第16話 夢現

まただ。悪夢の中にいると、これは夢と解りながら脱することの出来ないもどかしさに苛立つ。

わかっていても起きることができないのが悪夢の嫌なところだ。でも、それより嫌なのは私が悪夢だと思っている景色が平和な日常であることかもしれない。


悪夢なのに私の目の前にいるのは、穏やかに兄妹の幸せを祈る優しい兄の姿だ。私が奪った彼らの日常、シャムが見せた幸せの日々の欠片がより私を締め付ける。悪いのは彼らだ。そう、私は被害者だ。私は貴族で相手は平民、仮に私に瑕疵があったところで、罪には問われない。身分社会とはそういうことだ。


「っ」


平和な景色を消し去る迫り来る鈍色の輝き、そして、その記憶にまとわりつく嫌な匂いを思い出して夢の中で呻く。金臭い独特の香りがあるはずがない臭いを思い出して、それを身体から追い出したくて、長く息を吐き出した。


ようやく悪夢から抜け出せて、目を開ければ見慣れた修道院の天井だ。


中身がどんなに老成していても、いたいけな幼女である私にはトラウマになる出来事だったらしい。やはりフランクさんと仲良くなり過ぎた。

夢のはずなのに、現実のように感じる嫌な夢を見たせいで、じっとりと粘りつくような汗が身体にまとわりつく。


時計を見れば起床まではまだ時間があるが、とてもではないが二度寝をキメられるような感じではない。寝れない。

本当に助けてくれるご都合主義な神様がいると思っている訳では無いが、何かにすがりつきたくなるときにちょうどいいところに私はいる。


子ども用のスモッグを寝巻きの上から被って、女神像のある教会に向かう。夜の修道院は静まり返り、より神聖さを増している気がする。灯りをつける魔道具を片手に歩く。


昼間の倍以上歩いた気分でたどり着いた教会は昼とは異なる夜の美しさを魅せる。淡い月の光でステンドグラスは仄かに彩りを落とす。昼に見る女神は優しそうに微笑んで見えるが、夜の女神はどこか悲しげに見える。


その方が今の私の気分に合っている。


石造りの床の硬さを膝で感じながら、指を組んで未来のために祈る。実現のために努力もするけど、ファンタジーな世界なのだから神にも祈ったっていいだろう。


安らかでありますように。

私に幸福が訪れますように。


「クロリス」

「マルク、夜遅くにどうしたの?」

「クロリスこそ、泣いてるの?」


は?いくら幼児とはいえ、貴族であるフローラは人前で泣いたりしないように躾られていた。条件反射的に、慌てて目元を擦るが特に涙は流れていない。となれば、マルクの勘違いだ。


「泣いてないよ。どうして?」

「いたい?つらい?」

「いや、あの」


泣いていない事実を無視して、いたいけな天使が問い詰めてくる。まったく人の話を聞いてくれない。しかも悪意がないと見た。いささか対応に困る。


「表面じゃないよ、こころ。魔力が悲しいって言ってる」


マルクの言っている意味がわからない。


この世界で魔力とは、それぞれの人間の性質を表す特性をもつ力だ。魔力を使って空間に力を加えることで、魔法が使える。そして、人間の性質を表すということから、人によって使える力が違う。私含め、北方のラングレーは氷の魔力を持つものが多い。私はその氷の魔力のおかげで、髪が銀色だ。癒しの魔力を持つマルクは白、魔力の性質が3つ以上のエルは黒に見える。


でも、魔力は生来のもので、そう易々と変わったりはしない。そう、特にそのときのその人の状態を魔力で感じるなんてことは聞いたことがない。ちょっと眉を寄せて考えるが、関係ありそうでなさそうな疑問が湧いてきた。


癒しの力が強力なだけで、わざわざ教会派の皇子の傍に庶民を置くだろうか?


強固な身分制度があるこの世界で、身元がよくわからない庶民の子どもを皇子の傍に侍らせるかと考えたら不自然だ。皇子の傍に侍ることで得られる利益はなんだろうか。


贅沢な暮らし?

ここが修道院であることから却下。


いつか引き立ててもらえる?

可能性としてないわけではないけど、無礼をして斬られる可能性を考えたら却下。


まさか、皇子に付いてる護衛の利益を甘受できるから?この仮説が正しければ、マルクは護衛を密かに付けたい力を持っているということになる。護衛が必要で、魔力から人の感情を読むとなれば


「まさか、女神の加護?」

「え」


露骨な「言ってしまった!?」と言わんばかりの表情のマルクから色々と悟った。


嘘だろ。ヒロインの唯一無二感が薄れる衝撃の事態だ。女神からの賜り物とされている魔力を魔法として現出させなくても、含まれた感情を汲み取ることが出来る力が、かつて聖女が持っていたとされる能力がマルクにある。

その力は穢れた魔力を清浄に癒し、飢饉の前兆を掴み、枯れた草花を再生させるとまで言われる奇跡の力だ。だからヒロインが大切にされるわけなんだけど、まさかの伏兵だ。


余計なことを知ってしまった。これでは、エルがマルクを大切にするわけだ。まあそれが行き過ぎて、乙女ゲームにも関わらずエレマルなんて扉があちこちで開かれるわけだが、そんなことはどうでもいい。


これは皇子なんかよりずっと大切なはずだ。それを知らずにマルクを失うと国が飢饉や魔力の穢れが起きて国の危機が訪れるのか。と腑に落ちた部分もある。


だから第三皇子ルート以外で国の危機が起こるのか。それ以外の攻略対象ルートはエレンの元からマルクが離れる、もしくはマルクが死んでいる。

マルクが生きているマルクルートはヒロインとマルクの愛の力で持ち直すが、飢饉で国がダメージ受けることには変わりない。


「なるほどね。余計なことを知ってしまった」

「え、あの、ナイショだよ」


可愛らしい仕草に、うんうんと言いたくなるけど、これはそういった子どもを甘やかして終了していい問題じゃない。


はぁとため息をついていると、聖堂の椅子の影に隠れていたのだろうエルが姿を現した。


「当然だ。クロリス、約束の意味がわかったか?」

「約束がなくても護るしかない。エルよりマルクの方が重要だなんて思いもしなかった」

「それを知るのはこの場にいる俺とクロリス、そしてもう一人だけだ」


もう一人?それは☆恋ストーリーでも重要な役割を得ているのではないだろうか。そのもう一人を追求しようとしたけど、心底面倒だと言いたげにエルがため息をついた。


「お前、頭キレすぎ。どんな構造してんだ」

「え、エル、ごめんなさい」

「マルクには怒ってない。でも気をつけろ」


マルクがエルに寄り添ってしょんぼりしている。もう1人が気になることは気になるが、これ以上余計なことを知りたくない。知れば知るほどドツボにハマる。

フローラに戻れば、反対にエレンとマルクの生命を狙っていると周囲に思われるような立場になる。そんな中、マルクを守らなければいけないことを知ってしまうなんて、完全に巻き込まれた。


エルがマルクの手を握り、空いたもう片方の手で頭を撫でている。マルクもちょっと凹んでいた表情から嬉しそうな表情に変わっている。


はいはい、リアルなエレマルごちそうさまです。


「夜も遅い。部屋に帰ろう」


朝起きたら夢でしたとならないかと、僅かな願望を祈りながら、2人の手を引いて部屋に向かって歩き出した。

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