第5章 彼氏(仮)と過ごすクリスマス
5-1 王子様と私
その日は、立川さんと会っていた。
「この辺り、もうちょっと主人公の気持ちを詰めた方がいいと思うんですよね。
……って大藤先生、僕の話聞いています?」
「あっ、はい!」
怪訝そうな立川さんの声で現実に戻った。
「はい、聞いてます」
笑ってごまかしながら、ヤバかったと内心冷や汗をかく。
まさか、やっぱり理想の王子様だわーなんて、うっとりと見ていたなどと言えない。
「主人公の気持ち、ですよね。
そこが一番大事なのはわかっているんですが……」
目の前のプロットにはびっしりと赤字で書き込みがしてある。
いままでだってすんなりプロットが通るのは稀だったが、ここまで苦戦しているのははじめてだ。
別ジャンルだから勝手が違うんだとわかっているものの、自分の才能は所詮その程度なんじゃないかと落ち込んだ。
「そう落ち込まないでください。
だんだんよくなってきているのは間違いないんですから」
「……はい」
紅茶を飲むが、味も香りもいまいちだった。
松岡くんの淹れてくれる紅茶に出会ってからというもの、どんな店で飲んでも絶対にそれ未満で困っている。
「それでですね……」
気を引き締めて立川さんの話を聞く。
そうじゃないとまた、王子様妄想に耽ってしまいそうだ。
立川さんは会って打ち合わせをすることにこだわった。
「だって、桃谷に頼まれましたし」
「うっ」
しれっとそんなことを言われると、どう返していいのか困る。
「それとも、僕とデートするのは嫌ですか」
ぱちんといたずらっぽく、片目をつぶられたらもう勝てない。
鼻血を吹きすぎて輸血が必要になるんじゃないかって状態になってしまうから。
立川さんと会うのは編集部で紹介されたあと、これが初めてだ。
今日は遅めのランチしながら打ち合わせしませんかと、私がいつものお昼に起きても無理のない時間で誘ってくれた。
それでも王子様にみっともない姿は見せられなくて、早起きして化粧にヘアメイクにと頑張ったけど。
「もうこんな時間ですね。
すみません、長々と。
大藤先生とお話しするの、楽しいから」
にっこりと笑われると、ぽっと頬が熱くなる。
話がつまらないと言われたことはあるが、楽しいなんて言われたことはない。
「そ、そんな」
赤くなっているであろう頬を見られたくなくて俯いた。
ふと見えた視界に、立川さんの手が入ってくる。
その手には痛そうな引っ掻き傷ができていた。
「その。
……どうしたんですか、それ」
「ああ、これですか」
私の視線に気づいたのか、立川さんは自分の手を確認して痛そうに顔をしかめた。
「猫に引っ掻かれたんですよ。
僕、猫が好きなんですが、あちらは僕が嫌いなようで……」
はははっと乾いた笑いを落とした立川さんのあたまががっくりと落ちる。
本人はよっぽど、気にしているようだ。
「あの。
私、猫を飼ってて。
セバスチャンっていうんですけど……。
写真、見ますか?」
「いいんですか!?」
うっ、そんなにキラキラした目で見ないでください!
尊すぎて天に召されてしまいそうです……。
携帯で写真を呼び出し立川さんに渡す。
「うわっ、黒猫ですか!
可愛いですね!」
大興奮で立川さんはセバスチャンの写真を見ているが。
可愛いのは立川さんの方ですから!
いや、私より十ほど年上の方に、可愛いはあれかもしれないけど。
でも可愛い。
「ん?
執事?
……ああ、例の彼ですか」
苦笑いで立川さんが返してくれた、携帯の画面を見る。
そこには資料として撮った、松岡くんの画像が表示されていた。
――大藤雨乃には執事の彼氏がいる。
このことはもう、一部の世界で広まっている。
ニャンスタはフォロワー数も少なく、あの投稿をやっている時点ではそこまで広まっていなかった。
が、先日取材を受けた『シェイクス』の記事で……一気に広範囲へ広まった。
【新刊のモデルは彼氏……?】
写真は断ったのに、この文章と一緒に後ろ姿の松岡くんがばっちり掲載されていた。
おかげでいろいろな人の知るところとなり、困っている。
「彼氏がいるのに僕とデートして、彼に怒られませんか?」
「うっ」
うすうす、気づいてはいた。
もしかしてこれは、世にいう二股って奴になるんじゃないかって。
でも松岡くんとは仮の彼氏であって本当に付き合っているわけじゃない。
立川さんだって冗談でデートだって言っているんだと思う。
そもそも、立川さんは私にとって、推しの存在に近い。
生身の存在というよりも、画面の向こう側の人。
もしくは2.5次元の人。
そんな感じ。
だから仮に松岡くんと本当に付き合っているとして、こうやって立川さんと会っているのは浮気にはならない……と思う。
だいたい、これは仕事なんだし。
「でもまあこれは、仕事ですからね」
「そうですよねー」
立川さんが笑うから私も笑いながら心の中でほっと息をついた。
「今日はありがとうございました。
さらなる進化、期待しています」
「期待にお応えできるように頑張ります」
お店を出て立川さんと別れる。
ケーキ店の前を通りながら顔が緩んだ。
明日は松岡くんが来てくれる日だから、美味しい紅茶を淹れてくれるはず。
ケーキはなにかな。
そろそろ苺なんていいけど、まだまだ高いからなー。
もう明日が待ちきれなくて、うきうきとセバスチャンの待つ家に帰った。
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