4-5 王子様との再会
翌日は松岡くんの訪問日だった。
……松岡くんも王子っぽいけど、昨日の人とは違うんだよねー。
「どうかいたしましたか?」
「えっ、あっ、なんでもない!」
声をかけられてはじめて、ぼーっと松岡くんを見ていたことに気づいた。
「……そんなに俺が格好良くて見惚れてたか」
手からカップが滑り、ガチャンとソーサーの上に落ちた。
幸い、なのか残りは少なくて零さないですんだが。
「そ、そんなんじゃ……!」
きょときょとと視線が定まらない。
「じゃあ、なにを考えておいでだったのですか」
すーっと眼鏡の奥の目が細められ、じっと私を見つめる。
そんな松岡くんに、心臓は爆発しそうなくらい速く鼓動した。
「その、あの、えっと」
空気を求めるように口をぱくぱくと開くが、まともな言葉は出てこない。
「ん?」
松岡くんの手が、私のあごを持ち上げて無理矢理視線を合わせた。
艶やかなオニキスの瞳に見つめられ、視線はその場をせわしなくうろうろする。
「なにを考えていたのかと聞いているのです。
答えによっては……お仕置き、ですよ」
唇だけを歪めてふっと薄く笑う。
途端に心臓が爆発したんじゃないかってくらいばくんと最大値で鼓動し、へなへなと彼の腕の中に倒れ込んでいた。
「紅夏!
大丈夫ですか!?」
「……もう、無理……」
こっちとしては恋愛初心者なんだから手加減してほしい……なーんて言ったら、松岡くんは聞いてくれるんだろうか……?
松岡くんが台所の片付けをはじめ、仕事部屋に戻ったもののさっきの余波で仕事をする気にはなれない。
「松岡くんは私を殺す気なんだろうか……?」
来るたびに毎回毎回これでは身が持たない。
というか世間の女性たちはこれに耐えているのだろうか……?
それともやっぱり、私に免疫がないから?
「慣れたら平気になるのかな……?」
松岡くんの、いつもの右の口端を僅かに持ち上げる笑い方を思いだし、一瞬にして顔が熱くなる。
「あれに慣れるなんて、無理……」
誰か見る人がいるわけでもないが、それでも人に見られたくなくて、抱いたクッションに顔をうずめる。
「そもそも、松岡くんは絶対、助けに来てくれないタイプの王子様だし……」
お姫様が悪い魔法使いに攫われたといっても、自力で帰ってこいとか冷たく突き放しそうだ。
いや、それだけならいい。
悪い魔法使いと一緒になって、姫をいじめそう。
お姫様をいじめている松岡王子を想像したらしっくりきて、おかしくなってきた。
「助けに来てくれるのは昨日の人みたいな人だよね……」
危ないところを助けてくれた彼は、私から見れば王子様に見えた。
同じように危ないところを助けてくれた祖父が王子様に見えたという祖母の気持ちがよくわかる。
それに彼は、見た目も王子様ぽかったし。
「ああ、いいなー。
また会いたいなー」
「よろしいですか」
「は、はい!」
変な妄想をしているところに声をかけられ、慌ててしまった。
「そろそろ休憩になさいませんか」
「うん、する!」
休憩もなにも、仕事なんて全くしていなかったが。
もう二度とあの王子様に会うことはないんだろうな、なんて思っていたのだけれど……。
それから二週間後。
例の作品の件で紹介したい人がいるからと桃谷さんに呼び出された。
「えっと……」
通い慣れた出版社でも違うフロアに戸惑った。
「あ、大藤先生、こっちです!」
私を見つけた桃谷さんが軽く手を上げ、急いでそちらへ駆け寄る。
「もしかして、緊張してます?」
「……してます」
桃谷さんは評価してくれた作品だが、やはりお世辞だったんじゃないかとあとになって思えてきた。
だから別の人間の評価を聞くのは怖い。
「大丈夫ですよ。
私が新人の頃、さんざんお世話になった編集者なんですが、優しい人ですから」
「……なら、いいんですけど」
少し待っていてくださいと打ち合わせブースに通された。
ひとりで待っていると、不安で不安で落ち着かない。
「お待たせしました。
紹介しますね、こちら文芸雑誌『蒼海』の
「初めまして、……じゃないですよね」
べっ甲調ボストン眼鏡の彼が、おかしそうに小さく笑う。
「……はい」
熱に浮かされたかのようにあたまがぼーっとなる。
きっと、よくあるまんが表現だったら目がハートマークになっているだろう。
なぜなら彼は……この間、私を助けてくれた王子様だったから。
「えっ、ふたりとも知り合いだったんですか?」
「この間、ぼーっと歩いていて台車に轢かれそうになったところを止めたんだ」
「もー、大藤先生、歩いているときに妄想しちゃダメだっていつも言ってるじゃないですかー」
ふたりがなにか言っているが私の耳には届かない。
だって、二度と会えないと思っていた王子様にこんな形で再会できたのだ。
まだ夢を見ているようだ。
「それで」
目の前に座った王子様――立川さんが話を変えるように姿勢を正す。
おかげで現実に戻った。
「プロット、読ませていただきました。
まだまだ荒削りですが、これは確かにいい作品になる予感がします」
「本当ですか!?」
知り合い以外の人間からもらった好評価に背筋が伸びる。
「はい、僕と一緒にいい作品に仕上げていきましょう」
「ありがとうございます!」
勢いよくあたまを下げたら、ゴン!とテーブルに額が激突した。
「だ、大丈夫ですか!?」
立川さんは驚いた上に慌てている。
「もー、大藤先生、気をつけなきゃダメだってこの間も言ったばかりじゃないですかー」
「……はい、すみません……」
痛む額を涙目で押さえる。
桃谷さんはあきれているけど、前回も同じことをして注意されたんだから仕方ない。
「立川さん、大藤先生のこと、よろしくお願いします。
この通りだから心配で心配で。
ひきこもりだから編集部に来るときくらいしか、家を出ないんですよ」
「……コンビニくらい行きます」
いや、ちょっと待て。
松岡くんが来るようになってからちょっとした買い物もしてくれるようになったし、食べ物も買いに行かなくても作り置きしてくれている分がある。
私、もしかしてひきこもりに拍車がかかっていないかい……?
「なら、ときどき気分転換で、デートにでも誘い出さないとですね」
パチン、と意味深に立川さんがウィンクし、私は鼻血を吹きながら後ろ向きに倒れそうだった。
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