オオカミと徒桜

@ryuuousan

第1話 弥生①

父から最後に教えてもらった言葉を今でも忘れず覚えている。

「明日ありと心に思う徒桜」

明日はどうなるかわからないという、世の中や人生の無常を説いた言葉らしい。

加えて父は僕に言った。

「だからな迅。お前は悔いが残らないように生きなさい。お前がどんな道に進もうと父さんたちは全力で応援するから。」

でも僕が父さんたちに夢を応援される機会は一度も訪れることはなかった。

あの日父さんたちは徒桜のように僕のもとからはかなく散っていったのだ。

2004年 北海道 風間トンネル崩落事故

重軽傷者 54名 死亡者 22名

戦後最悪の事故と後に呼ばれるこの事故により僕の両親と妹を含む22名の尊い命が奪われ、僕は頭に激しい損傷を受け片目の視力を失った。

搬送先の病院で目を覚ました時には時すでに遅く、すでに両親と妹の葬式は終わっていた。

神様は僕に彼らにお別れを言うことすら許してはくれなかった。

それから僕は少しずつ狂っていった。

家族の死と片目の失明。

その残酷で冷酷な現実が僕の心を蝕んでいった。

自殺未遂を繰り返した僕が精神病棟に隔離されるのは時間の問題だった。

白い壁。

不気味なほどに笑顔を絶やさない医師達。

運ばれてくる精神安定剤入りの食事。

カウンセラー達の優しい声

そのどれもが自分をこの世につなぎ止めようとする神の意地悪なのだと感じた。

「なんで僕も生きなきゃいけないの?」

僕の悲痛の叫びに医師はいつも決まってこう答えた。

「君が死んでしまったら亡くなった家族が悲しむ」と

嘘だ。

その言葉は客観的に死を見ている人間にしか言えない言葉だ。

医師達にとって僕の両親の死は日常にありふれた死の一つに過ぎないのかもしれない。

でも僕にとって彼らの死は人生の終焉と同意義だった。

それから半年間のことはよく覚えていない。

そして精神病棟に移されて半年後のあの日

僕は彼に出会った。



1,

将棋会館 2階対局室 午後22時32分

対局は終盤にさしかかっていた。

持ち時間は双方とっくに切れ1分将棋が続いていた。

「10秒」

記録係の秒読みの声ががらんとした対局室に響き渡る。他の棋士は大半がその対局を終えている。

「20秒、1,2,3,4,5,」

パチン

相手の片桐六段が8五桂馬を放つ。

想定内の手だ。こちらの玉はまだ詰まない。

「10秒」

今度はこちらの秒読みが始まる。

7一銀、同玉、2一飛打で後手玉はほぼ必至となる。

「20秒」

パチン

7一銀

指した瞬間。手に何か気持ち悪いものが残った気がした。

(・・なんだこの違和感。こっちの一手勝ち・・・・)

パチン

秒読みを待たずして片桐六段が指す。

9三玉。

「え?・・・・」

思わず声が漏れる。

こちらの持ち駒は飛車、金、香、歩。

玉を追う手がない。

(なんで9三玉が見えなかった・・・・・くそっ)

「10秒」

銀を使ったことでこちらの玉の受けが厳しくなった。

金で桂馬の成り込みを受けてもじりじりと削られ負ける。

逆転だ。

「20秒、1.2.3.4.5.6.7.」

姿勢を正し駒台に手を乗せ、長らく閉じていた口を開け声を絞り出す

「負けました」

123手 後手 片桐六段の勝利。

これで今期の僕の順位戦成績は2勝9敗。降級点が確定した。

感想戦はそう長くはかからなかった。

あの一手が敗着なことは誰が見ても明らかなことだ。

感想戦を終え会館の出口に向かおうとするとロビーに将棋連盟会長の三好竜一と伊藤四段がいた。

自分でもよくわからない申し訳なさと悔しさを胸に彼らのもとへと足を進めた。

「・・・・会長すいませんでした。」

「なんで謝る」

優しい声だ。

「勝てた将棋でした。」

会長がポンっと僕の肩を軽く叩く。

「勝負事において「勝てた」は禁句だ。たとえそうでも負けてしまえばそれは負けになる。」

「はい・・・・」

そう言われるのは分かっていた。

自分が言っているのは言い訳だ。

自分の一番嫌いな言い訳だ。

うつむく僕と会長の間に一人の男が割り込んできた。

伊藤四段だ。

「まったく残念だよ。相馬。君とならライバルになれそうな気がしたのに。何だ?今日の対局は?銀を捨てにいくのが君の攻め方なのかい?」

「やめろ伊藤。もう終わったことだ。」

「そうやって会長はいつもこいつに甘い。こんな奴をかばってたら会長の格まで落ちますよ。」

「伊藤!!」

会長の怒号がロビーに反響する。

普段は温厚な会長だが怒ると誰にも手が付けられなくなる。

「な、なんですか!僕は会長のためを思って・・」

さすがの伊藤四段も覇気を失っている。

「今日は帰れ」

「で、でも」

「帰れ!二度は言わんぞ」

この一言で伊藤四段は逃げるように会館を後にした。

「すまんな迅。あいつも悪い奴じゃないんだ。」

「はい・・分かってます」

伊藤太、18歳。僕と同期、つまり一昨年共にプロデビューした棋士だ。

デビュー以後ろくに勝てない僕とは対照的に彼は

今年の新人王戦優勝。順位戦C級2組を全勝で一期抜け。24才以下の棋士で競う若葉杯では準優勝を果たすなど好成績を収めていた。

「僕が勝てないから・・・彼が失望するのも分かります。」

デビューの時のインタビューでも記者達に対して伊藤四段は

「相馬と互いに競いながら将来の棋界を盛り上げられるような存在になりたい」

と満面の笑みで語っていた。

彼が勝手にライバル視していたとはいえ勝てない自分が世間、そして周りの棋士達から失望されるのは当たり前のことだ。

「あまり自分を責めるな。それにお前はまだ15だ、まだまだ強くなれる」

「はい・・・」

会長の言葉はいつも真っ直ぐで不器用な優しさを持っている。

でも僕は知っている。

人の言葉に救いを求めてしまえばその人はそこで止まってしまう。

優しさとは一種の罠なのだ。

妥協という名の優しさに慣れた人はもう二度と昔の自分には戻れない。

「飯でも食ってくか?うまい鰻屋連れていってやるぞ」

いつも通りの優しい笑顔だ。

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます会長。」

そう言うと僕は逃げるように会館を去った。

あれ以上いればきっと会長の優しさに甘えてしまう。

会館から道に出ると外は真っ暗だった。

夜空に浮かぶ星は儚いけれど確かに輝いていて、なんだか少し眩しく感じた。

「・・・勝ちたいな」

電車に乗って一人暮らしのボロアパートに帰ると僕はそのまま泥のように深く眠った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る