◆第二章
*第一の不思議
──学園の南側に、そのプールはある。
二十五メートルプールのコースは五つ。床には暑さで熱がこもらないタイプのタイルが敷き詰められている。
「あ。あそこ」
健は第一コースに見えた青白い光を指差した。
「そこの少年。逃げないでくれたまえ」
「普通に引き留めるのか」
耕平は、平然と左手で手招きし揺らめく光に歩み寄る匠に呆れてその様子を眺めた。
「相変わらずのバカだな」
僕にはただの薄ぼんやりした青白い光にしか見えないけど、あいつには少年に見えているのだろうか。
「度胸があるよね」
教室でも真っ暗で待ってたし。
「本当か?」
あいつ、本気で大丈夫なのか。なんだって一人で真っ暗な中に平気でいられるんだ。
しばらくすると、
「健」
匠が健を呼び寄せた。
「なに?」
「言った通りに準備はしてきたかな」
「うん」
ぼんやりとした光に視線を合わせるも、耕平と同様に健にもその姿は見えない。
「ちゃんと着てきたよ」
おもむろに服を脱ぎ水着姿になる。
「少年に、泳ぎを教えてやってくれないかい」
「え?」
誰に? と小首をかしげる健に、匠は右手を口元に添えて説明を始めた。
「もしかすると、ここにいる幽霊は泳げないことに悔いを残したのではないだろうかと考えていたんだよ」
話を聞くと、まさにそうだった。
泳げないのに一人で海に行き、少年は溺れてそのまま還らぬ人となった。せめて泳げるようになりたい──そんな想いが少年をこの世に引き留めている。
「ちょっと待て」
話を聞いていた耕平が割って入る。
「溺れたのは海なんだろ? じゃあ、なんでこのプールにいるんだ」
ここから海はかなり遠いぞ。
「家がこの近くらしい」
「そうなんだ」
なにを感心しているんだこいつはと耕平は健を見やった。
一端は成仏しようと家に戻ったが、やっぱり泳げるようになりたくて探していたらこのプールを見つけた。
「しかも、この学園の生徒じゃないのかよ」
耕平は開いた口が塞がらない。
「ここは高等部だよ」
中学生の彼がこの学園の生徒なはずがないだろう。
そんな事を言われても、こっちは姿が見えないんだから解る訳がない。
「健、頼めるかい?」
「いいけど」
どうやって教えればいいんだろう? まあ、やってみようかな。
「頼んだよ」
匠は青のアロハシャツと短パンを受け取り、プールに入っていく健を見送る。
「本当にいるんだろうな」
真っ暗なプールに一人、ぼんやりとした光を相手に丁寧に教えている。あれで本当に幽霊が泳げるようになるのか、耕平は不安だった。
いや、そもそも幽霊なのか。あの光はただの思い込みではないだろうか。人間の脳なんて、良く出来ているだけに平気で嘘をつく。
「いくらインターハイで優勝したあいつでも、幽霊に教えるのは難しいんじゃないのか」
「まあ見ていよう」
相変わらずの口振りに顔をしかめつつ、いくらなんでもこんな方法を使ってまで友達を騙すような奴じゃないだろうと素直に従った。
──三十分後
健は悩ましげな表情でプールから上がり匠たちの所に戻ってくる。
「どうだい」
「うーん」
小さく唸りながらタオルで体を拭いて服を着る。
「親戚の姪っ子に教えたときみたいにやってみたけど~」
不安を抱きつつも三人はプールに視線を向ける。第一コースに青白い光がぼんやりと浮いていた。
ふいに水面に大きな物体が落ちる音がして、バチャバチャと何かが暴れている。
「あれは──泳いでいるのか?」
よく聞けば、泳いでいる音にも聞こえる。
「そのようだね」
「よっしゃ! 成功!」
しばらく聞き入っていると、遠のいていく水音が止み辺りは静まりかえった。
「泳ぎ着いた?」
「ちゃんと泳ぐことが出来たようだよ」
「ひゃっほーう! やったね!」
喜んで飛び上がった健は誰もいないプールにVサインをした。見えなくても彼に賞賛を送りたいという気持ちからだ。
そんな健の耳に小さく「ありがとう」と聞こえた気がした。
「さて、次に行こうか」
「うん」
「成仏したのか?」
耕平の声に匠は振り返り、にこりと笑った。
次の不思議は美術室だ──
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