこれを信用していなかった。だから、チェンバーにはいつも弾は無く、一発目は発射直前に装填する癖をつけていた。

 通常の九ミリが、死にぞこない達に対し非力なのは了解している。

 だが、この夜彼女は今までのカッパーブレッドではない弾丸をマガジンに装填してきていた。

 半月が西の空にあった。その光で照準は十分だった。

 躊躇うことなく、亜里沙はトリガーを引く。

 タンという短い銃声、宙に飛ぶ薬莢。

 そして、二十メートルほど向うに居た死にぞこないの一人の頭が、脳漿をぶちまけ吹っ飛んだ。

 通常の被鋼弾ならするっと抜けた筈だ。亜里沙の放った弾丸は、先端が鉛がむき出しのソフトポイント弾だったのだ。鉛は命中と同時に広がり、突き抜けた時には巨大な穴となって撃ち抜いた柔らかい部分を吹き飛ばすのだ。

「まず一体」

 亜里沙は照準を移し、すぐに二発目のトリガーを引く。

 再び、頭を吹き飛ばされた死にぞこないが、身体を崩し倒れる。

 だが、ここで残りの八体ほどの動きが変わった。

 かなりの速度で一斉に彼女に向かい始めたのだ。

「頭じゃなく体に知恵があるってのはマジだったのかよ」

 亜里沙は舌打ちをすると、拳銃を連射し始めた。出来るだけ頭を狙っているが、命中させるのは格段に難しくなり、十発を放った時点で倒せたのは最初の二体を含め四体だけだった。

「ふん、数に頼ればいいってもんじゃないわ、知恵無しどもが」

 亜里沙は拳銃をホルスターに戻すと、スリングで背中に担いでいたそれを両手で構えた。

「喰らえ、死ねないくそども、肉片になって後悔しな!」

 MP5K短機関銃。

 全長の短いそれは、明らかに先ほどの拳銃同様特殊部隊の装備だった。

 フルオートではなく、三発バーストに設定してあるサブマシンガンを、亜里沙は的確に動く目標の頭部に照準しトリガーを引く。

 次々に、魍魎たちの頭部が粉砕され、肉と骨片、そして砕けた脳が周囲に散乱する。

 三分も経たずに決着はついた。

 すべてのボディーが地に倒れ、立っているのは亜里沙一人になった。

 小さく息を吐き、彼女が銃口を下げた時、それは現れた。

 反射的にサブマシンガンを構え直したが、そのマガジンが空になり撃つべき弾が無いのに気付き、亜里沙は舌打ちし、急ぎ腰のナイフに手を伸ばそうとした。

 だが、その耳に、はっきりとその声は届いた。


「撃つな! 僕は生きた人間だ!」

 凌士は叫び、物影から両手を上げて飛び出した。

 少女は一瞬動きを止め、彼を見ていたが、すぐに緊張を解いた様子だった。

「一緒に来なよ、銃声でまた奴らが来るかもしれないから」

 少女が言った。

 凌士は頷き、彼女に駆け寄った。

 身長百七十少しの凌士から見ると、少女はかなり小さく見えた。だが、近付いてみるとその目は年齢に似つかわしくない険しいものだと判った。

「一人で逃げてたの?」

 少女の問いに凌士は頷いた。

「ずっと隠れて回ってた。君は凄いな、その武器は何処で?」

 少女は、軽く肩を竦めてからこう答えた。

「拾ったのに決まってるでしょ、武装した自衛隊員や警官の残骸なんて、そこら中に転がってる。あの死にぞこない達にバラバラにされて放っておかれてるそいつらの横に落ちてたのよ」

「五体揃ってなければ、魍魎にはならないからな。そうか、そういう武器の集め方もあったのか…」

 凌士が感心した風に呟いた。

「急いで移動するよ、あたしの役目は陽動なんだけど、これ以上あいつら相手にする武器がない。弾全部使い切っちゃったからね」

 少女はそう言うと凌士に走るよう促した。

 慌てて少女に従い走り出しながら凌士は訊いた。

「陽動? どういうことそれ」

「相棒ってか、変な連れが今ごちゃごちゃやってるんだよ、その手助けで派手にやってたんだよ。普段だったら、あんな撃ち合いやるわけないって」

 確かに、あそこまで派手に魍魎とやり合ってる人間の姿は、もう何か月も見ていない。

「相棒って?」

「あとで、話すし、とにかく安全な場所まで走っから!」

 少女に促され、凌士は駆けた。

 十分は走ったろうか。二人は大きな建物の最上階の片隅でようやく立ち止まった。窓ガラスはとうに無くなり、下界が良く見渡せた。

「追われてはいなかったみたいね。あんた、一人でよく今まで生き残れてたね」

 少女が凌士に向き直りながら言った。

「まあ、いろいろ努力はしてきたつもりだよ。俺は色川凌士だ」

「確かに普通の事やって生き残れるはずないよね。あたしは水村亜里沙、生きて出会えてよかったね。死にぞこないには容赦なく鉛弾ぶち込んできたから」

 おっかない、そんな言葉が出かけたが、これがこの子が今まで生き残れてきた理由であるのは間違いないから、凌士は何も言わなかった。

「あんにゃろ、そろそろ始めるころなんだけど…」

 亜里沙がそう呟いた時だった。視界の下、つまり地上の少し離れた地点にいきなり大きな火の手が上がった。

「あれは…」

 凌士が目を丸くすると、亜里沙が薄く笑った。

「さあショーの始まりかな」

 音は遅れてやって来た。腹に響く轟音。

「いったい何を…」

 凌士は目を丸くして、彼方に上がった火の手を見つめた。

 まさか、そこで自分の想像を超えた存在が暴れているなど思いもせずに…


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死の無き世界に明日を探して 夜鴉 マキア @gangstarwanko

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