第44話

「誰だろ、家族が帰ってきた?」


 腕時計で時間を確認すると時刻は午後八時になろうかという頃だった。長門さんは僅かに首を横に振った。まぁ宇宙人の仲間がインターホンを押すとは考えにくいしな。


「あぁ、わかった。通販で何か頼んだんだろう?」


 殺風景だもんな、この部屋。学生だし時間指定でこの時間に来ても不思議ではない。しかし、長門さんはまたしても首を横に振った。


ガチャンガチャン、ガチャンガチャン


 玄関のドアノブが鳴り始めたことで、ようやく俺はさっきのインターホンがアパートの玄関口ではなく目の前の扉から鳴らされたことを知った。すっと俺の横を何かが通り過ぎ、情けない悲鳴をあげそうになったが、長門さんが音もなく俺の横を通り過ぎて玄関へ向かっただけだった。


「ちょ、ちょっと待って!」


 スタスタと玄関までたどり着いた長門さんが鍵を開けようとしているのを止める。なあ長門さん、今この玄関の外にいる人間に心当たりはあるのか?長門さんはしばし黙っていた後、「玄関の外にいる人間に心当たりはない」と復唱するように答えた。俺はすぐに備え付けていたチェーンをつけた。


「宇宙人の長門さんにはわからないだろうけど、こんな時間にいきなりやってくる相手にほいほい出るべきじゃない。第一、アパートの入口を素通りしてやってくる相手には居留守でもすりゃいいのさ」


「平気。それにアパート内の人物の可能性がある」


 そうか、朝倉委員長も同じアパートだったな。けど、朝倉委員長はインターホンの反応がなくてもドアをガチャガチャするとは思わないけど。とはいえ、何も反応しないと留守と思って入ってくる泥棒もいるかも知れない。どうしたものか…。


「……あ~、入ってますよ」


 いや、バカなのか俺は。テンパりすぎだろ。なんだ、入ってますって。そりゃそうだろうけど。


「キョンくん?中にいるの?」


 予想を大いに裏切り、ドアの外から聞こえてきたのは朝倉委員長の声だった。ホッとした反面、…なんだろう、相変わらずこのドアを開けてはいけないような気がした。ドアスコープから外を覗くと、誰も映っていなかった。


「朝倉委員長…か?どうしたんだ、こんな時間に」


「晩ごはん作りすぎちゃったからおすそ分けにね。鍋、重いから早くドアを開けて」


 なるほど、そういうことか。朝倉委員長の性格なら特におかしなことはない。ドアスコープに映らなかったのは、重い鍋を持っているからしゃがんでいたのだろう。納得した俺は、ドアの鍵を開けることにした。鍵からカシャンと乾いた音がなった。


 ガン!!!!!


 俺が鍵を開けるのとコンマ単位で同時に、ドアが勢いよくドアチェーンで動く範囲の限界まで開いた。あまりの勢いに、俺はその場で尻もちをつき、へたりこんだ。ドアは一度締まり、再度ガンと大きな音を立てて開きかけ、また静かに閉じられた。


「…ドアチェーンがかかってて入れないわ。早く開けて」


 ドアの外からまた朝倉委員長の声が、教室で話しかけてくるようないつも通りの声色で聞こえてきた。その何も変わらなさすぎる声が、俺には恐怖以外の何物でもなかった。それなのに、何を思ったかドアの前で棒立ちのまま固まっている長門さんが、突然ドアチェーンを外してしまった。俺が声を出す前に、ドアがバァンと開けられる限界まで、一気に開かれた。


 開けられたドアの前にいたのは、朝倉委員長その人だった。その手に鍋は見当たらず、またその顔には笑顔も、怒りも、何の感情も乗ってなかった。目も鼻も口もあるのに、まるでのっぺらぼうのようだった。


 朝倉委員長は何も喋らない。対峙する長門さんの表情はこちらからは見えないが、たぶんさっきと同じように無表情なんだろうなと思わせるほどに長門さんもいつものように口を開かなかった。恐怖のあまり口をきけない俺も含め、三人とも誰も何も言わなかった。

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