その気概ってのがねェのなら

 相変わらず、その賭博試合などという見世物は、闘いの熱と観客の活気とが織り交ぜとなって満ち溢れていた。

 野次は飛ぶ、物も飛ぶ、血と汗も盛大にに飛び散る様は、たいそうな無法地帯と言ってもいいのではないか。

 そんな闘いには、結構な金も賭けられている。特に大金をつぎ込んだ金持ちにとっては、この勝敗で0になるか、倍になるかが変わるのだから、熱が入って何をも飛ばしてしまうのも無理はないか。

 だが、金を賭けずにはしゃぐ庶民も、いることもまあ確か。こいつらは、きっと浮世の不満をここで晴らしたいのだろう。そう明るくもないご時世だ、殴り合いでもいいからこの浮かない心をスカッと、なんて。

 さて、そんな様々な観客が見守る闘技場の中央には、二人の男が対峙している。

 一人は足でしかと大地を掴み、不敵に笑う男、彼こそがセイマだ。

 笑ってはいるが、実のところは青痣だらけ、その両腕だって構えることもできやしないくらいにだらりと下げちまっている。頰からは血がだらりと流れている。肩で息をしていることからもわかるように、すでに満身創痍の域だ。

 対する男というのは、逆立ちに逆立つ妙な金髪を揺らしながらステップを踏み、隙のない構えを取っていた。それはさながら、現在のボクシングの構えといっても過言はないだろう。

 事実、今までの戦いで繰り出した拳は、まるでジャブのように正確にセイマの顔を抉るあたり、素人目からしても相当なものだった。

 男達は、すぐさまにでも拳が届く距離に対峙する。ジリジリと相手の隙を伺い、かつ相手の反撃に備えられるように緊張を張る。

 現状、金髪の男が優勢であるが、この男攻撃に踏み出しては、また間合いを取ることを繰り返す。どうやら、セイマの様子を伺っているらしい。

 ステップは行くか下がるかを繰り返し、いつ攻撃が繰り出されるのか読めず分からず。


「シュッ!」


 しかして、考える隙を与えるなんて甘っちょろい話は無い。

 再び金髪の男の拳が、セイマの顔にヒットする。まさに、ワン、ツー、と息もつかせぬジャブにセイマもたじろいでいるか、といえばそうでもない。

 顔面に確かに受けてはいるが、受けながらも間合いは詰め、ついでに拳を大振りに繰り出す。さながら、勢いよく向かいくる水流に抗うかの如し、だがその拳は虚しく空を切る。空を切ったと同時に、セイマの腹の中から中まで抉られる感触。胃の中身が逆流し、いっそ嘔吐物をぶちまけそうになる心地。

 が、それを知ってか知らずか、直後にその口を閉じんとするかのようなアッパーが、セイマの顎を突き上げた! 

 流石のこのコンボには、セイマもなすすべがない。鍛えられた体は空を飛び、勢いよく堕ちていく。


「なってねえぜ、boy」


 金髪の男は、余裕綽々と笑ってみせた。

 両拳につけた小手をカンと鳴らし、まるで戦いが終わったかのような格好をつけてみせる。

 事実、セイマが食らったそれは、常人なら到底立てやしないだろう代物だ、そう思ってもおかしくはない。しかも顎だ、ここに思い切り叩き込まれちゃ、足の感覚もままならないだろうて。


「まあ、普通の男ならそれでおしまい、って話だよね」


 相変わらず、一際目立つ観客席でスポンサアは試合を見やる。今回この試合を企画したのも、紛れもなくこの男。また、金髪の男をこの試合に招待したのも、同じく。

「しかし、さすがは海外の拳闘屋として名を馳せた男、中々にセイマを追い詰めてくれる」

 ふふと笑んだ瞳に、手に持った資料を映す。それには、かの金髪の男の詳細が記されていた。

 男の名は、アトラス・アメージング。スポンサアの語る通り、海外で拳闘屋として名を馳せたが、拳闘だけではつまらないと言わんばかりに各地を旅しながら、異種格闘技を繰り返してきた男である。

 拳闘の腕は確かであり、本人はお調子者であるが戦い方は慎重を期してるものであるという。それは、確かに現在の戦いでも垣間見える。

「しかしまあ、セイマも負けてはいないんだけどねえ、潜り抜けた戦いの数は」

 ふむと、少し思考を巡らした色で、彼はセイマへと目を向ける。未だ、腹と顎にきたダメージの所為か悶絶しているようであった。

 幾たびもの戦いを闘い抜いてきたセイマであるが、今回はどうにも旗色が悪い。

 初めから相手に翻弄され、何度も顔面に拳を喰らい、今度はコンボまで決められてしまった。いつもなら真正面の殴り合いをするところであるが、どうにもそれに持ち込めず、一方的な攻撃を食い続けている。

「……まあ、無理もないだろうさ。セイマには、技術がない。相手には有り余るほどの技術があるのに対し……か」

 そう、彼らの決定的な違いは踏んだ修羅場の数ではない、戦いを優位に進める技術があるかないか。そしてそれは、セイマには決定的に欠けており、対するアトラスには有り余るほどといっていい。

 流石は元拳闘屋と言っていいか、いや、拳闘屋の中でもアトラスの技術は超一流。その超一流の前に、ただ培った経験しかないセイマが敵わないのは、明白と言っていいだろう。


「だがね、技術だけで勝負が決まるのなら、僕はこんな見世物をするつもりはないけれど、ね」


 その瞳に映るのは、もはやこれで終いだろうと思われた男が、まさに立とうとしている姿。ゆらり、ゆらりと体を動かしながら、荒い息を幾度も吐き出しながらも、その脚は確かに立とうとしている。

 勝利の余韻に浸っていたアトラスは、一転して身構える。身構えつつも、相手がどう出るかを仕切りに観察する。アトラスは、ここで調子に乗って攻め入る男ではなかった。

 前に出るようなことは、決してしない。確かに相手を倒れ伏す隙を突くまでは、彼は決して動きはしない。


「おいおい……お前、舐めてんじゃねえのか」


 生意気な口が、叩かれる。

 殴られに殴られ、頰は醜く腫れ上がり、口からは赤い筋を垂らしてる。満身創痍極まりないというのに、このセイマという男はどうして不敵に笑っているじゃあないか。

 そして、だらりと垂れた腕の一本が上がり、まるでかかってこいと言わんばかりに指の一本を立てる。

 だが、アトラスは行かない、かからない。拳を構えたまま。しかして額には一筋の冷や汗がだらり。

 罠か、それとも作戦か。深読みに読むが、特に眼前の男にそういう気配は見られない。むしろ、何も考えず、ただがむしゃらに向かってきてるという方が正しいか?

 巡らした思考に答えは出ぬ。だが、石のように動かなかったアトラスの体は、たん、たんと跳ね始める。それは次第に軽快なステップへと変わり、セイマの周りを淡々と回りながら、しかし確かに迫りつつある。

 対してセイマはというと、動かない。目だけがアトラスの姿を追うだけで、その体は動こうとすることはない。

 セイマを巡るステップは、少しずつ、少しずつ速まっていく。ひらりひらりと舞う鳥が、獲物を狙うその時を狙い澄ますかのよう。


 そして、その時は来る。

 アトラスの体が、瞬く。


 刹那、繰り出されたジャブは、再びセイマの顔面を抉る。などと言う間に、また一発、さらに駄目押しの一発。それでもセイマの体は揺らぐことはあっても、決して引き下がることはない。

 しかし、引き下がることは無くとも、攻撃が放てているというわけでもない。むしろ、完封されているくらいだ。

 愚直に尚も拳を繰り出そうとしても、その前にアトラスの拳が入る。腕を掴んでみせようとしても、アトラスの隙のない身のこなしでは掴みようがない。

 こいつは、やっぱり俺より達者だ。

 そうセイマは思うしかなかった。元来戦いの技術というものを習わなかったセイマにとって、この技術に固められた男は天敵中の天敵だろう。

「ヘーイ! このGOLD monkeyにrevengeできねえかァ!」

 口のノリが軽いが、だからとてその戦いぶりまでが調子に乗っているとは言えない。

 むしろ、堅実すぎるほどに堅実。攻める時の隙は小さく、防御に至っては完璧。

 まさに、セイマには反撃という反撃のしようがなかった。


 ……だけれど。


「うがあああっ!」

 セイマの無理矢理な大振り、意地の底を見せる拳。だが、そいつは流石に無理が過ぎた。

 その拳を掻い潜り、自ら見せた隙を逃さんとばかりに、アトラスの拳がワン、ツーと、そして顔面へのフィニッシュが力強く入る。

 それこそ、脳が揺れる一撃。

 アトラスの手応えは確かであるし、セイマもこれには堪らず膝をつく。

 そして掲げられるは、勝利宣言と言わんばかりの人差し指。よくよく逆立った金髪に負けず劣らず、ピンと立つ。

 喝采、まさに喝采。観客は大いに湧き、現れた勝者に祝福の拍手を送る。いっそ、可愛い女の子からの黄色い囃子たてもあれば十点満点。そんな筋立てが、アトラスの頭の中にはあったはずである。

 しかし、そんな喝采は、どこからも起こらない。むしろ、おおと、妙なざわつきを見せる始末。

 まさか、と思った。だが、厳然たる事実がそこにある。


「やっぱりよォ……あんた、甘え……なァ」


 顔を腫らした男は、膝はつけどもなおも倒れぬ。むしろ、その満身創痍の体を背負い、倒れてやらんと言わんばかりに、立つ。

 口からも鼻からも、赤く筋が垂れてるが、そんなものは指で拭い取る。脳は未だ揺れているが、そんなものだってどうだっていい。

 彼は今、頗るキレていた。どうしようもないほどにキレていた。

 殺気迸る目が、アトラスに向けられる。そのあまりに込められた殺気に、咄嗟に彼は身構えた。

 何故だ、どうしてだ。

 冷や汗は止まることを知らない。もはや、眼前の男はスクラップ同然のはずなのに、この恐れは、そして彼から発せられるこの圧はなんだ。

 アトラスの思考が、若干のパニックを見せる。対してセイマは、そんなことを知る由もなく、ただ怒りに任せた足がかの男に迫り来る。


「あんた……もっとちゃんとやってくれよ……やるんならよ……もっと最後までやってくれよ、なァ」


 ギシ、とセイマの拳が力強く握られる。

 普段のアトラスなら、この瞬間回避なり防御なりの判断を下すだろう。

 しかし、今の彼はただただ圧倒されていた。セイマの怒りと、その殺気の圧が、彼を圧倒し怖気付かせる。

 だが、セイマは気づいちゃいない。

 セイマはただ、怒りに漲るその拳を振り上げ、


「いっそ、ぶっ殺すってェ気概がねえんなら、俺の前に立ってるんじゃあねェ!」


 力任せに、ただただ力任せにそいつをアトラスに見舞う。ただの一発、けれども怒りの篭る渾身の一撃。アトラスの体を弾き飛ばすには、十分な代物だった。

 間髪入れず、セイマの足が体勢の整わないアトラスの体を抉る。これには流石のアトラスも堪らない。それでもガードができるあたり、この男も強者か。

「ちいっ、boyってやつはもうちっと準備させてくれよっての!」

 跳ばされつつもようやく体勢を取ったと思えば、向かい来るセイマを、逆にファインディングポーズからの拳で向かえうつ。

 しかし、最早そこにいるのは先ほどのセイマではない。その拳を紙一重で躱し、そして、握られた拳が再びアトラスに入らんとした、その時。


「ッ」


 セイマの膝が、がくりと下がる。

 体全体が地に吸い寄せられる。重力に、なすすべなく押し潰される。先程まで受けまくっていた拳のダメージが、今更きたか。なんというタイミングか。

 その隙を、この一流の技術者が見逃すわけがない。

「sorry boy!」

 勝ちを確信したアッパーが、セイマの顎を再び突き抜ける。


 筈だった。


 だが、その拳の先にセイマはいない。

 どこにいるか、それは案外簡単だった。振り上げられた拳のさらにその下、男は虎のごとく地に伏せていた。

 ブラフ、そう思った時にゃあもう遅い。

 その顔は、この時を待っていたと言わんばかりの笑み。血濡れた口は、牙を見せる。

 虎が獲物に飛びかからんばかりの頭突きが、アトラスの顎を突き抜け、次にはセイマの拳が振り抜いた。


 逆襲である。


 しかしながら、この技術者もバカにはならない。頭突きを食らいながらも、第二の反撃はなんとか凌ごうと体を退けぞけ、拳の先がちょいと触れるだけに抑えたのだから。

 だが、ダメージが大きいのも確かだ。体は地に落ち、若干の痛みに悶絶。

 などと、そんな暇を与えぬかのように、セイマの膝が迫る。痛みに堪えながら、咄嗟に拳でその膝を受け流し、逃げるように転がって、セイマとの間合いを取る。

 セイマの牙は、未だ収められず。すぐにも間合いを詰め、猛攻が始まる。

 冷静さと慎重さを失った技術屋は、先程までとは違いガードも半端。その猛攻は防ぎようもなく、面白いように入る。

 構えも次第におなざりになり、最後はセイマの拳がこめかみに入り、為すすべもなくぶっ倒れる。完全に気を失っており、先ほどのセイマの如く立つべくもない。


「てめぇはこうしてりゃあ、負けるこたぁなかったんだよッ!」


 そこに追い打ちをかけるかのように、セイマの拳がアトラスの頭部に突き落とされた。その一撃は、沸き立っていた観客席を水を打ったように静まり返らせる。それほどに、その一撃は凄惨な代物だった。

 試合は終わった。

 たかが数分前は無傷だった男が、リンチにされた行き倒れのように横たわる。しかしながら、そこに立つ勝者もまた静寂の中、傷を背負いに背負ったその体を立たせているくらいで精一杯だった。


……



「やべ、体……動かね……」

 試合を終えて横たわるセイマは情けなく呟いた。勝利したとはいえ、そこに清々しさも、ましてや快感なども何もない。

 まあ事実、腕や腹には青アザだらけ、顔なんぞは見る影もなく腫れている。最後の逆転までは、ずっとアトラスの攻撃を喰らい続けていたのである、当然といえば当然の結果だ。むしろ、これだけの傷を背負い続けてなお闘った打たれ強さを誉めてやればいいのか。

 しかし、もう少しくらい勝利なのだから喜んでもいいはずが、一向にそんな気色は現れやしない。

「あの状況から、よくまあ逆転したものだし、少しくらいは喜んだっていいのにねえ」

「てめえの言葉なんていらねえよ」

 労いをかけてきたスポンサアすら、セイマは一瞥もなく一蹴する。

 これはいつもの話ではあるが、今回は若干の八つ当たりもあるるのか、その声はいつも以上に冷たい。これにはスポンサアも肩をすぼめるしかなかった。

「まあ、ゆっくり休みなよ。キミが次の戦いを望むならね」

「そうだな……ああ、そうさせてもらうさ。でもな、次はあんなやつ以外にしてくれよ」

「あんなやつ、って。あの技術屋の技術の高さはもう懲り懲りなのかな?」

「ちっげーよ」

 そして、舌打ち。それは、怒りがどれほどに煮え滾ってるかがわかるくらいに、酷く大きく鳴り響く。


「……あいつは、ただの遊び人風情だ。技術屋だとかお前は言ってるがよ、俺にとっちゃあ、その技術を楽しんでるだけのくそったれさ。……あそこに立ったなら、ぶっ潰れるまで叩きのめしてくれよ、その技術でよ……じゃなきゃあ、こっちが惨め極まりねえよ」


 歯軋りは止まらない。いまだに湧き上がる怒りのやり場も、どこにもない。戦いは終わってしまった、全ては終わってしまった話なのだ。

 しかし、終わってしまった話でも、文句もあれば、胸につかえるものもある。

そして、それがどうしても納得いかないことなら、尚更だ。

「もしかして、キミはアイツより弱かったとでも、言いたいのかな。弱かったから、負けてもおかしくない試合だったとでも、言いたいのかな?」

 スポンサアの言葉に、セイマは何も答えない。

 そうとも言えるし、そうでないところもある。自分ですら、自分の心が何を言いたいか、判別のつけようがなかった。


「まあ、何も言えないならそれでいいさ。ただ、僕の方からしてみれば、キミはアイツに持っていないものがあるから、勝った。『己のその身が朽ち果てるまで、その最期まで全力でぶつかりきる』、アイツにはないその執念と意地とがあるからこそ、キミは勝った。それに尽きると思うけどね」


 そんな言葉を残して、スポンサアは部屋を後にする。

 セイマは、その背中を見送らず、むしろそいつから目を背ける。相変わらず、わかったようなこと言うあの男が、気に食わなくて仕方ない。その気に食わなさを壁にぶつけようと拳を振り上げるが、痛みがそれを許さなかった。


 ぶすぶすと燃えかすの残るその男は、今はただ、燃え切らないままの傷ついた体を横たえているしかない。

 灰のように燃え尽きるには、尚も届かない代物のようで。

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