第2話 弥生②
対局で負けた日の夜。僕は決まって同じ夢を見る。
いつものように懲りずに喧嘩を始めるタカシとアカリ。それを仲介する僕。
そしてそんな僕らの様子をやれやれといった様子で見る園長と子供たち。
夢の中の彼らはいつも昔のままだ。
でも夢はいつも唐突に悲しみとともに終わる。
どんなに夢の中の彼らに手を伸ばそうとしても決して届くことはない。
タカシとアカリがどんどんと先へ歩いて行く。
「待って!二人とも!」
追いつけない。どんなに走っても彼らとの距離は離れていく。
「まだ話したい事いっぱいあるんだ!だから・・・・」
しかし彼らとの距離は縮まることはなくやがて見えなくなる。
そこでいつも夢から覚めるのだ。
「はぁはぁはぁ・・・・・・・」
額いっぱいに気持ちの悪い汗をかいて起きるのもいつものことだ。
施設のみんなと別れて一年。ずっとこの夢を見ている。
重い体を無理に起こし時計を見る。
午前11時28分。
今日は中学校の卒業式だ。
きっとたくさんの生徒が晴れ姿を披露し両親は我が子の成長に涙しているころだろう。
C級2組の対局が入ることを学校側に報告していたため、今年の春にはもう僕が卒業式に出られないことは決まっていた。
きっと今日の夕方になれば郵便で卒業証書が届くのだろう。
「卒業か・・」
まるで実感がない。当たり前のことだ。
奨励会、順位戦、その他の棋戦。ここ数年は将棋にすべてをかけてきた。
学校に普通に通い、普通に勉強をして、普通に友達ができる。
そんな当たり前の中学生に自分がなりきれるはずもなかった。
一度だけ勇気を出して自分のことについてクラスの人間に話したことがある。
結果は散々だった。
「将棋?あぁ・・うちのおじいちゃんがよくやってるよ」
「それ面白いの?」
「儲かるのか?」
「八坂名人のサイン欲しいんだけど!」
彼らにとって将棋とはその程度のものなのだ。
いや、彼らではない。ほとんど一般人がそうだ。
将棋に命を捧げ一生付き合っていく棋士は彼らにとって到底理解のできないものなのだろう。
ぎゅるるるるるるる
苦しそうに腹が鳴る
「カップ麺あったかな・・・・」
戸棚からみそ味のカップ麺を取り出し、やかんでお湯を沸かす。
ここ最近はカップ麺しか食べていない気がする。
「カレー・・・・食べたいな」
施設でタカシやアカネたちと食べたカレーは色んな野菜が入っていて、タカシは嫌がっていたけれど僕にとってはごちそうだった。
「タカシが野菜だけ残して園長に怒られてたっけ・・・それでタカシが泣いてアカネが笑って」
今でも鮮明に思い出せる。
あの暖かくて、キラキラしていて、みんながいて
でももう取り戻せないあの日々のことを。
ピューとやかんが怒ったような音色を奏でる。
窓の外をふと見ると軒先の木々が少し色づいていた。
「もう春か・・・・・・・」
どうしようもない現実の中、僕の戦いの一年がまた始まろうとしていた。
3、将棋会館 2階 会長室 午後1時32分
境湊人は困っていた。
昨日の夜酔い気味の会長から明日の昼に会長室にくるように言われ、来てみたはいいもの
の肝心の会長の姿が見当たらないのだ。
「はぁ・・・まさか忘れてないよな会長。」
道風との研究会をキャンセルしてまで来たのだ。これで会長がド忘れしているなんてことがあったらたまったもんじゃない、少しくらい文句を言ってもバチは当たらないだろう。
ただ待っているのも何なので部屋を見渡す。
新聞社の質問に対する返答書、アマチュアの段位認定書の用紙、雑誌の取材日程などの書かれてスケジュール表。
「会長も毎日大変だよな・・もう結構な年なのに。ん?」
ふと机の一角に見覚えのあるものが置かれていた。
棋譜だ。
「へぇ・・会長が誰かの棋譜をピンポイントで抜き出すとは珍しいな。八坂か?それとも宮野か?」
しかし棋譜に書かれたそのどちらでもない。
俺の全く予想していない棋士の名前が書かれていた。
「片桐君と・・・相馬?」
相馬といえばおととしの暮れに八坂に次ぐ史上5人目の中学生プロ棋士だ。
当時は将来の名人候補と世間を騒がせ連日のようにニュースで取り上げられていた。
しかし今期のC級2組の順位戦は2勝9敗。その他の棋戦もほとんどが予選リーグ落ち。
彼の活躍を期待していたメディアは次第に彼から離れていった。
勝手な話だ。棋士はマスコットではない。
飽きられて捨てられるものでもなければ拾われて救われるものでもない。
彼に期待をかけるだけかけて使えなくなればまた別のものに移っていく。
仕方がないとはいえ少し不快に感じてしまうのは自分も彼と同じ道を歩んできたからなのだろう。
「どうにも好きになれんな・・メディアってもんは。」
確かに棋士は人々に感動を与えたり、勇気を与えることはある。
しかし棋士は、少なくとも自分はそれを目的にしてはいない。
いや、してはいけないと思うのだ。
将棋に限らず勝負の世界は突き詰めれば個人戦。
誰に頼ろうが、助けてもらおうが最後は自分が、自分で、自分のために戦うのだ。
その勇ましい姿に人々は感動する。
決して感動させる目的で棋士は努力するのではない。
そんな生半可な目的で勝利をつかめるほど甘い世界ではない。
「ふぅ・・でこの棋譜は結局何なんだ?」
気を取り直して棋譜を見つめる。
先手が相馬四段、後手が片桐六段。
「片桐が四間飛車、相馬が居飛車穴熊か・・・・」
中盤までは両者一歩も譲らぬ激戦だった。
そして終盤の入り口。
相馬の守りが片桐の攻めを切らし優勢に転じた。
「ほぉ・・若手なのにここまで重厚な指しまわしか。ん?」
しかし片桐の8五桂馬に対する相馬の一手
7一銀
明らかなる悪手だ。9三玉と逃げれば先手はもう後手玉を追い込めない。
逆に銀を使ったことで自陣の守りが厳しくなる。
「桂成で相馬の投了か・・・」
はっきり言ってひどい対局だ。この局面で9三玉を見逃すプロはそういない。
棋譜を読み終わり、もとの場所に置こうとすると棋譜が二枚重なっていることに気づいた。
「ん?もう一枚は三段リーグ最終戦・・・相馬と伊藤の対戦か」
少し興味が湧いたのでこちらも見てみることにする。
「先手が相馬、後手が伊藤・・・・は?」
鳥肌が立った。そして強烈な既視感を覚えた。
78手で伊藤の投了。問題は内容だ。
相馬は一度も敵陣地に攻め込むことなく伊藤の攻めを完全に切らしに行っている。
伊藤の必死の猛攻も完璧に受けられる。
守りが得意な棋士ならばこのような戦い方を好むものもいる。
しかしこれは違う。
「AIかこいつは・・」
この棋譜には人間の匂いがしない。
明らかに攻め時であるにも関わらず相馬は全く攻めない。
まるで伊藤の心を折るかのように駒得を拡大させ、その駒で自陣を固めていく。
78手目の時点でもはや伊藤には攻めの手段はなかった。
「俺は何を見てるんだ・・・これが人間の指し手か?」
八坂や宮野といった天才ともまた違う。
彼らの手も驚くものがあるがしっかりと人間臭さが残っている。
だが相馬の指す手には人間味が感じられない。
「驚いてるみたいだな湊人」
いつからいたのだろう。会長室のソファには三好会長が座っていた。
「あ、すいません会長。勝手に棋譜を読んだりして」
「気にするな、棋士なら目の前に棋譜があれば読みたくもなるさ。で、感想は?」
俺は棋譜をもとの場所へ置き、会長の反対側のソファに座り一息ついた。
「化け物ですね。彼は」
「だろう?あいつは化け物だ。」
まるで自分の孫のことを自慢するかのように会長の顔は嬉しそうだ。
だがすぐに暗い顔に戻る。
「今日呼んだのは相馬の件ですね。会長。」
なんとなくだがそんな気がした。
会長が相馬の対局のとき頻繁に棋士たちの検討の場に足を運んでいるのは知っていたし、なによりも今の反応で納得がいった。
「あぁ・・なぁ湊人。本田権蔵って知ってるか?」
「えぇ・・あのアマチュア強豪だった。」
本田権蔵。その名は棋士の中ではあまりにも有名だ。
今から10年前の竜王戦。
彼はアマチュア参加枠から竜王戦の6組に参加。
そこから勝ち続け挑戦者決定戦まで勝ち進んだ伝説のアマチュア棋士。
挑戦者決定戦では当時5冠を保持していた八坂に敗れたものの、アマチュア棋士としてタイトル戦に挑戦するかもしれないということで当時は連日ニュースで報道されていた。
それ以降はアマチュア棋戦で目立った成績を残すこともなくなり表舞台から姿を消した。
しかしアマチュア界に希望をもたらした存在として今なおその伝説は語り継がれている。
「彼は確かおととし亡くなったんでしたよね。」
「あぁ・・・それでな湊人。実は相馬は本田権蔵の」
会長が次の言葉を言う前に相馬の棋譜から感じた既視感の正体に俺は気づいていた。
機械のように冷酷無比な指しまわし。攻めを捨て敵の攻めを完封する棋風。
10年前の竜王戦挑戦者決定トーナメント準決勝。俺が完敗したあの対局。
「弟子なんだよ。」
相手は本田権蔵その人だった。
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