4-4 危ないところを助けてくれるのは王子様と決まっている

「大藤先生、なんか変わりましたね」


「そ、そうですか……?」


桃谷さんがなにかを悟ったかのようににやにやと笑っていて、ごまかすかのようにコーヒーのカップを口に運んだ。


編集部へ打ち合わせに行くだけだからいつもの簡単化粧でいいと思ったものの、回数をこなさないとうまくならないと気づいた。

なら、出かけるときも極力、フルメイクした方がいいと今日はしてきた。


「こんなにきちんとした大藤先生、いままで見たことないですもん」


「きちんと……」


そういう言い方はいままで、私がだらしなかったみたいだが……まあ、反論はできない。

外に出てもおかしくない程度、にしか身なりを整えてこなかったから。


「その、……おかしくないですか」


ネットで調べたとはいえ、自己流の化粧は正解なのかわからない。

しかし、誰も聞ける人がいままでいなかったし。


「んー、大丈夫ですよ。

あと、眉を整えた方がいいかなー」


「眉……」


そこは怖くてできなかったところだ。

化粧は失敗しても落とせばそれまでだが、眉は失敗して変にカットしてしまったりしたら、伸びてくるまでフォローしようがない。


「ご自分でなさるのが怖いんだったら、化粧品店でけっこう、してくれるところありますよ」


「それができたら苦労しないですって」


化粧品を買いに行って、美容部員に声をかけられて逃げたくらいだ。

眉カットを頼むなんて無理。


「ですよねー」


桃谷さんが苦笑いを浮かべ、私も笑うしかできない。


「あ、ちょっと待っててください」


なにかを思いついたかのように桃谷さんは席を外した。

手持ちぶさたにコーヒーを啜る。

最近は松岡くんが淹れてくれた紅茶に慣れてしまっているから、久々のコーヒーは苦く感じた。


「お待たせしましたー」


しばらくして桃谷さんはポーチを手に、戻ってきた。


「せっかくなんで、私がやってあげます」


「えっ、いいんですか?」


桃谷さんはポーチの中から眉用コームとハサミを取り出した。

というか、そんなものを持ち歩いているなんて、さすが女子力高し。


「大藤先生がこんなに綺麗にしだしたのって、例の執事な彼氏のためですよね?」


「うっ」


どうしてそれを桃谷さんが知っている?

作家のSNSはチェックしない主義だと言っていたのに。

もしかして、新山さんがしゃべったのか!?


「TLノベル作家の癖に恋愛に奥手な大藤先生に彼氏ができたんです。

これは今後の作品のためにも、応援しないと!」


「……やっぱり仕事のためなんですね」


「もちろん!」


きっぱりと言い切った桃谷さんはいっそ、清々しかった。



眉も綺麗に整えてもらい、次回作の打ち合わせも順調に進んでいく。


「はい、これでいいと思います。

このまま進めていきましょう」


「ありがとうございます。

それで……」


片付けをはじめようとしていた桃谷さんの手が止まる。


「なにか気になる点でも?」


「その、……元文芸にいた桃谷さんを見込んでお願いがあって」


おずおずと鞄の中からファイルを引き出し、彼女の前に滑らせる。


「こんな作品を書いてみたいと思っているんですが……。

あ、ラズベリー文庫には向かない作品だとわかっています。

ただ、誰かの意見を聞いてみたくて。

そしたら頼める人が桃谷さんしか思いつかなかったので」


自分でも無理なお願いをしているとわかっているだけに、俯いて目を合わせずについつい早口になる。


「そうやって人付き合いが苦手な先生が、私を頼ってくださるだけでも嬉しいです。

……拝見、させていただきますね」


「……お願いします」


とりあえず、迷惑だと突っ返されなくてほっとした。

彼女がプロットを読み終わるのを、じっと俯いて待つ。

いつもの作品よりもかなり緊張した。


「これ、一旦こちらでお預かりさせてもらっていいですか」


「はい、つまらなかったですよね!

すみません!」


反射的に勢いよく下げたあたまがテーブルにぶつかってゴン、と鈍い音を立てた。


「大藤先生、大丈夫ですか!?」


「へ、平気です……」


痛む額を涙目になって手で押さえる。


「気をつけてくださいね。

それでこれ、一旦こちらでお預かりさせてください。

文芸の先輩に相談したいと思います」


「ほんとですか!?」


思いがけない反応で、額の痛みを忘れていた。


「はい。

まだまだ荒削りですが、これ、絶対いい作品になると思いますよ」


「ありがとうございます!」


こんな作品ダメだと突っ返されるかと思っていただけに、嬉しくてたまらない。

少しだけ、こんな作品を書こうという気にしてくれた松岡くんに感謝だ。


「今日は本当にありがとうございました」


「あ、大藤先生!」


席を立とうとしていたところを、大慌てで桃谷さんから止められた。


「その、前に言った例の、作家に対する嫌がらせ」


「捕まったんですか!?」


私に対してはいまのところなかったが、全く不安がなかったわけじゃない。


「それが……被害がピンポイントになってきてるんですよ」


申し訳なさそうに桃谷さんは肩を竦めた。

が、悪いのは犯人で彼女じゃない。


「新人賞を受賞して初めての本が出る間際の作家とか、新境地で全く別ジャンルで本が出る作家とか。

件数自体は減ってきてるんですが、なんだか不気味で」


「そうですね……」


怖い、がなにか予防できるわけでもない。


「こっちとしてもなにかできたらいいんですが、気をつけてくださいとしか言いようがなくて」


「ありがとうございます、できるだけ気をつけます」


「すみません。

でもなにかあったらすぐに相談してください!」


力強く頷いてくれた桃谷さんが頼もしかった。




暗い話は聞いたけれど、桃谷さんから想像していなかった高評価をもらえ、うきうきで玄関へと進んでいく。


「危ない!」


いきなり、後ろから抱き留められた。

後ろを振り返る間もなく、目の前を重そうな荷物を積んだ台車が進んでいく。


「怪我、してないですか」


おそるおそる、後ろを振り返る。

見上げると、べっ甲調のボストン眼鏡の男が心配そうに私を見下ろしていた。


「……はい、おかげさまで」


ふんわりと彼の香水なのか、甘い匂いが香った。

心臓は勝手に、どきどきと速い鼓動を刻んでいる。


「ちゃんと前見て歩かないと危ないですよ」


「……はい、すみません」


眼鏡の奥の目が緩いアーチを描き、柔らかく笑う。


「気をつけてくださいね」


「……はい、ありがとうございました」


立ち去る彼の背中を、ぼーっと見送った。


……王子様だ。


見た目もまさしく絵本の王子様だけど、危ないところを助けてくれるなんて、王子様以外ありえない。


「あ、名前……」


せめて名前くらい聞いておけばよかった。

もう二度と会えないのかと思うと、残念で仕方なかった。

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