第3話 都へ。都へ。


 「大儲けだ!ウォル、やっぱアンタについてきて正解だったぜ」


 アグリゲルはぶんどり品の腕鎧の具合を確かめ確かめ、言った。

一方のウォルはと言えば、細々とした金貨だの、飾り細工だのを転がしては確かめている。

金属製の武具というのも決して安いものではない。

仕立て合わせた品には及ばないとは言え、板金鎧の部品であっても数日間分以上の飲み代、生活費にはなる。

まして、それが数人分だ。大もうけ、という傭兵の言葉は将にその通りであった。


「そりゃ結構」

「何でぇつれねぇな。ま、結構結構大結構よ。

酒と飯もくたばった連中のがあるし。

一杯どうだい。一壺、積み荷からチョロまかした奴がある」


 たっぷりと膨れ上がったずた袋に甲冑を投げ込むと、

傭兵は答えも聞かずにぐびりと壺から酒を飲み下す。


「あんたねぇ」

「リーアちゃん、酒は冒険者の友だとずっと昔から決まってんだ。

俺ぁ友達を無下になんて出来んね」

 

 いつの間にやらちゃん付けになったらしかった。

二度三度、たっぷりと酒を味わっては旨い、こいつはいい酒だなどと放言する傭兵を見つめる少女の瞳は呆れとも非難ともつかない。

だが、それよりも尚その顔には疲労の色が濃い。


「おいおい。殺しは初めてだろうが、余り考えすぎると毒になんぞ?」

「私は殺してない!」

「いや、確かにそうだけどよ。大袈裟に考えすぎなんだよ。

殺しに来たバカ共を皆殺しにしてやった。なーんも恥じる必要ねぇ。

正邪で言えば明らかに正義だぜ?トランギドールに賭けたっていい」


 育ちのいいお嬢さんには難しかったかねぇ、と皮肉混じりのぼやきが漏れるが

すぐに酒に飲まれて消えていった。ごぶりごぶりと喉を酒が流れ落ちていく。


 争いは終わった。確かにリーアは誰も殺さなかった。

相手は殺されて当然の連中で、見事問題は解決した。

それだけの話だ。しかし、彼女はそう納得できる程に冒険者に染まってはいない。

ついでに言えばリーアは流れ者の子であり、決して育ちがよい訳ではない。

単純に男二人が異常なだけだ。


「でも」

「でも、もしか、もあるもんかね。え。

飯を食わなきゃ死ぬ。戦って生き残らなきゃ死ぬ。

げっぷと同じよ。出来なくなったら死ぬ時ってな。

何を考える必要があるってんだ」


 既に道々にわだかまりつつある黄昏。尾を引く影は数を減らしていた。

野営を組むにも遅い時間に差し掛かりつつあるが、

出来るだけ距離を稼ぐ心づもりらしい。

逃がした連中が手勢を引き連れて逆襲を図るかもしれない、

そう考えれば当然の判断である。


「まぁ、どんな形でも今の間に休んでおいた方がいい。

疲れたまま、眠いまま同じことになるのも良くないからね」


 言うと、ウォルは軽く体を伸ばし固パンをかじる。


「どんな人の上にも龍は雨を降らせる。アグリゲル君じゃないが、殺すつもりがある以上、殺されても仕方がないのは本当だよ。

でも、それが怖いのも仕方がない。僕だってそうだった」

「旦那がかい?そいつは意外だ。東国で生き延びたってっからよ、てっきり三度の飯より戦が好きだと思ってたぜ」

「あんたもそうでしょうに......ひ、ひたいひたい!何すんのよ!」


 アグリゲルに頬を指先で真横に引っ張られ、リーアが抗議する。


「俺は酒と旨い飯と金が好きなんだよ。ああいう戦キチガイ共と一緒にすんじゃねぇ」

「う」

「君の言い分だと、私も戦キチガイに入る訳なんだが」

「何事だって例外はあらぁね」


 がぶりとまた酒を傭兵は飲み下す。


「殺しもする。盗みもする。けど、それだけで人生が終わるわけじゃねぇ。

大抵はそれ以外、って時の方が多いもんだぜ。人間、そう人間だからなぁ。

鼾をかいて寝る。飯を食う。あちらこちらを歩き回る、仕事する。

何でもない事のが遥かに多いってなもんだ。年がら年中殺しだの戦だのしか考えねぇのはキチガイ沙汰よ」

「何よ、傭兵が知った風に。戦が商売でしょ、アンタは」

「俺ぁとっとと堅気になりてぇの。ちっと商売にも土弄りにも向いてねぇだけだ。金もねぇし」


 ぼさぼさの金髪を掻き毟りながら酔いを含んだぼやきで答える。

食い詰め傭兵の眼は遥か彼方を捉えていた。地平の先に溶けていく金色は小刻みに揺れる。

酒臭い息が夕闇に流れて消えた。


「お嬢ちゃんだって何時までもこんな生活続けたくはねぇだろ」

 

 じゃれ合いにも疲れたのか、リーアは答えなかった。

酒神(ハクカス)に導かれるままアグリゲルは独演をぶち続ける。


「なぁ、旦那。どこぞで野垂れ死ぬのが関の山だっつぅに」

「何とか永らえてきたつもりではあるけれど、こればかりはね」

「どこまで行っても生き延びるだけ、ってな。先なんぞ見えもしねぇ。旦那も何が事情があるんだろうが」

「事情の無い冒険者なんていないよ」


 聞かせてくれ、とは尋ねない。所詮は一時の仕事仲間である。

一度別れればそれきり、二度とて会えるとも限らない放浪者。

語って聞かせてもそれが真実であるとも正しいとも限らない。

傭兵も冒険者も、世間と言う水面に揺れる根無し草のようなものだ。

仕事が出来て、信頼が出来そうな相手、と言うだけで十分に過ぎる。

明日をも知れない流れ者。数限りないそういう連中でこの世は満ち満ちている。


「皇都に行ったら何をしようかねぇ。何ぞ、雇いの口でもあるといいが」

「都は初めてかい?」

「ああ。きっとでかいんだろうな。仕事の口にも困るめぇ」

「そりゃあもう、ね」


 冒険者って一体全体何なのかしらむ。取り留めもない会話の傍らで、リーアは思わず考え込む。

勿論、彼女とて自分の事をそう自認していた。だが、他者からの認識は別の問題である。

同業者組合(ギルド)がある訳でもなし。流民に鍵屋、鋳掛屋、占い師等々。

胡散臭い生業との関わり合いを上げればキリがない。

改めて思えば、随分と頼りない生き方であった。未来がどうなるかなど全く予想できない。


 それがこれまでは当たり前であった。だが、どうも自分が知る以外の生き方というものもあるらしい。

がたごとと馬車は揺れる。少女の発想は貧困である。その日暮らし以外の姿は漠然ともしない。

精々が食事の量が増えるかどうか程度の話だ。薄目を開けて服の袖を見る。

継ぎが当たって、酷く色あせている。様々の輪郭は黄昏と眠気に溶け合って消えていく。


 とまれ、また一日が終わったのであった。


 丘を越えると皇都が見えた。

彼方の都市には方々から伸びる幾つもの道と一本の大河が突き刺さっている。

往古の城壁を突き破って拡大し続ける街区は留まる事もなかろう。

人類世界のあらゆるものが集積する大都市には、当然それを商う者も数多い。

冒険者たちと荷物を積み込んだキャラバンは一軒の大きな商家の前で遂に止まった。

隊商の頭が番頭と何やら言い交すのを脇に、三々五々馬車から人が下りてくる。

冒険者たちは、というとめいめい荷物を纏めると、手代から金を受け取り去っていく。

その中に、リーア達の姿もあった。仕事は終わり、一時の縁もここまでという訳だ。


「じゃあな。縁があったらまた会おうぜ」

「ああ。また何処かで」


 それきり背を向け、人込みに紛れていく傭兵を眺める事しばし。

お上りさん丸出しでリーアが辺りを見回し始めた頃になって、ウォルが口を開いた。

彼女の熱い視線は街角の煮売り屋に注がれている。


「さてと、じゃあ私らも行こうか」

「あ、うん。でも、あっちの方から美味しそうな臭いがするし、何か食べてからにしようよ」

「……うーん、気になるのは解るけど」

「あ、あはは。やっぱりそう思う?解ってた積り、なんだけどなー、でもやっぱりなー」


 気まずそうに誤魔化しつつも、少女は財布の口を指先で捻る。

何かしら口実があればすぐにでも飛んで行ってしまいそうな風情であった。

誤魔化しきれないと思ったか、手を握り込むとリーアは力強く断言する。


「何は無くともまずは食事!」

「いや、最後まで話を聞いてって。まずは宿に行こう。私の馴染みの店がある。

今後の事も話さなきゃいけないしね」


 所謂冒険者の宿、というものがある。

大抵は煮売りだの、一杯飲み屋だのに冒険者たちが集まる内、自然とそうなったという代物だ。

同類、同業が集まる場には自然、情報も集まれば仕事も、当然ながら人、物、金も集まって来る。

帰る家を持たない冒険者たちにとって、宿と言うのは拠点であると同時に仕事場でもあるのだ。

あの宿の誰兵衛と言えばそれで名前が通る程である。

無論、そうであるからには冒険者にとってどの宿に属するか、というのは死活問題でもあった。


 例えばベテランや凄腕、魔法使いに騎士崩ればかりが集まる大きな宿もある。

かと思えば、ゴロツキ一歩手前の連中がぐだを巻いているのもある。

街場の仕事を引き受ける宿もあれば、迷宮探索者ばかりが集まる宿もある、と言った具合である。


 ウォルが戸口を潜った店は、踊る白馬亭と言った。

馬とジョッキを象った看板が揺れる以外の音に、おや、と店番が目を開く。

彼女の瞳だけではない。他にも幾たりかの眼がやって来た冒険者をとらえている。

長い耳──エルフ特有の──をした店員らしき女性はしげしげとリーアと、それからウォルとを見比べていた。


 ややあって。冒険者はやや芝居がかった調子で腕を組み、腰に下げていた刀を記帳台の上に載せた。


「何処より来たるか旅人よ」

「彼方より此方へ。安全なねぐらと食い扶持を求めて。

主を信頼し、私は武器を預けよう」

「遠来よりの客人を信じ、この剣を返そう。月下の旅路に幸多からん事を。

──や、久しぶりだね、ウォル=ピットベッカー。一年ぶりぐらいになるのかな」


 刃を差し戻し、にかっと笑った店番が言った。

どうやら、何かしらの符丁であったらしい。


「こちらこそ。お世話になりますよ、主人」

「相変わらず他所他所しいったら。ま、何時もか。部屋なら開いてるけど、長逗留かい?」

「まぁ、すぐって事は無いですよ」

「はいはい、それじゃあ何時ものように……おや」


 二、三世間話を交わしていたエルフの女主人が、はたと今気づいたようにリーアを見た。

それから、しげしげと風体から、顔付も無論、まるで金を数えるかのように眺めまわす。

はぁ、とわざとらしい溜息を一つ。周囲の連中にも、好奇を表情に乗せた者が居る。


「まぁた拾って来たんかいアンタ。何人目よ、コレで」

「また、と言われても。人助けは善行だから」

「……は?」


 三者三様の反応であった。

殊にリーアなどは、何かが崩れ落ちでもしたかのような有様である。

それは何か。自分は犬猫か何かと同列という事か。勿論、異を挟めるような現状ではない事は理解している。

が、彼女一人の話ではなかったのである。同宿の連中はといえば何人かそのやり取りを横目に覗いているらしかった。

ひそひそと何事か言い合ってもいるようだ。


「あー……」

 

 宿の主人はリーアの様子に曖昧な商売人の笑みを浮かべている。

ちら、と彼女が見た冒険者はと言うと臍を曲げた少女を扱いかねているらしかった。

彼は彼で助け船を求める様に女主人に顔を向けている。


「別に気にしなくてもいいわ。言ったけど、同じようなの少なくないし。

宿代さえ出してくれるなら、きちんとするから。ね?」


 コン、と堅い音。リーアが数枚の銀貨を置いた。

ウォルが米神に指を擦り付けながら、渋面を浮かべる。

宿の主人としては客の揉め事に感知するつもりはないという事だろう。


「毎度。鍵は渡しておくからごゆっくり。ウォル君、子供に肩入れした所で尊敬なんてしてもらえないよー?」

「……そうだね」


 そうしてから、所在無げにウォルはそこらの席にかける。

リーアがその隣席に、尻で椅子を潰すが如く乱暴に座った。


「ね、どういう事。はっきり言って欲しいな」

「どういう事も何も……その、ねぇ。まさかそんなに気にするなんて思ってなくって」

「……」


 ぐっ、とリーアは喉まで出かかった喚きを飲み込んだ。

脳裡にこれまでの記憶が色々と去来する。ぐ、とスカートを太ももで挟み込んだ。

一方で慌てたようにウォルは早口で何語とかまくしたて始める。遠目でそれを眺めていた客の一人が顔を掌で覆った。


「あー、うん。確かにその通り。僕はこれまで何人も助けて来た。

でも決してやましい気持ちがあった訳じゃないし、リーアちゃんだってあんまり気にしなくたっていいよ、うん」


 だの、云々。まぁ、その通りではあるのだろう。

少女にもこの男に理解が皆無である事ははっきりと理解できた。

これでは丸っきりの道化である。恥ずかしいやら情けないやら。喉元までせり上がった喚き声を堪える事十数秒、

辛うじて「もういい。先に部屋に行ってて下さい、私はここにいます」と呟くような声を発したのみであった。


 むくれた顔で肘をつき、一人残ったリーアは足をぶらつかせていた。

幻滅した、と言って差し支えはあるまい。或は一人相撲であった事を認めただけであるかもしれぬ。

無論、部屋に引っ込んだウォルに続く気にもならない。薄い酒を舐めるように飲む。

既に夜も更けているのだけれど、生憎彼女を窘める者はいなかった。

飽きたのだろう。野次馬どもの姿もとっくに見えない。

思いつめていた自分が丸っきり馬鹿のように感じられる。

結局の所、何でもない事であったのだろう──


「ちょっとちょっと」


 遠慮がちな声。リーアが振り向くと、一人の女性──店の主人であるところの女エルフが居た。

片目を瞑って舌を出す。湯気を立てるポットと、カップを片手に歩み寄って来た。


「臍曲げちゃったかしらん?」

「別に……ただ一寸面白くは」

「全く、これだからあの男は」

「仕事、いいんですか?」

「構わないって。どうせ殆ど身内しかいないようなものだし」


 自らは黒い奇妙な液体を啜りながら、エルフは過ぎゆく時間を受け止める。


「さて、何処から話したものかしら。あの偏屈、どうせ自分の事はろくろく話さなかったでしょう?」

「あー……はい。そうです。冒険者だ、としか言ってくれなくて」

「だから何時もこうなるのよ」


 親しげにウォルの事を語る女性に、リーアはぐびりと酒を呷った。

瓶から麦酒を注ぎなおすと、徐々に目を座らせながら少女は口を開いた。

釣り出すようにエルフはその様を覗き込む。


「ずっと解らなかった」

「何が」

「ウォルが」

「だよね。あ、そうそう。言ってなかったけど」


 思い出したかのような仕草。エルフはテーブルをカップで小突く。


「エメス、で通ってるわ。白馬亭のエメスで、エメス=ホワイトホース」


 閑話休題。

馬をあしらった宿の看板がギィギィと音を立てて風に揺れていた。

空には二つの月がもう半ば程も泳いでいる。リーアはビアマグを弄び、机に突っ伏した格好だ。

酒と眠気に抗いつつ、少女はエメスが句を続けるのを待っていた。


「……ま、私だって詳しくは知ってる訳でもないわ。

知ってるのは人となりぐらい。最初に見かけたのは二十年ぐらい前かしら」

「二十っ、そんなに前から!?」

「だってエルフだし」

 

 構わずエメスは続ける。長命の種族からすれば、或はその程度で済む話なのだろう。


「その時は若い貴族様だの、東国からの流れ者とつるんでたみたい。

まぁ、一人で動く冒険者自体珍しいんだけど」

「どんな人たちだったんですか?」

「さぁ……最後に喧嘩別れしたところしか見てないしねぇ。

えらい剣幕だったわよ。危うい所で貴族殺しになるとこだったんだから」

「想像が、つきません」

「まぁ、今のウォル君だけ見てたらそういう風に思うかもしれないけどね。

本音の所じゃ、自分の目的以外どうでもいいのよ。

あいつは始まりから終わりまで自分で完結してるような奴。

はた目から見たらまるでゴーレムか自動機械ね。

何が楽しくて生きてるんだか。ま、冷たい奴よ。思い当たる節、無いかしら?」 


 思い返す。言われてみれば、実際の所終始無関心だったのだと思えなくもない。

しかし、自分一人だけで生きるつもりならばどうして助けたりしたのだろう?

目的の為に、というがそれは一体何なのか。


「あ、今助けたいとか思ってない?止めときなさい。

ああいう男に関わっても碌な事にはならないわ。自分にはやる事がある、って思い詰めた奴は平気な顔で殺すものよ」


 「関わって死んだ奴にもご免の一言で済ませて振り返りもしないわ。偶に悔いたりする位でね」と続ける。

エメスの横顔は今は遠い日々を思い出しているかのようにも見えた。何処まで語っているのだろう、リーアは訝った。

エルフは老いず、何時までも美しいままだったのだろう。


「ま、かくいう私も何の因果かエルフの癖に人間世界で宿なんてやる羽目になって、今もアイツを助ける事になってるんだけども。

いい暇つぶし、と言ったらそうね。ちょっと癪ではあるんだけど」

「腐れ縁、って言ったらいいんでしょうか」

「そーね、だから貴女もちゃっちゃと自立しなさい?突然放り出されてもしらないからね」



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