戦争映画史はここから変わった……「プライベート・ライアン」

 ――1944年、ナチス・ドイツに対する一大攻勢であるノルマンディー上陸作戦が実行に移され、レンジャー隊の指揮官であるミラー大尉は多くの部下を失いながらもビーチを制圧する。戦闘後、彼の元に新しい命令が飛び込んできた、それは「兄弟が戦死し、最後の生き残りとなったライアン二等兵を探し出し、本国へ連れ戻せ」という物であった。ミラー達はライアンを帰還させるため、彼が空挺降下した内陸部へと進軍していく――


 戦争映画の歴史を語る上でエポック・メイキングにあたる作品と言えば真っ先に挙がる作品であるが、今見てもその地位は揺るがない作品だろう。何せ公開されたのはもう20年以上も昔なのだが、現在の戦争映画と比較してもその内容の完成度は言わずもがなだろう。


 この作品がなぜエポック・メイキングと言えるのか?それは現代の戦争映画のスタンダードとして「手持ちのカメラを利用した撮影」と「高い残虐描写」を大々的に取り上げた点にある。ハンディカムを利用し、俳優やアクションに対して密着した映像はかつてない臨場感ある絵を作り出し、より観客が「戦場」に立っている臨場感を作り出していたし、手足が飛んだり内蔵がはみ出るような残酷描写をリアリティたっぷりに表現した事は今まで大きな前例がなかった。

 事実、プライベート・ライアン以前と以降の作品を比較すると、この映画に倣った作品も多く作られたし、冒頭20分の阿鼻叫喚の戦闘シーンは未だに映画史に記録される代物になっている。

 

 ただ、物語の本筋はどこか「戦闘シーン」や「リアリティへの追求」と言った要素に隠れがちな印象を受ける。いつものようにマット・デイモンを救出する映画であるし、兵士たちの苦悩や任務に対する不満と、「国に帰ったら妻に誇れるような任務をしたい」という胸中を語るミラーの姿や、命を賭けて任務を遂行する男たちの姿が描かれているが戦争映画としては普遍的な物語だろう。


 映画の題材そのものは米軍が規定している「ソウル・サバイバー・ポリシー」という制度と、ナイランド兄弟にまつわる話を下敷きにしている。この制度は、かつて巡洋艦ジュノーに乗り込んでいたサリヴァン兄弟が日本軍の攻撃で全員戦死し、サリヴァン家の息子が全員亡くなった悲劇から生まれた制度で、兄弟が戦死し最後の1人になった場合は帰還させるという制度の事だ。

 劇中ではライアン家の兄弟が次々に戦死し、残ったフランシスが帰還させられるという話になっているが、実際にナイランド家の兄弟が似た状況になり、末っ子のフレデリックがノルマンディーから帰還したという話がある。実際はこのようなドラマティックな帰還劇ではなく、普通に帰国しているそうだが、実話が下敷きと考えるとこの物語のリアリティもぐっと上がるものだろう。


 さらに映画の撮影にもリアリティを出そうとするスピルバーグのこだわりや創意工夫も目を見張るものがある。第二次大戦中に使用された装備を徹底して登場させたり、T-34戦車を改造してティーガー重戦車を作るなど細部まで拘った点や、アイルランド軍兵士をエキストラに大々的な戦闘シーンを撮影するなどケチケチしない豪快な撮影も戦場の雰囲気作りに一役買った。ただ、ドイツ軍兵士が全員ネオナチみたいな頭をしている点だけは後生ずっと疑問点として語られている。

 アメリカ映画らしく、出演した俳優たちのほとんどは実際の軍隊で短期間ではあるが厳しい訓練を受け、実際の兵士と変わらぬ動きが出来るように指導されている。

 が、スピルバーグはここでもリアリティを発揮させるべく、ライアン役のマット・デイモンをわざと訓練からはずし、撮影の後半にそのまま現場に放り投げて「ライアン救出任務に兵士たちが反感を持つ」状況を再現させたと言う。鬼かこの映画監督。

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