監視と盗聴の果てに……「善き人のためのソナタ」

 ――東ドイツの国家保安省(シュタージ)の職員であるヴィースラー大尉は、反体制派の疑いをかけられた劇作家のドライマンと恋人の舞台女優クリスタを監視する任務を言い渡される。彼の家の屋根裏に張り込み、盗聴を監視を続けていたヴィースラーは、ドライマンの思想と人となりに感化され、次第に彼に対して共感を始める――


 とても好きな映画の一つ。東ドイツの監視社会を描くという題材に心を惹かれた事もあったが、何よりも脚本も構成も演者も演出も、全てにおいて秀逸だ。

 作品は決して明るいとは言えない雰囲気だ。曇天や夜が続くし、画面から伝わる空気も寒々しい。映画のジャンルもサスペンスの色を濃く孕んでいる。

 社会主義国家である東ドイツにおける自殺率の高さと、それを隠そうとする政府、この社会を暴きたてようとする作家、私情と任務の狭間で揺れる監視者。それが物語へ複雑に絡み合う。


 主人公のヴィースラー大尉は監視社会を構成する一員である。祖国に背くような者たちを監視し、反抗の芽を摘み取るのが仕事の男であり、組織の歯車であり命令には絶対の冷酷な男であった。

 だが、彼が監視した劇作家のドライマンとクリスタを監視していくうちに、彼の心には大きな心情の変化が生まれる。果たして、今自分が忠誠を誓うこの体制は正しいのか?彼らは本当に監視するべき悪人であるのか?彼の奏でるピアノソナタに涙を流し、感情を吐露させた彼が「監視する側」から「見守る側」へと変わっていくシーンがとても印象的だ。

 しかし、彼は組織に歯向かう事を許されておらず、状況は刻一刻と悪化していく。揺れ動く彼と同じく、感情を移入して事態が進んでいく様子を固唾を呑んで見ていく事になる。


 物語は時代の移り変わりも克明に描写する。エピローグは現代に移るが、そこに待ち受ける最後の結末には思わずほろりとしてしまうだろう。あのたった1文と、最後に交わした何て事の無い一言がじわりと利いている。それだけでも最高だ。クライマックスに至るまでの伏線の使い方もまた、秀逸だ。


 監視社会において、国家に協力を強制され、誰もが容易く悪の片棒を担ぐ事すらある陰鬱な社会の中で、監視者である主人公は悪人から善人になる事を選んだ。人を追い詰める事を教鞭する立場にあった冷徹な男であったにもかかわらず、彼はドライマンを知る内に人としての心を取り戻し、行動を起こした。

 人間は悪意が渦巻く中でも「善」を見出すことも出来る……そんな希望あるメッセージをこの映画は描いている。暗くも、最後は希望に満ちた結末に心を動かされる名作だ。


 余談であるが主人公ヴィースラーを演じたウルリッヒ・ミューエは、今作において 最高の演技を見せてくれたが、2007年に惜しくも病に倒れこの世を去った。興味深いエピソードとして、ミューエ本人の元妻も東ドイツ時代にシュタージの協力者として彼を監視する立場にあったという話がある。

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