第18話 神官という羊の皮

藍色の修練中を示す修道服を着たお兄さんがいつものように私たちに算術を教えているところだった。突然の来訪者だった。見習いたちの教室にふさわしい木製の素朴な部屋に、高位神官を表す真っ白な法衣が翻る。


それに驚きと敬愛を持って迎えたのはマルクだけ。


胡散臭い貼り付けられたような笑みに半眼で対応してしまうのは私もエルも幼い証拠だろうか。もう少し貴族らしく笑顔で迎え入れないといけなかったかもしれない。


「クロリス、あぁ、いたね。お話があるんだ」

「次は神学です。休憩はまだ先になります」

「いいんだ。家元からの連絡があるからね」


思わずエルと目を合わせる。このまま家に帰るとなれば、あとは学園に行ってから彼がフローラ=クロリスに気が付いてくれるか、もう賭けるしかない。

それに、ヒロインがほかのルートへ行ってしまった場合、エルが守りたいと考えているマルクはエルの身内に殺されるということを、エル本人が気づいて対応してくれないとどうにもならない。


引き寄せた偶然を十二分に使って私は布石を打って、情報を集めた。

もちろんあのときお父様に言ったように修道院で学んだことも多い。


「わかりました。エル、マルク、またね」

「剣術までには戻って来いよ。クロリスがいないと延々と素振りだ」

「基本の素振りと受け身は大切だよ。いざというときに味方の生存率を上げるためにも必要だからね」


これまで色々と教えてくれた修道士にお礼を言って、時間は短くも思い出深くなった教室をあとにする。目の前に垂れる銀の縁どりのされた白い法衣を追いかける。


次々と日課に勤しむ修道士たちを横目に入口に向かう。

やはり私はこのままラングレー領に帰るらしい。荷物はきっとあとから送られてくるだろう。まあ仮に来なくても、重要な荷物は手元にあるから来なくても問題はない。


それにしても、と目の前を歩く男性を見上げる。フローラの目線の位置にある腕は、神官と思えないほどに鍛えられている。高位神官であることを考えると、この人が誰か推測はたやすい。

この人もなかなか癖がある神官だった気がする。没落するラングレー家を高笑いして眺め、なんならルート次第ではラングレー家を追い詰めるのは確かこの人だ。


「つかの間のお遊びはお楽しみになれましたか?」

「帰って来いってことね。あなた、わざわざ王都から私を連れ戻しに来たの?私はお約束分の成長ができたかしら」

「そう判断されたようです」


振り返り私を見下ろす男は、私と同じ色合い。銀の髪、緑の目。父と似通った風貌だが父よりも中性的な顔立ちをしていて、キレイという単語がよく似合う。従弟で攻略対象でもある第二皇子とよく似ている気がする。彼はフローラの叔父で、祖父が溺愛した娼婦の息子、妾腹の子ども虐げられて育ったと裏設定があったはずだ。


父の弟だ。彼に武力を持たれるのが怖かった父が、彼を教会へ送り、神官にした。


「フローラ様はこの短期間で色々あられた様子だ」

「色々と学んだのよ。

「そのようですね」


まだ名乗りを上げていないにもかかわらず関係性を言い当てた私に興味を持ったらしく、緑の瞳が私のほうを向く。口元を薄く緩めた彼が丁寧に、修道院前に置いてある紋章を消した馬車の中に私をエスコートする。

御者として座っている髭の男は来るときにも私を送ってきた使用人だからこの馬車は一応ラングレー家のものらしい。


私が何を確認したのか視線だけで理解したらしい叔父が補足する。


「修道院に乗りつけるのに家紋の紋章付きで、乗りつけるわけいきませんからね」

「お約束通り、一年待ってくだされば良かったのに」


深いため息をついて、叔父に座るよう示された場所に腰掛ける。


叔父、オスカーが出発するよう指示をすると緩やかに馬車が動きはじめた。本当にこのまま帰るらしい。そんなに強い魔力持ちの娘が重要か。乙女ゲームの中でフローラは早々に追放されたり、殺されたりしていたからてっきり魔力量がここまで重要視されていると思っていなかった。


「まさかエレン皇子とともにいるとは思ってませんでしたよ」

「ええ、私もまさか皇子とともに過ごすとは思っても見ませんでしたわ。有意義に過ごさせていただきました」

「おや、折角第三皇子と仲を深めていただいたのですが、幼馴染の友情に頼らずとも王妃になれますよ」


思ったより話が来るのが早かった。ため息をつきたくなるのを堪える。普通の令嬢であれば皇子と婚約となれば名誉だ。私がついうっかり☆恋という乙女ゲームの悪役令嬢であると思い出してなければ、このニュースに喜んだことだっただろう。


だけどこの手のことはお父様の方から話を聞かされると思っていた。まさか叔父から聞かされるとは思ってなかった。

この人も怪しいから、どこまで話していいものか。探るように深い緑の目をのぞきこむが、胡散臭い笑顔は張り付いたままだ。彼とこういうのでやり合うには私はまだ未熟らしい。


さっさと諦めて予想を提示した。

それに☆恋の本編が始まる前にハリスと悪役令嬢フローラは婚約していたはず。まさかこんな10歳にもならないガキの頃とは思ってなかった。


「ハリスね」

「おやおや、本当にその情報網は驚きますね」

「私が魔力の発現をしたから、お義母様の反対を押し切ってお父様が決めてきたのでしょう?父からすれば、私が嫁ごうと妹が嫁ごうとどちらでもよろしいですもの」

「お嬢様にとって、いい経験だったみたいだ」


くつりと喉を鳴らして笑う叔父は酷く愉快そうだ。あの誘拐事件をいい経験と言ってのける叔父上はなかなか皮肉屋だ。


ゲーム内で父親と比べたらフローラのことは少しだけマシに評価していた描写があった彼だが、別に味方だった訳では無い。家族に虐められる彼女に自分を投影して、同情していただけだ。路肩に落ちた鳥をかわいそうにと見やる程度ぐらいだけど。


でも、父を殺そうと策略していた彼が私の味方になれば楽になる。一部のルートでは、ラングレー家没落のための証拠をせっせと抑えていたのは彼だったのだから。


「それで、あなたは?」

「わたし?」

「望みはなにかしら?仮にもラングレー家、お金ではないわね。そうね、自由かしら」


そういうと彼の目は細められた。彼の望みの片方は自由、そしてもう1つは家庭教師だったルイーズを探すこと。ルイーズはただ一人、オスカーという個人を愛した人間だから、オスカーは執着する。


「お嬢様は?」

「私ののぞみ?」

「お嬢様はどうやら私の望みをご存知のようだ」

「わかりやすいもの、あなた」

「はじめて言われましたよ」


貴方の裏設定を知っていましたなんて非常識は言わず、幼女らしく唇を尖らせた。


「それに私の望み?そんなの決まってるじゃない。幸せになるのよ」

「それは、面白そうですね。お姫様」


神官とは思えない邪な笑顔で彼は笑った。

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