第4話 一閃

1.

 その日、僕は珍しく執務室ではなく医務室に向かっていた。朝の稽古の後、執務室に戻る途中で慌ただしく動く兵士たちが何人もいたのが気になり、近くを通りかかかった者を引き止めて話を聞いたところ、城下町を警備している兵が何者かに襲撃され怪我を負ったということだった。いくら魔王との戦争中であっても、戦場から離れた遥か南方で兵士が襲撃される時点でもただ事ではないのに、運んだ人の中にクロウも混ざっていたというのを知って、かなりの事件になるかもしれないと思った僕は、執務室に戻らずそのまま医務室のほうへ急行したのだった。

 医務室の入り口は様子を見にきた兵や城内の仕事に従事する者などで溢れていたが、僕はその中を割って医務室をのぞき込んだ。

医務室の奥では寝台に寝かされた兵士と、その手当てを終えたらしい魔法医と通常医、さらにその傍らでクロウが衛兵に話をしているのを見た。魔法医が出てくるということは命に関わるくらいの負傷だった筈だ。クロウは話の途中で僕に気づいたらしく、入り口の方に向かってきた。


「やあ。一命はとりとめた。安心しろ。」


 クロウは僕が気になっていたことに答えると僕と執務室へ向かうよう促した。


「あとで大臣から話が来ると思うが、先に状況を話しておこう。」


 クロウの言葉に僕は察した。


「いいよ。魔力絡みだね。」


 クロウは無言で頷くと、医務室を出た。足早に見えるけどそれが彼のいつもの動きだ。僕はそれに続く。


 執務室に戻るといつものように執務机を挟んで僕とクロウは座った。

 僕はクロウにコップと水を勧めると、珍しく「一杯いただこう」と言って勢いよく飲み干した。やはり今回の襲撃事件はただ事ではないようだ。クロウは飲み干した空のコップを机に置くと、事件について語り始めた。


「彼が襲撃されたのは明け方、城下を見回っていたときのことだ。私はいつも通り前日の会議を終えてカシマの里へ戻るつもりで門に向かうところだったのだが、道端で倒れている人が見えてな。」


 クロウは机に広げている城下の簡単な地図から、東門付近に人指し指を置いた。いつも事件調査の時に使っている地図だ。


「それがまあ医務室の彼だが、血を流して倒れているのを見つけたので城内へ運んだわけだ。」


「なるほど、目撃者は他には? 確か複数人で彼を運んだと聞いたけど。」


「他の衛兵は近くの住人に呼んでもらった。その住人は起きたばかりで何も見たり聞いたりしていないと言う。目撃者が他にいるかはまだわからない。」


 クロウは自分でコップに水を入れてまた飲み干した。僕はそれを見守ってから口を開いた。


「なるほど。それにしてもこの件が魔力絡みだと言うのはどういう見解だい? 襲撃を受けた彼が魔族や魔物でもみたのかい?」


「襲撃された兵は背後から背中をやられていた。それが3本線の大きな爪痕だったわけだ。」


「そうか。それじゃ現場に行ってみよう。例え魔法による襲撃でなくても、魔物や魔族の行動であれば少なからずまだ魔力の痕跡が残っているかもしれない。」


「そうだな。それでは早速……準備をしてくれ。行こう。」


 クロウは僕が腰に挿したままの稽古用の剣をちらりとみると、そう促した。僕はその言葉で我に返ると、慌てて剣を置いて調査用にメモを取る紙や筆記具をカバンに入れた。いつもと違うこの状況に飲まれていたらしい。クロウは僕の準備が整った様子を見ると部屋を出た。


2.

 事件現場に着いた僕とクロウは、どこから手をつけるかを考えながら辺りを見回した。ここは東門へ続く大通りの終わりに近く、日中なので東門は開いている。門の先には街道がみえ、少しばかりの往来が伺えた。ここから北東を目指せばクロウの住むカシマの里に着くんだよな、と思いながらも、再び周囲を見渡した。住宅や露店、あとは宿屋が混じり、人通りは多くもなく少なくもなく。事件現場とは思えない、と感じたのは、当たりに兵士が見当たらないからだろうか?


「そこの白い壁の家の横だ。その端に例の兵士が倒れていた。」


クロウが指さす方を見てみるが、しばらく雨の降っていない土の道で、血の後がまだ残っていた。


「いけるか?」


「やってみよう。」


僕は兵士が倒れていたと思われる場所のそばに立ち、目を閉じて深呼吸を始めた。


 瞼を閉じることでより伝わる肌と空気の触れ合う感覚。それを自分の体の外側へ、ゆっくりと拡大していくイメージ。囁きも詠唱も祈りも要らない。イメージがこれ以上拡大できない範囲まで拡がったのを感じとり、僕はゆっくりと目を開け、周囲を見渡した。


「この場から通りの中央沿いに向かって魔力の痕跡があるね。あそこだ。そこで何者かに攻撃された兵士がこちらに下がって、ここで倒れたんだと思う。痕跡は……東門の方から来て街の中心部に移動している。」


 僕の説明を聞いたクロウは街の中心部である城の方向を見ながら、「行くか。」と答えた。


「こっちだ。」


 そう言うと僕はクロウを案内した。


 事件現場から流れている魔力の痕跡を追った僕たちは、城の南側を通過して西門に近い道を進んだ。痕跡は西門に着く前に北側へ曲がる。それを追っていくと、少し外れた場所に納屋を見つけた。扉は空いている。


「あの納屋の中に入ったようだね。もしかしたら中にいるかもしれない。」


 クロウは目を細めて納屋の方を見ていた。少し力強く刺すようなその瞳は、以前かなりの相手との戦いを予期している時に見たものと同じだった。

 その様子を見て僕は剣を置いてきてしまったことを後悔した。


「出番だな。」


 僕が緊張したまま頷くと、クロウは腰のカタナを抜き、納屋に向かって静かに足を運んだ。何か使えるものがないかと考えて納屋の方をみる。すぐに外壁にフォークが立てかけてあるのが見えた。あれを使おう。

 僕が納屋まで半分くらい進んだところで、クロウは納屋の中に押し入った。その様子を見て僕は駆け出し一気に納屋に近づこうとしたが、クロウが転がるように納屋の中から出てきた。


「下がれ……‼︎」


 クロウの焦りが尋常ではなかったのはその声から聞いてとれた。

 一瞬何が起こったのか理解できなかったが、納屋の入り口から何かが飛び出てきて、すぐさまクロウに襲い掛かった。身長はクロウよりも一回り大きく青紫色の身体で太い右腕を素早くクロウに振り下ろしていた。おそらく魔獣。そして爪による攻撃。クロウはその一撃をカタナで受け流そうとしたが、乾いた音を立てて刀身が半ばから折れてしまい、青紫色の魔獣の爪を受けてしまった。


「クロウ‼︎」


 うかつではあったが、クロウが追撃を受けないようにする意味もあって叫びながら距離を詰めた。魔獣はこちらに気づいた様子だったが、左手で顔を覆うと、納屋の脇をすり抜けて北の方へ逃げて行ってしまった。僕は魔獣の後を追うように納屋の裏へ回ったが、畑を越えて逃げていく魔獣を見てとり、戻ってくる様子がないのを確認してクロウの元に戻った。

 取り逃してしまうのは悔しいが、クロウの怪我の様子を見るのが最優先だ。彼に駆け寄ると、クロウは膝をつけて息を切らしている。顔と胸元を覗き込むと、蒼白な顔と対照に鎧が引き裂かれて血が流れていた。

 その様子を見て僕は魔法医を呼びに城まで駆け出した。


 翌日、執務室で昨日見た魔獣について調べていると、ドアをノックする音が聞こえた。どうぞ、と言うとすぐに扉が開き、クロウが部屋にゆっくりと入ってきた。いつものカシマ製の黒い革鎧ではなく王国兵士用の茶色い革鎧だった。顔色はうっすら白んでいるが、見た限り昨日の怪我は完治しているようで僕は安堵した。


「無事で良かったよ。爪に毒を持つ魔物もいるけどその類じゃなくて良かった。」


「魔法医殿のおかげだな。少しばかりの疲労感はあるが、調査はできよう。」


僕はクロウの様子を見て頷いた。まだ本調子ではないが、魔獣の対処法を一緒に探すくらいはできるようだ。クロウを椅子へ促すといつもより多少ゆっくりした足取りで腰掛けた。


「クロウが来るまでにいくつか本を調べてみたけど、まだあの魔獣に関する記述を見つけていない。」


 クロウは執務机に広がる本を見て頷き口を開く。


「奴については思い当たる節がある。里から関連する書物を取り寄せてもらっているのだが、もしかすると100年ほど前、高祖父が当時のいくつかの武家と退治した魔獣と同族かもしれない。」


「100年前……。というと、カシマの人たちがまだこちらに渡ってくる前の話だね?」


「ああ、その時の武勇を里で知らぬものはいない。鋼の爪と皮膚を持ちながら素早く動く鬼の類だ。素性は忘れてしまったが天穂切りという古くから伝わる剣で倒したと聞いている。」


 僕は古くから伝わる剣と聞いて、カシマの里に祀ってあった鉄剣、波太刀(はばたち)を思い出した。半年前のデビットショットという魔王の斥候が絡んでいた事件で使った霊剣だ。


「波太刀はどうだい? あれも霊気を帯びた鉄剣だったけど。」


「デビットショットとの戦いで折れたまま霊気も戻らない。そのまま使っても通用しないだろう。早馬で書物を取り寄せているから夕日が落ちるころには届くはずだ。それで対処方も見つけられよう。」


3.

 その夜のうちに僕らはカシマの里から届いた書物「諸行後記」をめくり、昼に出会った魔獣に該当しそうな文章を探し当てた。ソウキと呼ばれる獰猛な魔獣らしい。主に山奥に生息しているが、その当時は何故か都市に降りて来ていた。僕はカシマの文字は読めないに等しいのでクロウに読んでもらい、聞いた内容を元にして現代でどうすれば倒せるかを執務室にある書物と照らし合わせて検討した。

 何度か議論を交わしながら、魔術官にも相談して、おびき出すための香草と打倒するための武器と聖水を用意する頃には翌昼を過ぎていた。僕とクロウは一旦仮眠して夕方には城を出た。幸いソウキによる事件は起きていないようだった。

 日が暮れてしばらくの頃、僕らは城下北の橋にたどり着いた。それぞれの手には急造した鉄剣が握られている。鎧にはある香草を煮込んで作ったソウキの好む匂いを付けている。

 しばらくすると後ろから気配がして、案の定ソウキが飛びかかってきた。早い、が捉えきれないわけではない。

 クロウは振り向いて鬼の爪をかわし、間合いを取って注意を向ける。

 その様子を見て取り、僕は隙をついて横から聖水を鬼にかけた。ソウキは呻き声を上げて仰け反る。僕は叫んだ。


「クロウ!」


「おう!」


 クロウが応えるや、一瞬のうちにソウキとの間合いを詰め右腕を斬った。血が吹き出す腕を見て、僕はソウキの右側面に回った。

 ソウキは僕に目もくれずクロウに反撃をしようと反対の腕を振り上げる。

 クロウは真正面から剣を向けていた。はたから見たら道場試合に臨む素人のように無防備に見えるだろう。だが僕は知っていた。

 ソウキが腕を振り下ろす瞬間、クロウも動いた。


 奥義––––。


 その瞬間を僕は捉えることができず、一瞬にしてソウキの左腕が切り落とされ、鉄のような左胸にも亀裂が入っていた。


「いまだ!!」


 僕はクロウの合図で鉄剣を水平に構え、亀裂の入ったソウキの左胸に向かって一気に突く。剣先は見事に鬼の心臓を捉え、絶命させることに成功した。


 昨晩の戦い後、翌昼まで寝ていた僕らは今、執務室の隅に立てかけた鉄剣二振りを眺めながら、それぞれワインを注いだコップを手にしていた。


「今回は手強かったけど、クロウのおかげで被害が拡大せずに済んだよ。」


「100年前はかなり被害があったらしいから今回は大勝利ではないかな。」


 クロウは清々しい笑顔だった。その表情を見て気づいたけど、僕も相当気分爽快な笑顔だと自覚した。


「それじゃあ」


と、僕はクロウにコップを向けた。


「素晴らしい勝利に」


 僕らは乾杯すると、一息にワインを飲み干した。こんなに勢い良く飲むことは滅多にない。


「あの技、デビッドショットとの戦い以来だよね? 剛剣術と速剣術を合わせた……前みたいに僕の目には振りが見えなかったよ。」


「だからこその奥義だ。カネタやササキ兄弟にも見切らせん。」


カネタとササキ兄弟。どちらもカシマの里の人間で、半年前の事件で世話になったカシマ流剣術の達人だ。3人とも元気でやっているだろうか。


「そういえば技の名前は決まったのかい? あの事件の時はこれから決めると言ってた気がする。」


「ああ、仮にだが……『無音鉄砕』、そう呼んでいる。真に名前をつけるにはロマに渡り由緒あるジングウで技を奉納しなければならない。」


 ロマ王国、昔カシマ人がこちらに渡る前に住んでいた島にある国だ。あらゆる剣技は、その国のジングウと呼ばれる特殊な聖域で神官達に見守られながら披露しない限り、真に技として完成しない、という信仰がある。


「というと、いつかは島に渡るのかい?」


「そのつもりだ。魔王が倒されて皆が戻ってきたら、島に渡ってこの技を奉納しようと思う。祖先たちの生きた土地をこの目で実際に見てみたいとも思っているしな。」


「良いと思うよ。もう一息で魔王を討伐できるくらいには進軍しているらしいし、無事に行けるさ。」


「その時はどうだ? 共に来るか?」


 クロウの提案はあまりにも唐突だったので、僕は理解するのに時間が少しかかり、答えを考えるのにさらに少し時間がかかった。我ながら奇妙な間だったと思う。


「すぐの答えはいらんよ。そのときが来たら聞かせてくれ。」


 クロウの冗談めいた笑顔が印象的だった。クロウはたまにこういう顔をする。

 僕は内心気恥ずかしくうなずいた。実は今後何をするかはぼんやりと考えていたものの、はっきりと答えを出しているわけではなかった。

 クロウは飲み干したカップを執務机に置き、


「それではまた会おう。ああ、里から取り寄せたその書物は写しだから贈呈するよ。仕事の足しになるかはわからんが。」


 そう言うと彼は足早に執務室を出て行った。 相変わらずの勢いにクスリと笑い僕はその背中を見送った。

 そして、机に置かれた「諸行後記」の表紙をみながら、海を渡った先の島国に想いを馳せた。


おわり

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