白銀のデザイア~聖夜の想い~

木原梨花

第1話

 私服で街を歩くことは、真冬にとっては実は珍しいことだった。普段はほとんどの時間を訓練所で過ごしているし、宿舎も組織の敷地内にある。外に出ることがないから、訓練用のジャージか任務時に使う制服くらいしか身につけない。

 だからだろう、どうにも落ち着かない気持ちになって周囲をキョロキョロと見回してしまう。十二月二十五日。クリスマスの当日だから、街中はイルミネーションで彩られていてますます居心地の悪さを覚える。

 そんな気持ちで歩いていたせいだろう、真冬の隣を歩いていたアキラが、眉間に深く皺を刻んでこちらを見る。

「おい、なんだよその顔。俺の隣を歩くのがそんなに不満かよ」

「不満じゃない! 不満じゃないんだが……その、どうも落ち着かなくて……」

「落ち着かないって……別に男同士で歩いても寂しいやつらとか思われないと思うけど……多分」

「そういうことじゃない! だから、その……こういう雰囲気、慣れてないんだよ」

 どこを向いたらいいかもわからず、真冬は俯く。アキラは不思議そうに眉を寄せていたけれど、ああ、と小さく呟く。

「そっか、お前、家から出たことなかったんだっけ?」

「全く無いわけじゃないが……ほとんど。出たとしても、車から降りないとか、建物の中にすぐに入るとか、そういう感じだったから……」

 家から出ることが出来なかった分、あやかしに関する本を読む時間は山ほどあった。術式を覚えることも、それを実際に試してみることもいくらでも出来た。だから組織に入ったときには既に実戦に耐えうるだけの知識と技術を持っていて、シミュレーターでの訓練ではほとんど困ったことがない。

 だが、いわゆる「一般常識」というものがほとんどない。それは以前、アキラにも指摘された。それから料理も、洗濯も、食器洗いも、掃除だって、何もかもが初めてのことでようやく人並みに出来るようになった。だが知識に偏りがある、というのは誰に言われるまでもなく自覚していることで、だからこそ街中は落ち着かないのだ。

 一般の家庭で育ち、ごく普通に生活してきたアキラにはとうていわからない感覚だろう。いや――真冬以外の誰もが知っているはずのことを、真冬だけが知らない。つまり、おかしいのは自分なのだ。

 だから外に出たくなかった。だが、時々買い出しで外に出なければいけなくなることがある。今日がそれだ。組織の敷地の中だけで生活出来るものではない。その買い物にアキラが着いてきてくれたことには感謝している。だが、やはり来るべきではなかった。

「なあ、真冬」

「……なんだよ」

「お前ってさ、今も外に出るとき、怖いのか?」

「それは僕がビビっているって言いたいのか?」

「そういうんじゃねーって。けど、昔はめちゃくちゃ襲われまくったんだろ、あやかしに。さすがに今はそこまでじゃねーってのは一緒に歩いてるからわかるけど、それでも怖いもんは怖いんじゃねーかなって」

「まあ……多少は怖いよ。けど、もう怯えてるばかりじゃない」

「へぇ、マジで?」

「対抗する術も身に付けたし、あやかしについて学んだことで弱いあやかしを寄せ付けない方法を見つけられた。それに、千夏さんがくれた護符もあるからちょっと外を歩いた程度じゃ襲われない」

「あー、そういや貰ってたよな、ショコラ先輩から。へー、そっか。そんじゃ基本的には普通に歩けるって思っていいんだな?」

「歩いてるだろ、今だって」

「だよな! よっしゃ、んじゃちょっと寄り道して行こうぜ」

「は? どこに」

「いいからいいから、ほらこっち!」

 アキラは真冬の手首を掴むとグイグイ引っ張って歩き出す。アキラは考える前にまず動く、という癖がある。そのおかげで振り回されることは何度もあったが、何度言っても『説明してから動け』という要望が通ったことはない。

 もう仕方がない。真冬は問いただすことを諦めて、アキラの好きにさせることにした。幸い、周囲にあやかしの気配はない。施設の外に出てしまえば、アキラの知識に勝てる部分はほとんどない。街中を真っ直ぐ歩いていても、どこへ向かっているのかはわからない。

 小さくため息を零す。そして、身を委ねた。アキラの好きにしてくれればいい。そう覚悟を決めてしまうと、急に気持ちが楽になった。

 行き先も帰り道も、全部アキラが知っている。自分は何も考えなくていい。ただ、アキラに手を離されなければ問題ない。そう思ったら、突然周囲の景色が見えるようになってきた。色とりどりに輝くイルミネーションが視界いっぱいに広がる。今日は冷える。白い息が出るほどの寒さなのに、その煌めきはどこか暖かい色をしている。

「……初めてだな」

「ん、何が?」

「いや……なんでもない」

 アキラは一瞬不思議そうに首をかしげたが、すぐに興味をなくしたように歩くことに集中し始めた。いや、小走りくらいの速さだろうか。何を急いでいるのか。それとも、ただはしゃいでいるだけなのか。

 後者なのだとわかったのは、それから五分後のことだった。

「ほら見ろよ、これ!」

「これは……!」

 アキラが指差した先には、巨大なクリスマスツリーが立っている。隣に立つショッピングモールの三階ほどの高さまであるから、十五メートル近いのだろうか。その上から下まで、色とりどりの電飾に包まれている。

 光は少しずつ色を変え、赤く、青く、黄色く、周囲を優しく染めていく。ツリーの足元には淡い銀色の光を放つオブジェがいくつも置かれていた。

「……すごいな……」

「だろ? お前、こういうの見たことねーんじゃねーかと思って」

「ああ……なかった」

 こうしてイルミネーションを見ているほとんどの人がもう何度も見たことがあるのだろう。そんな当たり前の経験が、真冬には欠けている。

 氷堂の家で暮らすだけなら、気にする必要はなかったのだろう。だが、真冬は氷堂の『外』を知ってしまった。そうなると自分の無知を思い知らされて、このままでいいのか不安になる。

 自然と視線がつま先に向く。その隣で、アキラは呑気に言った。

「次、どこ見たい?」

「……は?」

「だから、どこが見たいかって言ってんだよ。この手のやつもあるし、あとあそこの店入ったらケーキとかチキンとかも売ってるぜ、たぶん」

「何の……話しだ?」

 ポカンとしたまま訊ねる真冬に、アキラはあっさりと言い放つ。

「クリスマスの話に決まってるだろ! お前、初めてなんだろ? だったらせっかくだし、初クリスマスを思いっきり楽しめばいいじゃねーか」

「…………」

「あ、でもクリスマスに何があるかがそもそもわかんねーのか。んじゃ、俺のオススメで行くか。肉だな、肉!」

「ご……強引なやつだな」

「えー、けど、やってみたいだろクリスマス。それとも興味ねーの?」

「き、興味は……」

「興味は?」

「…………ある」

「んじゃ、決まりだな」

 ニッと笑うとアキラはスマホを取り出した。かと思うとどこかに電話をかけ始める。

「あ、ハルさん? 今日って任務あります? ……ない? んじゃ、クリスマスパーティーしましょうよ! 俺、今から肉とケーキ買って帰るんで!」

 電話の向こうにいるのはハルらしい。どうやらハルは二つ返事で了承し、千夏も呼んでおいてくれる手はずになったようだ。肉とケーキをアキラが買って、他に何かしらハルが作ってくれるようだ。

 電話を終えると、アキラはまるで子どものようにはしゃぎ出す。

「よっしゃ! 久しぶりに全力でクリスマスを楽しむか!」

「久しぶり……なのか?」

「だな。まー、ハルさんと軽くケーキ食ったりしたけど、派手にやるのは組織に入って以来かもな」

「そうなのか……」

「千夏さんとはやらなかったんだな。あの人、騒ぐの好きそうなのに」

「誕生日のときは割と騒いでたけど、それ以外はあまり」

「へー。お前んち、和風ってイメージだもんな」

「それ、関係あるのか?」

「あるある。クリスマスって洋風じゃん?」

「よくわからないが……まあ、そう……なのか?」

 理屈はよくわからないが、どうでもいいのだろう。アキラの笑顔を見ていると、そんな気分になってくる。

 不思議な気分になる真冬に、アキラは急に表情を緩めた。

「真冬はさ、知らないことを悪いことだと思ってんだろ?」

「え……?」

「まー、あやかしの知識とか、必要なことは知らなきゃ悪いと思うんだけど、知らなきゃ死ぬようなことじゃなかったら気にすんなよ」

「…………」

「知らなかったら教えてって言えばいい。その前に俺が勝手に押しつけるかもしんねーけどな」

 ニヤッと笑い、ショッピングモールの方へ歩き出す。その背中を、立ち尽くしたまま見つめてしまう。

 見破られているとは思わなかった。真冬の心の奥にある、引け目のような感情。何も考えていなそうに見えるのに、アキラはやはり年上なのだと痛感する。

 任務中ならそれに甘えるわけにはいかない。だが、今は違う。真冬が千夏に甘えるように、アキラに甘えてもいいのかもしれない。

 少しだけ気に入らないけれど。それでも――

「おい真冬、さっさと行くぞ!」

「ああ、今行く!」

 今日くらい素直に初めてのクリスマスを楽しめばいい。そう考えて駆け出したら、なぜだか身体が軽かった。

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