夜気

愛する気持ちを胸に宿したとき、私たちが手にしているのは悲しみの種子である。

その種には日々、情愛という水が注がれ、ついに花が咲く。

悲しみの花々は、決して枯れない。

それを潤すのは、私たちの心を流れる涙だからだ。

生きるとは、自らの心の中に、一輪の悲しみの花を育てることなのかもしれない。

–岡倉天心『茶の本』



日々、滴る涙のひそやかな音が聞こえる。時に、濁流の喧騒が、時に、一粒の輪郭や光沢が立ち上がるかのようにたった一音が、物憂げな様子で落ちてゆき、情感の土壌に沁み入ってゆく。その滋養を得、愁いを帯び、首をわずかに傾げている花もまた、涙を留められない。


変えてしまったのは、或る夜気であった。

その夜は香りが立ち込めていた。正体は、そこはかとなく互いの胸中に漂っていた、思慕である。絹のような風合いへと溶け始めたその甘美な気配を、肌が感じ取り、次第に脳や心臓までもが理性をまかせ、感度が満ち切ったその時であった。

わたしは、調和の取れていた広義な友情に、汲み上げてはいけなかった、ひめやかな情愛を、注いでしまった。


堪え難い感情と、判断力との境を彷徨いながら、相手も、自分も、大切にできるのかどうか、哀切は避けられずとも手放すことなく、居たい



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る